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介護依存という言葉があります。
一種の共依存です。
介護本来の目的は、介護される人がより良い人生を送ることです。

介護依存に陥ると、介護の目的が、介護する人の達成感、満足感などにすり替わってしまいます。
本来相手のためにする介護が、自分のためになってしまうのです。
そしてそれは、ゆっくり起こるので、介護している本人は気がつきません。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 015
88才女性

1年半ぶりの来院

当院の患者数は、1日に30~40人ぐらいです。
新患は、月50人ぐらいです。

毎月通院している人や、2、3カ月に1回の通院でも長く通院している人の顔は覚えていますが、初診時に1、2回受診した後で、通院中断し、1年以上経ってしまうと、どんな人だったか、全然思い出せません。

あるとき、1年半ぶりに、2回目の来院の人が来ました。1回目が1年半前ですので、記憶に残っていません。カルテをみると、1回目に受診したときは、中等度の認知症の状態だったと書いてあります。

1年半ぶりに検査したところ、1回目にMMSE20点でしたが、今回は11点に低下していました。20点なら中等度ですが、11点ですと重度です。頭部MRIでも大脳白質の虚血性変化が増悪しており、これに伴い大脳萎縮も悪化していました。

アパシーは強くなっており、1回目には診察室で会話していたのが、今回は本人の自発語がみられません。質問にも、頭を振って意思表示することが多く、発語は最低限です。

通常アルツハイマー型認知症が進行する場合には、1年半でMMSEが3~4点ぐらい下がるのですが、この人は9点も下がっていました。アルツハイマー型認知症の進行ではありません。動脈硬化による大脳全体の血流低下が、悪化の原因と考えられました。

心不全で胸水がたまっており、これによる循環不全が影響していると考えられました。娘が、この1年半での急激な意欲の低下を不安に思い、今後のことを相談したいとのことでした……。

これまでの経過

この女性は、60才ごろから不整脈や頻脈があり、長く薬を飲んでいました。

X-6年、専業主婦でしたが意欲が低下し、家事をしなくなりました。

X-5年、夫が脳梗塞を発症しましたが、病院の医師の説明が理解できない様子でした。夫の世話ができないので、同居の娘が仕事をやめて、父親の世話をするようになりました。

X-4年、もの忘れがひどくなりました。頻繁に転倒するようになり、骨折を繰り返します。薬の管理ができなくなり、きちんと飲めなくなりました。このため、娘が、母親の服薬管理もするようになりました。

せん妄状態になる

薬がきちんと飲めていなかったためか、下肢閉塞性動脈硬化症が進行しており、片脚の切断を余儀なくされました。

切断術の後、疼痛が出現し、鎮痛剤を服用したところ、せん妄状態になりました。せん妄というのは一過性の意識障害です。朦朧として、興奮したり騒いだりします。この人も、妄想が出現し、不穏になりました。また、朦朧として、両便失禁状態となりました。

X-3年、せん妄は徐々に改善しましたが、日付や曜日はわからない状態になりました。何でも娘の指示を待つようになり、ついにはトイレの便器に腰かけて「どうすればいい?」と尋ねるようになってしまいました。

徐々に食欲低下し痩せました。食事量が減ったので便秘になりました。朝、娘が起こさないと、いつまでも寝ています。そして入浴を嫌がります。

意欲の低下が目立つ

X-2年、同居の夫が他界しました。夫のほうは、ほとんど娘が1人で介護して、自宅で看取りました。本人は、娘と二人暮らしになりました。娘から見て、意欲が低下しているのが気になるとのことで、娘の付き添いで当院初診しました。

MMSEは20点でした。記銘力障害、見当識障害がみられ、集中力もありませんでした。中等度の認知症の状態です。

頭部MRIを撮ると、血流障害による変化が強く出ており、白質脳症の状態でした。こういうタイプの認知症を、血管性認知症のなかでもBinswanger(ビンスワンガー)病といいます。

血管性認知症の特徴は、前頭葉機能の低下によるアパシーが多く見られます。意欲が低下して、自発性がなくなります。億劫だ、面倒だ、というのが強くなります。自分から意見を表明したり、行動を開始したりしませんので、はたから見ると何もしないでボーっとしているように見えます。介護者の指示を待っているような状態となり、「指示待ち人」と言われることもあります。

また小さな脳梗塞が多発しているので、身体の麻痺を伴うことがあります。脳全体の血流が悪い場合に、血管性パーキンソン症候群という状態になります。パーキンソン病のような症状で、身体のバランスが取れなくなり、転びやすくなります。この人の場合、頻繁に転倒するようになったのは、このパーキンソン症候群が原因でした。

このように多発する脳梗塞の原因は、ほとんどの場合、動脈硬化です。動脈硬化が脳だけに起こるということはなく、全身の血管の動脈硬化も伴っています。心臓の動脈が詰まれば、心筋梗塞になります。下肢の動脈が詰まれば、閉塞性動脈硬化症といって、血行が遮断され、悪化すると壊死を起こし、下肢の切断に至ります。

この人も、閉塞性動脈硬化症が原因で片脚を切断していました。初診の診察時に、上記のような血管性認知症の特徴と、現在の状態について説明しました。

認知症症状の改善を求める娘

娘の要望は、「改善してほしい」とのことでした。

脳血管障害というのは、一度起こると元に戻りません。「改善することはない」と伝え、今後悪くなることはあっても、治ることはないと話しました。そして、残っている能力を高めるには、デイケアなどのリハビリテーションが有効とアドバイスしました。

娘はがっかりした様子でした。娘を励ますつもりで、「デイケアなどのリハビリテーションは、機能の維持に重要である」と再度重ねて話しました。ところが娘は、「循環器科の主治医に、心臓の機能が低下しているため、リハビリテーションは禁止と言われている」と言うのです。

そういうことか、と思いました。

脳か、心臓か

心臓がダメになったら、命がなくなります。循環器科の主治医の判断は、認知症は進行するかもしれないが、生命を守るためです。まったくその通りだと思います。生命に代えられるものはありません。

娘は、「脳か、心臓か」のジレンマに陥っていたのです。

「生命のほうが大事ですから、循環器科の先生のアドバイスに従ってください」と話しました。
娘は、納得がいかない様子でした。母親の病気を受容することができません。

どんなときにも、生命を守るという選択肢が判断の基準になるはずです。しかし娘は、生命を守るための生活で、脳への刺激が減り、認知症が進行するということを、どうしても受け入れられませんでした。

「リハビリテーションをまったくしなければ、認知症は速く進行するかもしれませんが、お母さまが少しでも苦痛がなく、長生きできることが重要です。リハビリテーションをしても、進行が遅くなるだけで、まったく進行しないわけではありませんし、お母さまの生活の質を第一に考えてはどうですか」

そうアドバイスしました。

「でも、リハビリテーションをしなければ、速く進行するんですよね」

私との話は、堂々めぐりになりました。

娘は診察の最後に、「循環器科の医者の言うことが、納得できない。主治医を変えようと思う」と話しました。

カウンセリングを試みる

このため、娘にカウンセリングを受けるようにアドバイスしました。

娘に、母親の命の大切さを理解してもらい、今後の残り少ない人生の、生活の質を尊重する助けにするためです。ほんの少し認知症の進行速度を遅くするためだけに、母親の苦痛を増したり、命を縮めたりする選択を、しないでもらいたかったからです。

娘はその後、一度だけカウンセリングに来ました。娘自身が、母親の病気を受け入れるために、自身の生い立ちや母親との関係、自分の気持ちを話してもらうことが目的でした。

ところが、娘はカウンセラーに、母親の生い立ちや人生について詳しく話したものの、自分の話はしませんでした。カウンセリングは、かみ合いませんでした。「何か求めているものと違う」とのことで、娘は、カウンセリングに来ることをそれっきり中断しました。

本人の血管性認知症の通院も、それっきりでした。

急速な進行

X年、そして1年半が経ち、忘れたころに来院しました。認知症は、通常よりも速い速度で進行していました。

食事は自力摂取していましたが、体を起こして食卓につかせ、全介助で食べさせなければならなくなりました。

トイレに自分で行っていましたが、すべてリハビリパンツに失禁するようになりました。歩行器を使って歩けていましたが、自分では起きられなくなりました。すぐに寝たがるようになりました。

「脳の血流が低下して、大脳の萎縮が進行しました。アルツハイマー型認知症の平均的な進行速度よりも、速く進んでいます。重度の状態になりました。意欲の低下は、血管性認知症そのものの症状なので、治りません。自分ではできないことは、やってあげてください」と話しました。

「本人は、肺に水がたまって、息切れがひどいのです。このためすぐに『寝たい』と言います。循環器科の主治医は、『安静にしてください』と言います。でも、デイケアに行かせると元気が出て調子が良いんです。デイケアに行かせてよいのでしょうか」

と質問するので、私は、

「もちろんデイケアに行かせたほうが、本人は脳が活性化して、元気になると思いますよ。行き帰りは車椅子で送迎してもらえますし、つらかったら横になっていればよいので、それなりに意味はあると思います」

と答えました。

「循環器科の主治医からは、脳は二の次で、心臓のほうが大事。心臓が優先と言われました。デイケアをやめるように言われています」

また堂々めぐりです。

「脳も大事にしたいなら、無理のない範囲でデイケアに行かせたらどうですか。たとえそこで横になっていても、本人がその場で少しでも楽しめるのであれば」

私がそういうと、娘は「本人の意思がわからないので、決められません」と言い出しました。

自分で判断しようとしない娘

突然、本人の判断にゆだねると言い出したのです。娘は、私の説明が理解できていなかったのでしょうか。娘自身の理解力が著しく低下しているものと考えました。

「もう認知症が重度なので、お母さんは自分で判断して、意思を述べることができません。あなたが想像して決めるしかありません」

すると、娘は泣き出しました。
どうしても自分で決められないのです。

うつ状態です。
娘自身が、決断力がないのです。
それを私にどうにかしてもらいたいと思って、来院したようでした。こういう時には、認知症になる前の、本人の言動を思い出してもらうのが重要です。

「今は重度の認知症で、お母さまの意思確認はできません。元気だったころの言動を思い出してください」

私がよく言う言葉です。

治らない病気になったとき、1分1秒でも長く生きたいのか、それとも気分良く、安楽に過ごさせてほしいのか、本人の価値観を家族に推測してもらいます。

すると娘は泣きながら「それがわからないから、聞いているんですよ!」と私に怒りをぶつけました。

親の役目を果たしていなかった母親

若いころの母親の性格を娘に聞いたところ、「思い込みが激しく感情的。ないものねだりで、負けず嫌い。できないことは他人頼り」とのことでした。

まるで子どもです。このような母親は、母親の役割を果たしていなかったと思われます。娘はアダルトチルドレンです。子どもらしく成長することができなかったことにより、大人になってから、神経症やうつ病などのリスクが高くなります。

「脳も心臓も両方守りながら、自宅で介護していくのは限界ではないでしょうか。施設や病院に預けるほうが、お母さまは幸せかもしれませんよ。あなた自身がうつ状態で、決断できない状態です。このまま介護を続けても、あなたもお母さまもつらいのではないでしょうか」

娘がつらそうにしているので、そのように話しました。

「そんなことはできません。私が母を最後まで介護します。そう決めたのです。父の介護のときに仕事をやめ、最後は私が1人で家で看取りました。同じように、母も、最後まで家で介護すると決めたのです」

この娘の、自身の人生はどこにあるのでしょう。両親の介護そのものが人生になってしまっています。思考障害に陥っています。

自分の命より、母親の命が大事

「あなたはいま、うつ状態で判断力が低下しています。少し休んで、自分の人生も考える時間が必要ではないですか。とても疲れているように見えます」

「そんなこと、必要ありません。仕事をやめて、親の介護をすると決めたんです。私の話をしないでください。私のことはどうでもよいのです」

「どうでもよくありません。あなたがうつ状態を脱して、物事が判断できるにならないと、お母さまの方針も決まりません。あなたはいまとても疲れていて、感情的になっており、休息が必要な状態のように見えます。あなたの命も大事なのですよ」

「私の命より、お母さんの命のほうが大事なんですよ!」

娘が倒れたら、介護者がいなくなって、母親は施設か病院に入らざるを得なくなります。

自分の体は親にもらったもの。
それを大事にしないで親孝行でしょうか。

倫理観、道徳観、宗教観などについて会話を試みました。
しかし、話は最後まで平行線のままでした。

この娘にとっては、親の役割を果たしていなかった母親が、自分の命よりも大事なのです。介護することが、娘にとっての唯一の親子の絆であり、娘自身の生きる意味になってしまっています。介護依存の状態ですが、娘はそれに気が付いていません。

私には、それ以上アドバイスすることはできませんでした。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。