突然ですが、英語の問題です。以下の英文を日本語に訳してください。

Yes To Life, No To Drugs

高校時代に習った英語の知識を駆使して、ある程度意訳してもらってかまいません。
固く訳すと「人生にイエスと言い、薬物にはノーと言おう」でしょうか?
砕けた訳で「人生を楽しもう!薬物なんていらない!」くらいの訳はOKかもしれません。
ただこの訳が「ダメ!絶対!」だったらどうでしょうか?

「ダメ!絶対!」は国連が打ち出したスローガン「Yes To Life, No To Drugs」の日本語訳です。当然ながら誤訳なので、最近は「ダメ!絶対!だけじゃダメ!」などと指摘されています。

日本の依存症治療は世界的にもよくいえば独特で、「理性」や「思考」「楽しみ」などは少なく「根性」「罵倒」「歯を食いしばる」などにあふれていました。

このころに依存症について勉強された方々は、今の依存症についての常識を聞くと耳を疑うかと思います。戦前戦後のような価値観の変換が行われているからです(正確には、日本独自でやっていた方法から、世界的にエビデンスがある方法に変化しているんです)。

少し最新の依存症や依存症治療についてお付き合い頂ければと思います。

1 依存症は好きの延長線上にはない!

依存症を、「好きになり過ぎた人がハマりすぎてなるものだ」と考える人は少なくありません。では一つ確認してみましょう。みなさん、自分の最も好きな食べ物を頭に思い浮かべてください。お菓子でも主食でも果物でもなんでもよいです。ちなみに僕はラーメンです。

では今日からその食べ物は食べ放題、ほかのものは一切食べないとしたら、どれくらい持ちますか? 1か月でしょうか? 2か月でしょうか? 講演で同じ質問をすると、だいたい1週間くらいが限度だという人が多いです。

でもアルコール依存の人はお酒さえあれば後は全部いらないといって、それが何年も続いているんですが……。

一般的に、1つのことをやり続けるのは「意思が強い」といい、すぐに飽きたり放り出す人のことを「意思が弱い」といいます。だとすると、依存症者は特別「意思が強い人」の集団なのでしょうか?

ところで、人間は飽きる生物です。好きなものは飽きます。でも「嫌なことからの回避」は飽きません。みなさんトイレに行くのが面倒だからと、ズボンをはいたままおしっこを漏らしますか? そんなことありませんよね。

それは、トイレに行かないで漏らしてしまうとべたべたするし、臭いし、恥ずかしいしなどなど、嫌な気持ちになるからです。依存症者は、さまざまな嫌な感情や人生の生きにくさを、「依存対象」で自己治療しています。

好きの延長で依存症に至る人はほとんどいません。

ちなみに僕は「アルコールが好き」という人が外来に来ると、本人のこだわりの酒を必ず聞きます。「〇〇産の赤ワインが」とか「新潟の〇〇という日本酒が」など好みを細かく言える人で、依存症になっている人は非常にまれです。

依存症になると多くは「昔はこだわりがあったけど、今は安くて酔えればなんでもよい」など、好きではなくなってしまっていることに気が付きます。

2 依存って悪いことなんだっけ?

そもそも「依存症」という言葉は「依存」自体が悪いことのように感じますが、そうでしょうか? 

何にも依存しない人生って、独立独歩の一匹狼のようで、格好いい気もしますが、自分が目指したい人生ではありません。僕自身、精神的に不安定になるときには妻や子どもに助けてもらいますし、仕事で困ったら仲間にすぐにいっしょに背負ってもらっています。COVID-19 が流行る前は旅で気分を変えるのも好きで、依存していたともいえるかもしれません。

依存症の根本は、「つらさの回避」という「自己治療」ですが、その方法が一つしかないから副作用が強く出てしまうのです。依存症は「人に依存できない人が、物質や特定の行為に依存している病気」といえるかもしれません。

3 アルコール・薬物だけじゃない!

依存症の概念はどんどん広がっています。

今は、アルコールや薬物だけではなく、ギャンブル・ゲーム・ネット・買い物・万引き・性嗜癖・自傷行為も、依存症の一部と考えられることもあります。これらはすべて、脳の中で似たような変化が起こっている病気であるといわれています。リストカットなど自傷行為も同様です。 

ところで皆さんはリストカットしたことありますか? 最初にリストカットしたときのことを思い出してみてください。まだしたことがないという人は、してみることを想像してください。実際にはやらなくて大丈夫です。

もし痛いと感じるなら、それはあなたが恵まれて生きてきたからです。今日両親や育ててくれた人に電話して、感謝を伝えてみてください。

一部の人は痛みを感じながらも、すっきりした気持ちになったと言います。もともと心にリストカット以上の大きな痛みを負っている人たちは、リストカットの痛みは感じつつも、それに反応して出る脳内麻薬が心の痛みもマヒさせるのでかえって楽になると言います。

もし切ったら楽になるだろうと思った人、最初切ったときに楽になったという人、それはあなたが、それだけたいへんな心の重荷を自分で背負いながら、がんばって生きてきた証拠なのだと思います。ぜひ自分をほめてあげると同時に、僕たち精神科医療者に何か手伝えることがないかを相談させてください。

きっとこれは、自傷行為だけではないのだと思います。そう考えると、飲酒/薬物使用/ギャンブル/自傷、その他を繰り返す人は、それだけ辛い人生を生き残るために、自分なりの方法を模索し続けている人と、とらえることができるかなと思います。せめて病院やスタッフは安全な場所、安全な人というメッセージを送り続けたいと思います。

4 依存症から回復するって、むっちゃ格好いい!

救急や内科のスタッフにこう言うと、だいたいにらまれます。「何度も何度も治療しても、また来て、ぜんぜん格好良くない!」と。
でも依存症者にとって救急での治療や内科での治療って、肺炎になっている人にロキソニンだけ飲ましているようなもんなんです。そりゃ一瞬熱が下がっても、すぐにまた再燃するの、当たり前じゃないですか。

じゃあ、依存症治療ってどんなことなのか。実は医療者ができることって、そんなにないんです。逆にいうと、「俺が治してやる!」とふんばる必要もありません。ただ慢性疾患なので、何年も1人の患者さんと付き合っていくことになります。

彼らの多くは自助グループ(依存対象を何とかしたいなと思っている人の集まり)に参加して、人間的に回復・成長していきます。そして最初はどうしようもなく見えた患者さんが、病気と向き合うことで、だんだんと、今度は「回復者」として、今も苦しんでいる患者さんを助けるために活動し始め、いつの間にか人間として尊敬できる存在になっていきます。

そして患者だった彼らは、いつしか僕たちの治療チームの仲間なってくれます。確かに最初は「こいつなんなんだ」という人もいます。ただそういう人こそ化けたりします。

最後のチャンスといって外泊した日に飲酒して、小火(ぼや)を起こしたおじいちゃんが、3年後、「今は依存症専門の作業所に通っているけど、こんなに楽しい生活ができている」と、目を輝かせてほかの患者さんに説明に来てくれたときの感動は忘れません。

彼らは「まだ苦しむ仲間のために」と、無償で、ときには自分の仕事で有給を使ってでも、見ず知らずの、同じ苦しみを抱えている仲間のために動いてくれます。

社会的にも大きな役割を担いながら、他人を責めず、自身の気持ちを格好つけずに言語化し、その生き方を相手に押し付けるでもなく、ただ「自分も助けられたから」と、無償の愛のバトンを無条件につなごうとする彼らを見ていると、自分が医療者になった理由を振り返らざるをえなくなります。

思わず殺意を抱いた人に尊敬の念を抱けるまで、そんな変化を凝縮して見られるって幸せだなって思います。「世界で最も不幸なことは依存症者といっしょに暮らすことで、世界で最も幸せなことは回復者といっしょに暮らすこと」なんて言葉もあるんですよ。

ちなみに、多くの自助グループは「オープンミーティング」といって見学を受けれていますし、見学者に自分の気持ちを話す時間をくれるところもあります。自分自身の気持ちを言語化して外に吐き出し、誰かに聞いてもらうことは、メンタルヘルスの基礎なので、「今ちょっと精神的につらいんだよな~」という人、ぜひ自助グループをのぞいてみてください。

5 笑顔があふれる治療の場に!

アルコール依存症のゴールってなんでしょう? 昔に依存症について習った多くの医療者や一般の人は、「アルコールを飲まないこと」と答えるのではないでしょうか?

違います。

「飲まないこと」にこだわり過ぎると、医療者は「またこいつは飲んだ」となりますし、本人は「飲んだら辛いけど、飲まなきゃもっとつらいじゃないか!」となります。

依存症治療のゴールは「対象を使わないこと」ではなく、対象を使う必要がないように、「ほかの手段を渡すこと」なんです。そのために必要なことは、再使用を怒るのではなく、使うのをやめようとTRYする気持ちをほめ続け、いっしょにTRYし続けることなんです。怒る必要もがっかりする必要もありません。

だって目の前に来てくれた患者さんは、それだけでやめようと思っている、「100点満点の患者さん」なんですから。

もし、こわい患者さんが「昨日の夜に覚せい剤使った! もうやめるのやめた!」と怒鳴りこんできたらどう返しますか? 僕たちは、

「昨日の夜に使ったのなら、今日の朝も使いたかっただろう。やめるべきかやめないべきか、やめたくてもやめれないんじゃないかと、葛藤もするだろう。なのに今日、こうやって病院に来てくれて、気持ちも言葉にして教えてくれた! 僕たちは非常にうれしい!」

と笑顔で返します。そうするとだいたいの人は笑顔を返してくれます。

6 通報なんて考える必要ないんだ

僕が医者になったころは、覚せい剤など違法薬物を使用した人を救急などで診た場合、警察に通報するべきなのかがわからずストレスでした。今では「医療者が警察に届け出ることを義務づける法律は存在しない」が一般になっています。

麻薬中毒者に対する、都道県知事に対しての届け出義務はありますが、そもそも麻薬中毒者の診断は専門医が慎重に行うことになっているので、僕たちには直接関係ありません。もしあなたが公務員だとしても、援助者であれば、「公務員の告発義務」よりも「守秘義務」を優先させても問題がないことが浸透しており、警察対応を考える必要もなくなりました。

ちなみに依存症業界では違法薬物のいちばんの害は、「違法であること」だという指摘もあります。つまり、逮捕されることで、さまざまな社会的なつながりが切られてしまうことこそが、「害」だということです。

こんな感じで楽しい依存症治療なのですが、もちろん一般的な感覚と違う点もあり、その感覚のずれに最初は戸惑うことも多くあります。次回からは当院のスタッフが戸惑いながらも変化して、依存症治療を楽しむに至るまでを、それぞれの言葉で話してもらおうと思います。ぜひご期待ください!

プロフィール:常岡俊昭
昭和大学附属烏山病院 精神科医師。昭和大学医学部卒業後、現在の病院に勤務。依存症治療の楽しさを知り、依存症治療にハマる。趣味は旅行で2015年には一年間バックパッカーをしていた。
書籍:僕らのアディクション治療法:楽しく軌道に乗れたお勧めの方法:星和書店,2019