CASE012:どうして親より先に|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

バックナンバーを読む

新型コロナウイルス感染症の蔓延で、在宅テレワークという新しい勤務の仕方が増えました。満員電車に乗らなくてよいとか、会社に出勤して同僚から風邪をうつされる心配もないのですが、良いことばかりではありません。

つい先日、次男が母親を連れて、当院初診されました。
「以前から認知症でどこかの病院に通院していたようだが、同居の兄(長男)がずっと面倒を見ていたので、詳しいことはわからない。老人ホームを申し込んだので、初診で診断がついたら、すぐ紹介状を書いてほしい」
という要望でした。

初診の時にはすでに、老人ホームの部屋の仮押さえが済んでおり、提出する書類に必要な、感染症の検査なども一緒に行ってほしいとのことでした。よくよく話を聞くと、先月まで同居していた長男が急死したので、面倒を見る人がいなくなり、急きょ次男が老人ホームを手配したということでした。

もともと、母親と長男の二人暮らしでした。母親が、10年ぐらい前からアルツハイマー型認知症になり、長らく自宅で介護してきました。長男は会社員だったので、朝は出勤して会社で働き、夜に自宅に帰ると母親の世話をする生活でした。介護サービスを利用したことはなかったようです。

昨年4月の緊急事態宣言以来、長男は在宅テレワークとなり、一日中自宅にいるようになりました。以前は会社でしていた仕事を、自宅で行っていました。認知症の母親が常に一緒にいる生活です。そのような生活が、長男を精神的に追い詰めたのでしょうか。先月になり、何の前ぶれもなく、突然自死されたということでした。

離れて住んでいた次男が、初めて面倒を見るようになり、診察室で「すでにアルツハイマー型認知症の後期の状態です」と告げると、「こんなになっているとは知りませんでした。もっと早く言ってくれれば」と、無念そうに言いました。

認知症の介護をしている方の自死は、いろいろな理由があるとは言え、「介護うつ」も関係しているのではないかと思います。慢性的な介護うつの状態でも、いままで、かろうじて踏みとどまっていたのでしょう。家を離れ、会社で過ごすことが、唯一の息抜きだったのかもしれません。

コロナ禍で在宅ワークになり、息抜きの場を喪失されたこと。
それが引き金になってしまったのでしょうか……。

CASE 012
80才女性

友人の死

認知症の母親に付き添って、長年、当院に通院している人から、ある日、私に手紙がきました。

「ご存知ないかもしれないと思い、連絡差し上げます。以前に、ご紹介した○○さん、ご自宅でドアノブに紐をかけて首を吊って亡くなりました」

名前と顔が一致せず、すぐにはピンと来ませんでした。カルテを検索しても出てきません。しばらくして、手紙をくださったその人が診察に来たので、誰のことかと尋ね、ようやく思い出しました。亡くなったのは、認知症の母親に付き添って、一緒に通院していた娘でした。娘は嫁いでいて苗字が違い、わからなかったのです。

どうして親より先に、自ら命を絶ってしまったのでしょう……。

これまでの経過

X-9年、もの忘れが出現しました。しまい場所を忘れ、探し物が増えました。同じことを何度も話し、話の時系列があやふやになり、昔の話と今の話が混ざってしまいます。
X-6年、料理が得意でしたが、うまく作れなくなりました。大学病院を受診して、アルツハイマー型認知症と診断されました。ところが本人には病識がなく、「自分は病気じゃない」と言って、通院しなくなってしまいました。

この症状は、病識欠如といいます。特にアルツハイマー型認知症に特徴的で、物忘れの自覚がなく自分は正常だと思っているのです。このため、自分から医療機関に行こうとしません。人から物忘れを指摘されると、「失礼だ」と怒ります。アルツハイマー型認知症の人が、早期に受診できない、また、治療が中断してしまう原因の一つになります。

X-4年、夫が病気になり家で看病が始まりました。本人の意欲はありますが、もの忘れが悪化しているので、夫に食事させることを忘れたり、掃除機の操作ができなくなりました。掃除や片付けができなくなったと同時に、散らかっていても平気になりました。

洗濯もしなくなり、同じ服を毎日着るようになりました。食べた後の食器も洗えません。不用品が捨てられなくなり、家中が物で溢れました。毛布とシーツの区別がつかなくなり、夫の寝床を作ることができません。もの盗られ妄想が出現し「お金を盗られた」などと訴えていました。

生活が破綻し、娘が援助を開始

X-3年、道がわからなくなったと言って買物に行けなくなり、冷蔵庫が空っぽになりました。娘は嫁いで他所に住んでいましたが、実家に通って援助するようになりました。

夜になると不機嫌になり、娘が手伝いに行くと、「何しに来たの!」と険しい表情で、追い返そうとします。また、寝たきりの夫に対しても大声で怒鳴るなど、険悪な雰囲気になっています。困った娘に連れられて、当院を初診しました。

初診時は病識がなく、当院受診は「めまいの診察」という触れ込みで行いました。このため MMSE (知能検査)は施行せず、症状経過と画像所見で診断をしました。

記銘力障害は目立っており、短時間の診察中にも、同じ話の繰り返しが何度もみられました。日付や曜日はわからない様子でした。迷子になるので、買物に行かなくなったという話もあり、場所的見当識障害を伴っていると考えられます。

入浴を拒否しているので、髪はべったりと張り付き、かなり体臭がきつくなっていました。FAST(FunctionalAssessment Staging)という評価尺度では、入浴を嫌がる段階は、「やや高度のアルツハイマー型認知症」と診断されます。

娘が進行予防の治療を希望したので、レミニール®を開始しました。

薬や介護サービスの効果と、介護拒否

レミニール®は、コリンエステラーゼ阻害薬という抗認知症薬の一つです。脳内のアセチルコリンを増やして、脳の働きを改善する薬です。内服開始したところ、意欲が出て、行かなくなっていた買物に行くようになりました。買物に行った先で多弁になり、失礼なことを言ったり、トラブルが出現したので量を減らしました。

元気になったのは良いのですが、買物帰りに迷子になることが頻発するようになり、いつも持ち歩くカバンにGPS をつけるようにしました。ケアマネジャーと相談し、夫の介護で入っているヘルパーに、本人の薬も確認してもらうことにしました。食事の準備もできなくなっていたので、娘の負担軽減のため、ヘルパーによる調理補助を入れてもらいました。

抗認知症薬の効果なのか、調理補助のヘルパーの効果か、やらなくなっていた調理も簡単なものを再開し、徐々に能力が高まりました。さばの味噌煮を久しぶりに作りました。これに伴いヘルパーに対する拒否が出てきました。「自分でできるから」というのです。ヘルパーの回数を減らして、様子を見ました。

相変わらず入浴は拒否していたので、入浴のサービスをどこかに入れたいと考えていました。気の合うヘルパーに勧められると、デイサービスにも通所するようになりました。

デイサービスを始めたところ、人に会うからと、化粧をしたりおしゃれをするようになりました。逆に、化粧が上手にできなかった日は、「今日は行きたくない」と子どものように駄々をこねます。

そして数ヶ月後、ようやくデイサービスで入浴できるようになりました。周囲の思惑通り、徐々にサービス導入が進んでいきました。

進行による、デイサービス拒否

しばらくすると、デイサービスに行くのを嫌がるようになりました。少し進行したようでした。このため、メマリー®を併用開始しました。

この薬は抗認知症薬の一種ですが、4種類発売されている抗認知症薬のなかで、ただ一つ、NMDA受容体拮抗薬です。脳神経細胞の過剰な興奮を抑える作用があり、落ち着きのなさや怒りっぽさが治まることがあります。メマリー®を服用して1カ月後には機嫌が良くなり、デイサービス拒否がなくなりました。

娘は母親の診察の度に、「良くなりました」「順調です」「落ち着いています」と話していました。本人の様子も、診察室では元気そうで、変わりませんでした。このため、私もすっかり安心していました。

娘の報告と、ケアマネジャーの報告の解離

この少し前から、私は、ケアマネジャーと連絡を取り合うようにしていましたが、ケアマネジャーからは気になる報告がありました。娘の話と、ヘルパーが入ったときの様子が違うというのです。また娘が話していないことがあるというのです。

娘は診察の度に「抗認知症薬を開始してから、いろいろなことができるようになり、能力が高まって元気が出ている」と話していました。ところが実際に、ヘルパーが援助に入ると、本人が寝たきりの夫に、乞われるがままにチューハイを飲ませていることがわかりました。

飲ませたことを忘れて何度も飲ませているので、ヘルパーが空き缶を数えると、1日に1リットル以上は飲んでいる様子です。夫は、常に酩酊状態です。そのため失禁がひどく、オムツの介助が大変になっていました。

また、食事させることを忘れているので、夫は食事を食べずにお酒だけ飲んでいる状況です。夫の訪問診療をしている内科の主治医から「夫は栄養失調になっている」と、ケアマネジャーに連絡が入ったということでした。このためいったん減らしたヘルパーを、元の通りに増回してもらいました。

よくよく娘に話を聞くと、「お酒のことは気づいていた」「実は私自身が、2カ月ぐらい前から涙が止まらなくなることがある」「急に食事の支度ができなくなる」「頭の中が真っ白になる」と訴えたので、うつ状態と考えられ、急きょ娘のカルテを作成し、抗うつ薬を処方しました。

実家の両親の状態がストレスになっているので、娘にはある程度ヘルパーにお願いして、少し介護から手を引くように話しました。娘は、娘婿の誘いで海外旅行に行ったり、気分転換のため外で働くようになりました。仕事が楽しいとのことで、少し気分は上向きになりました。

夫が脳梗塞に

X-2年、もともと寝たきりだった夫が脳梗塞で入院しました。食事しないで1日中飲酒している状況で、栄養失調だけではなく、脱水にもなっていたと考えられます。脱水は脳梗塞のリスクになります。

夫は脳梗塞の後遺症で重度の右片麻痺、全失語となり、寝たきりになりました。嚥下障害も出現し、胃瘻造設されました。口から食事が摂れなくなり、胃瘻からの経管栄養になったので、自宅で認知症の本人がケアを行うことは無理と判断され、療養型病院に転院しました。

本人は、夫が入院したことをすぐに忘れてしまい、夫がいるかのように布団を敷いたり、「さっきまで居たのに、お父さんはどこに行っちゃったのかしら?」と、何度も娘に聞いてきます。

同じ頃、本人の娘の娘、孫にあたる人が、結婚して家を出ました。娘は夫婦二人暮らしになりました。これをきっかけに、実家で一人暮らしになってしまった母親と、娘夫婦が同居を開始しました。

同居によって、娘婿にもストレスが

子どもの世話をする必要がなくなったためか、実家にいるのが苦痛になったためか、娘は仕事にのめりこみ始めました。職場の世話役や、新しい仕事も引き受け、連日帰宅が深夜に及ぶようになりました。

仕事に逃避しているようでした。

X-1年、本人はいまだに夫が一緒に住んでいると思っており、毎晩、夫の布団を敷くなどの行動があります。入院中の夫は、この頃には家族が見舞いに行って話しかけても反応がなく、完全に寝たきりになっているということでした。

娘は相変わらず仕事に没頭し、自宅に帰ってくるのは深夜、朝も早くから出て行き、ほとんど家にいません。娘婿のほうは通常の勤務で、夕方普通に帰ってきます。「お父さんはいつ帰ってくるの?」と、本人が娘婿に度々尋ねるので、同居の娘婿にはストレスになっていました。

娘婿は「なんでそんなに忙しいんだ!」と娘を責めました。娘は、本人と娘婿との板ばさみになっていたようです。

最後に診察で会ったとき、娘は肌が荒れ、むくんだ顔をしています。本人のほうが元気そうでした。「何かありましたか?」と娘に尋ねると、「がんで治療中だった友だちが、入浴中に溺死したんです」と、涙ぐみました。
「それは辛いですね。眠れますか?」
「私は大丈夫です。最近は調子が良いのです。うつの薬は今のままで大丈夫です。睡眠薬もいりません」
それが、娘との最後の会話になりました。

知人の葬式がきっかけに

X年、最後の受診から数カ月後、娘夫婦の古くからの知人が自死をされたということで、お葬式に出たそうです。

それから約1週間後、娘を元気付けようと、娘婿が誘って外食し、少しお酒も飲んだとのことでした。食事の間は楽しそうだったそうですが、家に帰って、娘婿が少し目を離した隙に、自宅のドアノブに紐をかけ、首を吊って亡くなっていたそうです。

警察の検死では、「知人が自死したことに影響され、どうやって亡くなったのか、実験しているうちに亡くなってしまった」と判断され、事故死として処理されました。

事故死なのでしょうか。聞いてみたい相手は、もうこの世にいません。残された本人と、入院中の夫、娘婿はその後どうなったのでしょう。

最後に会ったときの、寝不足でぼんやりした娘の顔が思い浮かびます。
あの時、私に何かできたのでしょうか。

バックナンバーを読む

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。