CASE019:母親をめぐって|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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認知症の介護では、家族の意見が分かれることがあります。
経済的な理由、価値観の違いなど原因はさまざまです。

どの子にも、同じように愛情を注ぐのが理想的な親ですが、それがうまくできない人がたくさんいます。親子の相性というものもありますし、親が未熟で、親の役目を果たせなかったような場合もあります。

同じ親に、同じように育てられているように見えますが、親子の関係はそれぞれ違うものなのです。ある子どもから見ると「優しくて、何でも受け入れてくれた親」が、もう一人の子どもから見ると「わがままで、自分勝手な親」だったりします。

本人に2人の子どもが付き添ってきて、
「早く施設に入れたほうが本人のためだよ!」
「施設に入れるのは、かわいそう! どうしても家で介護したい」
診察室では、そんな会話を1日に何度も聞きます。
こうなってしまうと、話し合いは平行線です。

「きょうだいは他人の始まり」と言いますが、介護方針の違いから、驚くような行動に出る人がいます。

CASE 019
84才女性

「実家が、いつの間にか改装されていました。母は戸惑っています」

診察室での話です。「いつの間にか」とは、どういうことでしょう。前回の診察時には、母親は自宅で一人暮らしだったはずです。誰が何のために改装したのでしょう。

認知症の人は、環境が変わると、今までできていたことが急にできなくなることがあります。

記憶力の低下している人は、新しいことが覚えられないので、レイアウトが変わったり、道具が変わると、わからなくなってしまうのです。

介護しているご家族は、自宅を改装したり、転居する際には、認知症の人の生活に影響が出ないか、熟慮する必要があります。

診察室で「引っ越しても大丈夫でしょうか」などと聞かれます。認知症の進行度合いや、症状だけで判断するわけにはいきません。いろいろな理由で転居せざるを得ないことがありますので、なるべく生活に影響が出ないような工夫をしてもらいます。
認知症の人の生活の質に、直接関わる問題です。

これまでの経過

長女、次女、長男と、3人の子どもがいる女性です。
3人とも結婚して家を出て、夫と二人暮らしでした。

X-10年、長男の嫁の出産を手伝いに、長男宅に1カ月滞在しました。長男の家に暮らすのは初めてです。たった1カ月ですが、何があったのか、嫁と折り合いが悪くなりました。

この滞在を機に体重が10kgも減少し、声が出なくなり、帰ってきました。うつ状態です。自宅に帰ってきてからも、1年ぐらいうつ状態が続きました。体重は少し回復しましたが、元通りにはなりませんでした。

X-8年、同居の夫が転倒し、頭部外傷を負いました。歩行不能になり、特別養護老人ホームに入所することになりました。このため本人は独居となりました。

高血圧症を発症し、うつ状態が再燃

X-7年、長男が離婚し、実家に帰ってきました。出産の手伝いで嫁姑の関係が悪化したのも一因だったようです。せっかく生まれた孫は、嫁の実家に引き取られました。

長男との二人暮らしになりました。長男は朝早く出かけて、夜遅く帰ってきます。食事の世話や洗濯掃除など、夫と二人暮らしだった時以上に家事をがんばるようになりました。

X-6年、高血圧症が見つかり薬を飲み始めました。

X-5年、長男と二人の生活で家事がストレスになってきました。もう、後期高齢者ですが、老後の生活をのんびり楽しむどころではありません。

気分が沈み、さらに体重が減少しました。歩行速度が遅くなり、跛行が見られます。ふらつくようになりました。筋肉が落ちたようです。

自信がなくなり、何でも「できない」と言うようになりました。すぐに諦めるようになりました。家事もおろそかになってきました。

認知機能が低下

X-4年、3人以上の会話に入れません。難聴ではないのに「聞こえない」と言います。

外出先で道に迷ってしまうようになりました。次女の家に泊まったら、夜中に「どこだかわからない」とパニックになりました。車を運転中、前の車が信号待ちで停まっているのに、無理に追い越そうとして、追突事故を起こしました。

このため、さすがにおかしいと思った次女に付き添われ、当院を初診しました。

診察時に面接すると、抑うつ的で、何でも「できない、わからない」と言います。家事に時間がかかるようになったと自覚があります。入浴の頻度が減り、毎日入っていたのが週2回になりました。

次女の話では、以前に比べて怒りっぽくなり、怒鳴るようになったとのことでした。「生まれて初めて母に怒鳴られました」と言って涙ぐみます。「優しくて、思いやりがあり、何でも受け止めてくれる母でした。怒られたことなんて一度もないんです」

MRIを撮ると、慢性の虚血性変化がみられ、大脳の白質脳症を認めます。血管性認知症と考えられました。

高血圧症が見つかったのは初診の2年前ですが、その前から血圧が高かったのでしょう。脳の血管の「細動脈硬化」が起こり、細い血管が詰まって、小さな脳梗塞が多発している状態です。

このような状態では、前頭葉の機能が低下して、うつ状態になったり、意欲の低下が目立つアパシーが出現します。また、感情のコントロールも難しくなります。怒鳴るようになった原因は「病気の症状」と説明したことにより、次女は安心していました。大好きな母親に嫌われたと思っていたのです。

脳血管障害の部位によっては、麻痺や言語障害が出ることもあります。この人の場合は、大脳の血流障害により、血管性パーキンソン症候群を合併していました。

パーキンソン病のように、バランスが悪くなり、転倒しやすくなります。小刻みすり足歩行になることもあります。歩行が遅くなったり、跛行がみられたのは、この脳血管障害が原因でした。

時間的見当識障害はありませんでしたが、道に迷うという症状があり、これも脳血管障害の影響と考えられました。アルツハイマー型認知症の場合は、まず最初に時間的見当識障害が出現し、進行してから場所的見当識障害が加わってくるので、順番が逆です。血管性認知症が「まだらぼけ」と言われる所以です。

これ以上進行させないために、血圧のコントロールを厳密に行うことと、家に閉じこもりになって混合型認知症に移行しないように指導しました。

混合型認知症というのは、血管性認知症の人が、アパシーなどが原因で家に閉じこもってぼんやり過ごすことにより、アルツハイマー型認知症を合併してくることをいいます。

当院への通院を開始

歩行障害に対しては、筋力トレーニングなどのリハビリテーションが有効なので行なってもらったところ、ふらつきや「歩いていて足が止まらない」という突進現象については改善しました。

当初からみられていた「道に迷う」症状に関しては改善せず、当院通院時にも道がわからなくなり、遅刻してしまうことがありました。

新しい家電が使えない、人に会いたくないなどの症状が残っていましたが、家事や身の回りのことは何とかできていました。初診時、うつ状態だった次女も元気になってきました。

長男の再婚で、きょうだいが揉める

X-3年、同居している長男の再婚話が持ち上がり、環境が大きく変わることになりました。次女は、「長男と同居して、長男のために家事を一生懸命がんばることにより、認知機能は保たれています。せっかく落ちついているのに、役割を奪ったら認知症が進行してしまうのではないですか。心配です」と言いました。

次女が、長男にその話をしたところ、長男と喧嘩になってしまいました。長男は、好きな人ができて新しい家庭を築こうとしているのに、次女から反対されたと感じたのです。次女は、長男の怒りに驚いて、また、自分の考えが上手く伝わらなかったことにもショックを受けました。

本人は、子どもたちの不和を敏感に感じ取ったようです。何となくいつも不機嫌で、次女が訪問すると「もう、あなたは来なくていい」「息子に面倒を見てもらう」と、門前払いです。

「今まで母に付き添って通院させ、認知症が悪化しないようにがんばってきた自分の努力は何だったのか。そう思うと、悲しくて、実家に行けなくなりました」次女は、涙ぐみながら話しました。

長男は、再婚しても同居しようと考えていたようですが、次女とトラブルになったためか、実家を出ることになりました。遠いところに引っ越して行ってしまいました。

本人は再度、独居になりました。

長女の登場と、夫の死

X-2年、遠方に嫁いでいた長女が、特養入所中の父親が危篤と聞いて実家に手伝いにきました。

何年も没交渉でしたが、実家に滞在したことで母親の物忘れに気が付きました。以前から次女が、「認知症になっている」と話していましたが、話で聞くのと実際は違います。何度も同じことを言われたり、すぐに忘れてしまう状況をみると、「覚える気がないのか!」と母親を責めてしまいます。気の強い長女なのです。

長女が来るようになってから、本人はおどおどした態度を取るようになりました。自信喪失しました。

間もなく、危篤だった夫が他界しました。

死後のいろいろな手続きは長女が援助しました。手続きが終わると、長女は自宅にさっさと帰ってしまいました。

次女の話では、夫の死を境にゴミ出しができない、食材を腐らせるなど、生活管理能力が低下したということでした。診察時に MMSEを施行したところ、26点でした。

MMSEは、Mini mental state examinationの略で、30点満点の、簡易な認知機能の検査です。記銘力、見当識、計算力、集中力、注意力、言語機能、空間認識能力などを検査します。26点というのは、あまり悪くなく、軽度認知障害のレベルです。

本人には病識がありました。

「自分では何もできなくなったので、長女が来て手伝ってくれました。今までそばにいていろいろ手伝ってくれた次女は、長女が何もかも仕切って、てきぱきやったことを苦々しく思っています。長男は家も遠いし、仕事が忙しくて何も手伝ってくれませんでした。でも長男は、長女がいろいろやってくれたことについては、やってくれて助かったじゃないか、と言います。次女はヘソを曲げて、うちに来なくなりました。私は1人で孤立しています」

そう、語りました。

長女が当院に付き添ってくることはありませんでした。私は直接会ったことはありません。しかし、一度だけ長女からクリニックに電話がありました。「長女の嫁ぎ先に、母親を呼び寄せても大丈夫か」との確認でした。

認知症の人が転居すると、新しい環境が覚えられず、生活がうまくできなくなることがあります。誰かが一緒にいて、十分な援助をしてあげられるのであれば生活できます。そういったことを説明したうえで、家族でよく話し合って決めるように指導しました。

転居可能かどうかを医学的な状況だけで判断することは難しいのです。介護力が鍵になるのです。

その後、きょうだいで話し合ったのかどうかわかりませんが、長女の嫁ぎ先に本人が転居することはありませんでした。自宅での一人暮らしを続けていました。

免許返納

この頃、まだ本人は車を運転していました。認知症の人の自動車運転は社会問題化しています。一人暮らしの高齢者は、自動車運転が生活に欠かせないと言う人が少なくありません。特に体力が低下すると、買った物を運ぶのに自動車が便利です。

夫が亡くなり半年ほどしてから、駅前の駐車場に車を停めようとして管理小屋に突っ込むという大事故を起こしました。しばらく距離を取っていた次女が、本人に呼び出されてまた関わるようになりました。

すぐに免許を返納するよう指導しましたが、「買物に必要だから」と取り合ってもらえませんでした。

受診した次の日、再度、車の衝突事故を起こし、本人も頭部に怪我をしたのでやっと車を処分することになりました。

これをきっかけに、介護認定申請もしていただきました。買物はヘルパーに援助してもらうことになりました。

頭の怪我が治るまで、次女の家で面倒を見ました。1カ月足らずでケガが治り、本人は自宅に戻り、介護保険サービスを受けながらの生活を開始しました。

長男の登場

X-1年、交通事故をきっかけに、きょうだいが仲たがいしているわけにいかないことに気づいたようです。次女が診察に付き添えないとき、長男が付き添ってくるようになりました。

ふらつきや、何でも「できない」と不安になる態度、同じことを何度も言うなど、初診から3年経っていましたが、同じ症状が続いていました。特に新しい症状は見られませんでした。

MMSEは低下せず、27点でした。
相変わらず道順が覚えられず、バス乗り場で迷ってしまいます。

長女一家との同居

X年、遠方に嫁いでいた長女が夫の仕事の関係で実家の近くに戻ってくることになり、一家で実家に同居することにしたようです。

長女は、他のきょうだいに相談もせず、二世帯で暮らせるように実家を改装しました。生活ががらっと変わって、本人は戸惑うことが多く、ストレスが強くなりました。たびたびパニック状態になり、その都度、離れて暮らしている次女に電話してくるようになりました。

そして冒頭の「実家が、いつの間にか改装されていました。母は戸惑っています」という次女の発言になったのです。

医療機関の通院についても、同居を始めた長女が仕切るようになり、これからは自宅近くの大学病院に転院すると申し入れてきました。同居して母親の面倒を見始めた長女には逆らえず、次女は納得せざるをえませんでした。このため私は、長女が希望する大学病院に紹介状を書き、当院通院は終了としました。

当院への再来

X+1年、また当院に通院をしたいと連絡があり、次女の付き添いでおよそ1年ぶりに来院しました。

この間、定期的な薬の処方、画像検査などは大学病院で行なっていたようです。しかし、大学病院のほうは長女が付き添って通っており、そちらの医師の意見は次女にはわからないとのことでした。

長女と次女のあいだには、いまだにわだかまりがあるようでした。
「転院したのに、どうして来たのですか?」と問うと、
「姉と同居してから、認知症が進んだような気がして」と言うのです。

MMSEをしてみると22点になっており、低下していました。2年間で5点低下しています。

アルツハイマー型認知症の場合には、1年で2点ないし3点の低下をみるといわれています。今までは血管性認知症と思われていましたが、アルツハイマー型認知症が加わり、混合型認知症に移行したものと考えられました。

MMSEですべてがわかるわけではありませんが、気になりました。

症状の変化を聞くと、自宅で入浴できなくなり、デイサービスで入浴しているとのこと。また、トイレが間に合わなくなり、ときどき便も間に合わず、リハビリパンツやパットを使用しているとのことでした。足の運びも悪くなっており、パーキンソン症候群が悪化していました。

現在の主治医は大学病院の医師なので、パーキンソン症候群が悪化していないか診察してもらい、投薬やリハビリテーションの指示を受けるように指導しました。

認知機能も低下していましたので、「抗認知症薬の変更についても相談するように」と話しました。

その後1年間、音沙汰がありませんでした。

次女の家に転入

X+2年、また1年ぶりに次女の付き添いで診察に来ました。

MMSEは19点に低下していました。1年で3点の低下です。やはりアルツハイマー型認知症を合併しているとしか思えませんでした。パーキンソン症候群による歩行障害も悪化しており、突進現象のため、転倒を繰り返していました。

認知機能や生活能力が低下し、歩行障害も悪化して、全般に進行しています。

たまたま進行が早まる時期に長女と同居していただけなのかも知れないのですが、以前から苦々しく思っていた次女にとっては、「母の認知症が悪化したのは長女のせい」と感じられたようです。

当院で診察を受けた直後に、無理やり本人を自分の家に連れてきて世話をし始めました。本人は、また当院に戻ってきたかたちになり、定期的な診察を再開しました。

次女が本人の通帳などを預かってみると、長女と暮らしていた間にいくつもの定期預金が解約されていました。貯金はほとんど残っていませんでした。「老後の資金に」と貯めていたはずのお金でした。

「何に使ったの」と次女がそう尋ねると、「孫にあげた」と言うのです。長女の子どもがお小遣いをねだると、嬉しくてどんどんあげたと言うのです。出産を手伝った長男の子どもが、元嫁の実家に引き取られてしまい、寂しかったのでしょうか。長女の子どもを猫可愛がりして、何でも言われるがままに与えてしまったようなのです。

間もなく、次女は過労で倒れました。

共働きで子どももいて、そこに認知症の母親を連れてきたのです。無理がありました。お金にも余裕がありません。

次女は帯状疱疹になり入院しました。退院してから、次女は施設を探し始めました。

施設入所についても、きょうだいの意見は一致しませんでした。次女が探してきた施設は、年金だけで入れる額ではなく入居金が必要でした。預金はありません。実家を売却しないと入所できない状況でした。

長女は、実家の売却に反対でした。長女一家は実家に住んでいましたから、売却されてしまえば住むところがなくなります。

長男は遠くに住んでおり、姉二人のいざこざに関わるのが嫌で、疎遠になっていたようです。

「母親がいません」

X+3年、予約の診察日に次女だけが来て、開口一番そう言いました。

施設に入れる準備をしていた矢先、誰かがどこかに母親を連れて行ってしまいました。突然、家からいなくなったのです。もしやと思い、次女が実家を訪ねると、実家にも誰もいませんでした。長女一家ごと、いなくなったのです。クレジットカードも、保険証も、一緒になくなっていました。

保険証がないと診察できません。やむを得ず、役所に問い合わせて番号を確認しましたが、今後はきちんと保険証を持ってくるように指導しました。

それ以来通院はありません。どうなってしまったのでしょう。無事でいることだけを祈っています。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。