CASE022:いつまでも繋がらない|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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ケースワークがうまくいかないことは、よくあります。
原因はいろいろですが、なかにはキーパーソンに問題があるケースがあります。

最近も、認知症の夫に付き添って来た妻が「もう、ヘトヘトで倒れそうです」と言いながら、診察室で涙を流していました。この1年、毎回受診のたびに見られる光景です。

主治医である私やケアマネージャーが、以前から「とにかく一度、ショートステイを使ってみてください」と勧めているのですが、どうしても利用につながらないのです。

なぜサービスを使わないのでしょうか。

妻に聞くと、「主人が嫌がるものですから」と答えます。本人には病識がないので、嫌がるのは当たり前です。介護者である妻が、本人に相談してしまうこと自体が問題です。

単に、介護者が疾病受容できないから、ケースワークが先に進まないことがあります。本人に正常な判断力があると思っているわけではないでしょうが、本人の意見を聞いてしまうのです。

誰が判断するのか。
重要な問題です。

判断する人をきちんと決めて、物事を進めていかなくてはなりません。
「ご主人ではなく、あなたが決めるんですよ」
毎回、同じアドバイスを繰り返していくうちに、ようやく受け入れてもらえて、八方丸くおさまり、介護されている人、している人、両者が楽に、幸せになることが理想です。

それが3回の診察で成し遂げられることもあれば、何十回の診察を経ても変わらないこともあります。何十回の診察を経て、何年も変わらないと、医師としては何も解決していないと感じてしまうのです。

解決しないなら、通院する必要がないのでは?と感じています。しかし、そんな私の心の内がわかるのか、帰り際に「先生、またよろしくお願いしますね」と言われます。

しかし、よろしくと言われても、できないときもあります。

CASE 022
88才女性

いつものように診察をしていると、受付のほうから男性の怒声が聞こえてきました。

「ふざけんな! 聞いてねぇんだよ!」

ヤクザのような言葉遣いです。
どうしたのか、スタッフにたずねると、「患者さんのご長男が急に怒鳴り出して。予約していた別の患者さんが玄関から入ってきたのですが、驚いてそのまま帰ってしまいました」と言うのです。

診療妨害です。

どうして、こんなことになってしまったのでしょう……。

これまでの経過

この高齢女性は、もともと高血圧症で内科に通院していました。

X-22年、脳梗塞で入院しました。早めに見つかったので後遺症なく退院することができました。

X-12年、心房細動を発症しました。心房細動は、最近の研究でアルツハイマー型認知症の原因になるのではないかといわれています。

X-5年、物忘れするようになりました。近所の病院で検査の結果、アルツハイマー型認知症と診断されました。

X-2年、易怒性、興奮がみられるようになりました。心配した長男が、当院とは別の病院の神経内科を受診させたところ、「アルツハイマー型ではなく、前頭側頭葉変性症です」と言われました。本人ではなく、付き添った長男が「そんなの信じられない」と、医師の診断を受け入れることができませんでした。その後、通院させませんでした。

医療機関を変える

X-1年、長男がまた別の病院に連れて行き、診てもらいました。はっきりした診断名は告げられず、易怒性、興奮に対して、向精神薬による治療が始まりました。

まず、リスパダール®︎という抗精神病薬が処方されました。しばらく服用しましたが、効果がありませんでした。リスパダール®︎は統合失調症の薬ですが、認知症の精神症状によく使われます。幻覚、妄想、興奮などを鎮める作用がありますが、薬剤性パーキンソン症候群や心不全をきたすことがあるため、慎重に使用する必要があります。

効果がないので、次に、バルプロ酸ナトリウムが処方されました。
この薬は、本来てんかんの治療薬ですが、感情の起伏を改善したり、興奮を抑える作用があります。副作用が少ないので、高齢者の認知症患者で、興奮してしまうような症状によく処方されます。

この薬も効果がありませんでした。薬を服用するうちに腎機能が低下したので、薬物療法は中断しました。そのまま通院も終了しました。

その後間もなく、「ネット検索で見た」とのことで、長男に連れられて当院を初診しました。当院で、医療機関は4つ目です。すでにドクターショッピングの状態と考えられました。

初診時、本人のMMSEは22点でした。
認知症の段階は中期です。見当識障害も顕著でした。

ドクターショッピング

ドクターショッピングしているのは本人ではありません。本人には病識はありませんし、医療機関受診のモチベーションもありません。ドクターショッピングしていたのは長男でした。

診察時にもう一人、同居しているという本人の夫が付き添って来ていました。家族は、この夫婦と長男の3人暮らしなのです。

長男はしばらく前から失職し、いまは両親の面倒をみることに専念していると話しました。母親の易怒性、興奮が治まって、落ち着いたら就職する予定だと言いました。

夫は、こう言いました。
「息子と意見が合わない。失職してから息子がずっと家にいて、うるさくあれこれ言ってくる。自分が良かれと思って妻にしていることが、息子からは否定される。本当に困っている」
「自分自身、体が弱り、最近も家の中で転倒した。妻は頑固で言うこと聞かないし、家族関係がギクシャクし、どうしていいのか悩んでいる」

長男は父親のその発言を聞きながら、「地域包括支援センターにも相談しましたが、父と自分の考えが違い、自分が望んだような援助が受けられなかったので、ダメでした」と言いました。

認知症の高齢者とその子どもの意見が合わないことはよくあります。高齢者の、旧態依然とした考えかたが、より良い介護を受け入れない一因になっていることが多いようです。しかし、このケースはそうではないようでした。

「包括でダメだったら、地区担当保健師に相談するという手段もありますよ」
私がそう話すと、長男は「相談しました。でも、保健師はダメでした」というのです。何が、どう、ダメだったと言うのでしょうか。ここで、私は「おや?」と思いました。

精神症状の治療を開始

まずは、本人の検査を行いました。

頭部MRIで比較的大きな脳梗塞が見つかり、両側海馬の萎縮も顕著にみられました。脳血管障害を伴っているアルツハイマー型認知症です。混合型認知症と呼ばれることもあります。脳血管障害によって前頭葉機能が低下し、前頭側頭型認知症のような症状が出ます。

「カッとなる」症状で介護に難渋しているということだったので、まずは抑肝散で治療を開始しました。漢方薬の効果は2週間ほどで出てきます。2週間後の来院で、情緒が安定してきたということでした。

夫の診察も開始

夫のほうは、「最近、転びやすくなった」との発言があったので、夫にも検査を勧めました。

これまでの夫のほうの経過を長男から聞き取りました。

X-16年、無関心な態度になりました。
X-11年、判断力が低下しました。
X-3年、物忘れが出現しました。玄関の鍵を挿したまま外出しました。洗濯機の水を出しっぱなしにするようになりました。
X-2年、不注意になり、財布の入ったカバンを自転車の前かごに入れたまま自転車を置いて外出しました。
X-1年、診察券や保険証を頻繁に紛失し、いつも探し物をしています。

若い頃の生活について伺うと、「酩酊して泥酔するまで酒を飲み、よく嘔吐していた」ということでした。アルコール依存症だったのです。夫の父親も同様のアルコール依存症だったようです。

このような依存症は、最近では「依存症遺伝子」が原因で起こるということがわかってきています。この遺伝子を持つ人は、意志の力で依存症を克服することが難しいといわれています。

本人曰く、最近はほとんど飲酒していないということでした。しかし、脳の変性は徐々に進行していました。頭部MRIでは顕著な大脳萎縮がみられました。

アルコールは脳に対する毒性物質です。飲酒をやめると脳の萎縮が改善するといわれていますが、飲酒をやめてからも変性が進む場合があります。

初診時には、複雑な会話の理解が難しくなっており、意欲の低下や語想起障害、動作の緩慢さなどが出現していました。この半年で体重は2kg減少し、入浴頻度も減っていました。

頭部MRI画像では、第三脳室が拡大し、側脳室拡大、白質脳症などがみられ、萎縮は重度でした。白質脳症は大脳の慢性虚血性変化によるもので、アルコール多飲でも起こります。これだけでも認知症の原因になります。

第三脳室の拡大というのは、その周囲の大脳基底核が萎縮して起こります。大脳基底核の萎縮は、多くの場合、慢性虚血性変化や多発性ラクナ梗塞が原因になります。しかし、この人の場合、大脳基底核に虚血性変化はみられませんでした。それにもかかわらず第三脳室が拡大していたので、念のためDATスキャンを行いました。

第三脳室が拡大する変性疾患といえば、大脳皮質基底核変性症です。大脳基底核が変性し、神経細胞が脱落して萎縮することにより、第三脳室が拡大します。DATスキャンを行えば、この疾患が鑑別できます。その結果、左優位の線条体取り込み低下がみられました。大脳基底核に存在する神経細胞が脱落しているということです。

告知、そして病気の進行

次の診察時に、本人夫婦と長男の3人に「お父さんのほうは大脳皮質基底核変性症という病気です」と説明しました。夫は動揺し、「治るんですか?」と質問してきました。私は「治りませんが、お薬で転びにくくなるかもしれません」と話しました。

長男も同様にショックを受けた様子でした。以前の病院では、自分の意に添わない診断を受け入れられなかった人です。今回も、通院しなくなるかもしれないと思いましたが、診断を告げずに曖昧なまま種々の治療を行うことはできません。

外来で経過をみるうちに、「右手でうまく物が握れなくなり、取り落とすようになりました」と言います。

また、早口で話しかけられると理解ができず、「少し黙っていてくれ」と言うようになりました。返事をしようとしても、なかなか言葉が出てこないで、時間がかかるようになりました。これらは、「右麻痺、失語」という、左半球症状の緩徐な進行でした。DATスキャンで左優位の線条体取り込み低下がみられたことからも、左半球症状が出現してくることは予想されました。

さらに、別の症状も進行してきました。
すぐに休みたがる「易疲労性」が出現しました。アパシーの症状です。

また、家族で話し合いをしていても、その場から出て行ってしまうようになりました。これを「立ち去り行動」と言います。集中力が続かなくなり、なんでも最後までできなくなり、中断するようになりました。

怒りっぽくなり、すぐにカッとなり、妻に八つ当たりをします。これらの症状は、「前頭葉症状」と言われている症状です。

夫の治療も試みる

妻は認知症が中等度で、本人や夫の状態について説明をしても理解できませんでした。しかしながら、幸いにも、抑肝散加陳皮半夏の服用で精神状態は落ち着きました。

夫のほうは、物忘れは軽度ですが、前述したようにアパシー、思考の緩慢さ、集中力や注意力の低下、などが目立つ、いわゆる「皮質下性認知症」「前頭側頭葉型認知症」の症状が主です。

転びやすいなどのパーキンソン症候群を伴っています。軽い右不全片麻痺や失語もあります。病識があり、不安になっています。

病気とわかってから眠れなくなりましたので、まずはベルソムラ®︎を処方しました。ベルソムラ®︎は睡眠薬ですが、ベンゾジアゼピン系ではないので認知機能に影響を与えません。ふらつきなどの身体的な副作用も少ないです。

長男は、インターネットで大脳皮質基底核変性症のことを調べて、資料をプリントアウトして、父親に渡しました。それを読んで、父親のほうはますます不安になったようです。

感情の浮き沈みが激しくなり、ひどく落ち込んだり、頑固で急にキレたりします。このため、バルプロ酸ナトリウムを処方しました。

薬の飲み忘れは多少あるものの、内服開始後は情緒が落ち着いて、不安感が治まりました。

また、ベルソムラ®︎も、バルプロ酸ナトリウムも、易転倒性については悪化させることがありませんでした。夫自身が病気を自覚し、転倒しないように気をつけていたので、抗パーキンソン病薬の投与開始は保留にしました。

夫婦ともども精神症状が落ち着き、在宅生活は以前よりも平穏になりました。薬の管理は、本人たちでは不十分でしたので、長男が毎日確認をしていました。

長男が言っていた「母の精神症状が落ち着いたら、就職したい」という目標に一歩近づきました。長男が就職して、薬剤管理できなくなったときどうするのかが今後の課題でした。

訪問看護の導入

X年、年が明けても幸いなことに夫婦ともに精神症状が落ち着いていました。前年に引き続き、長男が両親の服薬を援助していました。

両親が落ち着いて時間ができたので、長男は就職活動を行い、いくつか面接を受け、内定がもらえました。

長男が就労することになったので、介護負担軽減を目的に介護保険サービスを使うことになりました。服薬確認や介護指導などを行うために、介護サービスの入口として、訪問看護を導入することになりました。

ところが、これをきっかけに、事態が大きく変わってしまいました。

ケアマネジャーを探す

地域包括支援センター、これまでにかかわったケアマネジメント事業所、保健師などさまざまな援助者とトラブルになり、長男は「ダメだった」と言います。

今回の訪問看護師による服薬管理の導入については、慎重に進めようと考えました。

あらかじめ精神科訪問看護の実績のある事業所に情報提供を行い、「両親ともに認知症」「主介護者の息子が発達障害」ということを伝え、精神疾患に経験豊富なケアマネジャーに、私自らお願いをしてケアマネジャーを引き受けてもらいました。

引き受けてくださったケアマネジャーは、最初からやや腰が引け気味な様子でしたが、何とかケアプランの作成にこぎつけました。

長男が抱えていた問題

長男自身、決して頭は悪くありませんでしたが、人間関係が不得意で、どこの職場でもうまく適応できずにトラブルメーカーになってしまい、転職を繰り返していました。長男は「失敗だらけの人生だった」と語りました。また、「自分は発達障害だ」とも言いました。

このため、当院でのカウンセリングを勧めました。カウンセラーのアドバイスを受けて、両親の介護職種との接しかたも修正していければと考えました。

当院では、親子関係の振り返りを主とする「内観」というカウンセリングを行っています。カウンセリングでは、生い立ちを語ってもらいました。すると、いくつかの問題点が明るみに出てきました。

アルコール依存症の父親に育てられ、不幸な子ども時代だったようです。母親は、典型的な「依存症の妻」で、依存症の夫を支えて世話をすることに生きがいを見出すような、共依存の関係でした。長男は、そのような家庭で育ちました。

もう一人、次男もいましたが、次男は自分を守るためか早いうちから家を出て、実家とは疎遠になり、「相続放棄するのでもう連絡して来ないで」とのことでした。

最初の面接で、長男はカウンセラーに対し、「何とか自立して生きていく方法を身につけたい」と言いました。前向きな発言です。根気良くカウンセリングを続ければ、良い方向に向かうのではないかと思えました。

長男には重かった負担

両親の介護サービス導入と、長男自身のカウンセリングを並行して進めました。経済的な問題から、長男はことを焦っていました。「早く就職して、自立したい。親の年金に頼ることなく、家計を支えなければならない」と話していました。

父親の年金は月20万円で、その金額で親子3人が暮らすのは、確かに苦しいと思われました。

長男の思いとのミスマッチ

どのようなトラブルも、ミスマッチから生じます。

健全な人同士であれば、ミスマッチが生じると互いに歩み寄り、問題を解決することができます。相談、話し合い、話のすり合わせ、落とし所を探る、と言うことです。それは、前頭葉の機能です。人間の脳が健全に発達すれば備わる機能なのですが、発達障害の人には、その能力が獲得されていません。

長男はご自分で話していたように、実際に発達障害だったようです。両親に愛されてこなかったと感じ、憎しみを覚えながらも、「自分が面倒を見ないと、両親が死んでしまう」という強い責任感もありました。

訪問看護師が、サービス契約の際に本人の夫と会話をしたことがトラブルのきっかけになりました。

訪問看護導入の際の手続きの問題でした。当事者が認知症でも、当事者にまったく接することなくサービスを導入することはありません。当事者との面接が必要です。特に、認知症が軽度で会話が通じるような段階の利用者とは、あらかじめ面接しておく必要があります。このため、訪問看護師は本人の夫と電話で話をしたようです。

しかし、長男にはこのことが納得いかなかったのです。

クリニックで怒りを爆発させる

当院は、完全予約制です。認知症の相談業務というのは時間がかかるものなので、ほぼすべて予約診療にしてます。

その日、長男は父親を連れて、予約なしに突然当院を訪れました。訪問看護師が父親に電話をかけてきたことに対して、怒りが抑えられず、衝動的に来院したのです。連れてこられた父親はオロオロしていました。

受付職員の話では、玄関を入ってきたときから機嫌が悪かったと言います。予約がなかったので、「予約の方がいらっしゃいますので、お待たせすると思います」と、マニュアル通りの対応をしたのです。すると、「ふざけんな! 聞いてねぇんだよ!」と、怒鳴り始めました。

私は別の患者さんを診察していましたが、診察室まで怒声は聞こえてきました。私も、診察を受けていた患者さん、その家族も、一瞬、会話が止まってしまいました。

「ちょっと、失礼します」私はそう断って、受付カウンターに向かいました。何かの時のために、受付職員にスマホで怒声を録音してもらいました。

待合室にいた他の患者さんは、看護師などのスタッフに指示して、クリニック奥の廊下やカウンセリング室に移動してもらいました。

外から入ってきた患者さんは、受付での様子を見て、そのまま出て行ってしまいました。

当院の機能はストップしました。診療妨害です。このようなことは、18年間の当院の歴史のなかで、いままでにも数回ありました。

「またか。地雷を踏んでしまった」という思いです。

私はすぐに、お願いしたケアマネジャーと訪問看護事業所に電話をして状況を確認しました。すると、長男が「勝手に父親と話をした」と難癖をつけて、ケアマネジメントも、訪問看護も、「契約を破棄する」と電話で申し入れてきたことが判明しました。

電話口での口調は、ほとんど怒号で、身の危険さえ感じたというのです。

「もう、援助できません」
ケアマネジャーには、そう、断られました。

警察を呼ぶ

興奮して、暴力を振るったり、暴れて器物破損を行うこともあるので、まずは警察を呼びました。警察が来るまでのあいだ、長男を刺激しないよう、受付事務職員に何も話さないように指導しました。そのあいだも、長男は受付職員に対して怒号をあげています。

しばらくすると、地元の警察署の方々が駆けつけてくださいました。警察官の姿を見た途端、長男は大人しくなりました。制服の効果は絶大です。そして、警察官が長男に話をし、なぜ怒鳴ったのかを聞き出してくれました。

「認知症で、判断力が低下している父に、電話で介護サービスの説明をするなんて、非常識だ。納得がいかない」そういう主張でした。思い込んだら、訂正できませんでした。

警察官が、「先生から説明してもらいたいと言っているので、お話ししてください。診察室で自分たちが立ち合いますので、お願いします」と言ってきました。

なるほど、そういうことなのかと思いました。長男は、自分の思い通りにならないと、このような対応になってしまうのです。だから、いままで仕事も長続きしませんし、包括も、ケアマネも、保健師も、ダメだったのです。

長男との歩み寄り

診察室に、長男を呼びました。長男は、警察官の姿にびっくりして、卑屈な態度になりペコペコしながら診察室に入ってきました。

「訪問看護師が、父に直接話をするなんて、聞いていませんでした」
「聞いてねぇんだよ!」というのは、そういうことでした。

父親は認知症なので判断力が低下しています。それなのに、その父親から話を聞こうとすること自体が許せなかったというのです。気持ちはわかりますが、その表出の仕方に問題があります。これが、長男の問題なのでした。

訪問看護師というのは、契約した利用者とコミュニケーションしなければならず、たとえ相手が理解できなくても、なるべく理解していただけるように説明をする必要があるのだと話しました。長男は、わかったのか、わからなかったのか、はっきりしませんが、私の後ろに並んで立っている警察官の姿にオロオロしながら「こんなことになるとは、想定外でした」と言って、汗びっしょりになり、ぺこぺこしていました。

その後

その後、一度は予約通りに夫婦で来院したので、いつもの薬を処方できました。長男は付いて来ませんでした。夫の認知症は軽かったので、夫婦での通院は可能だったのです。

その次の通院予約日に、ご夫婦は現れませんでした。

ケアマネジメント事業所、訪問看護事業所ともに、「身の危険を感じた」という長男の恫喝があり、ケアプランは終了しました。

介護サービスが何もない状態は望ましくなく、予約日に現れないのも心配でした。このため、私は地区担当保健師に相談し、介入してもらいました。保健師は、長男との面接を試みてくださいました。しかし、一度はコンタクトできましたが、多忙を理由にその後の面接は断られたと言います。「保健師もダメだった」と言っていましたので、長男みずから受け入れを拒否したのでしょう。

数カ月後、保健師が当院に電話をしてきました。その後の経過を聞くためです。「その後、いかがですか? 通院、されていますか?」との電話でした。

当院では、警察騒ぎの次の診療以後、予約日にも来ず、診療は中断したままです。その旨を伝えました。「ときどき様子を見に訪問していただけると有り難いのですが」とお願いしました。

夫婦で、普通に介護サービスを受けられる日は、来るのでしょうか……。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。