新型コロナウイルス感染が拡大するまで通っていた農林大学校に出向き、退学届の提出や寮の鍵を返すために部屋の荷物の整理に向かうことに。実家から学校まで4時間以上かかります。電車に差し込む暖かい陽射し、過ぎてく景色を眺めながら、これまでの学校生活が思い出されました……

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周りは18歳、私は20歳

農林大学校へは5年一貫の看護高等卒業してから進学したため、私は同級生より2歳年上でした。自分が18歳だったとき20歳の人はすごく大人に見えたので、2歳下の同級生と馴染めるか心配でした。

私は、自分から積極的に話しかけるタイプではなく、どちらかというと人見知りですし、コミュニケーションも上手なほうではありません。しかも新しい環境は5年ぶりなのでどう人間関係を構築していくのかも、感覚として忘れてしまっているので大丈夫だろうかと考えていました。

しかし、寮生活は3人部屋だったのでルームメイトとは必然的に話すようになり、そのつながりでどんどん話す人が増え、入寮日から2日目にはすでに楽しく過ごしていました。よかった!

学校生活の始まり

農林大学校の森林コースは、男子は14人で女子が5人だったため、女子同士は仲良くなりやすい環境でした。元気いっぱいの「男勝りさん」、きのこ大好きな「きのこ博士さん」、社会人経験のある「体力マッチョさん」の3人と、驚くことに同じクラスにもう1人「看護師さん」がいたのです。こんなところで看護師さんに会うなんてとびっくりです。

私は看護実習での経験から「看護師」が苦手なのですが、その方はすごく優しく、いい意味で看護師っぽい雰囲気がないベテラン看護師さんでした。

森林コースの先生方も、私が療養目的で進学してきたことを理解してくださっていたので、「心のリハビリだもんね」とゆるく接してくれました。

私の心と鎖

私がいままで暮らしてきた場所に比べると、農林大学校があるのはとても田舎だったので遊び方も田舎っぽくて楽しかったです。

入寮して荷物の整理が終わると段ボールが出てくるので、その段ボールを使って斜面を滑るっていうのがいちばん最初にした楽しい遊びでした。こういうことができるのは小学生までで、大人になるとできないものと思っていました。思いっきり滑って、笑っている時間が想像以上に楽しくて、いままで「こうしていなきゃいけない」と良い子でいる鎖を自分にかけていたのは自分だったんだなと気づきました。私は自分で思っていた以上に子どもだったんだと思います。

(ダンボールの中あったか〜いと入る同級生)

清潔・不潔の概念もいままでとまったく違いました。看護学生のときは床から20cm以内は不潔だと言われていたので、床に座ることも荷物を置くこともできませんでした。

しかし、農林大学校に進学してくる学生の多くは農業高校出身ということもあって、汚れることに抵抗がなく、すごく自由でした。私には、それがすごく輝いて見えました。

小学生の頃、私は公園で裸足で遊ぶような子どもでしたが、それが、常識のなかで生きているといつの間にかできなくなっていきました。本当は、夏の熱いコンクリートを裸足で歩いて温度を感じるのも、水たまりに入るのも好きです。土の匂いを感じながら泥団子を作るのも好きですし、芝生の上で側転をしたりブリッジをしたりするのも好きです。

看護師としての基礎的素養を養うために、5年間本当に厳しい生活を自分に課してきたんだなと思いました。最短で資格を取るには、それなりの犠牲が必要だったんですよね。

ここでは我慢しなくていいんだと思うと、すごく、すごくうれしかったです。外で靴下や採足で歩いて遊ぶことを子どもっぽいって言われることもなく、自分が思うがままに楽しめる環境に出会えたことが幸せでした。

ここにきてよかった、ここにいれば心が癒されると思いました。そして、本当に1年間で心が癒えていきました。


看護学生のときは笑うことがほとんどなかったのに、こんなに笑うこともあるんだとびっくりしたのは私自身です。同時に、私は看護師になる目標のためにすごくがんばってきたんだなと思いました。

押し殺してきたものがたくさんある。
だけど抑圧し過ぎて、自分がわからない。
だから、それら一つひとつに気づいていける時間をこの学校で過ごそうと思いました。

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プロフィール:まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。