CASE016:後悔しない別れかた|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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もうすぐ6月ですね。
ジューンブライドという言葉があります。
6月に結婚した花嫁は、幸せになるとか……。

去年は、親戚の子どもが相次いで結婚し、私にとっては結婚式ラッシュの年でした。コロナ禍で、オンラインで式を見ましたが、若い2人の姿を見ていると、幸せそうで、つい微笑んでしまいました。

夫婦になるということは、この先何十年も一緒に暮らし、共に年老いていくということです。幸せいっぱいの若い人たちを見ていると、いつまでも笑顔で暮らしてほしいと思います。

高齢者の認知症を専門にみていると、人生の最後まで幸せな夫婦、家族でいられることが、とても難しいことのように思えてしまいます。だからこそ、治らない病気になっても笑顔で暮らせるお手伝いをしたいと、毎日考えて仕事をしています。

人生最後の日々こそ、笑顔が大切です。
家族の別れが、いつ来るのか、誰にもわからないからです。

いつお別れが来てもいいように、後悔したくないものです。

CASE 016
87才男性

自分も診てもらいたい

いつも妻を介護している人が、「自分も診てもらいたい」と受診しました。

老夫婦と娘の3人暮らしです。妻は認知症で、当院に通院中です。娘は働いており、おもに介護しているのは夫です。

最近になり、急に体重が減ったということでした。半年間で体重が5kg減少しました。食欲がなくなって、やせて、筋肉が落ち、手足が細くなりました。

娘の話では、しゃべらなくなり、言葉も出にくくなっているとのことでした。本人も元気が出ないとのことで、「自分も診てもらいたい」と思ったとのことです。

MMSEという認知機能検査をしてみると、30点満点で29点でした。この点ですと、認知症ではなく軽度認知障害のレベルです。頭部MRIでは、多発性ラクナ梗塞、大脳白質の虚血性変化がみられ、全般に動脈硬化が強い印象でした。

神経学的には、足の運びが悪く、すり足で杖を使っています。狭い所を歩くときには足がすくんでいます。いわゆるパーキンソン症候群です。パーキンソン病のような歩行障害ですが、この人の場合は、固縮や振戦が目立たないので、大脳白質の虚血性変化による、血管性パーキンソン症候群と考えられました。

本人も、「足が悪くなり、全体に体が弱ったと思う」と言っていました。責任感が強い性格で、70代のころは町会長を長年やっていました。引退後は妻の介護が主で、一生懸命取り組んできました。

介護していてイライラしてしまうことが増え、「女房に当たってしまいます」と言っています。自分でも、以前に比べて我慢がきかなくなったと思っているということでした……。

これまでの経過

X-11年、足の運びが悪くなってきました。このころから小さな脳梗塞が起こり始めたと思われます。

X-6年、長年勤めた町会長をやめました。

妻が認知症になる

X-3年、妻のほうが認知症を発症し、言葉が出にくくなりました。その他にも、誰もいないのに「嫁と孫が家に訪ねてきた」などというようになりました。幻視です。

夫は、そんな妻に対してイライラしてしまい、「誰も家に来ていない!」と怒ってしまうようになりました。

X-2年、妻が「雨戸の閉め方がわからなくなった」と言って、自ら地域包括支援センターに相談に行き、当院初診しました。

妻を診察すると、足の運びが悪くなっており、小刻み歩行で杖を使用しています。もの忘れや幻視の自覚があり、「もの忘れがひどいです。幻が見えます」などと訴えます。自律神経症状としては、夜間頻尿と切迫性尿失禁、便秘がみられます。注意力、集中力が低下しており、MMSEのセブン・シリーズができませんでした。

セブン・シリーズというのは、「100から7を引いていく」という検査で、正解は、「93、86、79、72、65」になります。さっきの数字がなんだったのかわからなくなり、間違えます。記憶力というよりは、注意力、集中力をみる検査です。

この検査で失点がみられる疾患としては、以前「皮質下性認知症」と言われた種類の認知症が挙げられます。「皮質下性認知症」という言葉は「皮質性認知症」に対応する概念で、最近は使われません。

皮質性認知症、皮質下性認知症ともに進行すると、大脳皮質も大脳皮質下白質も、どちらも萎縮してきます。ですので、最近はこのような分類をしなくなりました。

しかし、考え方の基礎としてわかりやすいので、ここで簡単に説明します。

「皮質性認知症」というのは、おもに初期に大脳皮質が萎縮する病気で、代表的なものはアルツハイマー型認知症です。アルツハイマー型認知症の特徴は、反応速度が速く、すぐに取り繕って、短時間みただけでは認知症とわからないような状態です。ほとんど病識はありません。身体の動きは素早いです。

「皮質下性認知症」というイメージは、アルツハイマー型認知症とは違って、ぼんやりしていて、鈍い感じです。動作も鈍いです。最初に海馬の萎縮が目立たない、レビー小体型認知症などが含まれています。こちらは病識があることが多いです。

上記のように、いろいろな症状や検査の結果から、アルツハイマー型認知症ではないタイプの認知症と考えられました。

MIBG心筋シンチやDATスキャンという検査で鑑別診断できますが、妻は「大きい病院に行って検査をするのが心配なので、検査しないでもいいです。薬があるなら飲んでみたいです」とのことでした。レビー小体型認知症の治療薬である、アリセプトⓇを開始しました。

その後も妻は1人で通院しながら、しばらく抗認知症薬を飲んでいました。

「いろいろなことができなくなったのは、病気のせいだと家族に説明しました。そうしたら、今まで私を責めていた夫と娘のうち、娘のほうは理解してくれました」
「窓の開け閉めができないので、夫に『馬鹿』と言われます。でも、娘はメモを書いてくれるようになりました」

そう話していました。

妻にパーキンソン症状が出てくる

このころから、ときどき娘が妻に付き添って当院に来院するようになりました。抗認知症薬がよく効いて、いろいろなことを思い出したり、幻視が見えなくなりました。

身体面での症状が出現し、パーキンソン症候群が目立ってきました。体が硬くなり、背中や肩の固縮があり、歩行器を使うようになりました。すり足で小刻み歩行になり、雨の日に、傘をさして歩いたら転倒しました。

仮面様顔貌になり、まばたきが減り、顔つきが硬いので、不機嫌に見えます。この、パーキンソン症状に特有の顔貌が、夫の怒りをあおっていました。「にらみつけている」というのです。妻にはそのようなつもりはありません。しかし、まばたきもせずに無表情でじっと見つめられると、「怖い顔するな」と、つい責めてしまうようでした。

夫に責められると、何か言い返そうと思いますが、言葉がすぐに出ないので、何も言えません。「語想起障害」という症状です。言葉が思い浮かばないのです。この症状も、レビー小体型認知症によくみられます。話そうとしても言葉に詰まってしまいます。口下手になってしまいます。

このため、無言でにらみつけているような感じになってしまうので、ますます夫がイライラしてしまいます。

妻がうつになる

毎日、夫に怒られているうちに妻が抑うつ的になってきました。パーキンソン症候群による歩行障害が進行し、外出時に歩行器を使用するようになりました。外出するときに、夫についてきて欲しくて、「散歩に行こう」と誘いますが、ついてきてくれません。1人で歩行器を使って近所を歩いてきます。

妻は、徐々に意欲がなくなり、昼間も寝ていることが増えました。夫に起こされると不機嫌になり、逆ギレするようになりました。

日中眠っていると、筋力が低下して、歩行障害が進行してきたので、デイサービスに通うようにしました。もともと歌が好きな人だったので、デイサービスでカラオケに参加したところ、大きな声が出なくなっており、声がかすれて、うまく歌えなくなっていました。

パーキンソン症候群により、声が小さくなり、かすれてきます。
「小声」「嗄声(させい)」という症状です。

妻の認知症が悪化し、幻視も出現

X-1年、妻のほうは認知症が悪化して、すぐに「わからない」と返事するようになりました。
「考え不精」という症状です。答えを考えること自体をしないのです。

このころから、妻には再び幻視が見えるようになり、そこにいない家族の姿が次々と見えるので、話しかけるなどして混乱してしまいます。壁にかかってある洋服や、椅子にかけてあるタオルなどが人に見えるのです。

当院初診した頃と同じ症状で、嫁や孫などの家族の姿が見えてしまいます。このような症状は、パレイドリア(錯視)といい、レビー小体型認知症によくみられます。洋服やタオルを片付ければパレイドリアは減ります。

また同時期に、血圧の乱高下が見られるようになりました。自律神経失調症です。血圧が下がると眠り込んでしまいます。こちらもレビー小体型認知症でよくみられます。

語想起障害も悪化して、自発語がなくなって、ますます会話が滞るようになりました。それでもゆっくりしゃべれば話は通じて、このころ行ったMMSEは30点満点が取れました。

話し出すまでに時間がかかるので、こちらが待っている必要があります。なかなか返事がないので、相手がせっかちだと、ひどく呆けていると思われてしまうのです。待っていれば答えが返ってくるのですが、忙しい病院では、本人が話をするのを待っていてくれません。

あるとき、妻が1人で整形外科を受診した際に、医師の質問にすぐに答えられなかったので要件が伝えられず、満足に診察してもらえませんでした。

レビー小体型認知症が進行したものと思われ、抗認知症薬を貼付剤のリバスタッチパッチⓇに変更しました。

夫の介護ストレス

夫のほうは、徐々に悪化する妻の症状について行けず、疲労がたまってきました。介護でイライラするたびに、血圧も上がっていたと思われます。妻に対して怒っていると、今度は逆に自分が娘に責められ、家の中での3人の関係は常にピリピリしていました。

以前は町会長を務めていて、町会長を退いてからは顧問として町会に顔を出していましたが、それも行かなくなりました。

介護ストレスが増して、妻へのあたりが強くなっていました。

夫の受診

X年、夫自身も危機感を持って、当院受診しました。

検査では軽度認知障害と多発性ラクナ梗塞が見つかりました。老老介護が、認認介護になっていたのです。

すでに数年前から、夫が通院中の内科では、高血圧症の治療や脳血管障害の予防のための抗血小板療法も行っていたので、これらを継続して、当院のほうへはときどき受診するようにと指導しました。

ところが、半年後に再度夫の診察をしたときには、そのことも忘れていました。

パーキンソン症候群と、自律神経障害の進行

妻のほうも、前の年には30点だったMMSEが26点に低下しました。

再びセブン・シリーズができなくなりました。2年前のような状態に、戻ってしまいました。レビー小体型認知症の進行は止まっていませんでした。

妻のパーキンソン症候群は悪化し、突進現象が出現し、転倒するようになりました。「突進現象」というのは、歩いていて足の運びが徐々に加速して、自分の意思で止まれなくなることです。どこかにつかまらないと止まれません。止まれないと、前のめりに転倒します。

こちらは抗パーキンソン病薬で治療します。ネオドパストンⓇを開始しました。これにより動作が少し改善しました。

日内変動も顕著になってきました。
午前中は動きが良いのですが、午後になると動きが悪くなります。日内変動は、パーキンソン病によくみられる症状です。レビー小体型認知症のパーキンソン症候群でも、みられることがあります。

下痢や便秘を繰り返すようになりました。食欲低下は特になく、食事量も変わりませんでしたが、消化吸収が悪くなり、体重が減少してきました。これらは、レビー小体型認知症に伴う、自律神経障害の一つです。

夫の認知症も進行、妻の症状の悪化が加速

夫のほうも血管性認知症が進行し、前頭葉機能の低下により、感情のコントロールがますます難しくなりました。

身体の動きが悪くなって、毎日のように妻に対して暴言を吐きます。また、すぐに動けないので、体を押したりします。暴言を吐かれたり、体を押されたりすると、精神的に緊張するため、パーキンソン症候群が悪化します。

パーキンソン症候群は、精神的なプレッシャーで全般に悪化します。リラックスしていればできることが、できなくなってしまいます。すくんでしまい、ますます体が動かなくなります。

何か話そうとしても、時間がかかってなかなか言葉が出ません。夫に怒鳴られると余計しゃべれなくなります。妻は抑うつ的になり、食事量が減り、体重減少に拍車がかかりました。

訪問リハビリテーションの導入

言語療法をしてみようと考え、ケアマネジャーに相談しました。そして自宅に、訪問リハビリテーションを導入しました。

「走れメロス」を音読する練習を始めました。

リハビリテーションの担当者が自宅に来ると、家の雰囲気が明るくなり、少しの時間ですが本人が楽しく過ごせるようになりました。

同じ担当者が、夫のほうにもサービスに入るようになりました。

ほとんど夫婦2人で過ごしていたのが、訪問リハビリテーションやケアマネジャーが関わることになり、関係性が薄まりました。

妻のほうはお化粧をするようになりました。

夫婦共倒れの危機

X+1年、妻の認知症がさらに進行し、MMSE21点に下がりました。指示しないと食事を摂らなくなってしまったので、デイサービスを開始しました。

夫のほうは、全身の動脈硬化の進行に伴い、心血管系の機能が低下し、軽度の心不全になりました。また、脳血流も低下して、血管性認知症も進行しました。

妻は、今までは夫に暴言を吐かれても何も言えないで抵抗できなかったのですが、このころから、夫に身体を押されたり、暴言を吐かれると、歩行器を押しながら、夫にぶつかっていくようになりました。

夫のほうも、脳血管障害による血管性パーキンソン症候群がありますので、ぶつかられると転倒します。体も弱ってきました。

夫は、徐々にセルフケア不足になり、夏には水分摂取不十分なうえに、室温を適切にコントロールできなかったので、熱中症で救急搬送され入院しました。

娘は働いていますので、妻は日中独居となってしまいました。「もう在宅介護は限界ではないですか? お母さまを施設か病院に入れることを考えましょう」と提案しましたが、在宅介護を継続したいという希望でした。

ケアマネジャーと相談し、夫がいないあいだ、認知症対応型デイサービスなど、介護サービスを手厚く入れて様子を見たところ、服の着かたもわからなくなっていることが判明しました。会話も成立しなくなりました。

娘は仕事を続けながら、夫の病院に行ったり、妻のケアマネジャーと相談して介護サービスを調整してもらったり、すごく忙しくなりました。今までは、認認介護ながらも夫婦支えあって生活できていたのです。

それが、もうできなくなりました。
娘の負担は増すばかりです。

ショートステイを試みる

夫が退院してきても、とても妻を介護できない状況なので、退院する前に妻をショートステイに入れることを提案しました。

ショートステイに入れるためには、感染症の検査などいろいろと準備が必要です。娘は仕事の合間をぬって休みを取り、本人を検査に連れてきました。

やっと入れたショートステイでしたが、夜になると帰宅願望が強く、興奮状態になって、落ち着かずに動き回り、転倒を繰り返しました。その都度、娘は呼び出されます。娘も疲弊してきました。

このときにも、施設入所や入院を勧めましたが、経済的に難しいとのことで、なるべく在宅介護でがんばりたいとのことでした。

このような場合、漢方薬の抑肝散や、少量の抗精神病薬を使って、精神症状のコントロールを試みます。試しに抑肝散を処方しましたがまったく効果がありません。少量の抗精神病薬を処方したところ、身体の動きが極端に悪くなってしまい、すぐに中止せざるを得ませんでした。

レビー小体型認知症では、抗精神病薬の少量投与で、パーキンソン症候群が著しく悪化してしまうケースが多いのです。

結局、ショートステイでは介護できないという話になりました。

夫を退院させるために、妻を入院させる

精神症状が激しくて、ショートステイで預かってもらえない場合には、認知症専門病棟への入院が必要です。精神科病院への入院ということです。

娘は嫌がりました。しかし、他に妻を預かってくれそうな場所がないため、なんとか娘を説き伏せて保護者になってもらい、医療保護入院させることにしました。何カ所かあたり、ベッドが空いている、やや遠方の精神科病院に入れました。

妻が入院して、間もなく夫が退院してきました。

娘は遠くの病院に母親を入院させ、すぐに父親を病院から引き取って、へとへとになっていました。また、ショートステイからのたびたびの呼び出しで疲れがたまっていました。やっとゆっくりできるかと思っていたそうです。

夫が退院して間もない、ある夜のことです。夜中になり、夫が急に苦しみ始めました。あまりに具合が悪そうなので、娘は救急車を呼びました。娘が付き添って病院に行くと、急性心不全と言われました。緊急入院になりました。

救急車で運ばれるときには何も準備していませんでしたので、娘はいったん家に帰って、着替えなどを取ってくることになりました。すでに日付は変わっていました。やっとゆっくりできると思った矢先の救急車騒ぎです。

病院のベッドに横たわっている父親に向かって、「なんで、こんな時間に!」と、感情が抑えられず、怒りをぶつけてしまいました。

病院から自宅に帰り、入院の支度をして病院に戻ると夫はもう意識がなくなっていました。そしてその日のうちに亡くなりました。

「それが最後の会話になってしまったんです……」
診察のとき、娘は涙ぐんでそういいました。

後悔しない別れ方をするには、どうすれば良かったのでしょうか……。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。