CASE011:遺言書が書けるのか|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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認知症の診療を行っていると、金銭管理能力や契約等を行うときの理解力、判断力などを問われることがあります。

成年後見制度利用のための診断書であれば、認知症の程度や、物盗られ妄想があるかなどの客観的な症状を鑑みて、判断基準もはっきりしているので、診断内容が問題になってしまうことはほとんどありません。

類型が問題になる場合には鑑定書を求められることもありますが、より詳しい症状等を記載することにより、手続きがスムーズに進みます。

近年、運転免許証の更新に関わる診断書の作成を求められることもあります。こちらのほうも、判断に必要な項目が決められており、症状と病名などを記載して提出すれば問題ありません。

特に困るのは、遺言書が有効なのか無効なのか、尋ねられることです。病気の診断はできますが、医師ができるのはそこまでです。「遺言書が無効であるという診断書を出してください」と頼まれると、お断りするしかありません。それは医師が判断することではないからです。

医師にできるのは、病気の診断だけです。「認知症である」という診断書は書けます。「遺言は無効である」という診断書は存在しません。それを判断するのは裁判所です。

CASE 011 
88才女性

マシンガントーク

通院中の患者の長女が、突然1人でやって来ました。

「母の人格が変わり、突然私を攻撃するようになりました!」

ある晩から、もの盗られ妄想が出現し、そのターゲットが長女になったということでした。

認知症になる前の母親は人格者で、きちんとした人だったとのこと。いかに良い母親だったか、語り出したら止まりません。こんなこともあった、あんなこともあったと、私が質問する暇を与えず、語り続けます。質問するのを諦めて、しばらく傾聴しました。

思い出話をするために来たのかと思うほどでしたが、しばらくしてようやく話が途切れました。

「それで、どんな攻撃なのですか」

やっと私が質問すると、「以前は次女に対するもの盗られ妄想だったので、私が攻撃されることはありませんでした」とのことでした。どちらかというと、過去の母親は、元来、次女より長女を信頼していたようです。

認知症になったばかりのころは、次女に対するもの盗られ妄想が強く、長女があいだに入って、金銭管理や生活の援助をうまく回してあげている感じでした。ところが、突然、長女が妄想のターゲットになってしまい、さまざまな実害が及んでいるとのことでした。

毎日「通帳を返してくれ」という手紙が来て、朝から晩まで、家に押しかけて呼び鈴を鳴らし続けます。それだけではなく、次女も一緒になって「お姉ちゃんのせいで、お母さんがおかしくなった!」「盗んだ通帳を返せ!」と言ってくるようになったというのです。

もの盗られ妄想で、患者本人から攻撃されることはよくありますが、このケースでは、妹までも母親の妄想の世界に取り込まれてしまい、一緒になって攻撃してきているのです。

本来は、姉妹で協力し合って母親のケアに取り組んでいくべきなのに、長女は孤立してしまいました。

苦境を訴える長女の話は、子どものころの話になったり、今の話に戻ったり、果ては自分の夫に対する不満などなど、まとまりがなくなってしまいました。同じ話の繰りかえしも見られます。

このようなマシンガントークは、うつ状態の人に見られます。焦燥感が強いので、人の話が耳に入らず、次々と気になっていることを話し続けます。とにかく落ち着くまで、どうにもなりません。

いつになったら話が止まるのか・・・

これまでの経過

長女は嫁いで別のところに住んでおり、独身の次女と長らく二人暮らしでした。

X-2年、事務処理能力が低下し、確定申告の準備ができなくなりました。

X-1年、大事な物をしまい込んでなくし、同居の次女を泥棒扱いしていました。外からの侵入者もいると思っており、『誰もこの家に入るな』と書いた紙を玄関に貼り出しました。

X年、次女に対する不信感が高じ、すべての貴重品を長女に預けました。寝る前には自室の扉に鍵をかけ、就寝中も財布を抱えて眠るようになりました。

次女が、何とか近所の病院に連れて行き、頭部CTを撮影してもらいましたが、検査の後、診察を拒否し、それっきりとなりました。困った次女が長女に協力を頼み、長女の付き添いで当院初診となりました。

初診時には、次女に対するもの盗られ妄想が強く、長女に対しては、信用しており、大事なものも預けている状態でした。また当院に来るときにも、次女の言うことは聞きませんでしたが、長女が誘うと、素直に来院したとのことでした。

被害妄想と強い不安感があり、妄想のターゲットに対しては、暴言を吐いて攻撃します。

MMSEは28点と良好でした。30点満点の認知機能検査で、28点取れれば軽度認知障害レベルです。発病してから2年は経っていると思われるのですが、進行が遅いようです。

ADL(日常生活動作)は自立しています。画像検査を行うと、左右差が顕著な側頭葉萎縮が認められ、症状経過から嗜銀顆粒性認知症を疑いました。

嗜銀顆粒性認知症の疑い

嗜銀顆粒性認知症というのは、高齢発症で、記憶障害で発症しますが、頑固、易怒性、被害妄想、性格変化、暴力行動などの行動・心理症状が目立つ疾患です。進行は緩徐で、アリセプトのような抗認知症薬のコリンエステラーゼ阻害薬の効果は限定的と言われています。

画像所見では、左右差を伴う側頭葉の萎縮があり、知能検査の点数が良いわりには、海馬の萎縮が目立つという特徴のある疾患です。

原因不明で、これと言った治療法もありませんので、精神症状のコントロールが主な治療になります。被害妄想や不安が強く、攻撃的で暴言を吐いていたので、まずは抑肝散加陳皮半夏を処方しました。

本人との人間関係が濃い人ほど妄想のターゲットになりやすいので、次女との関係性を薄めるために、介護認定申請して、通所系サービスの利用につなげようと考えました。

地域包括支援センターに行くように次女に指導し、センターの担当者にあらかじめ情報提供しておいたところ、スムーズに介護認定申請に至りました。ところが認定申請後、本人が介護サービスを拒絶したため、認知症初期集中支援事業を利用してもらうことになりました。

認知症初期集中支援事業を利用

この事業は厚生労働省が提唱したもので、認知症になっている、あるいは認知症が疑われる人で、医療や介護のサービスが受けられていない人を対象にしています。単にサービスに繋がっていないだけではなく、嗜銀顆粒性認知症のように行動・心理症状が激しくて、介入困難になっている人も対象になります。

専門職種が訪問することによって、従来の介護保険サービスや、訪問診療、訪問看護などの医療サービスにつなげていくというのが目的です。

これまでにも同事業によって、介入に難渋していた患者が介護保険サービスの訪問看護に繋がったり、デイサービスに通所できるようになったケースもありました。

もちろん激しい精神症状が治まらず、認知症専門病棟に入院となったケースもありましたが、いずれにしても介護や医療に繋がるきっかけになりました。良い事業だと思います。

初期集中支援チームの訪問看護師が入ったことにより、デイサービスを上手に勧めてくれて、見学の運びとなりました。

最初に処方した漢方薬は、飲んだり飲まなかったりで、効果が不十分でしたが、第三者が関わることによって次女との関係性が薄まり、当院には長女と次女の2人が一緒に付き添って来られるようになりました。

妄想のターゲットが変わる

しばらく小康状態でしたが、ある日から突然、妄想のターゲットが長女に変わりました。

貴重品の管理はすべて長女が行っていたので、自分の通帳や印鑑を長女が持っていることに対し、「長女に盗まれた」と言うようになってしまったのです。激しい暴言等の攻撃性も、長女に向かってくるようになりました。次女に対する暴言と攻撃性は、ぴたっとなくなりました。

もの盗られ妄想のターゲットが変化することはよくあります。今までにもこのようなケースは経験してきました。

以前は夫がターゲットだったが、今度は娘がターゲットになる。以前は嫁がターゲットだったが、今度は息子がターゲットになる。などです。よくある話なのです。

複数の家族が協力して介護しているので、ターゲットになってない介護者が本人と接するようにして、何とか回っていきます。

このケースでも、最初は次女がターゲットだったので、長女が本人と接するようにして、今回の通院や介護サービス導入に繋げることができました。普通に考えれば、今度は次女が本人と接するようにして、役割を変えていくのが良いと思われます。

ところが、次女は自分がターゲットでなくなった途端に「母は正常になった」と言い出したのです。

財産をめぐる姉妹の確執が明らかに

本人の次女に対する攻撃性はなくなりましたので、同居して、一緒にいても問題ありません。長女に対しては「もう来ないでよい」と言い、自宅に入れてくれなくなり、母親に会わせてもらえなくなりました。

その挙げ句、「母は正常になったから、遺言書を書いてもらうことにした」と言い出したのです。

どうやら、今まで自分が泥棒扱いされて、姉が母親に信頼されて、貴重品の管理を任されていたことを苦々しく思っていたようです。長女のほうは、妹からそのように思われていたことに驚いて、ショックを受けたのです。

話せばわかると思い、何とか次女と話し合おうとしましたが、電話をかけると、認知症の母親そっくりの怒鳴り声で、「お姉ちゃんのせいで、お母さんがおかしくなった!」「話したくない、会いたくない!」の一点張りでした。
まるで患者が2人いるようです。

そして、長女は1人で私の所に相談に来たのです。

長女の治療を開始

相談の内容は母親のことだけではなく、長女自身のこと、次女との関係など、多岐に渡っていたので、長女にカルテを作ってもらい、カウンセリングを開始しました。

一度のカウンセリングでは、姉妹の確執が解決しそうにありません。そして、再び次女と2人で自宅に閉じこもっている母親の、これからのことも考えなければなりません。

とりあえず一つひとつ、問題を解決していくほかありません。

「先生にお願いがあるんです」

改まった口調で、長女が言いました。

「遺言書が書けないという診断書を、書いていただけますか」

「診断書は病名を書くものです。ですから、『遺言書が書けない』という診断書は書けません。『認知症である』という診断書を書きます」

元のように姉妹が仲良くできる日は来るのでしょうか。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。