前回までのおはなし…
不安と期待を抱きながらの勤務2日目。一緒になるリーダーに自分がどう思われているのか不安を感じながらも、手際のよいオムツ交換や体位変換にベテランの凄さを感じます。学生時代は発達障害の特性を理解してもらえず、孤独を感じることも多かったものの、業務終了後に掛けられた言葉から優しさを感じ、誰かとつながり、社会に存在できる感覚をかみしめながら帰路につきました……

▼バックナンバーを読む

病院勤務を始めてからの体質の変化

病院での仕事が12時半に終わると、ロッカーで着替えて自転車に乗り、家に向かいます。家に帰る途中にコンビニがあり、そこでいつもカップラーメンを買っていました。

カップラーメンを食べられようになったのは、私にとってとても意外なことです。

小学生のころにお母さんが体調を崩した時期があり、コンビニ食が続きました。2、3日すると私は体がかゆくなってしまい、コンビニ食が食べられなくなりました。それ以来、お母さんはコンビニの惣菜やお弁当を活用できないと知り、体調を崩せなくなったと言っていました。

また、看護学生生活5年間のなかで、コンビニでご飯を買ったことは一度もありません。毎日、お母さんがお弁当を作ってくれました。高校時代の同級生はコンビニでサラダを買ったり、おにぎりやサンドイッチを買っていましたが、私は体質的に食べられないのです。

それくらい「食品添加物」というものに体が拒否反応を起こしていたのに、病院で仕事を始めてからカップラーメンを毎日食べても体がかゆくなることはありませんでした。不思議です。お菓子も自分のキャパを超えて食べ過ぎてしまうと蕁麻疹が出ていたのですが、いまでは以前よりも食べられるようになってきました。

私は日光に当たっていないとメンタルが落ちてしまうので、陽が強い13~14時ごろの時間帯を外で過ごせることは、メンタルを維持するうえでとても支えになります。なので、初めての病院勤務を午前のみから始められたことは本当によかったです。

通勤で自転車に乗ってある程度日光を感じることができても、まだまだ足りなくて、家に帰ってからもベランダの床に座り、カップラーメンを食べていました。しかも裸足で。ベランダの床はコンクリートで、日光の暖かさをより感じられます。

自然体に戻れた農林大学校

看護学校では、床から30cmまでは菌の温床だと言われ、床に座ることも、床に物を置くことも強く禁止されてきました。

小さいことは裸足で公園を走り回ったり、泥を踏んだり、水たまりに入ったりして過ごしていた私にとって、それはとても窮屈な環境でした。それでも看護師になるために、看護師の素養を得るために、必要なことだと自分を押し殺してきました。

ですが、農林大学校に行って、それまで看護学校で身につけた自分の感覚が180度変わるような出来事が日々起こりました。授業が終わり休み時間になると、友だちが教室の床で大の字になって寝る、「疲れたー、解放されたー」と言って床でごろごろしているのを見て、言葉を失いました。

「床って汚いところ、座ってもいけない」と思っていた私にとって、カルチャーショックです。「床は汚いと思わないの?」と聞くと、「なんで?」みたいな反応で、新鮮すぎました。

それからは、私は頭も心も解放されて、夏の昼休みには、ご飯も食べず芝生でゴロゴロすることもありました。日が短くなって日光の暖かさを感じにくくなる時期は、熱が残っている学校内のコンクリートの坂道をゴロゴロしていました。車も通る道だったのですが、先生からは「危ないぞー」って言われるくらいで、「何やってんだ!」などと注意されることもなく、なんなら、「自由でいいな〜」みたいな感じでした(笑)。

座学ばかりで悶々とする日は、授業終わったら校内の寮まで「疲れたーーー、無理無理無理〜」とか言いながら友だちと靴下で走って帰ったこともありますし、とにかく自然体に戻れて、私の心はとても満たされました。

排除していた自分らしさ

ストレス解消法というと、よくテレビで言われていたり、教科書に載っているものだと、カラオケに行く、服を買う、映画を観るとかがありますが、私にとってのいちばんのリフレッシュ方法は、「コンクリートから太陽の熱を感じながらごろごろすること」「靴下とか裸足で走り回ること」だと、農林大学校時代に知りました。大人になればなるほど、こんな機会を作るのは難しいのかもしれません。

でも、本当に自分に合ったリフレッシュ方法を知ることができて、ちょっとがんばっても大丈夫になれそう!と思いました(農林大学校のころは、がんばらないことを目標に、いつかがんばれる日が来るまで意識的に自由でいることをがんばっていました)。

看護学校時代、成績も実習成績もクラストップだったからか、たくさんの人に新卒で看護師にならないのはもったいないと言われました。もちろん、私だって王道のキャリアから外れることは嫌でした。できれば、みんなみたいに急性期病院に就職して、バリバリ働きたかったです。

でも私は農林大学校での1年間で、自分のコアにあるものを知ることができました。

何かの目標に向かってがんばると、自分らしさをどうしても排除しがちです。自分らしさって非効率的で無駄だから。私は目標達成するためだったら、それらを捨てることも厭わなかったのですね。だから、看護師国家試験を受けるころには、自分がどんな人間なのかよくわからなくなっていました。私のアイデンティティーは18歳ころには確立されていたけど、それでも何か押し殺したものがあることを自分で感じていました。

自分のメンタルに向き合い続けて

業務がうまくできなかったり、コミュニケーションの面で困難があってしんどかったなという日は、コンビニでお弁当を温めてもらって、公園に寄ってご飯を食べます。季節が夏から冬になっても、凍えながら食べます。公園を通りかかる人からは不審者に見えるのかもしれないけど、そんなの気にしない。気にしていられないのかな。だって、これが私のメンタルを維持するための方法だから。

高校1年生のときにうつ症状だって言われた際は、「なんで私が?」と思いましたし、「なんでいまなの? 看護師になれなかったらすべてが終わる」と思っていました。だけどあのときでよかったなと思います。

15歳から自分のメンタルヘルスと向き合って、付き合ってきたから、私は21歳で自分に合ったストレス解消法をしっかり知ることができているんです。それに、どんなときにメンタルが崩れやすいかも知っているし、がんばり過ぎちゃいけないことも知っています。

目標に向かって努力することは、とても大事なことだし、有意義な時間になります。でも、自分のメンタルと向き合うのは、全然華やかではない。勉強以上にコツコツ自分と向き合う必要があります。

努力して何かを得ると前に進めている気がするし、評価も伴う。でも、メンタルヘルスを維持するのって地味だし、「維持しているのが普通」みたいな空気感で、努力は認められない。

私は恵まれていたと思います。
人を頼るのも、自分の限界を認めるのも、ものすごく苦痛だったけれど、かかりつけ医がいたし、親も理解があった。スクールカウンセラーに高校1年生から卒業まで5年間カウンセリングしてもらっていたし、合理的配慮を求めれば会議をしてくれる先生たちがいました。

農林大学校に進学しても、療養を目的としていることを理解してくれる先生や総務の方がいたし、合理的配慮をしてもらえました。

色んな人に支えられて、応援してもらって、私は生きてます。

いまだって、この連載を楽しみにして読んでくれている方がいるおかげで、つらかったり苦しかった過去もすべて自分で肯定し、昇華させられる機会をいただいています。

つくづく恵まれていると思います。

プロフィール:まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。


▼バックナンバーを読む