CASE001:ネグレクトではない|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

みなさま、はじめまして。
神経内科医の西村知香と申します。
まずはじめに自己紹介をさせていただきます。

幼い頃、私の家には伯父が同居していました。伯父は大学病院に勤めている外科医でした。魚の骨が喉にかかったり、湿疹ができたりすると、伯父が診察してくれて、とても心強かったのです。そんな伯父にあこがれて、漠然とお医者さんになりたいと思うようになりました。

小学校に入ると、地域のガールスカウトに入りました。ガールスカウトの活動でいろいろな人と交流しました。心身に障害のある人や難病の人と接すると、子ども心に、そういう人たちを支えたいという気持ちが芽生えました。

そんな生い立ちですから、神経内科医になったのは、必然だったのかなぁ、と思います。

開業のきっかけは、保健所の認知症家族会に参加したことでした。家族の人たちは、みなさんこう言いました。「医者は診断してくれるけど、薬を出すだけで、あとは何もしてくれない。これからどうしたらいいのか教えてほしい」。だから保健所の家族会に来たと言うのです。

私は、ショックでした。心身に障害のある人や難病の人を支えたいと思って医師になったのに、医師は認知症の患者や家族を支えることができていないのです。何のために神経内科医になったのでしょう。病院で上司に言われるままに診療をこなし、検査をして、救急患者をみて、当直をして、無我夢中で働いていましたが、自分がやりたかった仕事では、なかったのです。

そして、自分の理想の診療所を作りたくなり、くるみクリニックを始めました。くるみは、頭蓋骨のような硬い殻の中に、脳に似た形の実が入っています。脳のためのクリニックだから、くるみクリニックという名前にしました。

神経内科医の人生で、色々な人から、こんな言葉を言われます。

「治療法がない病気をわざわざみるのは、どうして?」
「医師なら、病気を治すのが、仕事だろう?」
「治らなくても、怒られないから、良いよね!」

治療法がなくても、治らなくても、支えたいからやっています。お察しの通り、認知症の人と家族を支えていくことは、なかなかうまくできません。そんなとき、書いてみることで全体を振り返ることができ、どこかに解決の糸口が見つかるかもしれません。

きっと、読者のみなさまも、私と同じくうまくいかないことがあるでしょう。最後まで何も解決せずに終わってしまうこともあるでしょう。しかし、患者さん、ご家族と一緒になって悩んだり、困ったりしながら、寄り添うこと、それ自体が支援なのです。

困っている人たちに、いつでも扉を開けておくこと、その人たちを気にかけて、並んで歩くことの大切さを感じ取ってもらえるとうれしいです。

CASE 001
83才女性

認知症の外来診療をして18年にもなると、朝から晩まで似たような本人・ご家族の話を聞きながら、「この話は前にも聞いたな」と思うぐらい、診療がパターン化しているのを感じる今日この頃です。そのような単調な(?)日々の中、寝ぼけている場合じゃないと、思い知らされる出来事が時々起こります。

認知症の妻を介護する夫からの要望

ある夏の日のことでした。
訪問看護師から、突然電話がかかってきました。

「患者さんの状態が急に悪くなり、ウトウトしていて、水分や食事がとれなくなった。会話が成り立たず、話しかけると不安になる。トイレに連れて行っても、座るのを拒絶して、一日中家の中を、落ちつきなく歩き回っている。介護しているご主人がいらいらしているので、落ち着かせるようなお薬を出してもらえませんか」

ご夫婦二人暮らしで、奥さまが認知症、ご主人が献身的に介護してるご家庭です。3年も外来に通っているので、家庭の状況はよくわかっているつもりでした。

外来では、穏やかなご主人が笑顔を浮かべて、認知症の奥さまを見守っているようなイメージです。診察室で声を荒げるようなこともなく、ものわかりが悪くなっている奥さまに優しく語りかけているような雰囲気です。

暑いから熱中症でせん妄状態になっているのかもしれないと思い、近所の内科で点滴をしてもらうように指示をして、精神症状が治まらない場合には、薬物療法をするので、受診するように連絡を入れました。するとご主人から電話があり、「妻が自宅でふらふら歩き回っているから、目が離せない。コロナ感染も心配なので、FAXで処方せんを送ってください」とのことでした。

FAX 診療の場合には、新しい薬を出したり、薬剤の量を調整することはできないことになっています。このため、薬剤調整は行えませんでした。

妻のこれまでの経過

発病は5年前にさかのぼります。

X-5年、排便へのこだわりが強くなり、朝の排便がないだけで、近所の内科を受診して、摘便してもらうようになりました。実行機能障害が出現しました。料理が好きで人に教えるぐらい得意だったのに、へたくそになり、味つけがおかしくなりました。

X-4年、アパシーが出現し、疲れやすく、一日中ソファーで横になって過ごすようになりました。稽古ごとをすべてやめました。同時期から、パーキンソン症候群による歩行障害が出現。服の後ろ前や裏表がわからなくなりました。

X-3年、時間的見当識障害、火の不始末が出現。お金の単位がわからなくなり、100円と1000円の区別がつきません。このため、かかりつけの先生から紹介され、当院初診されました。

初診時、MMSE19点。
ご本人は、初診時から「手がしびれる。ピリピリする」と、しつこく訴えていました。「手に力が入らないので、家事が何もできなくなり、全て夫にやってもらうので、気分が落ち込みます」とのこと。

ご主人は、「2年ぐらい前から料理がまずくなり、いらいらしてしまいますが、本人には言わないようにしています。趣味の囲碁で気分転換しています」と穏やかに語ります。見当識障害が出現しているため、中期に入っているアルツハイマー型認知症だと思い、「手がしびれて家事ができない」発言を、認知症特有の「取り繕い症状」と考えました。
リバスタッチパッチを開始。

X-2年、MMSE17点に低下。家事がまったくできなくなり、すべてご主人がするようになりました。トイレを流しません。コンロの火を怖がります。排便へのこだわりが強くなり、休日、夜間を問わず頻繁に、近所の病院に駆け込んでは、浣腸と摘便をしてもらうようになり、病院のブラックリストに載ってしまいました。

ご主人が制止しても、言うことをききません。このため、ロナセンを処方しました。すると翌月には精神症状が改善し、3カ月後にはロナセンの服用を中止することができました。この頃から、当初「しびれている」と訴えていた手の症状が痛みに変わり、診察室でも、「いたーい、めちゃくちゃ痛いです。茶碗や箸も持ち上げられません」と訴えます。

握力が低下しており、両手の麻痺が進行しています。認知症の一種、大脳皮質基底核変性症では、感覚障害や麻痺が徐々に進行してくることがあるので、頭部MRIを再検査したところ、第三脳室拡大、大脳皮質のびまん性萎縮ともに、初診時に比べ増悪していました。

通常、大脳皮質基底核変性症の場合には左右差があり、どちらか片方の手足の麻痺から始まって、進行すると両側におよびます。最初から「両手の」しびれを訴えているので、何となく違和感がありました。それでも「病因は、一元的に考える」という習慣が身に染みついているので、しびれに対して皮質性感覚障害と考え、サインバルタを処方しました。しかし、無効でした。

さすがにおかしいと思い、頚椎のMRIを施行しました。すると、頚髄髄内腫瘍が見つかりました。初診時から訴えていた手のしびれや歩行障害はこれも原因だったようです。

術後の自立回復と再度悪化

X-1年、日に日に手の痛みが増し、常に両手に手袋をはめて生活せざるをえなくなりました。春になり、ようやく脊髄腫瘍の手術が行われました。手術は全身麻酔で、8時間におよび、麻酔後のせん妄状態がしばらく続きました。

手術で両手のつらい痛みは取れ、両手が使えるようになったので食事動作は自立しました。また歩行も300mぐらい歩けるようになりました。

入院中に体重は10kg減少しました。MMSEは17点から10点に低下。頭部MRIでも大脳の萎縮が目に見えて進行しました。尿意がわからなくなり失禁状態となりました。退院後すぐに、ケアマネジャーさんが福祉用具や通所リハビリテーションを手配したので、歩行障害は徐々に改善傾向にありました。

ところが退院から8カ月後、左手の麻痺が再度悪化してきました。今度は左右差が顕著です。失行が出現し、フォークやスプーンの使い方がわからなくなりました。また失認も出現し、左半側身体失認が出現しました。

同時期に歩行障害が再度増悪し、パーキンソン症候群が顕著になり、前傾姿勢、小刻み歩行、前のめりに転倒するようになりました。意識消失発作をきたすようになりました。まっすぐ座れなくなり、傾いています。転倒を繰り返すようになりました。

圧迫骨折を機に悪循環に陥り訪問看護導入

X年、自宅内で転倒し、腰椎圧迫骨折をきたしました。整形外科を受診して安静にするよう指示されましたが、落ちつきがなくなり、安静が保てないので入院を勧められました。しかし、本人が拒絶したため自宅で療養することになりました。

通所リハビリテーションに通えなくなったため、訪問介護に切り換え、自宅で清拭を行う清潔保持などの身体介護を開始。骨折が治癒すると、福祉用具と通所リハビリテーションを再開。外出援助のために車椅子も借りることになりました。

圧迫骨折を機に、MMSE6点に低下。便失禁も出現。排便へのこだわりも再燃し、落ちつきなく家の中を歩き回るようになりました。歩き回っては転倒を繰り返す悪循環です。この頃から食事拒否が出現し、一口食べると席を立って歩き回るようになりました。

気温が上がってくると水分を摂らないことが問題となり、脱水状態が懸念されたため、訪問看護を導入しました。

その1カ月後、冒頭の訪問看護師からの連絡が入ったのです。

食事摂取不良による脱水から、熱中症になっていると考えられました。懸念された事態が、実際に起こっていました。「介護拒否がある場合には無理強いしない」というご主人の対応はある意味間違ってはいませんが、生命に関わる場合は、別です。新型コロナウイルスが心配なので、FAX処方になったのも問題でした。

妻の状態に対する夫の認識

最初の電話から2週間後、再び訪問看護師から連絡があり、「夫は食事の準備をするが、食べさせている様子がない。室内で転倒することが増えているが、転倒したまま床に寝た状態を発見することが増えた」とのことでした。

ネグレクトと考え、区の担当者に連絡をし、虐待ケア会議に上げてもらうことにしました。これまでも入院や入所を勧めてきましたが、ことごとくご本人やご主人の拒否にあい、実行することができませんでした。今回は緊急性ありということで、ケアマネジャーさんが緊急ショートステイを手配しました。

半月後、区の担当者、地域包括支援センター、ショートステイ、訪問看護、デイサービス、ケアマネジャー、主治医である私が一堂に会して会議を行いました。これによって明らかになったことがありました。ご本人が食事や水分を取れていない状況について、ご主人は問題と考えていないということです。「飲めるときに飲めばよい」ということです。

また本人は落ちつきがなく、自宅でも、デイサービスでも、ショートステイ先でも、関係なく一日中グルグル歩き回っていて、ほとんど座らないとのことでした。トイレの便器にも座りません。食事も集中できません。一口食べては、立ち上がって歩き回ってしまう状況です。このため、デイサービスやショートステイでは、スタッフがマンツーマンで対応していました。

夫の行動とおびえる妻

またデイサービスの事業者からは、「先月までは送迎の際にスムーズに出てきていたが、今月に入ってから、訪問するとご主人の怒鳴り声が聞こえてきて、ご本人がおびえたような態度を示している」との情報がありました。

客観的にみれば介護しきれていない状態ですが、「まだ歩けているから」との主張で、ご主人は施設入所を拒否していました。

この会議は「虐待事例かどうか」判定する会議です。

結論としては、「ご主人が食事を用意したり、トイレに連れて行ったりしている。適切に食事がとらせられないのは本人の拒否が強いからであり、ネグレクトではない」ということになりました。しかしながら、「デイサービスの送り出しの際に、ご主人が怒鳴っており、本人がおびえているので、心理的虐待として認定」されました。

会議の中で、別居している娘さんの存在がクローズアップされました。娘さんは近くに住んでいて、ときどき訪問してくれているようですが、今まで介護に積極的に携わってきませんでした。また通院にも同行されていませんので、私もお会いしたことがありませんでした。新たな切り口としては、次回受診の際に娘さんに同行していただき、主治医から娘さんを通して入院治療をお勧めするという方針となりました。

方針が決まり、ほっとした雰囲気で、会議は終了しました。

入院への不信感と治療方針

会議の2日後が通院日でした。
介護職種の方から連絡していただき、この日は初めてご夫婦と一緒に娘さんが同行して受診されました。これまでの経緯につき説明し、入院治療を勧めました。娘さんは理解してくださるだろうと考えておりましたが、一筋縄では行きませんでした。

それは前回の脊髄腫瘍の手術のときから続いている、入院に対する不信感でした。「脊髄腫瘍の手術で入院し、手術は成功したと言われ、リハビリテーション病院に転院して、その後自宅に退院したが、退院時に認知症がひどく悪化していたので、もう入院はさせたくありません」と、はっきり断られたのです。

本人も、ご主人も、娘さんも入院に反対となると、無理だと思いました。急遽その場で相談し、焦燥感などが落ち着くように抗精神病薬で外来通院にて治療していく方針に変更しました。

虐待ケア会議のモニタリングは、3カ月後となっています。それまでに、このケースに、何らかの答えが出ているのか。それはまだわかりません。

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。