CASE009:姑を見送ったその後に|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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CASE 009 
60才女性

先日、懐かしい人からメールがありました。
1年程前まで、認知症の母親に付き添って通院していた娘です。
認知症の症状は激しく、興奮して暴言や暴力が問題になっていました。
印象深い人でした。

精神症状が激しいので、介護保険の事業所で「うるさくて困る」と言われて、サービスを転々としたり、鎮静のために使う薬の調節が難しくて、娘と頻繁にメールのやりとりをしていました。

メールで、娘は「ゆううつです」「仕事が手につかず、ぼんやりしています」など、ご自身の状態についても、知らせてくれました。
「介護うつ」です。

支持的に関わりながら、関わった期間は半年ほどと短かったのですが、進行が速く、母親の人格が変わって、認知症の症状も日々変化し、戸惑いながらも、最後までご自宅で介護していました。

最後は誤嚥性肺炎で亡くなりましたが、それから1年程経って、家族葬の写真を送ってくれました。花に囲まれた棺を前に、笑顔の家族が写っていました。

「あれから毎日、母に感謝を伝えています。母はこの家に沢山のことを遺してくれました」
メールの最後はそのように、しめくくられていました。

逆に、介護していたときは「うつ」にならなかったのに、介護が終わって「うつ」になってしまうことがあります。介護している間は、認知症の患者に付き添って診察に入り、診察の中で介護の悩みを語ったり、介護の方法についてアドバイスしてもらうなどして、知らず知らずのうちに、介護者もケアされていることがあります。

介護していた相手が施設に入ったり、亡くなったりして、通院しなくなります。時折、「あのお嫁さん、どうしているのかな」と、ふと思い出すことがあります。

急にレジが打てなくなった

突然もの忘れが出てきたとのことで、60才の女性が受診しました。
診察してみると、見覚えのある人でした。1年半前まで、姑に付き添ってきていた人です。スーパーのレジのパート勤務をしながら、長年、認知症の姑を介護していました。最近になり、いつも使っているレジの操作が、突然わからなくなったということでした。

当院では、これまでにも、介護していた人が認知症になってしまうケースを何人も経験しているため、「またか」という感じでした。いつも通りに、記憶力の検査や、脳の画像検査を行いました。カルテを調べてみると、その人に初めて会ったのは、13年前でした。

これまでの経過

X-13年、80才の姑に付き添って、当院初診しました。姑の症状は、いない人が見える、嫁の顔がわからない、怒りっぽい、もの忘れがひどく同じことを何度も言う、などでした。嫁の顔がわからないので、別の人と間違えて怒り出し、特に夜間は興奮して困るということでした。

人物誤認という症状です。レビー小体型認知症によくみられます。その状態が1カ月ほど続いていたためか、嫁は疲れきった様子でした。

症状からレビー小体型認知症と診断し、アリセプト®を処方したところ、精神症状はかなり改善しました。また、夜間の興奮に対しては、抑肝散を処方し、デイサービスも導入しました。すると生活リズムが整って、夜間眠るようになり、嫁の負担が軽減しました。今までは嫁に対して易怒的でしたが、2、3カ月で情緒が改善し、嫁と一緒に仲良く通院できるようになりました。

X-12年、尿失禁が出現して、紙パンツを使用開始しました。認知症が進行し、姑がデイサービスを嫌がるようになりました。初診時と同じような夜間の興奮も出現して、ケアマネジャーと相談し、デイサービスを増やしたところ、元通り落ち着きました。

嫁は、「介護は自分の役割」と話し、姑を介護するために、ヘルパー二級の勉強を始めました。「ヘルパー二級の試験を受けるのだが、緊張するとトイレが近くなって困ります。精神安定剤をください」と相談に来ました。頓服でソラナックス®処方したところ、緊張しないで、乗り越えることができました。

無事にヘルパーの資格を取り、介護のいろいろな知識が身について、本当に上手に介護ができるようになりました。そのおかげで、5年間が何事もなく過ぎました。

長く安定した介護生活

X-7年、姑が風邪を引いた際、久しぶりに幻覚妄想が出現しました。感染症に伴うせん妄状態と考えられました。せん妄とは一過性の意識障害で、一時的に精神症状が増悪します。通常感染症が治癒すると、精神症状も改善します。このときは、1週間で自然に回復しました。

X-6年、姑のレビー小体型認知症が進行し、パーキンソン症候群が出現しました。バランスが悪くなり、自宅内で転倒。パーキンソン病治療薬であるネオドパストン®を開始したところ、歩行障害が改善し、しっかり歩けるようになりました。

X-5年、風邪をひいて熱が出た際に、幻視幻聴が出現し、興奮状態が続きました。せん妄と思われますが、以前のように風邪が治っても治まらず、2カ月ほど続きました。一時的に漢方薬を増量したところ、また元のように落ち着きました。

X-4年、今度は膀胱炎のときに、幻覚妄想状態になりました。このときも一時的な漢方薬の増量で元に戻りました。ところが、その後、両便失禁が増悪し、尿路感染症が頻発するようになり、そのたびにせん妄状態になるため、漢方薬の増量では追いつかなくなり、グラマリール®を頓用するようになりました。

グラマリール®は抗精神病薬の一種で、幻覚妄想を抑える薬です。効果は弱めですが、比較的副作用が少ないので、よく使われています。嫁の判断で、飲ませたり止めたりするようにと指導して、上手に使っていました。

X-3年、姑の体力が衰え、家の中でもほとんど寝ているようになりました。主介護者の嫁に対して「迷惑かけてごめんね」などというようになり、易怒性はまったくなくなりました。

夫の退職で状況が激変

X-2年、介護は順調でしたが、この年に姑の長男、嫁の夫が定年退職し、ずっと家にいるようになりました。夫は自分の母親に対し、認知症の症状をたしなめて、叱ったり、注意することが頻繁になり、夫自身もイライラすることが増えてきました。

怒られると、幻視や妄想が再燃し、何もない空間に向かって話しかけるなど、ずっと治まっていた症状が、また出るようになりました。姑と夫の間で板ばさみになり、嫁のストレスも増しました。このため、ケアマネジャーに相談し、ショートステイを導入してもらうことにしました。

X-1年、姑の認知症がさらに進行し、パーキンソン症候群が悪化して、ほぼ寝たきりとなり、褥創ができました。起居動作すべてに介護が必要になりました。嚥下障害が出現し、ミキサー食となりました。このため当院に通院できなくなり、訪問診療の診療所に転院してもらいました。

嫁が患者となる

姑が当院に通院しなくなって1年半。突然レジの操作がわからなくなり、スーパーでパートの仕事ができないとのことで、嫁が当院に見えました。

久しぶりに会った嫁は、やつれていました。さっそく簡単な認知機能検査であるMMSE を行いました。結果は30点満点中30点でした。この検査では、認知機能低下は見られませんでした。

よく話を聞くと、つい先日、姑が亡くなったとのことでした。最後は寝たきりになっていましたが、ショートステイを利用して、時々休みながら、最後まで自宅で介護していたということでした。

姑が亡くなってから、お葬式の手配や、いろいろな手続きをするために、パートの仕事を2週間休みました。昼間は、することがたくさんあり、多忙に過ごしました。夜になると、眠れなくなり、やっと寝付いても、2、3時間で目が覚めて、ウトウトしたまま頭の中であれこれグルグル考えて、朝になってしまうということでした。そして、朝になり、トイレに行く途中で尿が漏れてしまうようになりました。このため尿取りパットを使い始めました。

念のため頭部MRIも施行しました。大脳にはまったく異常ありませんでした。萎縮は見られず、脳梗塞もありません。この人は元々、緊張するとトイレが近くなる人でした。ヘルパーの試験のときには、頻尿対策で精神安定剤を飲んでいました。尿漏れは、精神的なものではないかと思われました。

姑の介護を振り返る

眠れないとき、どんなことを考えるのか、聞いてみました。
「考えてもしょうがないことを考える」とのことでした。
相続の手続き、役所の届け出のこと、年金や保険の手続き、などです。

色々話しているうちに、姑の介護の話になりました。
「介護は自分ひとりでやってきました」
夫は最後の2年間、退職して自宅にいましたが、介護には手を出さなかったそうです。そして今回の姑の死亡後のいろいろな手続きについても、嫁が1人で孤軍奮闘していました。そして2週間経ち、パートに復帰したら、休みの前には使えていたレジの機械が使えなくなっていたのです。

しばらくよく眠れていなかったためか、やつれて、げっそりしていました。「レジがうまく使えなかったので、上司から『それでは仕事にならないでしょう。やめるの? 続けるの?』と言われたんです」と涙ぐみました。
「頭が真っ白になりました」
上司のパワハラです。嫁のうつ状態は、ますます悪くなりました。自分が認知症ではないかと思い、当院の予約を取ったとのことでした。

生活の変化を乗り切ってもらう

今まで順調に、主婦としての家事、パート勤務、姑の介護を上手にこなしてきた嫁でしたが、姑が亡くなり、生活が激変しました。このような、生活の激変で、うつ病になることがあります。

姑の付き添いで当院に通い始めた頃は40才代でしたが、もう60才です。環境の変化について行くのも大変な歳になりました。もともと前向きに取り組むタイプで、姑の介護が必要になったときには、ヘルパーの資格を取るなど積極性のある人です。今回も、うまく乗り切れれば、この先の人生が有意義に過ごせると思われます。

パートの仕事については、「やめたほうがよいのでしょうか」と言います。「今決めてはいけません。眠れるようになって、頭が働くようになってから考えても、遅くはありません」と指導しました。

眠れないから疲れがとれず、疲れているので、また眠れない、という悪循環に陥っているので、軽い睡眠薬での治療を開始しました。

そして、姑の介護の振り返りや、これから自分の人生を生きること、などについて話し合いました。睡眠薬で眠れるようになると、頭がはっきりしたようでした。

しばらくすると「調子が良くなって、自信が出てきました。レジの仕事を再開しようと思います」とのことでした。

私は認知症の専門医で、姑の主治医でしたが、これからしばらくは、介護を卒業した嫁が、自分の人生に戻れるように、お手伝いをさせていただこうと思います。

さあ、もうひと仕事です。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。