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認知症の介護をしている家族から、診察時に「もの忘れがひどくなりました」「進行しました」と、訴えられることは、ほぼ毎日です。

よくよく話を聞いて、過去のカルテを見返すと、「その症状は前からありましたね」「頻度もあまり変わりないですよ」ということもよくあります。家族は診察のときに、ここぞとばかりに困っている症状を訴えたいのです。

そういう時は冷静に「3カ月前と比べてどうですか」「1年前に比べてどうですか」などと聞いて、思い出してもらうようにしています。

「そういえば去年も同じようだった」「去年よりは悪くなっているが、基本的には同じ症状の延長線上です」など、客観的に評価できるようになり、結論として「あまり進行していませんでした」「少し進行しているけど、新しい症状はありませんでした」ということになります。

そのような振り返りは、とても大事です。
認知症の治療で通院している場合、進行が遅くなることが治療の目標だからです。

アルツハイマー型認知症の場合、客観的には MMSEの点数が年間2、3点低下して、見当識障害の度合いや、ADLの低下が悪化してきます。その低下の度合いが少なくなり、2年経っても3年経っても、同じような症状が続いているときには、「進行が予防できていますよ」と治療がうまくいっていることを評価して、「今の進行予防策で大丈夫ですよ」と、家族や本人を安心させてあげることが大事です。そうすると「もの忘れはひどいけど、これで良いんだ」と、現状を受け入れることができて、「うまくいっているからこれからも続けていこう」というモチベーションにつながります。

逆に、客観的にどう見ても、悪化していることもあります。そのような場合は、気休めは言わず、「ADL が低下しましたね」「見当識障害が悪化しました」などはっきりと告げるようにしています。

認知症は、進行しても多くの場合、見た目が変わらないので、症状が悪化しても周囲の人から「お母さん元気そうじゃない」「全然変わらないわね」などと言われて、悩んでいるケースがあります。家族は、症状が変化していることに対して「自分の感じ方がおかしいのか」「誰にも信じてもらえないのか」などと不安になっています。

このため、客観的な意見をきちんと言って、家族を安心させる必要があります。「自分が感じていた違和感は、病気が進行していたためだった」「自分の感じ方がおかしかったのではなく、自分にはちゃんとわかっていた」「医師はわかってくれている」と、介護してる家族の自信につながります。

そこではじめて、薬の増量や、デイサービスなどのアクティビティケアの増回、自宅で介護できなくなった場合の施設の利用などについて、前向きに話し合えるようになります。

ところが、客観的な評価を受け入れない家族がいます。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 010 
88才男性

「進行してねぇって、言ってんだろぅ!」
認知症で通院中の父に付き添ってきた長男が、私に対して声を荒げました。身体も大きく、押し出しが強い感じの男性です。高級そうな服を身に着け、身なりはきちんとしていますが、まるでチンピラです。

話が通じそうにないので、私は「わかりました。今までと同じ薬で様子を見ていくことにします」と言って、そこで診察を打ち切りました。

これまでの経過

X-4年、もの忘れが出現し、しまったものの場所がわからなくなりました。探し物が増え、不安が強くなりました。

X-3年、家の近所で迷子になるようになり、ときどき警察に保護されます。買い物では何度も同じものを買い、冷蔵庫の中に腐った食材が入っています。古い物が捨てられないので、家の中がゴミだらけになりました。

X-2年、会話がかみ合わなくなり、語想起障害もあり、自発語が減りました。洗濯機の使いかたがわからなくなったり、書類や郵便物の管理もできず、自宅での生活に支障が出てきたため、有料老人ホームに入りました。

まだ介護認定を受けていないとのことで、施設スタッフの同行で、主治医意見書目的に当院初診しました。

面会の時の息子の態度

施設の担当者の話では、2人の息子が交互に面会に来ますが、長男、次男とも本人に接する時、常にイライラしている様子とのことでした。診察の時には、本人は明るい性格なのか、冗談を飛ばしたり、親しく医師や看護師に話しかけたりして、フレンドリーな印象でした。

MMSE25点で、記銘力障害、見当識障害が軽度見られ、生活障害の割には良い点数でした。MRIでは、海馬が萎縮していて、大脳皮質もびまん性に萎縮しており、虚血性変化は見られず、アルツハイマー型認知症と診断しました。

施設の担当者は、家族のイライラが気になるので、一度息子に詳しく病状を説明してほしいとのことでした。

しばらくして、施設の担当者に勧められ、次男のほうが私に面会に来ました。認知症であること、進み具合などについて説明したところ、進行を遅くする薬を希望されました。このためリバスタッチパッチⓇを開始しました。薬は、施設の担当者が管理することになりました。

息子は2人とも働いているとのことで、毎回施設の担当者が付き添って、継続的に通院していました。

認知症が緩徐に進行

X-1年、リバスタッチパッチⓇを使用してから約1年で、食事をしたことを忘れるなど、以前にはなかった症状が出現しました。このため、アリセプトⓇに変更しました。

その後、今度は徐々に難聴が悪化しました。耳鼻科に行っても、「補聴器を作るほどではない」と言われました。有料老人ホームでは、自室内にテレビがありますが、徐々にテレビの音が大きくなり、廊下、隣りの部屋、そして建物の外にまで聞こえるほどの大音量になってきました。このため電話の音も聞こえませんし、ノックの音も聞こえません。

X年、施設の担当者に勧められて、長男が診察に付き添って来ました。『担当者に言われたので、仕方なくきた』オーラが出ています。

「親父の部屋のテレビの音が大きすぎて、俺が隣の部屋のやつだったら、とっくに怒鳴りこんでるところだ! 面会に行って声をかけても返事もしねぇ!」。

開口一番、そのように言いました。

キレた長男

診察室に入ってきたときから、すでに怒っていました。施設の担当者が、息子に対する病状説明を私に求めたのは、父親の病気のことを理解してもらいたかったからだと思います。これまでの症状経過、検査所見を説明しました。

「徐々に進行しているので、理解力が低下しているのでしょう。聞いても理解できないので、どんどんテレビの音を大きくしてしまうのです。注意力が低下しているのもあるでしょう。面会のときには、『お父さん』と一声かけて、肩を叩くなどして、本人の注意を引いてから、話しかけるようにするとよいでしょう」

「進行してねぇよ」

「いや、理解力や注意力の低下も症状です。病気の進行によるものです」

ここまで言ったところで、キレました。

「進行してねぇって、言ってんだろぅ!」

というよりも、元々キレていたのが、爆発したようでした。

私が診察を終えると、振り向きもしないで診察室を出て行きました。看護師も事務職員も、唖然としています。

「いやー、怒らせちゃったかな」

当院スタッフに私が話しかけると、「来たときから機嫌が悪かったですよ。すごく横柄で、私たちへの態度も悪かったです」とのことでした。

この家族は、自分の意に沿わないことが受け入れられなくなっているのです。このような場合には、家族の話を否定せず、受容的に接しないといけません。

施設の担当者の話

次の診察は、いつものように施設の担当者が付き添ってきました。

「実を言うと……」

息子に、本人の付き添いをしてもらったことには理由があるというのです。老人ホームの中でも迷子になるようになり、明らかに認知症が悪くなってきていました。認知症の進行に伴って、人に言われたことが理解できなくなってきていることはわかっていました。

幸いテレビの音が大きいことについては、隣室者も難聴であることから、特にクレームもなく、施設では問題になっていません。むしろ息子が面会に来るたびに、室内から怒鳴り声が聞こえてくることが気になるとのことでした。

長男も次男も、面会には定期的に来ますが、毎回、父親に対し怒鳴っているということです。それだけではなく、施設の担当者や、その他の職員、窓口の事務員などに対しても、恫喝するような話し方で、理屈が通じないというのです。

面会で息子に怒鳴られた後の父親は、覇気がなくなり、「帰る」と言って出て行こうとすることもあるということでした。徘徊に繋がる恐れがあるので、施設の担当者が見かねて、息子に「本人を怒鳴りつけないよう、お願いします」と頼んだのですが、「あんな親父、いいんだよ! 好き勝手して生きてきたんだから!」と、聞き入れてもらえませんでした。

医師が説明すれはわかってもらえるのではないか、ということで、私に説明してもらおうと思ったというのです。

その希望は、打ち砕かれました。

「好き勝手して、生きてきた」とは、一体、どんな人生だったのでしょう。いままさに、息子たちが復讐しているかのようです。

いつか、わかってもらえる日が来るのでしょうか。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。