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「色ボケ」という言葉がありますが、性的逸脱は、認知症の初期症状である場合があるので、注意が必要です。

大脳皮質基底核変性症など前頭葉が萎縮する疾患の患者さんのなかには、女性に対する痴漢行為、ハラスメント行為を行なってしまい、警察沙汰になる人がいます。

先日も、性的逸脱がきっかけで病気が判明した人がいました。薄着の女性をジロジロ眺めたり、若い女性店員の体を触るなどして通報されました。本人はケロッとしており、まったく悪びれていません。

妻は「そんな人じゃない。おかしい」と、嫌がる本人を当院に連れてきたのです。診察してみると、ほかにも失行や認知機能の低下が見られ、頭部MRIで左右差の顕著な前頭側頭葉の萎縮が見られました。DATスキャンを行い、確定診断できました。

告知すると、「やっぱり自分が結婚した人は痴漢なんかする人じゃなかった。病気のせいで、こうなっているだけ。この人を支えていきます」と言いました。

治らない病気を診断することは重要です。
心構えができて、対策が立てられるからです。

性的逸脱は、前頭葉の機能低下によって生じます。前頭葉は、人間の社会性、理性、モラルをつかさどり、行動の抑制を行う脳です。前頭側頭葉が萎縮するような、神経変性疾患であるピック病、大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺などが代表的です。

もちろん、アルツハイマー型認知症でも、進行して前頭葉が萎縮すれば症状が出ます。交通事故などが原因の高次脳機能障害や脳梗塞の後遺症でも症状が出ます。

しかし、そのようなわかりやすい原因がないのに、人格が変わって、性的に奔放になってきたら?


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 023
75才男性

息子からの申し出

あるとき、改まった態度で、息子が1人で診察室に入ってきました。
「本人がいないところで、折り入ってお話があります。お恥ずかしい話なのですが……」

息子が語るには、本人には函館に愛人がいて、たびたび会いに行っているというのです。一緒に海外旅行に行ったり、ときどき愛人宅に泊まりに行きます。その都度、お金やプレゼントを渡しています。

愛人の方は、お返しに「これは健康にいいから」と怪しげなサプリメントをくれたり、「お金が儲かる」と言って詐欺まがいの投資を勧めたりします。そして今回は、「これをもらってきたようです」と、息子が診察室の机の上に薬の束を出しました。

ハルシオン®︎という薬です。
私が、滅多に処方しない薬です。

「夜中に目が覚めると、これを飲むらしいのです」

愛人宅でもらって飲み始めて以来、中途覚醒のたびに飲むので、一晩に1~2錠では足りなくなり、4錠、5錠と、過量服薬してはふらふらになり、時にせん妄状態になっているらしいのです。

どうしたらいいのでしょうか。

これまでの経過

真面目なサラリーマンでした。人格者でもあり、社内で順調に昇進し、最後は社長まで務めました。家庭でも良き夫、良き父でした。

X-14年、会社社長を定年退職しました。
相談役として会社に残りましたが、胃がんなどのため、入退院を繰り返しました。

X-12年、仕事を離れ、毎日が日曜日になりました。
妻と2人で海外旅行に行くなど、老後の生活を楽しんで遊んで暮らしていました。

X-10年、妻が他界。独居となりました。

性的逸脱の始まり

その直後から、現役時代に会社の付き合いで知り合ったクラブのママと連絡を取り合うようになりました。ママは故郷の北海道に帰っていました。

妻の一周忌も待たずに、ママと海外旅行に行くなど、頻繁に出歩くようになりました。交際していることを隠そうともしませんでした。性的逸脱の始まりです。

同時期から嚥下障害があり、水分摂取時にむせることが多くなりました。

X-8年、遠方に住んでいた息子が久しぶりに実家を訪れたところ、会社員時代の本人とはかけ離れた、派手な生活ぶりに驚きました。

息子が本人の通帳を確認すると、妻が他界してからのあいだに、複数回にわたり投資詐欺の被害に遭っていたことが判明しました。数百万円単位で騙し取られていました。

「これは、詐欺の被害ではないのか」と息子が問い正すと、「そんなことは知らん!」と怒り出し、真相のほどはわかりません。このままでは財産管理が心配だと思った息子が、金銭管理の援助を申し出ましたが、断固として拒絶しました。

X-7年、肺炎で入院した際にせん妄状態となりました。ひどく暴れたので、ベッド上で身体を拘束されました。

退院し、自宅に戻ったら、正気に戻りました。
認知症の人によく見られる現象です。

失語、パーキンソン症候群、「待てない」

X-6年、話しかけられても、言葉の意味がわからず、何度も聞き返したり、キョトンとしていることが出てきました。また、話そうとして言葉に詰まり、結局、何か言うのを諦めてしまうようになりました。このため、会話がなかなか成立しなくなりました。
このころから、失語が始まったと考えられます。

X-5年、足の上がりが悪くなり、すり足になりました。パーキンソン症候群の始まりです。

X-4年、再度、肺炎で入院したところ、せん妄状態になり、このときにも身体拘束されてしまいました。

入院するまで、一人暮らしでもなんとかご飯を炊いて、それなりに自炊してきましたが、この退院後はできなくなりました。

病院や銀行などで待っていることができなくなり、せっかちになりました。この「待てない」症状も、前頭葉の症状です。とにかく、なんでもがまんがきかなくなるのです。

自ら認知症を自覚

X-3年、近医のかかりつけ医に自分で相談したらしく、このころから、アリセプト®︎が処方されました。

このように病識があるのは、アルツハイマー型認知症ではないことが多いようです。アルツハイマー型認知症では早期から病識が失われるのに対して、そのほかの認知症では早期に病識が保たれています。

浪費、注意力の低下

X-2年、「自費出版商法」に引っかかり、数百万円を騙し取られました。

X-1年、親族で集まった際、他界した妻の姉を忘れていました。

朝食の支度をしようとして、途中で忘れ、そのまま放置され腐っているのを息子が発見しました。

このあいだにも10年以上にわたり、クラブのママに言われるがままに高額な服飾品、宝石などをプレゼントしていました。また、海外旅行などの費用もすべて本人が支払っていました。ママから頼まれごとをすると断ることができず、いろいろな会合に顔を出し、しばしば高額な寄付を行なっていました。経済搾取です。

徐々に注意力が低下し、家の中を歩いていて壁やドアにぶつかることが増えました。このため、いつも生傷が絶えなくなりました。

また、「見えにくい、眼鏡をかけても、なんだかわからない」と訴えるようになりました。視覚認知障害です。動作や話しかたが緩慢になり、なんでも時間がかかるようになりました。これは、パーキンソン症候群です。

金遣いの荒さ、詐欺の被害などについて、息子が問いただすと怒って逆ギレしますが、それ以外はいたって温厚で、社交的で、ニコニコしています。

パターン化した生活により、健康状態が悪化、受診につながる

食べるものがパターン化し、自宅での食事は毎日3食同じメニューしか食べません。このようにこだわりが強いことも前頭葉機能低下の特徴です。栄養状態が悪化し、体重が徐々に減少してきていました。

X-1年、健康状態の悪化を懸念した息子に付き添われ、当院初診しました。
初診時、本人に物忘れがあるかどうかたずねると、「ありますね。だんだんひどくなっています」と言いました。

物忘れの病識はあります。だから、自分でかかりつけ医に相談し、アリセプト®︎を飲んでいるのです。皮肉なことに、アルツハイマー型認知症ではないので、アリセプト®︎の適応疾患ではないのです。

「物忘れが原因で、生活に支障が出たり、詐欺の被害に遭ったことはないですか?」とたずねると、「ありません」と断言しました。そこは病識がありません。

MMSEは25点でした。セブンシリーズでの失点が目立ち、遅延再生も低下していました。計算力だけでなく、注意力の低下も反映していると思われました。見当識障害はなく、日付、曜日、時間なども正確に答えられました。

経済搾取と、食生活管理ができていないことが問題だったので、両方を一変に解決できる方法として、施設入所を勧めました。

関係の悪い息子ではなく、娘が通院に付き添ってくる

次の来院時から、娘が付き添ってきました。老人ホームは、子どもたちであちこち見学し、前向きに検討中ということでした。独居であり、本人は話好きのため、家に電話がかかってくるとセールス電話でも率先して出てしまい、いらないものを買わされてしまっているとのことでした。

足の運びも徐々に悪くなりました。パーキンソン症候群が徐々に進行しています。足の上がりが悪く、すり足になっていました。「足の筋肉が硬くなって、両足の足首が硬直しています」と訴えます。バランスが悪く、注意力の低下も相まって、家の中で壁やドアにたびたびぶつかっていました。

本人は、自己流の運動で鍛えようとしていました。住んでいるマンションの外階段を、地上から屋上まで上り降りするという運動です。転げ落ちたら危ないので、子どもたちがやめるように進言しても聞き入れません。

X年、記銘力障害が悪化し、外出準備の際に持ち物をカバンに入れたことを忘れ、何度も出したり入れたりするようになりました。また、同じものを何度も買うようになりました。

診察時、本人は明るく、「物忘れはありますが、いまは幸せです」と語ります。付き添いの娘のほうが困り顔でした。

子どもたちが、玄関に持ち物チェックリストを貼りました。そんなある日、本人を連れてこないで、息子だけが受診したのです。

「実は……」ということで、愛人の存在が明らかとなりました。

不眠症

もともと、この人には不眠症があり、かかりつけ医では長年、睡眠薬を処方していました。過去に服用していたのは、ドラール®︎、デパス®︎、ルネスタ®︎などのベンゾジアゼピン系睡眠薬でした。

不眠症と認知症には、密接な関係があるといわれています。10年ほど前から種々の研究が行われ、睡眠中に脳内の毒性物質が排泄されているということがわかってきました。ベータアミロイド蛋白などの毒性物質です。

このため、睡眠が十分に取れないと脳内に毒性物質が蓄積し、神経細胞が壊れる原因になるというのです。また、その逆に認知症の症状として、睡眠障害が出現するということもわかっています。

「眠れないと、認知症になる」
「認知症になると、眠れなくなる」
極端に言えば、そういうことです。

不眠についてうかがうと、「寝つきが悪いですが、薬を飲めば寝つけます。寝ついても3時間ぐらいで目が覚めてしまいます。その後は深く眠れず、朝起きても熟睡感がありません」と言います。

クラブのママと一緒に海外旅行に行くようになってから、「この薬は、時差ボケにいいのよ」と言われ、ハルシオン®︎を飲み始めたようです。

ママはどこで調達してくるのか、ハルシオン®︎をたくさん持っていて、常用しているのみならず、他の人にも譲り渡しているのです。これは法律に触れる行為です。

父親が薬を隠し持っていることを知ると、子どもたちはそれを見咎めて、たしなめました。すると、逆ギレして、言い争いになってしまいます。子どもたちの言うことより、愛人の言うことを聞いてしまうのです。

子どもたちは、まず内科のかかりつけ医に相談しました。そこで、ハルシオン®︎以外の睡眠薬を、あれこれ処方されたということでした。前に挙げた、ドラール®︎、デパス®︎、ルネスタ®︎などです。しかし、そのどれもが、本人にとっては効果が不十分で、納得のいく睡眠が得られるのはハルシオン®︎だけ、という状況でした。しかも、ハルシオン®︎には強い依存性があるので、常用するうちに服用量がどんどん増えていきました。

「次の受診時に、なんとか本人を言いくるめて、ハルシオン®︎やそのほかのベンゾジアゼピン系薬物をやめさせてください」

次の診察時、私は「新しい睡眠薬を出しましょう。ハルシオン®︎よりも少ない量でよく効きますよ」と言って、抗うつ薬のテトラミド®︎を処方しました。

すると、驚いたことにたった1回内服しただけで「よく眠れた」とのことでした。それからは、「すごくよく効く薬を出してくれる先生」というイメージができたのか、私の言うことを何でも素直に実行してくれるようになりました。

しばらくしてから、あらかじめ子どもたちが手配していた施設について、「リハビリも兼ねて、XXという老人ホームはいかがですか? とても良い施設ですよ」と勧めると、素直に入所しました。

施設で暮らし始める

入所したところ、食事の内容が改善し、徐々に減少していた体重が元に戻ってきました。また、定期的に行われる体操教室などのアクティビティで足の上がりが良くなり、バリアフリーの環境で転倒や怪我が激減しました。

有料老人ホームなので、外出、外泊は自由です。今度は、ホームから頻繁に旅行や外出に行くようになりました。栄養状態や身体機能が改善したので、ますます活発です。

X+1年、老人ホームに入所して1年が経ちました。体重が増え、元気になり、MMSE29点に改善しました。これがアルツハイマー型認知症とは違うところです。

全般によくなっているように見えましたが、頭部MRIを施行すると、画像上は大脳のびまん性萎縮が海馬の萎縮も含めて悪化していました。

愛人との交流が活発となり、頻繁に会いに行くようになりました。

X+2年、インフルエンザに罹患したり、帯状疱疹になるなど、体調を崩しました。鎮痛薬を過量服薬してしまうので、「すごくよく痛みに効く」と言って偽薬を出しました。すると「よく効きました」と言って喜んでいました。相変わらず、私のことはいたく信用しているようです。

こだわり症状の悪化

こだわりが強くなり、食事の時間やエアコンの温度設定が自分が決めた数字と少しでも違うと受け入れられません。この「数字にこだわる」という症状も、前頭葉の機能低下において特徴的です。服装にもこだわりが強くなり、暑いのに厚着をしていたり、臨機応変ということができません。

錯語が見られるようになりました。「スリッパ」と「サンダル」といった、似た属性の名詞を言い間違えるようになりました。

漢字が読めなくなりました。息子は、つい誤りを指摘して正そうとします。なので面会のたびに喧嘩になってしまいます。娘のほうは意味を察して、調子を合わせてフォローします。診察に付き添うのは娘の役割として定着しました。

自宅にいたときと同様に、食べ物に対するこだわりも続いていました。同じ果物を食べ続けるという症状です。食べた果物の数を毎日記録していました。その果物を買うためだけに毎日スーパーに行き、自分で買ってきます。

ホームでは三食提供されていますので、その食事をしっかりとったうえで、おやつに同じものばかりを食べていました。ちゃんと食事もとっていたので、栄養失調にはなりませんでした。

あるとき、「たまに眠れないと、薬をもう一回飲みます」と本人が訴えたので、「即効性があって、ものすごくよく効く頓服があります」と言って、偽薬を処方しました。

すると次の診察で、「たまに眠れないことがあっても、薬が効いて眠れました」とのことでした。私の魔法はまだ続いているようです。

こっそり愛人の元へ

X+3年、いつもは子どもと一緒に受診するのに、めずしくふらりと予約なしに、1人で受診しました。「ちょっと旅行に行くので、睡眠薬を多めにください」というのです。

旅行と聞いて、「愛人のところかな?」と思いましたが、私はそれは知らないことになっているので、何食わぬ顔をして偽薬を処方しました。

念のため、いつも付き添ってくる娘に「どこに行くんですか?」と電話で質問すると、「函館だと思います」との返事でした。

以前にも、本人が愛人宅のある函館に旅行に行くと、手持ちの睡眠薬が激減していたことがあったというのです。しかし、子どもがその話題を持ち出すと、本人は人が変わったように怒り出し、会話になりません。

以前、愛人からハルシオン®︎をもらっていたように、今度は自分がもらった薬を愛人にあげているのではないか、子どもたちは心配していました。

「偽薬を出しました」
そう言うと、ホッとしたようでした。

娘は電話口で、「薬だけではなく、現金もなんです」と言いました。愛人の家に行くときには、お小遣いと称して数十万円の現金を持参しているのです。

有料老人ホームでは、月々の支払いや生活費が必要です。過去に詐欺被害などで預金がだいぶ減っています。湯水のように使えるほど財産があるわけではありません。このため、ホームに入所後は、子どもたちが通帳を管理して、小遣い制にしていました。その小遣いが、旅行のたびになくなってしまうのです。

偽薬でOK

旅行から帰ってきて、最初の診察時に「お薬をたくさん出していただき、助かりました。おかげで、旅行中はよく眠れました」と話していました。私が処方したのは偽薬です。ビオフェルミンを1錠ずつ分包にしたものでした。パッケージには、薬局に頼んで大きな字で「睡眠薬」と印刷してもらいました。

MMSEを施行したところ、29点でした。失点はただ1点、図形模写ができません。構成失行か視覚認知障害かもしれません。その他の項目は問題ありません。頭部MRIでは、大脳萎縮が進行していました。MMSEが低下してこなくても、認知症は進行してきているのです。

読んでいるみなさま方も、もうお気づきのように、この人は、アルツハイマー型認知症ではないのです。MMSEでわからないタイプの認知症です。

こだわりが強くなり(前頭葉症状)、言葉が出なくなり(失語)、足の運びが悪くなる(パーキンソン症候)タイプです。大脳皮質基底核変性症と考えられます。

パーキンソン症候群の悪化

X+4年、ホームの自室内で転倒し、顔面にけがを負いました。パーキンソン症候群による歩行障害が悪化してきたのです。

部屋のカーテンを開けず、真っ暗にしてこもっています。服装がおかしくなりました。下着を何枚も重ねていたり(保続)、ホームの食堂に行くとき、以前はちゃんと上着を羽織っていたのに、間違えてTシャツを上から着ます。指摘されると怒ります。

何度も同じ行動を繰り返すことを「保続」といいます。前頭葉症状です。

前年に「少し萎縮しましたね」と私が言ったせいなのか、その後はMRI検査を嫌がるようになりました。生活場面でも症状が悪化したので、MMSEだけやりました。すると、25点に低下していました。図形模写だけでなく、遅延再生、時間的見当識も低下しました。もの忘れの悪化は、生活障害に直結します。

管理能力の低下

実印、銀行印と、管理ができなくなったので、実印一つにまとめていましたが、これを紛失しました。

こんな状態でしたが、急に「同窓会に行く」と言い出しました。実際は、愛人に会うため函館に行くのだろうとみな思いました。今回は、薬もお金も自由に持ち出せないようにしたので、トラブルはありませんでした。

長年処方していたテトラミド®︎が品薄となり、代わりにデジレル®︎を処方しました。それでも問題なく眠れていました。偽薬でもよいのかもしれない、と思いました。

徐々にだらしなくなり、今まで小綺麗に生活していた人が不潔な感じになりました。ホームの部屋の中は鼻をかんだ紙が放置され、掃除もしなくなりました。カーテンは閉めっぱなしで、換気もしません。寒くなり、暖房が必要になると、異常に高温に設定するので、室内がサウナのようになります。

X+5年、「恩師の奥さんに会いに函館に行く」と言い出しました。もちろん、愛人に会いに行くつもりなのです。しかし、飛行機に乗って旅をするのはもう無理でした。これ以後、本人は一人で北海道に行けなくなりました。

X+6年、相変わらずサウナのような部屋で過ごしています。こだわり症状が強いので、温度が変えられないのです。

錯語が悪化しました。腕時計の電池が切れて動かなくなったのを見て、「時計がなくなった」と言っていました。「動かない」と「ない」がごっちゃになってしまいました。パーキンソン症候群も悪化し、転倒することが増えました。

愛人との繋がり

愛人に会いに行けなくなったので、娘も私も油断していました。

あるとき、本人が頻繁に芍薬甘草湯を飲んでいることが判明しました。入所経路を調べたところ、室内に本人宛の小包があり、その中に種々の薬がたくさん入っていました。

娘が問いただしたところ、愛人に頻繁に電話をかけて連絡を取り合っていることが判明しました。「最近、よく足がつるので相談したら、漢方薬を送ってきてくれた」というのです。

サウナのような部屋で生活していますから、脱水状態になりやすく、足もつりやすいのかもしれません。小包は愛人からのものでした。会えなくなっても繋がっていたのです。

小包に入っていたこの漢方薬は医師からの処方ではありません。用法用量が明記されていません。気ままに服用しているようです。芍薬甘草湯には甘草が多く含まれているので、摂り過ぎると偽アルドステロン症になります。偽アルドステロン症とは、甘草の作用で血圧が上昇したり、低カリウム血症になるもので、漢方薬の副作用としては最もよく見られるものです。

大学病院の神経内科に勤務していたころに、初めて低カリウム血性ミオパチーの患者さんを見ました。救急搬送されてきたとき、その人は全身が麻痺して、両手両足が動かせませんでした。血液検査でカリウムが低く、2.0を割っていたと思います。点滴でカリウムをゆっくりと補うと、徐々に動けるようになり、すぐに治って退院していきました。

原因を調べるために、いろいろと問診して、飲んでいる薬を聞きました。処方薬のなかには漢方薬や利尿薬など、カリウムを下げるようなお薬は含まれていませんでした。しつこく聞いていくと、医師の処方なしに、みずから漢方薬を購入し、適当に飲んでいたのです。それも芍薬甘草湯でした。足のつりに効くということで、よく使われている漢方薬です。高齢者の方々にも広く知られており、当院でも銘柄指定してくる方が多いです。

治療は、原因となる薬物を中止し、カリウムさえ補ってあげればいいのです。よく問診して診断をつけることが重要です。神経内科の病気でも、治せる病気があるのだな、と思いました。ちなみに、カリウムを補うときは、決してワンショットで静注してはいけません。心臓が止まります。

今回も、芍薬甘草湯を頻繁に飲んでいましたので、副作用による低カリウム血性ミオパチーや、血圧上昇が起こる可能性がありました。漢方薬の飲み過ぎを阻止しなければなりません。自室から見つかった大量の漢方薬を、家族に預かってもらうことにしました。

今度は冷やし過ぎ

温度の数字へのこだわりは持続していました。いままでサウナのような部屋で生活していましたが、今度は同じ温度で冷房するようになり、部屋が冷え過ぎの状態となりました。26度の暖房が、26度の冷房になったのです。前頭葉症状はますます顕著になっています。

愛人への電話も継続しており、また違ったものがいろいろと送り付けられてきています。今度は、自作の紫蘇ジュースだったそうです。もうお金はあげられないようにしていますから、経済搾取はしていないのです。金の切れ目が縁の切れ目ではなかったようです。愛人にも、悪気はないのかもしれません。本物の男女の絆で結ばれているのかもしれません。

相変わらず、家族がその女性について否定的なことを言うと本人が激しく怒り出します。害がなさそうなものは、ある程度好きにさせておくことにしました。これからも、函館の女(ひと)と私たちの攻防は続いていきそうです……。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。