CASE026:認知症は一つではない|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、嗜銀顆粒性認知症、大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、ピック病など、いろいろな認知症がありますが、これらはみな変性疾患という種類の病気です。

変性疾患というのは、脳神経細胞に有害な物質が蓄積して、神経細胞が破壊され、脳が萎縮してくる病気です。

アルツハイマー型認知症では、アミロイドβタンパク質が溜まります。これは捨てなくてはならない老廃物です。正常な人では、この物質を血管から脳の外へと排出して、脳の状態を正常に保たっています。アルツハイマー型認知症の人は、血管のはたらきが悪くなり、物質を脳の外に排出することができなくなります。すると、アミロイドβタンパク質は細胞内に溜まっていきます。そして、たくさん溜まると細胞が壊れてしまいます。

レビー小体型認知症ではアルファシヌクレイン、嗜銀顆粒性認知症ではタウというタンパク質が溜まります。

本来、これらのタンパク質は、血管から外に捨てられていくのです。血管のはたらきが悪くなると、捨てられなくなって溜まるのです。

血管、これが今回のキーワードです。

血管性認知症は、アルツハイマー型認知症に次いで多いと言われてきました。他の変性疾患と違い、血管が詰まったり、切れたりして、脳の組織が壊れ、認知症になることを血管性認知症といいます。脳梗塞、脳出血を繰り返す場合です。CTやMRIなどの画像で見ると、はっきりとその痕跡が写っていますので、「これが原因だ」とわかりやすいのです。

このほかに、脳全体の血流が低下する白質脳症、小さい脳梗塞が多発する多発性ラクナ梗塞も認知症の原因になります。これらも含めて、血管性認知症といいます。

血管のはたらきが悪くなって、詰まる、切れるだけでなく、血管本来の機能を失って、上に挙げたような変性疾患の原因物質、アミロイドβタンパク質などを排出できないということが起こります。

血管性認知症+変性疾患=混合型認知症

次々に、いろいろな症状が出てきて、どうにもならないこともあります。

CASE 026
67才男性

あるとき、長年通っている患者さんに、初めて娘が付き添ってきました。娘の口から、次々と私の知らない症状が語られていきます。

「目が動かない症状が出て、眼科で脳梗塞ではないかと言われたので一緒に来ました」
「ここ数年で徐々にテレビの音が大音量になってきて、難聴かと思ったら、耳鼻科では聴力はさほど悪くないと言われたのです」
「家事を頼んでもしなくなりました。やっていないことを指摘しても、ケロッとしていて何も感じていないようです」
「診療の予約を何度教えても、覚えられません」
「都内にある生まれ育った実家に行けなくなりました。降りる駅がわからなくなり、大江戸線をぐるっと一周してしまいます」
「頻繁に外出しますが、どこで何をしているのか、わかりません」
「最近、女物のブラウスを買ってきました。サイズも合わないし、絶対に着られないものです」
「食欲は異常にあるのに、徐々に痩せてきました」
「家では寝てばかりです。以前は、まめな人でした。認知症ではありませんか?」

いつの間にか、そんなに変化があったのです。診察だけでは、気がつきませんでした……。

これまでの経過

妻を早くに亡くしましたが、娘一家と同居しています。会社員を退職後は、町会でいろいろ活動して、あちこちの会合に顔を出し、近所に顔見知りが増えました。地元の小学生たちに、朝夕気軽に声をかけてくれるような人でした。60代で、まだまだ元気でした。

X-4年、「1カ月前に、町会のバスツアーで日帰り温泉に行って、それ以来、手がしびれている。ずっと症状が続いていて、なかなか治らない」と言って、本人が受診しました。

神経学的診察を行いました。すると、右上肢の麻痺を認めました。軽度の不全麻痺です。巧緻運動障害もありました。ボタンをはめるなどの細かい動作ができません。右上肢の腱反射も亢進しています。

頭部MRIを施行すると、左中大脳動脈領域に小さな脳梗塞ができていました。比較的新しい梗塞巣が写る「FLAIR」という撮影法で、ぼんやりと白く見える病巣です。

日帰り温泉で酒を飲んで入浴し、脱水状態になって、狭くなっていた血管が詰まり、ラクナ梗塞を発症したものと考えられました。

ラクナ梗塞とは、直径1cm以下の小さな梗塞で、細動脈硬化によるものといわれています。
細動脈硬化の原因は、多くが高血圧症です。聞くと、血圧が160/84くらいで、内科で治療を開始したところだといいます。

ラクナ梗塞ができてしまうと治すことはできません。再発しやすいので、それを防ぐ必要があります。二次予防といいます。予防の基本は降圧です。高血圧症を治療します。

本人に、「血圧が高いので、血管が傷んで、詰まったようです。そのせいで、脳梗塞になり、右手が動かしにくくなりました。血圧を下げる治療をしないとまた別の血管が詰まって、違うところが麻痺してしまうので、内科の治療をしっかり受けてください」と説明しました。

内科の主治医に連絡をし、脳梗塞が見つかったことを知らせ、降圧薬による高血圧症の治療を依頼しました。

ラクナ梗塞の再発

X-3年、1年前のラクナ梗塞の後遺症で、右手の握力が左手の2/3ほどに低下していました。右側の痙性不全片麻痺で、右上下肢の腱反射が亢進しています。脳梗塞が原因で麻痺が起こると、時間が経って徐々に痙性が出現してきます。筋肉が突っ張ってくるのです。「寒いと突っ張りがひどくなる」と訴えていました。下肢の症状は軽く、ほぼ正常に歩けました。片道20分ほど歩いて通院できていました。

ところがあるとき、「左足が段差に引っ掛かる」と訴えるようになりました。頭部MRIを再検しましたが、ラクナ梗塞が多発しており、どれが新しい病巣かわかりません。

神経学的診察をすると、今度は左にも不全片麻痺が認められました。両側の不全片麻痺です。明らかにラクナ梗塞の再発です。二次予防で行っていた降圧治療がうまくいっていなかったのです。降圧薬がちゃんと飲めていなかったのかもしれません。気がつくと、内科から処方されている降圧薬の種類が増えていました。薬が飲めなくなって血圧が上がっていたのに、薬が効いていないと思って増やしてきたようです。

動脈硬化が進行し、全般に脳の血流が低下

めまいも起こるようになりました。こちらは椎骨脳底動脈の循環不全による症状と考えられました。脳の血管は、一箇所だけが動脈硬化を起こすということはなく、全体が一斉に動脈硬化を起こしてきます。脳全体の動脈が、同時進行で硬くなってくるのです。

難聴になり、聞き返すことが増えました。老人性の難聴が進んだのかもしれませんが、脳血管障害による聴覚野の機能低下も関与していると思われました。聞いた言葉を理解する部位の機能低下です。言葉を聞いて、その意味がわかるのに時間がかかるようになった印象でした。薬の飲み忘れが増えました。こちらは注意力の低下、記憶力の低下であり、前頭葉のはたらきが悪くなったためと考えられました。

特に血管性認知症の場合には、前頭葉の機能低下が目立つケースが多く見られます。注意力・集中力の低下が代表的な症状です。はなはだしい場合には、前頭側頭葉型認知症の一種、ピック病のような振る舞いをしてしまうこともあります。反社会的言動、時刻表的生活、常同行為、保続、脱抑制、我が道を行く行動などです。

スケジュール忘れ、理解力の低下

X-2年、予約ではない日に受診するようになりました。最初のころはきちんと予約の日に来院していましたが、自分の好きなときに来院するようになりました。受診時に保険証を出すのを忘れています。促されて、カバンの中を探して、やっと保険証を見つけることができました。

右手の痙性が徐々に悪化してきました。「調子が悪いので、お酒をやめました」と話しました。また、全般に理解力が低下して、口頭指示が入りにくくなりました。

パーキンソン症候群の出現

このころから、血管性パーキンソン症候群が出現してきました。小刻みすり足歩行になり、すくみが顕著になりました。一歩目が出ません。

血管性パーキンソン症候群とは、多発性ラクナ梗塞が大脳基底核に生じることにより、パーキンソン病と同じような歩行障害が出現するものです。本態性パーキンソン病と異なり、上半身にパーキンソン病特有の症状があまり見られません。また、動きが少なくなるアキネジア、上肢の安静時振戦、瞬目(まばたき)の減少、小声、嗄声、仮面様顔貌もありません。

薬剤管理能力の低下と一過性脳虚血発作

X-1年、薬の飲み忘れが増えました。内科の血圧の薬を飲み忘れることが頻繁となり、さらに血圧が不安定になりました。

一時的に片目が見えなくなり、回復したということでした。一過性黒内障だったようです。眼動脈が一時的に詰まって起こります。眼科に相談に行き、「脳梗塞かもしれない」と言われました。

X年、予約とは無関係に、薬がなくなると来院するのみならず、診療時間外でも、休診日でも、お構いなしに来院するようになりました。診察、会計が終わっても、カウンターにもたれて、いつまでも事務職員に話しかけています。まさに、「わが道を行く行動」です。

パーキンソン症候群による歩行障害が徐々に悪化し、自転車で来るようになりました。体重が減少してきました。

そして、冒頭のように、娘が付き添ってきたのです。

酒盛り

本人は、娘と私の前で「右手が不自由になったのは、胃薬の副作用です」と言いました。初診時の説明をまったく覚えていません。

フリーマーケットが好きで、そこで変なものを買ってしまいます。女性用のブラウスもそうでした。ほかにもいろいろと不要なガラクタを買ってきていたようです。

また、外出先で何をしているのか不明でしたが、判明しました。町会で顔見知りが多かったので、近所の人が見つけてくれました。ホームレスといっしょに酒盛りをしているのを目撃して、娘に教えてくれたのです。

本人は「お酒をやめました」と言っていましたが、実際には、毎日散歩に行っては公園でホームレスの酒盛りに参加していたのです。

パーキンソン症候群の治療を開始

パーキンソン症候群の悪化は深刻でした。診察室に入ってきて、方向転換が困難で、椅子に座ろうとしても足がすくんで目標が定まりません。このため、シンメトレル®︎を開始しました。この薬は、抗パーキンソン病薬の一つです。血管性パーキンソン症候群に著効することがあり、使ってみました。多少は効いたようで、なんとか一人で歩き回れていました。

介護認定申請をして、要介護1になりました。リハビリテーションができるデイサービスに通ってもらいました。見学した段階では、周囲はみな自分より10歳以上も年上の高齢者ばかりで「嫌だなあ」と言っていました。しかし、もともとフリーマーケットやホームレスの酒盛りなど、人が集まって楽しそうにしていると仲間入りしたくなるような人懐こい性格でした。なので、参加してしまうと他の利用者の世話など焼いて、楽しそうに過ごしていました。

失行、緩やかな進行の始まり

そのうち徐々に認知機能が低下し、電話の取りかたがわからなくなりました。電話が鳴っても出られません。

通常、血管性認知症の進行は「階段状」といって、梗塞や出血が再発するたびに、ガクッと悪化することを繰り返しながら進行します。「×月×日から急にこうなりました」と、始まりがはっきりしています。

ところが、今回の症状はいつの間にか出現し、できたり、できなかったりしながら、緩徐に悪化してきました。

脳梗塞が再発していないか確認するため、頭部MRIを行いましたが、新たな梗塞はありませんでした。大脳皮質のびまん性萎縮と、脳室拡大が悪化していました。側脳室だけでなく、第三脳室も拡大しています。大脳全体が、じわじわ萎縮してきたのです。

血管性認知症特有の階段状の悪化ではありませんでした。大脳が徐々に萎縮する病気、変性疾患を合併したようです。混合型認知症に移行したのです。

繰り返す転倒

X+1年、転倒しました。

散歩中に転倒し、助けようとした通行人が本人に自宅の住所を尋ねました。しかし、住所を言えませんでした。このため、通行人が付き添って近くの病院に連れて行ってくれました。幸い、かかったことのある病院だったので、病院で身元が判明し、家族に連絡がつきました。頭部CT検査をしてもらい、異常ありませんでした。

そのエピソードの2週間後、また家の近所で転倒し、顔面を打撲し、鼻血を出しているところを通行人が発見しました。このときは、救急車が呼ばれ、大きな病院に搬送されました。顔面を10針も縫い、破傷風トキソイドを打ってもらいました。病院に搬送された際に、心電図で陳旧性心筋梗塞が見つかりました。

脳動脈硬化を起こしている場合、通常は全身にも動脈硬化が起こっていると考えられます。体の一部分だけが動脈硬化を来しているということはありません。このため、脳梗塞がある人は他にも心筋梗塞、下肢の閉塞性動脈硬化症などを伴っていることが多いのです。

心筋梗塞の跡が見つかったので、循環器科にも通院を開始しました。

転倒を防ぐ

散歩での転倒を繰り返すようになったので、一人で外出すると危険です。「一人で出てはダメ」と言われてもすぐに忘れて、気の向くままに出てしまいます。目が離せません。このため、ケアマネジャーに連絡し、デイサービスを増やしてもらいました。一人で出掛けないようにするためです。

家の中でも転倒するようになりました。突進現象が出現し、足が止まらなくなり、前のめりに倒れるようになりました。このため、介護保険で家の中に手すりを設置しました。当院へは、一人で通院していましたが、道がわからなくなり、毎回、娘や孫が付いてくるようになりました。

人格変化

いままでは人懐こく、社交的で明るく表情豊かな人でしたが、徐々に無表情になりました。人格変化です。閉じこもりになり、一人で出掛けなくなりました。出掛けないので、外での転倒はなくなりました。廃用症候群が加わり、足が弱り、歩行可能距離が徐々に短縮しました。

反応速度が遅くなり、返事が返ってくるのに時間がかかるようになりました。昼寝から起きると、朝だと思うようになりました。

血管性とは思えないパーキンソン症状が次々に加わってきました。小刻み歩行に加え、左手の振戦が出現しました。振戦は徐々に悪化しました。表情が硬くなりました。仮面様顔貌です。尿失禁が出現しました。

空間認識が難しくなり、左に寄りやすくなりました。左側無視も出現しました。左側にあるものが認識できない症状です。

口頭指示が入らなくなりました。錯語が出現し、何を言おうとしているのかわかりません。失語です。

頭部MRI画像では第三脳室も拡大していました。大脳皮質基底核変性症を疑わせます。

ショートステイ利用開始

同居の娘が介護でヘトヘトになり、ケアマネジャーからショートステイの提案がありました。

X+2年、動作がすごく遅くなりました。振戦も悪化しました。むせるようになりました。反応速度が遅くなりました。パーキンソン症候群の進行です。

ドアの開閉の仕方がわからなくなりました。箸が使えなくなり、食事は手づかみになりました。平たいお皿に食事を盛ると食べられません。深いどんぶりなら、手を突っ込んで食べられます。トイレの後、紙をどこに捨てるのかわかりません。これらは失行の症状です。

また、椅子に座るときに、まっすぐ座れません。自分の体の中心と、椅子の中心を認識できないのです。身体や空間の失認です。

尿失禁だけでなく、便失禁も出現しました。リハビリパンツを使うようになりました。家族は、本人が嫌がるかと思っていましたが、気にしないでケロッとしていました。

ジストニアが出現し、体が傾いてきました。いままでとは違い、急速な進行が見られました。

せん妄

デイサービスで感染性胃腸炎が流行り、うつってしまいました。すると、せん妄になりました。せん妄は意識障害の一種です。意識が朦朧とし、能力が低下します。動作もすべて指示が必要です。意識が朦朧とし、会話に返答しません。全般に機嫌が悪く、意に沿わないことがあると「バカにするな!」と大声で拒絶し、デイサービスの職員を驚かしました。時間が経つと、徐々に改善し、意識がはっきりしてきました。声を荒げることも無くなりました。

こだわり症状が出現しました。以前は「塗り絵なんて」とバカにして、あまりやりませんでしたが、こだわりが出現し、デイサービスに到着するなり「塗り絵、塗り絵」と要求し、塗り絵の紙を渡すまでおさまりません。塗り絵の紙を受け取ると、塗り絵の下絵とは関係なく、いろいろな色の鉛筆で、ひたすら紙面を塗り続けます。

足が弱り、椅子からずり落ちると、自分では戻れなくなりました。おねしょをするようになり、終日リハビリパンツで過ごすようになりました。寝ている時間が増えました。

夜間トイレに行くと、その後に新しいリハビリパンツを履くということができません。デイサービスでは、以前はほかの利用者の世話を焼くなど、まめな性格でした。しかし、最近はつねにうなだれていて、元気がなくなりました。

精神症状が激しくなる

このころには、定期的にショートステイを使うようになっていました。ショートステイ先で、精神症状が激しくなりました。昼夜なく「誰かがいた」「お腹が空いた」などの訴えが続きます。「ご飯まだですか」「起きてもいいですか」「眠いから寝てもいいですか」など、大きな声で叫びます。

ショートステイから帰宅しているあいだは、自宅内でも同様の訴えがあり、自室から出て這い回るので、家族は自宅内にゲートを設けました。小さい子どもがいる家にあるような、部屋から出られないようにするゲートです。

このようなゲートの設置は、本人を閉じ込めることになるので、いまでは「高齢者虐待防止法」で禁止されています。当時その法律はありませんでしたが、なんとかしなければいけませんでした。このため、薬物療法による「化学的抑制」を開始しました。

抗精神病薬などによる鎮静です。這い回って危険なので、本人の安全を確保するためです。非定型抗精神病薬のリスパダール®︎を1日2mg服用したところ、少し落ち着きました。副作用で傾眠状態が悪化したので、1~2週間で定期的な服用をやめ、特に落ち着きがなく興奮気味のときだけ頓用にしました。

薬代が高くなりました。このため自立支援医療を申請することにしました。自立支援医療制度は、心身の障害を除去・軽減するための医療について、医療費の自己負担額を軽減する公費負担医療制度です(厚生労働省ホームページより)。

治らない精神疾患を抱え、長期にわたり通院投薬が必要な人が、経済的な問題で通院中断し、症状が悪化して生活できなくなることを防ぐための制度です。

身体機能が低下し、最重度の状態となる

這い回ると書きましたが、このころには身体機能がかなり低下していました。すくみ足がひどくなり、歩行障害が重度になりました。立つ、座るなどの動作に支障が出てきました。なんとか両手引き歩行で歩かせても、数メートルしか歩けません。手足の筋肉が落ち、四肢が細くなりました。

食事動作も難しくなり、刻み食を介助で食べさせなければなりません。尿意、便意が失われ、すべておむつに排泄します。注意力が低下し、正面から話しかけないと反応しません。

特別養護老人ホームを申し込んでおくようにアドバイスしました。

風邪をひいたことをきっかけに、せん妄状態となりました。「殺される~」と騒ぎます。被害妄想です。「俺を刑務所に入れるのか!」「助けてくれ」と言います。

リスパダール®︎を毎日飲ませたときに副作用がひどかったので、漢方の抑肝散を試しましたが、効果がありませんでした。リスパダール®︎よりも副作用が少ないといわれていたエビリファイ®︎を処方しました。すると、ピタッと騒がなくなりました。しかし、こちらも副作用が出て、立位すら取れなくなりました。

エビリファイ®︎も非定型抗精神病薬の一つです。通常、抗精神病薬に見られる副作用、錐体外路症状であるパーキンソン症候群が出にくいといわれている薬ですが、その副作用が出る人もいるのです。1週間で、エビリファイ®︎を中止しました。

風邪が治ったらせん妄も改善しました。その後も、便秘や天候不順などの影響により、体調不良になるとせん妄を繰り返すようになりました。抗精神病薬は、調子が悪いときだけ短期間使用しました。

以前に一過性黒内障で目が見えなくなったことがありましたが、このころ、目がほとんど見えなくなり、手探りで動くようになりました。これは皮質盲でした。大脳全体の萎縮が進み、後頭葉にも顕著な萎縮を認めました。後頭葉の視覚野が萎縮して、見たものを認識できなくなりました。

以前は人懐こくて多弁な人でしたが、ほとんど話さなくなりました。車椅子介助の状態で入室し、診察時には発語がまったくありません。

自宅やショートステイではときどき大声を出すとのことで、特に自宅で大声を出すと、隣の家から苦情がくるということでした。家族は、本人の居室の窓を二重サッシに取り替え、防音を図りました。これにより苦情はなくなりました。

てんかんの合併

「デイサービスで突然反応がなくなった」と、事業所から電話がかかってきました。突然生じる症状は脳血管障害です。また何か起きたのかと思い、とりあえず来院してもらいました。車椅子に乗せられて入室してきました。真っ先に気づいたのは、右共同偏視です。共同偏視とは、両目が同じほうを向いて固定していることをいいます。

右共同偏視は、両目が右を見たまま固定している状態です。共同偏視の原因は2つあり、1つは被殻病変、もう1つは小脳病変です。画像検査の必要があります。ところが、このとき当院のMRI装置が故障しており、画像検査ができませんでした。

被殻の症状なのか、小脳の症状なのか、診察で明らかにしようとしました。そのほかの神経学的所見を取りました。顔面の左側が麻痺しており、左口角が下がり、流涎が見られました。体は右に傾いています。これは片麻痺です。被殻の症状です。

反応がないとのことでしたが、診察時には、問いかけに返事がありました。朦朧としていますが、意識はあります。小脳症状の失調の有無を調べるために、簡単な指示動作をしてもらいました。口頭指示にはなかなか従ってもらえないので苦労しましたが、手足を動かしてもらうことができました。小脳失調はありませんでした。血圧は低いです。梗塞や出血では、血圧が上昇することが多いのです。お茶を差し出すと、コップからすすって飲めるなど嚥下は可能です。出血や大きな梗塞ではなさそうです。経過を見ることにしました。

数時間後には眼球の動きが元に戻りました。「おやつはなんですか」と何度も大きな声で聞くようになり、すっかり元に戻りました。いつもは家族も「うるさい」と悩む困った症状でしたが、大きな声を聞いて「よかったです! 元に戻りました」と喜んでいました。

数カ月後、再度、右共同偏視が出現しました。意識はなく、今度は泡を吹いていました。数分後に、徐々に意識が戻り、最初は呂律が回りませんでしたが、徐々に話せるようになりました。

脳出血や脳梗塞ではなく、てんかん発作の症状だったのです。抗てんかん薬を開始しました。デパケンR®︎1日200mgから徐々に漸増しました。以後は、泡を吹いて意識がなくなる発作は起きなくなりました。

認知症にてんかんを合併することは多いです。見逃さずに治療する必要があります。てんかん発作なのに、「急に認知症が悪化した」と勘違いして、治療につながらないことがあります。認知症自体は通常、急に悪化しません。急に悪化したら、脳血管障害かせん妄、てんかんなどが原因です。てんかんを合併している場合には、抗てんかん薬を処方します。高齢者のてんかんは、ほとんどの場合、薬がよく効いて発作が治まります。最近は抗てんかん薬が進歩して、高齢者でも眠気やふらつきなどの副作用が出にくい薬がいろいろ発売されています。

特養への道

X+3年、特別養護老人ホームを申し込んで半年ほど経ちました。すぐに入所はできませんが、定期的にミドルステイやロングステイが利用できるようになりました。その都度、1~3カ月ほど入所できます。

本人は、このころには全介助の状態でした。要介護5になりました。3年前に初めて介護認定申請をして、要介護1から始まり、途中で変性疾患を合併してから進行が速くなり、たった2年で要介護5になってしまいました。

口唇傾向が出現し、口元にきたものは、なんにでも噛みつきます。介護していて、うっかりすると噛みつかれます。噛むとなかなか口を開けてくれません。

また、握ったら離せなくなりました。強く握りしめ、手を開くことができません。強制把握という症状です。

四肢は徐々に屈曲拘縮しました。左上肢が腫れてきて、パンパンに浮腫みました。赤くなって熱を持っています。触ると痛がります。RSDと思われました。RSDとは、反射性交感神経性ジストロフィー(reflex sympathetic dystrophy)の略です。最近では、複合性局所疼痛症候群と呼ばれています。外傷などが原因で起こります。手足が腫れて痛くなります。この人の場合は、片麻痺が原因でした。

末期の症状

特養を待つうちに、両手とも強く屈曲してきました。握った指の爪が手のひらに食い込んでいます。車椅子にも座れません。全身が突っ張って、寝返りも打てなくなりました。このため褥瘡ができそうになりました。すぐに見つけて、ジェルパッドを導入しました。

この状態でもまだ発語はありました。卑猥な言葉や汚い言葉を連呼するだけで、意思疎通はできません。語間代という症状もあり、「××だよだよだよだよ」といつまでも続きます。

診察室で毎回、娘に「たいへんですね」と言っていたら、間もなく特養の順番が来て、思ったより早く入所できました。通院が終了しました。

お別れ

X+5年、入所して2年目に、町内会の掲示板に訃報が貼られました。ずっと忘れていましたが、訃報を見て、この人の最初のころの人懐こい笑顔が思い出されました。

もう2年間通院していないので、死因はわかりません。この人は、退職してから認知症になるまで数年間と短い期間でした。血管性認知症だと思っていたら、突然に急な悪化をし始めて、みるみるうちに寝たきりになってしましました。病を得るまでの短いあいだに町会活動に参加して、地域に貢献したのです。

私がいまの場所で診療所を始めたのは、生まれ育った地域の人たちの役に立ちたいと思ったからです。子どものころからの顔見知りに囲まれて、ずっと知っていた人たちが病を患ったら助けたいと思ってきました。

私が専門にしている病気は、治らない、進行性の病気です。
いつも、振り返って思います。
私は、少しでも地域の人たちに貢献できたのかと。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。