CASE007:事実なのか作話なのか|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

CASE 007 
76才女性

認知症というのは、最初は最近の記憶がなくなるだけですが、進行すると徐々に過去の記憶までさかのぼって消えていきます。また、特に印象深い記憶だけ覚えているので、過去にあった強烈な体験だけ覚えていて、それがあたかも現在起こっていることのように感じられるようです。

若い頃の、強烈な体験が、現実のようによみがえり、本人が苦しんでいるケースもあります。

本人からの告白

X年、もの忘れがひどいとのことで、娘に付き添われて70代の女性が来院しました。本人の前で「認知症」という言葉を言うと激しく怒り出すので、禁句になっているとのことでした。このため当院では、娘が予約してきた段階で、「健康診断」「脳梗塞の診断、予防」という名目で、検査や治療を行うことにしました。

当日は打ち合わせ通り、「健康診断ですよ」と言って、脳の検査や記憶力の検査を行い、診察を行いました。本人に、「困っていることはないですか?」と尋ねると、声をひそめて「今まで恥ずかしくて人に言えませんでしたが、じつは夫に殴られています」と語り出しました。

「毎晩夫に殴られるんです。夜中に気がつくと、夫が拳骨で私の頭を殴っている。どうしてそうなったのか理由はわからない。恥ずかしくて人に言えません。だから、交通事故で頭を打ったと嘘をついていました。そのせいか記憶力がなくなってきました」

切々と語ります。語り始めて数分経つと、元のフレーズに戻り、繰り返しのループに入ります。後で娘に尋ねると、夫婦2人でいるときのことはわからないと言います。

結婚したばかりの若いころに、夫が暴力をふるったことは事実のようですが、現在起きている出来事かどうか、確認ができませんでした。念のため、地域包括支援センターに連絡したところ、「虐待事例として関わることにした」との返答がすぐにきました。

これまでの経過

X-2年、もの忘れが始まり、物盗られ妄想も出現しました。もともと穏やかで温厚な性格でしたが、徐々に怒りっぽくなり、頑固になるなど、かなり人格が変わってしまいました。

X-1年、人との距離感覚がつかめなくなり、すごく近づいて話しかけてくるようになりました。「認知症」「もの忘れ」などの言葉に敏感になり、その言葉を聞くと怒り出します。同じ話を何度も繰り返すようになりました。掃除や片付けができなくなりました。病識がなく、自分は正常だと思っているので、娘が手伝おうとすると拒絶します。このため、家の中はひどく散らかって、ほこりやゴミがたまっており、殺伐とした雰囲気になっています。

X年、生活が破綻してきたので、心配した娘に連れられ、翌年当院受診されました。

虐待事例としての関わりの中で

地域包括支援センターが虐待事例として関わり始めてしばらくしたころ、娘が1人で来院しました。たしかに、結婚したばかりの若いころには、夫が暴力をふるったことが何度かあったようです。しかし、娘が生まれてから、今までのあいだに、母親が父親に暴力をふるわれているのを見たことは一度もないとのことでした。

「夫に殴られたというのは、本人の作り話ではないかと思います。その話をするのは、夫が介護している際に、つい大声を出してしまったときに限るのです。ですから、夫に怒鳴られて、怒られていると思ったときに、殴られたと表現しているということです」とのことでした。

被害妄想と考え、抑肝散を処方して経過をみたところ、「殴られた」ということが減りました。このため、虐待ではなく、作話ということが判明しました。虐待介入終了となりました。

X+1年、MMSE20点になりました。MMSEは簡易な認知機能検査です。できなかった項目は、時間的見当識は年月日、曜日、時間すべてわかりませんでした。また2、3分経って、3つの言葉を覚えているか調べる検査で1つも思い出せませんでした。

このように、時間的見当識障害と記銘力障害が顕著なのが、典型的なアルツハイマー型認知症の初期から中期にさしかかる程度の状態です。怒りっぽくて被害妄想がみられたので、嗜銀顆粒性認知症の可能性もありましたが、アルツハイマー型認知症と考えて、アリセプト(R)★を併用し、進行予防を図りました。

精神的支えを失って

抑肝散で本人の被害妄想は減少しました。しかし、介護している夫がイライラして、本人に対して怒鳴ったり怒ったりすることは続いていました。それを見ていた娘が、「お父さんの態度が悪い。だからお母さんの被害妄想がひどくなるんだ」と、父親をたしなめるようになりました。

夫と娘で言い争うようになり、激しく口論するので、近隣から警察に通報が入るようになりました。夫と娘は2人ともうつ状態となり、夫のほうは希死念慮が出現し、道路に飛び出して車に体当たりしようとしたり、衝動的になりました。

娘のほうも、その後、行方不明になり、ひと晩経って戻ってきましたが、「死のうと思ってさまよっていた。でも死にきれないで戻ってきました。今まで家族の精神的な支えは母だった。その母が認知症になって、どうやって生きていったらいいのかわからない」と言いました。

夫も娘も、介護者として不適格なのではないかと思われました。「施設に入れることも考えたほうがいい」とアドバイスしました。

夫が倒れて、平和になる

X+2年、夫が慢性硬膜下血腫で倒れました。夫が介護しなくなったので、本人の精神状態が落ち着きました。同時に、娘の精神状態も落ち着きました。このころから本人の認知症が進行して、常時尿失禁するようになりました。

X+3年、硬膜下血腫の後に療養していた夫が喉頭癌になり、身体面の機能低下が目立つようになりました。本人の認知症は重度になっていましたが、弱っている夫の体をさすったり、肩をもんだりして優しく接してあげるようになりました。もはや夫に対する被害妄想や暴言など一切ありません。家族の結束が強まり、娘に笑顔も見られました。

X+4年、MMSE10点まで低下しました。住所がまったく言えなくなり、暗算もできません。文章も図形も書けなくなりました。頭部MRIで見ても、両側の海馬を含む大脳全体の萎縮が重度になりました。

別のタイプの認知症も合併

このころから、突然、活発な幻視が出現し、「お客さんが来た」と言って、7人分ぐらいの大量の料理を作るようになりました。料理はごった煮のようなもので、火にかけて忘れるので鍋が焦げつきます。大勢の来客を相手にしゃべっているかのような独語が毎晩続くようになり、レビー小体型認知症ではないかと思い、MIBG心筋シンチを行いました。

レビー小体型認知症というのは、1976年に日本の精神科医、小阪憲司医師が発見した疾患で、活発な幻視、パーキンソン症状などが見られる認知症です。

アルツハイマー型認知症では、海馬が萎縮して記憶の障害が目立つのに対し、レビー小体型認知症では、記憶力よりも幻視やパーキンソン症状が目立ちます。また、心臓の交感神経機能が低下するので、MIBG心筋シンチという検査を行うと、高い確率で病気を見つけることができます。

MIBG心筋シンチの結果は、「レビー小体型認知症に相応」というものでした。アルツハイマー型認知症になってから、およそ6年後にレビー小体型認知症を合併してきたものと考えられました。

X+5年、夜中に悪夢を見て騒ぐようになったり、症状の波が激しくなり、感情の起伏も激しくなりました。それまで落ち着いていたものの、同居している夫や娘の精神状態もまた悪くなってきました。急速にパーキンソン症状も加わってきて、歩けなくなり、車椅子になりました。

再度の虐待介入

娘の怒鳴り声が家の外まで響くようになり、近隣住民が心配して地域包括支援センターに電話してきました。5年前、虐待事例として介入したときには虐待の事実はなく、本人の作話だったのです。今度こそ本当の虐待かもしれません。担当者がいろいろ調査をしました。

すると、近隣住民が怒鳴り声を聞いたという時期は本人がショートステイに入っており、家にいない時期でした。このため、娘が怒鳴っていた相手は喉頭癌で自宅療養中の夫だったと判明しました。対象者は違いますが、これはこれで虐待事例になので、担当者が当院に問い合わせてきて、「今後継続的に、娘の精神状態について知らせてほしい」ということでしたので協力を約束しました。

家族の精神的支えだった母親が認知症になり、父親が病に倒れましたが、一時期は家族の結束が強まって平和に暮らしていました。しかし、運命は残酷です。レビー小体型認知症まで合併し、過酷な介護状況となり、娘の精神が徐々にむしばまれてきたようです。

「そろそろ施設はどうですか」

診察室で私がそういうと、

「家族一緒にいたいのです」

娘はそう答えました。

これからも、娘のケアも含め、まだまだ関わっていくことになりました。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。