CASE017:義母、実母、嫁、娘。|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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人生100年時代と言います。
介護しているのも高齢者、という時代です。
長く生きるようになったので、介護する時間は長くなりました。

また時代とともに価値観が変わり、「嫁が介護すべき」という風潮は徐々になくなってきています。
価値観が変わっていく時代に、適応していくのは大変です。
時代のはざまに生きてきた女性の、生き様です。

CASE 017
70才女性

喉がつまると訴える

友だちに紹介されたということで、当院初診しました。
その友だちの義母が認知症で、当院に通院中とのことです。

義母、夫と子ども2人、義妹(夫の妹)と同居しています。
本人は嫁の立場で、一家を切り盛りしています。

「喉がつまるんです。息ができないような感じがして、苦しいんです。胸もドキドキします。でも、内科で検査しても異常がありませんでした。最近、食欲もなくなってきました……」と訴えます。

「ヒステリー球」「咽喉頭異常感症」と呼ばれる症状です。ストレスや過労、不安神経症、うつ状態などに伴ってみられることが多いです。動悸、食欲低下などもあり、うつ病の一形態である「仮面うつ病」という精神的な症状が、身体の症状になって現れている状態です。「身体表現性障害」と言われることもあります。

診断はつきました。
原因を突き止めて、ストレスを取り除くことが必要です。

今までの経過について、詳しく聞くことにしました。

これまでの経過

X-4年、義父が他界した際に、義母が相続などの手続きができなかったため、嫁が全部行いました。この頃から、義母は認知症になっていたと思われます。

その後徐々に、義母の金銭に対する執着が強くなり、もの忘れもひどくなり、自分がしまい忘れたものを「どこにやったの?」と、嫁に聞いてくるようになりました。

義母は嫁の実母と仲が良く、たびたび電話でお喋りをしていましたが、2人の話の内容が、嫁に対する被害妄想に発展し、エスカレートしてきました。

X-1年、実家では、嫁の兄に当たる長男一家が実母と同居していましたが、実母と長男の嫁がうまくいかなくなり、長男一家は同居を解消する方向で動き始めました。

X年、いよいよ別居することになり、長男一家が転居の話を持ち出すと、実母が激怒して、実の娘である本人に「あんたがそそのかしたんじゃないの?」と電話してきました。事実無根の疑いです。その直後から、「喉のつまり」が出てきたというのです。

義母の症状

義母の症状は、もの忘れや金銭への執着、嫁に対する被害妄想、取り繕いが見られるということでした。またアパシーも認められます。

アパシーとは、意欲や自発性が低下して、何かをやり始めるのが難しくなる症状です。いろいろなことが億劫で、嫁任せの部分もあります。特に外出や他人との交際を嫌います。

嫁に対するもの盗られ妄想や、被害妄想が出てくると、嫁の実家に電話をして、嫁の実母に、あれこれ、事実ではない話をしてしまいます。最近は、年月日曜日の感覚も怪しくなってきたとのことでした。

このような症状は、アルツハイマー型認知症によくみられます。認知症だと思うので、まずは義母を当院に受診させて、症状の改善を図るのが根本的な解決につながるのではないかと思いました。

このため、義母の受診を促しました。しかしながら、「嫁の立場で『アルツハイマー型認知症が疑われるから、病院に受診してください』と言うのは難しい」とのことでした。

実母の症状

実母は、もともと義母と仲が良かったのですが、最近は義母からの頻繁な電話により、自分の娘が義母のお金を盗んでいると思い込んでいます。妄想の世界に取り込まれてしまっています。

自分の娘を信じることができなくなっており、不安感が強まっています。息子の嫁とうまくいかなくなり、息子一家が家を出て行くのも不安です。この2つの不安が合体してしまいました。息子たちが出て行くのは、娘にそそのかされたからだと思い込んでしまいました。

娘は、「そんな事実はない」と否定しようとしますが、信じてくれず、言えば言うほど怒って逆上してしまいます。

義母は連れて来られなくても、実母なら連れて来られるのではないかと話すと、数カ月後、一緒に受診することができました。

診察すると、小刻みすり足歩行で、動作が緩慢です。小刻み歩行ですが、パーキンソン病と違い、歩行時の左右の足の間隔は広く、「ワイドベース」です。

パーキンソン病では、左右の足がくっついた状態で、小刻みに歩きます。また、足の運びは顕著な小刻み歩行ですが、上半身にはパーキンソン病の症状は見られません。手のふるえもありません。顔の表情も、「仮面様顔貌」ではなく正常です。

もの忘れは軽度認められますが、認知症というほどではありません。軽度認知障害レベルです。話せばわかるかもしれません。

頻尿があります。尿失禁もあり、パットを使用しています。

頭部MRIを撮ると、特発性正常圧水頭症でした。上記のような、ワイドベースな小刻み歩行、認知機能低下、尿失禁が、水頭症の三主徴と言われています。

脳神経外科で髄液を抜く検査をすれば、診断が確定します。脳神経外科に入院して検査をすることを勧めましたが、本人は「困っていないから、薬で何とかしてください」とのことでした。髄液を抜く検査は針を刺すので、嫌がってしまう人が多いのです。

「悪化してきたら、検査に行きましょう」と妥協して、まずは通院してもらうことにしました。

娘のカウンセリング

実母に受診してもらったことによって、私から、娘の嫁ぎ先の義母が認知症になっており、妄想が出ていることを説明することができました。

軽度認知障害の段階なので、理解力の低下もさほどでもありませんでした。娘から話すのと違い、私から話すと理解を示し、「それなら、娘は泥棒ではないのですね。息子夫婦のことも、娘は無関係なのですね」とわかってもらえました。

娘に対しても、「喉のつまり」が精神的な症状であることを説明し、その解決のためには、ストレスと折り合いを付けていかなければならない、と説明しました。

ストレスの原因を探って、解消できるように、考え方を変えていくことを試みることになりました。

「嫁はかくあるべき」

娘は、「嫁いだら、婚家の親に仕えなければならない。実家に遊びに行くのはよくない」という考え方でした。

この考えにより、自分が実家の母と直接連絡を取ることさえ、控えていました。実母は、義母からの電話でしか自分の娘の情報が得られませんでしたので、義母の妄想のなかの娘の姿しか、知ることができませんでした。実母までが、娘のことを泥棒だと思い、意地悪だと思い込んでしまったのは、そもそもそこが原因でした。

カウンセリングのなかで、「もっと実家のお母さんと話をしてみるように」と指導したところ、しばらくして、久しぶりに実母と2人で旅行に行くことができました。旅行に行って、自宅に帰ってみると、義母から小言を言われることもなく、何の問題もなかったので、拍子抜けだったといいます。

自分の嫁にも同じ価値観を要求

さらに話を進めるうちに、他にもストレスがあることが判明しました。

この娘には、息子がいます。息子は1年ほど前に結婚して、別の所に住んでいます。孫が生まれるときに、「どこで産む」などの意見が息子の嫁と食い違い、嫁が自分の意見を聞き入れてくれなかったことが大きな不満でした。

「婚家の親である、私の意見が聞けないのか。嫁の立場なのに」
不服に思って家族に相談しても、夫は「放っておいて好きなようにやらせなさい」と言うし、息子も自分の味方になってくれませんでした。

家庭のなかで孤立して、大きなショックを受けたといいます。

義母と仲良くしなければならない?

自宅で、用があって義母の部屋に行く度に動悸がする、ということに気が付きました。

「嫁は義母に尽くし、仲良くしなければならない」と考えて、無理してきたのです。

以前は、義母のほうも嫁に気を遣っていたのです。しかし、認知症になって、嫁に対するもの盗られ妄想が出現し、義母の態度はよそよそしく、攻撃的になってきていました。

「義母と接するのは必要最小限にして、なるべく一緒に過ごさないように」と指導しました。

しばらくすると「気持ちが穏やかでいられるようになりました。義母の顔を見ないのは、とても楽なことだと思います」とのことで、少し元気が出ました。

しかし、「こんな嫁でいいのか」と、むしろ後ろめたく感じてしまうとのことでした。義母の息子である夫のほうが理解を示し、「必要なければ、母に声をかける必要はないんだよ」と言ってくれました。

克服できない「嫁」への怒り

義父の命日に、息子一家が訪問してきました。

孫の出産のときに意見が食い違って以来、和解しておらず、以後ほとんど没交渉でした。息子の嫁は顔を合わせづらいと思ったようで、赤ちゃんを抱いて外で待っていました。息子だけが自宅の仏壇に線香を上げ、そそくさと帰って行きました。

その姿を見て、悲しくなり、イライラして、夫に八つ当たりしてしまいました。「息子の嫁とは価値観が合いません」、そう話しました。

義母と同じように、息子の嫁とも距離をおいたほうがよいと話しました。そして、義母や、息子一家と交流する必要はないが、実家の母とは、どんどん交流するように指導しました。

実母との関係が改善

毎週、日を決めて、実家に通うようになりました。実母の、足の爪を切ってあげたり、庭の掃除をしてあげたりするようになりました。実母のほうも娘と会うのが楽しみになり、互いにリラックスできる時間となりました。

理解していた夫

X+1年、認知症になった義母との関係がうまくいかないことがきっかけで、ストレスから具合が悪くなったことを夫に打ち明けました。すると「以前から全部わかっていたよ」と言われました。

本人は「こんなことを言ったら、『俺の母親を悪く言うのか』と怒られるのではないか」と思っていたので、驚いたと言います。そして、安堵しました。

この頃に、息子一家が息子の嫁の実家の援助を受けて、遠く離れた所に戸建てを購入しました。
自分たちには知らされていませんでした。

孫の出産のときの意見の食い違いが、こんな結果になったのです。以前なら、また精神的なショックでおかしくなりそうでしたが、義母との関係について夫が理解してくれていることがわかったいまでは、驚いたものの、さほどのショックは受けませんでした。

「かくあるべき」をやめる

以前は、義母と接しない自分に後ろめたさを感じていましたが、義母との関係も、嫁との関係も、「これでいい」と思えるようになりました。

X+5年、実母のほうは定期的に通院していましたが、水頭症は悪化してくることはなく、症状は横ばいで、安定していました。週1回の、実家への訪問も続いていました。

義母の認知症は進行しました。火の不始末が出現しました。洗濯機が使えなくなり、義母の洗濯物も嫁が洗濯するようになりました。

本格的な介護生活に入る

X+6年、義母は薬を飲み忘れるようになりました。また、尿失禁して汚れた下着をあちらこちらに隠すようになりました。

尿臭がするので、探してみると汚れた下着が出てきます。見つけると、つい義母を叱ってしまうようになりました。何とか介護認定を申請し、デイサービス、ショートステイを利用するようになりました。

介護サービスを受け始めたことを伝え聞いた義母の実家の親族が、「年寄りをいじめるな」と、抗議の電話をかけてきました。義母の妹に当たる人で、いわゆる小姑です。ショートステイの利用が「年寄りいじめ」だというのです。

介護は嫁の役割?

度々かかってくる電話に閉口しました。介護サービスを利用することは必要なことでした。しかし、親族に責められると「自分が嫁の役割を果たしていない」という罪悪感にさいなまれるようになりました。動悸や息苦しさが再燃しました。

そのとき、夫が義母の実家に電話をかけて「こちらに構わないでほしい」と、きっぱり申し入れました。それからは、電話はかかってこなくなりました。

義母の認知症はさらに進行し、1日中、目が離せない状態になり、夜間も落ち着かず、「助けてくれ」と騒ぎます。あまりにたいへんになったので、夫と相談し、グループホームに入れることにしました。

X+7年、グループホームに入りました。安心したのか、夜中に騒ぐ症状はなくなりました。義母にとっても良かったと思いました。

義母の実家の親族からは、今度は「面会したいので入所先を教えろ」と、頻繁に電話がかかってくるようになりました。「以前はあんなに私を責めていたのに」、割り切れない思いでした。

実母が90才を超える

X+8年、実母が90才を超え、実母のケアマネジャーから「そろそろ一人暮らしは危ないのでは」と言われました。

水頭症のほうは安定しており、認知機能が低下したり、歩行障害が悪化してくることはありませんでした。しかしながら、年齢は超高齢となりました。自宅近くのグループホームがすぐに見つかったので、義母に次いで実母もグループホームに入所することができました。

X+9年、実母が、嚥下性肺炎で亡くなりました。眠るような最後だったと言います。

義母との関係が改善

実母を見送ってから、時間ができたので義母のグループホームを訪れるようになりました。以前は週1回の実母との時間が息抜きになっていましたが、今では週1回、義母に面会に行くのが習慣になりました。

面会に行くと、義母は嫁の顔だけは覚えており、「来てくれたのね、ありがとう」と感謝の言葉を言うようになりました。認知症が進行して、もの盗られ妄想はまったくなくなり、嫁に関しては、「自分の面倒を見てくれる人」と感じており、会うと「嬉しいわ。ここはいい所よ」と話してくれます。

そんな義母に対して、心から優しく接することができるようになりました。診察時に「自分に余裕がないと、人に優しくできないとよくわかりました」と言いました。

義母との別れ

X+10年、義母は認知症が進行して全介助になり、グループホームから特別養護老人ホームに移る準備をしていました。

そんなある日、グループホームのスタッフが起床時間に起こしに行っても目を覚まさないので、5分ぐらいしてからあらためて見に行くと、ほんのちょっとの間に呼吸が止まっていました。連携医療機関の往診医がすぐに駆けつけて、診察しましたが、すでに亡くなっていました。こちらも、まさに眠るように亡くなりました。

診察室で「結婚してからずっと義母のことが重荷で、グループホームに入れてからも、よく悪夢を見ました。やっと最近悪夢を見なくなり、背中がすごく軽くなりました」と話しました。

義母の介護をきっかけに、「かくあらねばならない」という自身の考え方に気が付いて、人間として成長できました。

葬儀での義母の写真は、嫁から送られたカツラを付けて、にこやかに笑っている写真でした。

「もう卒業ですね」
私が話しかけると、
「最近、夫が急に老け込んできて……」
と話し始めました。

まだ、この先がありそうです……。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。