前回までのおはなし…
看護学校卒業後、「心身のバランスが崩れ、すぐに病院に就職することは得策ではない」と思ったため農林大学校に進学。「木こり」になる勉強をスタートしたものの、新型コロナウイルス感染拡大により休校に。学校に通えず、不安感が押し寄せるなかでみた医療従事者不足のニュースに突き動かされ、家からいちばん近い総合病院にメールを送ったところ……

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想定外に早く来た返信と面接

メールを送ってから1週間もたたずに返信が来ました。なんと、面接をしてもらえることに。こんなに早く返信が来た“驚き”と看護師として働けるかもしれない“嬉しさ”、そしてどんな印象を持たれているだろうという“怖さ”が同時に心のなかにありました。

提示していただいた面接の日時は、明後日か1週間後。事態が進むスピードの速さに、すでに心が追いついていませんでした。できるだけ心の準備期間を作ろうと思い、希望したのは1週間後。

「やばい。私大丈夫かな」

まだ面接のための服装の準備ができておらず、髪の毛はブリーチされていて明る過ぎます。それよりいちばんの心配は、自分の心の準備がまだまた足りていないことです。

「面接で何を話せばいいのだろう」
「いままでの略歴をどう話せばいいの?」
「不安神経症や発達障害についてどう話せばいいのだろう?」
「第一、私は病院の中に入れるの?」
「面接中、パニックになって泣いてしまわないかな?」
「面接者が怖かったらどうしよう」

そんなことを思っているあいだに、どんどん面接日に近づいていきました。

面接当日、自分を励ます

農林大学校の寮にスーツを置いてきてしまったため、それっぽい黒のパンツにカーキ色のレーヨンのワイシャツを着て面接に向かいました。

服装は面接に適しているかわからないし、髪色も明るい。略歴も看護師として誇れるものは何もない。

どうしようもないけど、これが今の自分だけど、面接をしてくれる方の反応を受け止める覚悟は正直、できてなかったです。

「ダメダメでも、いいじゃん。病院にメールして、面接まで進めたんだから。どうなろうが、前に進んでいる。すごいんだよ、私」

自分で自分を励ましながら、病院に向かっているうちに遠くに病院が見えてきました。小学生のとき以来です。この病院に来るのは。私が小学生のころ、祖父が入院して他界した場所であり、この病院で看護師さんを見て、私は看護師を目指したのです。

思い出の場所であり、私の原点とも言える場所。だから、幻滅したくない気持ちがありました。面接してくれる看護師さんがいい人じゃなかったら、私の原点が嫌な思い出になってしまう。どうか素敵な人でありますようにと願いながら、病院に足を踏み入れました。

正面入口から入り、外来総合受付の医療事務さんに声をかけます。

「今日、14時から面接予定の者です。どこに声をかけたらいいかわからなくて……。ここで大丈夫ですか?」

医療事務さんは「面接担当者はわかります? 電話かけますね」と言って内線をかけてくれました。面接を受けに来たその日は、世の中は自粛期間の真っただ中でしたが、久しぶりの人とのコミュニケーションで、緊張と嬉しさが心のなかをぐるぐると駆け巡ります。

外来にいる患者さんがとても少ないなと思いながら、受付近くのいすで待っていると、総務課の方が来て面接室に案内してくれました。

人生を変える面接が始まる

面接室で待っていると、師長さんが現れました。第一印象は「明るく、元気で、美人な師長さん」でした。

師長「お待たせしてごめんなさいね〜! メール見ました。学生さんなんだよね?」

私「5年一貫の看護高校を卒業した後、2年制の農林大学校に進学して、いまは2年目になります」

師長「林業ってめずらしいね〜。なんでやってみようと思ったの?」

(林業に興味を持ってくれている! うれしい! 新卒で看護師にならなかったことに対してネガティブにとらえられていないかも!)

私「看護学生のときに、不安神経症を発症して、抗不安薬を飲みながらいっぱいいっぱいで実習に行っていました。そのなかで、息抜きになったのがキャンプだったんです。小学生のキャンプに同行するボランティアをしていたのですが、自然にふれることで少しの時間だけ、緊張感のある生活を忘れられました。そして、ボランティアを続けるうちに、子どもたちに教えてあげられる自然についての知識がまったくないことを感じて、勉強したいなと思ったんです。自分のリラックスにもなりますし」

師長「そうなんだね〜」

(疾患を持っていることを話したのに、師長さんは動揺していないし、ネガティブにとらえていない気がする。疾患をもちながら働いている人って意外と多いのかな)

私「新卒で看護師になりたかったですし、当たり前のキャリアから外れることはとても怖かったです。ですが、スクールカウンセラーさんに新卒で就職しても半年ももたないと思うよと言われて、心の休息を取ることにしました」

師長「そうなんだね〜。いまは休校中ってことだよね? もし学校が再開したら戻るの?」

私「授業が再開しても、いままで通りの教育は受けられないと思います。なので、もし心身が不安定になることなく看護師ができそうだったら……看護師になりたいです。私、発達障害もあって、むずかしいなと思うことがたくさんあるんですが、なれるなら看護師になりたいんです」

これが、私の本心でした。「看護師になりたい」と言うことさえ、いままでできなかったんです。疾患を持っているし、障害もある。そんな私が望んでいいんだろうか。そう思ってきました。

だから、ずっと誰かに言いたかった。「私は看護師になりたいんだよ!」って叫びたかった。伝えたかった。だれかにこの気持ちを受け取ってほしかったのです。

師長さんは私の「本当は看護師になりたい」という言葉を聞いて、ニコリと笑ってくれたことをいまでも覚えています。なんだかうれしそうな表情で、とてもポジティブな笑顔でした。面接を受けていたときにはわかりませんでしたが、このとき、師長さんは採用を決めてくれたのだと思います。

超えなければならないハードル

面接中に心が震えてました。今まで言えなかった気持ちを言えて。「看護師になりたい」と言えたことも、その言葉を受け取ってもらえたことも、とてもうれしかったのです。

師長さん「朝は起きられる?」

私「???」

師長さん「もっている疾患的に、朝はきつくないのかなと思って!」

私「朝は強いほうだと思います。精神疾患をもっていますが、朝起きられなかったことはありません! 不安が強いと寝られないことはありますが……」

師長さんは、私のキャパを越えないように週3回、午前中勤務から始めることを提案してくれました。また、最初は看護助手さんに付いて、おむつ交換や陰部洗浄、寝衣交換、食事介助などから始めることも決定しました。

師長さん「看護師免許を持っているのに助手業務から始めることを嫌に思わないでね」

私「いえ、助手業務から学べるのはうれしいです。ベッド上でのおむつ交換や陰部洗浄は、学生の実習以来ですし、排泄の援助ももっとしっかりできるようにしたいので」

いきなりの看護師業務だとプレッシャーが強いので、助走期間がもらえることはとても安心でした。それに、看護師として採用してもらえたとしても、業務に集中する前に、超えなければいけないハードルはいくつかあります。

それは、“勤務日に毎回行くこと”や“ナース服を来て病棟に上がること”、そして“スタッフに挨拶をすること”です。

当たり前といわれることが、疾患や発達のムラによりむずかしいことがあります。なので、働くと一言で言っても細かなハードルを超えていく必要があります。

師長「この後のことは、人事総務課から連絡が行くと思うから、よろしくね〜」

前に進めている

病院に行くことも、看護師さんに会うことも、怖かったです。でも、面接が終わって家に向かっているときの心情は、とても清々しいものでした。今まで、1人で抱えてきた重りを、
今日初めて人と共有できた気がして。

そして思いました。「私、やっぱり看護師になりたいんだ。もうなりたくないと思っているんじゃないかと思っていた」と。

受かってほしいな。ここで成長したいな。でも、もし落ちても大切なものをもらった気がする。だから、どーにでもなれ!

14時からの面接が終わって、家に帰り、疲れて夜まで寝てしまいました。どんなによかったと思えることでも、心の疲労は大きい。あらためて、自分のキャパシティの狭さに対峙させられました。

それでも前に進んでいる。進めている。
社会に取り残されていない。

そう感じられて、安心した1日となったのです。


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つづく

プロフィール:まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。


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