アナタの知らない依存症治療の世界~依存症治療のハマったさんにきいてみた!|#008|ヒーラーとなる依存症患者さんたち

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1.宇宙人との出会い

私がアルコール依存症の患者さんに出会ったのは、最初に勤務していた内科病棟(循環器、呼吸器、腎臓内科)でした。腎臓内科があったので、透析を受けている患者さんがお酒を飲んで救急車で運ばれてくるケースもありました。これが私のアルコール依存症患者さんとの出会いでした。

ある患者さんは糖尿病の合併症で片足を切断し、透析にも通っていました。救急車で運ばれてくるときは透析で抜いた数倍の量を飲酒し、「また飲んじゃった」と笑顔でストレッチャーで運ばれてきます。松葉杖をついてお酒を飲みに行くそうです。先輩看護師たちは、「また来たよ。治療する意味あるの? 自業自得」と冷たい反応でしたが、再飲酒することがわかっていても命を救うのに必死でした。

新人だった私は、陰性感情が湧く以前に、命の危険があっても飲酒を繰り返し笑っている患者さんを、宇宙人でも見ているような気持ちでした。

2.陰性感情の芽生え

その後、精神科看護に興味があったため今の施設に転職し、急性期病棟に配属になりました。精神病が発病したり増悪したときに入院する病棟で、依存症の患者さんも運ばれてきます。これまた先輩看護師たちは「依存症か。めんどくさ」とつぶやきます。

最初はどうしてだろうと思っていましたが、「自分は依存症じゃないよ。ちゃんとコントロールしてるし」と話したり、自分の意思に反する入院ともなれば、医療者のアラを探してチクチクと攻撃してきます。「もう飲みません」の約束もすぐに破ります。試験外泊をしても、もれなく飲酒してきます。「飲んでないから」が「1杯だけ」になり、「焼酎1本」と、言っていることが変化していきます。私から見たら嘘つきです。しまいには「あんたがうるさくいうからムカついて飲んだんだ」と、人のせいにしてきます。

「人の文句言ってないで自分の病気に向き合ってよ」「コントロールできないじゃん」と陰性感情もふつふつと湧いてきます。

当時いっしょに働いていた医師には、「そういうもんだよ。ここの役割はお酒(薬)を抜くことだから」と言われました。確かに当時の急性期病棟では、入院してきたら点滴し、酩酊状態から回復したらすぐに退院させていました。しかし私が求めていたのは、「自分は依存症です」と認めさせ、「やめます」を守ってもらうことでした。精神科新人看護師の私は納得がいきません。依存症の治療とは? 看護とは? とモヤモヤしたまま認知症や慢性期病棟へ異動となり、依存症患者さんにかかわる機会はめっきり減っていきました。

3.ハームリダクションの光~依存症看護の迷走

そして、依存症看護にどっぷりはまったのは、忘れもしない2018年の11月でした。そのときに発売された精神看護の雑誌で、「ハームリダクション」が特集されていたのを読みました。

ハームリダクションとは、「違法であるかどうかにかかわらず、精神作用性のあるドラックについても、必ずしもその使用量は減ることがなくとも、その使用によって生じる健康・社会・経済上の悪影響を減少させることを主たる目的とする政策、プログラム、そして実践」(Harm Reduction International)とされています。私なりに「依存物質を完全にやめるのではなく、安全に使用しましょ」と解釈しました。

それまでは、断固断酒! やめる気のない奴は帰れ! と必死でした。でも心の中では、これまでの経験から、今すぐ病気を認め、やめることを求めるのは無理なのではないかと違和感があり、自分勝手に無力感を抱き、患者さんを遠ざけていました。そんなとき、やめることを求めないハームリダクションと出会い、一気に心が軽くなったのを覚えています。

しかし次の疑問にぶち当たりました。「看護師の私は何をしたらいいの?」と。

4.依存症看護の目覚め~ヒーラー依存症患者さんたち

そこで、私は持ち前の好奇心から患者さんに近づき、根掘り葉掘り聞いていきます。依存症の勉強をします。自助グループにも参加します。

依存症の患者さんはさまざまな苦しみを話してくれました。その苦しみを癒してくれる人と巡り会えない孤独も経験しています。そのため、健康を害するとわかっていても、苦しみを忘れさせ、孤独を癒してくれる物質や行動、不適切な人間関係に依存していきます。またお酒や薬物を通して仲間にも出会えます。

以前の私はそのことを理解できず、快楽を求め依存していると思っていました。その傷も癒すこともせず、かわりも提供しないまま、何よりも大切な魔法の薬を取り上げようとしていたのです。これまでの出会ってきた患者さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、その後悔を挽回しようと必死になりました。

依存症は否認の病であることもわかりました。自分にとって深刻な状況から身を守るための心理的な防衛機制の一つであり、それはつまり、自分が置かれている状況を否認という形で表現しているのです。否認の状態から抜け出すためには、なんでも話せる安全な環境と人が必要です。

まずはアルコール依存症患者さんが入院してきたときに、「なんのお酒が好きなんですか?」とさらりと聞いてみました。そのほかの依存症患者さんにも、同じように依存している物質や行動について聞いていきます。「マリファナがいいよね」「●ロンは散らかっている頭がスッキリする感じがします」「自分はポーカーっす」など、患者さんはどんどん話をしてくれます。依存物質は患者さんの得意分野です。失礼と思われるような質問をしても怒ったりする人はいません。

ある患者さんは小指がありませんでした。なぜ失ってしまったのかよりも、私の興味は「そのなくなった小指はどこに行ったの?」でした。その患者さんに聞くと「しばらく保管した後に野良猫に食べさせたみたい」と、かつてあった小指あたりを見ながら教えてくれました。次第に私を安全な人と認定してくれたのか深い話もしてくれるようになります。きっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれません。

緊張もほぐれたころには、「実はやめないといけないとは思っているんだよね」と否認も克服していきます。なかには、「やめる気はないけど、仕方ないからやめてるふりをしている。内緒だよ」と、心のうちを話してくれる患者さんもいます。私という人間を信用して話してくれたんだと嬉しくなります。

自助グループにも連れて行ってもらいました。自助グループとは障害をもつ人同士がお互いに励まし合いながら、12ステップというプログラムを実践し障害を克服していきます。参加者はそれぞれ匿名です。評価も非難もしない「言いっぱなし、聞きっぱなし」で、あるテーマに沿ってそれぞれが話をします。みなさん話が上手でいつも聞き入ってしまい、ときには壮絶な人生を聞き、涙を堪えるのに必死になることもあります。

もちろん私も話をします。話をしてみると、自分の感情を言葉で表現するのが苦手なことに気づきました。とくに苦しいや悲しい、つらいなどの否定的な感情は、私を落ち込ませ、嫌な気分にさせます。だからその感情を誤魔化してきました。話をするときはしどろもどろになってしまいます。それでもみなさんは笑顔でうなづき、関心をもって聞いてくれます。

自助グループに参加することを通して、なんでも話せるこの場があることに感謝し、受け入れてもらえたことに癒されて、そして自分の話が誰かの役に立てたのかもしれないと体験することができました。依存症患者さんにとっても、何を話してもよい安全な場所を持ち、仲間と出会いつながり続けること、そして自分も誰かを支え救うことができると自己肯定感を上げることが、回復への道なのだと実感することができました。

依存症の患者さんは人の反応にとても敏感です。それはこれまで多くの人に裏切られ虐げられた経験があるからです。それでもこんな何者でもない私を受け入れ、時には信用し頼ってくれます。私は看護を提供する立場でありながらも、患者さんとかかわることで自分が実践している看護を勇気づけられ、自己肯定感も上げてくれてる依存症看護が、どんどん好きになっていきました。

そして、依存症患者さんは人をとても観察しています。私が元気のないときは、スタッフより先に気づき声をかけてくれます。未熟者の私はすぐに患者さんに弱音を吐いてしまいます。それでも患者さんは、「そんな日もあるよね」と否定もせず受け入れてくれます。看護の基本、共感と受容を体験することができるのです。

依存症はスリップを繰り返し振り返りながら回復に向かっていく病気で、やめることを宣言するのは勇気がいることです。それでも依存症であることを認め、勇気を持って正直に自分と向き合い、不適切だけど自分を救ってくれた依存物質である魔法の薬を手放し、いつも誰かのためになりたいと努力し続けている回復者の方々を、私は尊敬してやまないのです。

5.私の依存症看護

私が精神科看護師として依存症患者さんにできることは、対等に向き合い、どんな行動も感情も安心して話せる関係性を築き、寄り添い続けることだと思っています。やめる気はないと言いながらも、入院を継続しプログラムに参加したり、外来にも通院しているのは、どこか心のなかではやめたいと思っている行動です。

患者さんは、魔法の薬を手放さなければいけないことは百も承知なのです。どの道を選択し、どうやってその道を歩むのかは患者さん自身が選択することで、私ができるのは見守ることだと思っています。

今思えば、最初の病院で出会った透析の患者さんは孤独だったのかもしれません。その患者さんは単身で生活をしていました。酒場に行くことはその人にとって仲間と話ができ、社会ともつながれる唯一の場所だったのかもしれません。今だったらまた違った看護ができるのではないかと、再会する日を楽しみにしています。

プロフィール:塚越拓美
昭和大学附属烏山病院 看護師。

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