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私の当事者理解

「自己肯定感の低さを背景とした自責的or他罰的思考→趣味による葛藤の解消→脳の器質に合致すると趣味が嗜癖となり依存回路が形成され発症→嗜癖行為が目的化して生活の中心になる→周囲は意思が弱くてやめられない人とみなす」という悪循環を見立てています。

まず告白しますと、私自身は自分がいつ発症してもおかしくないと感じています。自己肯定感の低さゆえに虚勢を張ることもままありますし、私が趣味と位置づける行為も、他人が見たらすでに嗜癖レベルなのかもしれません。

趣味と嗜癖の基準を社会生活における支障の有無だとすると、たまたま今は嗜癖に該当していないだけで、脳の器質が変化すれば発症する可能性はあると思います。

発症後のつらさ

発症前は心理的葛藤を趣味などでごまかせますが、発症後は嗜癖化した行為に頼ることができません。生産性のある別の何かを見つけるという意見もありますが、「家庭を顧みず仕事に没頭→仕事依存、他者の世話焼きにこる→共依存」のように、一般的に「よい」とされるようなことでも、依存対象が変わっただけのクロスアディクションになってしまう可能性があります。
 
発症後は内面の課題に対処をしないと、せっかく興味を抱いた事柄も、人生を豊かにするための趣味として付き合うことが困難になるようです。 患者さんと接すると、酒・薬・ギャンブルなどを楽しんでおらず、生き延びるための手段として使っている印象があります。
それだけ、無意識に落とし込んだ葛藤と向きあう作業はたいへんなのだと思います。

また、当人も内面の課題に無自覚なので、周囲との話題は「使う使わない」「意思が強い弱い」に終止することが多いです。「病気」として認知されてない証拠だと思います。身体の病気であれば、周囲も本人の責任にせず、 本人も頑なに否認したりせず、「病気なんだから仕方ない。回復はどうすればよいか?」と考えられるのに……。

患者さんの示す否認の態度が脅威を与えるので、周囲も身構えてしまいます。変わる必要性は本人もわかっているけど、その方法がわからないから、怒りという形でしか表現できないのだろうと思います。

POPソングの歌詞ではないですが「何かや誰かのせいにしなければ、自分を保つことができない。そんな自分に気づいて嫌になる」という心境、私含め皆さんも思い当たるのではないでしょうか。恥をしのんで、われわれの前に現れてくれた患者さんに、「自覚が足りない、変わらなきゃ!」と説教じみた対応をしてしまったときほど、こちら側が変わらなきゃと反省しております。

対処

自助グループミーティングにおける12ステップの実践が推奨されています。ミーティングに参加すると、周囲に語っているようで、実は自分との対話を繰り返す参加者の姿に出会います。誰に怒ってるかわからないけれど声を荒げる人、厭世観たっぷりと言葉少なに話す人、自分に言い聞かせるように語る人……。何とも人間らしいです。

自責と他責のループから抜け出し、純粋に回復を求めできることをする。その求道精神や、正直さを持つ回復者に出会ったときは、尊敬とともに、依存症で苦しんでる人を勇気づける存在と感じます。

支援

自分を棚上げしてしまいますが、内面の課題に向き合えていない私が患者さんを回復させるのはむずかしいと思っています。他力本願ではございますが、回復者とつながり続けることこそ最善の道だと考えています。よって、患者さんが回復者との接点をつくる工程こそ、専門職の役割ととらえ尽力しております。

その過程で立ちはだかる壁が、患者さんの示す抵抗です。抵抗や否認は依存症患者さんの最たる特性といわれています。それだけ、自分を守ってきた嗜癖行為を手放すことは恐ろしいものなのだと思います。回復者に会おうと伝えても一筋縄で行かないことが多々あります。

どうすれば変化に向けた動機づけを喚起できるか、あの手この手を考えるわけですが、最近思うのは、患者さんを変えようとするより、私自身がシンプルに患者さんの好きなところをみつけたほうが支援が展開するということです。嗜癖行為の有無を脇に置き、本人が日々の生活で、何に喜び、何にいらだつかを聞いて、こちらの共感を伝えることが、患者さんにとって安心になるのだろうと想像します。

「脅し→焦り→半強制による変化」が功を奏する場合もありますが、われわれが出会う患者さんは、すでに社会や家族から十分にその圧力をかけられてきているので、「安心→自己肯定感の回復→変化への動機づけ」のほうがフィットする感覚があります。少なくとも後者のほうが、患者さんとつながり続けられる確率は高いと思います。

正確な表現は忘れましたが、ある高名なセラピストが、抵抗を示すクライエントに「あなたはあなたのままでいい。そして変わることもできる」と伝えたと聞いたことがあります。相手が変化すればそれに越したことはないし、変化しなくても存在を承認している点で安心が得られるため、変化に向けた準備ができるという点で優れた治療的メッセージであると紹介されていました。
心もとないかもしれませんが、つながり続けることの力は大きいと感じています。

おわりに

自助グループの最後に参加者で復唱するメッセージのなかに、「変えられないものを受け入れる落ち着きを。変えられるものは変えていく勇気を。そして、二つを見分ける賢さを」という言葉があります。私のお守りになっている言葉です。依存症支援の世界には、万人の悩みに共通した、解決のヒントが隠されているように思います。
ぜひ、いっしょに勉強してみませんか~?

プロフィール:山本和弘
昭和大学横浜市北部病院/精神保健福祉士
精神科病院勤務13年目のソーシャルワーカーです。「代わりに解決できないからエンパワー(勇気づけ)する」をモットーに支援に従事しております。タイトルの回答を一言で述べると、「私が誤魔化してることに向き合ってる人たちと出会えるから」です。

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