CASE004:病識欠如の果てに|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

CASE 004 
88才男性

当院は、認知症専門のクリニックですので高齢の患者さんが非常に多く、通院中断していつの間にかお亡くなりになっていることがよくあります。認知症それ自体で亡くなることは少なく、ほとんどが別の致命的な疾患で亡くなります。がん、心筋梗塞、脳血管障害など、日本人の三大死因が圧倒的に多くみられます。原因不明の突然死の場合は、ひと月に2、3回、警察介入となり、当院に問い合わせがきます。

警察からの電話

ある日、クリニックに出勤すると、近くの警察署から電話がかかってきました。警察署からの電話のほとんどが、死因解明のため、東京都監察医務院で解剖になるケースです。司法解剖を行う先生のために、病歴や内服薬の情報を提供します。

問い合わせに応じてカルテを確認すると、もう4カ月も前に通院が中断していました。最終受診日には、介護者である妻に乳癌の再発が疑われ、患者である夫を病院なり施設なり、どこかに預けたいという相談をしていました。しかし、入院も入所もしないで、また当院への通院も途絶えた状態で、この4カ月過ごしていたのです。

警察官の話では、昨晩、自宅で心肺停止の状態で見つかったということでした。年齢から考えて、心筋梗塞や不整脈での心臓突然死や脳卒中もあるでしょう。しかし、もしあの時入院させていれば……。

これまでの経過

X-3年、怒りっぽくなりました。衝動的になり、金銭の浪費が目立つようになりました。突然に人格が変わったため、驚いた妻がかかりつけの内科医に相談しました。内科医は、精神疾患か認知症を疑って、当院宛てに紹介状を書きましたが、本人に病識がないので、どうやっても来ることができず、通院に繋がらないまま時間が経ちました。

当時、自宅を売却し、手元に大金があったのですが、家族に断りなく、全部使ってしまいました。これが原因で、長男と絶縁状態となりました。

X-2年、寝ぼけるようになりました。

X年、肺炎で入院した際、せん妄状態となり、この間の記憶がまったくありません。退院後は、通帳の暗証番号を忘れ、毎回妻に尋ねるようになりました。趣味で囲碁教室に通っていましたが、全く勝てなくなりました。

日付がわからなくなりました。入浴を嫌がるようになりました。記銘力障害が明らかとなり、すぐに忘れてしまいます。社会的手続きもまったくできなくなりました。

ここまで進行してから、ようやく当院を受診できました。

薬とデイケアで一時改善

受診時は、数分で忘れ、同じ話を繰り返します。日付、曜日がわかりません。このため、服薬管理がまったくできません。意欲低下し、日中傾眠状態です。夜も寝ているということでした。

神経学的には、動作緩慢、手先が不器用などの巧緻運動障害、むせやすいなどの嚥下障害が見られました。MMSE(ミニメンタルステート検査:mini mental state examination) は、30点満点で25点。軽度認知障害レベルでした。

頭部MRIを施行したところ、 MMSEの点数が良いわりには大脳全体の萎縮が中等度認められ、多発性ラクナ梗塞や、大脳白質の虚血性変化が見られました。血管性認知症と言ってよい所見でした。

元々、かかりつけの内科では、高血圧症、高コレステロール血症で通院していたということなので、動脈硬化によるものと考えられました。

身体の動きの悪さは、血管性パーキンソン症候群によるものと考えました。血管性パーキンソン症候群は、多発性ラクナ梗塞や、大脳白質の虚血性変化が強い人に見られる症状です。パーキンソン病のように、動作緩慢になり、不器用になり、バランスが悪くなり、小刻み・すり足歩行になって、転びやすくなります。海馬の萎縮も見られていたのでアルツハイマー型認知症を合併した、早期の混合型認知症と考えました。

病識はまったくなく、本人は異常なしと主張します。日中は本を読んで過ごしていると言いますが、実際は違います。ソファーに座ってうたた寝をしたり、テレビの前でうたた寝をしています。マッサージチェアでそのまま寝てしまうこともあります。妻は、本人が一日中寝てばかりでいるのが気になっていました。

血管性認知症では、前頭葉機能が低下する人が多く、意欲が低下するアパシーの状態が目立ちます。脳を活性化するため、デイサービスなどの通所を勧め、抗認知症薬を開始しました。

抗認知症薬は、他に飲んでいる薬が多かったので貼付薬であるリバスタッチパッチ®にしました。抗認知症薬を開始してしばらくすると、日中の傾眠が減り、少し起きていられるようになりました。起きていられるなら、デイサービスにも行けそうです。

認定申請してもらったところ、要介護1となりました。妻に、まずは地域包括支援センターに行き、ケアマネジャーと契約するように指導しました。ところが、次に受診したとき、「要介護1では軽すぎるので、デイサービスには行けませんと断られた」というのです。そんなことはあり得ません。妻の認知機能も怪しいです。このため、当院から直接、地域包括支援センターに連絡し、ご自宅を訪問していただきました。

ようやくケアマネジャーが決まり、デイケアに通うことになりました。デイケアに通い始めると元気が出てきました。

再度悪化が始まり、妻の介護うつが明らかに

およそ1年間は落ちついて過ごしていました。

X+1年、また、もの忘れがひどくなってきました。日本神経学会のガイドラインでは、抗認知症薬の効き目は半年から1年で減弱するため、認知症が悪化してきたら薬を変更することが推奨されています。私もこのガイドラインに沿って、それまで使用していたリバスタッチパッチ®を中止して、レミニール®に変更しました。しばらく服用してもらいましたが、日に日に物忘れのスパンが早まり、悪化速度が速いという印象がありました。

認知症の薬物療法を行っていると、急激に悪化が早く進む時期が訪れることがあります。何を試してみてもどんどん進行してしまい、薬の効果が感じられなくなります。このようなときには、薬以外の治療法であるデイケアなどを増やしてもらうのが定石です。ところが、ほぼ同時期にアパシー(無気力状態)も悪化して、デイケアに行くのを嫌がるようになり、やめてしまいました。

以前から怪しかった妻の認知機能もさらに低下して、当院通院日を忘れて薬が切れたり、薬を飲ませるのも忘れることが出てきました。

妻の認知機能低下の原因は、うつ状態でした。カルテを見返すと、「夫が嫌がるので、デイケアはやめました」「夫が配食弁当を食べないので、自分が3食作ります。嫌で嫌でしょうがありません」「ストレスで背中が痛いです。治りません」「ふらふらします。精神的なものですかね。筋肉がすごく落ちて1年で10kg痩せてしまいました。私自身もトレーニングに通うことにしました」「子どもは2人いますが、どちらも男の子で手伝ってくれません。嫁もいますが電話もかけてきません」など、妻の訴えでいっぱいです。

もはや在宅介護は限界と考えられました。

入院目前にしての、通院中断

在宅介護が限界と考えた私は、認知症療養病棟の資料をいくつか渡し、問い合わせるようにアドバイスしました。妻は、私のアドバイス通り3カ所の病院に電話をかけ、どちらの病院も行けばすぐに入院できるという了解を得ました。このため、私はすぐに診療情報提供書を用意しました。

このとき、妻は乳房に違和感を覚えていました。「20年前に治療した乳癌が再発をしているのではないかと思い、検査に行った。検査結果を聞いてから夫を預ける決断をしたい。場合によっては、病院ではなく一生入れる有料老人ホームに預けるつもり」と話していました。

その日すぐに病院宛ての診療情報提供書を出そうとしていた私は、妻にそう言われたため、「では検査結果がわかったら、あらためて診療情報提供書を取りに来てください」と話して、診察を終えました。

これが最後の受診になりました。

ケアマネジャーからの連絡

診療情報提供書も受け取らず、月1回の診察にも来なくなり、音信不通になっていました。2カ月経ったとき、ケアマネジャーから連絡が入りました。まだ在宅介護サービスで生活していたのです。入院も入所もしていませんでした。

ケアマネジャーから送られてきたケアプランを見ると、訪問介護とデイサービスの追加導入と書かれていました。ヘルパーによる家事援助や服薬管理、本人があれほど嫌がっていたデイサービスが週3回となっていました。

おそらく、抗認知症薬の効果も出なくなり、抗認知症薬自体も中断してしまいましたので、その後、認知機能が急激に低下したのでしょう。認知症が進行して、感情が平板化して、介護サービスに抵抗を示さなくなる人もいます。そのような状態なのかなと想像しました。

通院中断して3カ月経ったときにも、短期目標期間が満了したため、ケアプラン更新の連絡がありました。本人が激しく嫌がっていたデイサービスでしたが、ケアマネジャーからの連絡票には「本人と家族がデイサービス、訪問介護の継続を希望しています」と書かれていました。

最後に会ったとき「入院させたい、施設に入れたい」と言っていた妻の顔が目に浮かびました。うつ状態で認知機能が低下していた妻のことが気がかりでしたが、それについての言及はありませんでした。

最後に受診したときのご夫婦の様子しか思い浮かびません。あのような状態で、本人や家族が介護サービスの必要性をちゃんと理解して希望するということができるのか。不思議でしたが、最近の受診がないため、私からケアマネジャーに対してコメントすることはありませんでした。

警察官との対話

警察署の担当者と電話で話しながら経過を振り返ると、もう少し何か援助できたのではないかと感じました。「通院していた約1年の間に、奥さんは10kg体重が減り、最終受診日にはうつ状態だったと思います」。最後に私がそういうと、「奥さんは介護うつだったんですね」と、警察官がしみじみ言いました。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。