CASE024:目の見えない主介護者|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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これまで、老老介護や認認介護、精神疾患を持つ介護者などを取り上げてきました。

先日、テレビでパラリンピックの開会式を観ました。全盲の歌手の歌声がとても美しく、感銘を受けました。当院にも種々の障害を持った方が受診されます。今回は、身体に障害を持つ介護者について考えてみたいと思います。

身体の障害といってもいろいろです。さまざまな障害を持つ人は、人口の15%いるといわれています。約6人に1人です。意外に多いと思われるのではないでしょうか。誰でも年齢を重ねると、体のあちこちに不具合が出て、他人事ではなくなります。

いままでに支援してきた認知症の介護者を振り返ってみると、四肢麻痺、片麻痺、失語症、聾唖など、さまざまな障害をもつ人たちがいらっしゃいました。みなさん、それぞれに、不自由ながらも一生懸命介護をされていました。

いままで自分を支えてくれていた人が認知症になったとき、恩返しの気持ちで介護をしながら一緒に暮らしたいと思うのは、普通のことだと思います。

たとえ困難が待ち受けていても……。

CASE 024
77才女性

「ケアマネージャーには、内緒にしてほしいのです」

開口一番、主介護者の長男が言いました。

「いままでお世話になった若いヘルパーの方に、配慮がない対応をしてしまい、謝罪の手紙を書かなくてはなりません」

いったいどうしたというのでしょう……。

これまでの経過

夫と先天的に全盲の長男との3人暮らしでした。

X-15年、もの忘れするようになりました。また、性格がきつくなりました。このため、近所の精神科を受診し、精神安定剤を処方されました。

処方された薬の量は通常の使用量であり、副作用が問題になるほどの量ではありませんでした。それなのに、内服してすぐに廃人のようになってしまい、中止したと言います。

薬の副作用が強く現れる、薬剤過敏性と考えられました。薬剤過敏性は、レビー小体型認知症によく見られる症状です。精神安定剤などの副作用が激しく出てしまうので、薬を使うのが非常に難しくなります。

もの忘れや怒りっぽさは解決しませんでしたが、薬の副作用があまりにもひどいので、本人も家族もびっくりしてしまい、「薬で治療するのは怖いから、このまま様子をみよう」となりました。

X-10年、もの盗られ妄想が出現し、「隣人が盗った」と言い張り、トラブルになりました。興奮したり、不安で何度も確認してくるようになりました。

発病当初、薬の副作用が激しかったので、医療を受けようとは思わなかったようです。介護保険を申請し、ケアマネジャーに入ってもらい、妄想に対応する方法を模索しました。まずは、デイサービスを導入し、いろいろな人と接することにより、「ものがなくなる」ことから気を逸らすようにしました。これがある程度奏功して、何とか在宅生活が継続できました。

X-5年、もの忘れがひどくなり、妄想も悪化、長男がターゲットになってしまいました。毎日攻撃されて、とても耐えられなくなりました。対応に困った長男がケアマネジャーに相談し、当院を紹介されました。長男の付き添いで、当院を初診しました。

認知症の母親に支えられている長男

長男は、生まれつき全盲です。生まれたときから、母親が長男の目となって生活を支えてきました。

初診時にも、診察室に入ってくるとき、白杖を持った長男が母親の肘につかまって入室してきました。母親は、長男を診察室の椅子に誘導すると座らせて、それから自分がもう一つの椅子に座りました。認知症になっても、長男の目となり、いままで通り支えているのです。

「何かものがなくなると、『盗っただろう』と私を責めるんです」

長男の訴えは切実でした。まずは妄想がひどいので、その治療から開始することにしました。

認知症にはいろいろな症状があり、もの忘れそのものなどの「認知機能の障害」だけでなく、妄想や攻撃性などの「精神症状」があります。

そのほかには、歩行が不安定になったり不器用になる「身体症状」、血圧が乱高下したり、体温、脈拍、発汗などの異常をきたす「自律神経症状」などがあります。

これらのさまざまな症状をいっぺんに治療するのは難しく、まずは困り具合の大きい症状から治療していきます。

この人の場合には、長男に対する妄想がひどくなり、対応に困ったことが、受診のきっかけでした。
このため、妄想の治療から始めました。

漢方薬が奏効

精神安定剤で薬剤過敏性が出現したことがあるので、比較的副作用の少ない、抑肝散加陳皮半夏を開始しました。すると、すぐに興奮や妄想が改善しました。

漢方薬でも薬剤過敏性が出現し、過鎮静になったり、低カリウム血症、血圧上昇、浮腫などが起こることがあります。注意深く経過をみていましたが、幸いこの漢方薬では、副作用が出ませんでした。

その後も症状に波があり、注意力の低下が目立つなど、レビー小体型認知症らしい症状が継続してみられました。

精神状態が安定したので、今度は長男の求めに応じて、認知症そのものの治療を開始しました。レビー小体型認知症には、コリンエステラーゼ阻害薬が非常によく効くことがあります。このため、リバスタッチパッチ®︎を併用しました。すると、こちらも本人に合っていたようで、副作用はありませんでした。認知機能の変動が減り、安定して生活できるようになりました。

この薬を貼ることで、1年ほど落ち着いて経過しました。妄想や騒ぐこともなく、デイサービスに規則正しく行けるようになりました。

認知症自体の進行により、薬の管理ができなくなる

X-4年、抑肝散加陳皮半夏を飲んでいるので、初診時に比べると精神的には安定していました。当院初診前には長男との喧嘩が絶えませんでしたが、漢方薬の効果で機嫌が良くなり、親子で仲良く暮らしているということでした。

しかしながら、認知機能は徐々に低下しました。記名力障害の悪化により、パッチの管理ができなくなりました。自分で貼れなくなりました。本人がどこかにしまい込んで紛失します。認知症自体が少し進行したのです。全盲の長男には、本人がしまい込んだ薬を探し出すことができません。

夫も一緒に住んでいましたが、高齢で、歩行障害があり、当院に付き添ってくることができません。また、夫は嚥下障害もあり、誤嚥性肺炎を繰り返していました。

夫も、長男も、本人の薬を管理することが難しく、状態は徐々に悪化しました。

ケアマネジャーの登場

そんなある日、ケアマネジャーが当院を訪れました。

「介護拒否が強いんです」

そう言いました。
デイサービスのお迎えを拒否して、追い返してしまいます。送迎スタッフが訪問しても追い返します。このため、介護サービスが入れなくなりました。

このころから急激に悪化しました。2~3カ月様子をみていたところ、ゴミの分別ができず、出す日もいい加減になり、近隣の人々が区役所に苦情を言ってきました。

急に悪化しました。包括支援センターの担当者とケアマネジャーが、本人宅を一緒に訪問しました。

家の中は荒廃していました。服が自分で選べず、着替えもできません。靴下や靴を適切に履くことができず、裸足で外出します。また、尿失禁しており、始末ができないで汚れたままです。外出時に駅で電車に乗ろうとして、切符が買えません。食事が適切に取れないので、配食サービスを頼みました。

ケアマネが付き添って久々に本人が受診し、診察しました。両手の爪に垢が詰まり、真っ黒になっていました。MMSE8点と、顕著な低下が見られました。

ケア不足です。
同居の夫と長男ともに、本人のケアを十分に行うことができていません。自分の面倒をみるので精いっぱいのようです。ネグレクトではありませんが、介護者として不適切です。

近隣住民からの苦情

その次の診察は長男が1人で来院しました。代理受診です。もう何度か来院しているので、白杖をつきながら1人で入室し、いつもの位置に置いてある椅子に座りました。


「お母さんには言えないけど」と前置きして、「ゴミ出し日を間違えて、近所の人から苦情を言われ、詰め寄られた」とのことでした。近所の人が数人集まって長男を呼び出したのです。

そのうち、一人の人が言いました。
「何度かお母さんに話しているのだけど、お母さんはすぐに忘れてしまう。その場は理解したかに見えるが、すぐに忘れている。お母さんに話してもダメだから、あなたを呼び出した。対応してほしい」と、頼まれたというのです。

長男は全盲で、自宅からかなり離れたゴミの集積所にゴミを出すのは困難です。今までやったこともありません。また、夫も身体の機能が衰えていて、ゴミを出すような体力はありません。

長男は窮地に立たされました。
これを聞いて、私からケアマネジャーに連絡し、ケアプランを変更してもらい、ゴミ出しのためのヘルパーを導入してもらいました。今までは、ヘルパーを拒否していたのです。どうやって入れようか、悩んでいたところでした。

今回は、近隣苦情を受けて長男が困り、また近所の人たちも本人に対して頻繁に苦情を言っていたので、本人も「ゴミ出しで困っている」という記憶がうっすら残っていたようです。

医師から「ゴミ出しに手伝いが必要だ」と話してみると、受け入れてもらえました。今回のような近隣苦情がなければ、ヘルパーを導入することはできませんでした。結果的には良かったと思います。

また、これを機に朝の準備にヘルパーが入れるようになったので、デイサービス通所もまた可能となりました。

慢性硬膜下血腫が見つかる

このころ、認知症の進行度合いを見るために定期的な頭部MRI検査を行ったところ、慢性硬膜下血腫が見つかりました。検査を行ったのは12月でした。MRI画像を見ると、左の硬膜下に血腫が見られ、右側にもうっすらと出血しています。

最近転倒があったなどの話は、ありませんでした。転倒や頭部打撲のエピソードについて問診しました。すると、「4カ月ぐらい前に転んだ」というのです。何ともなかったので様子を見ていたそうです。慢性硬膜下血腫は、外傷のエピソードの後、1~数カ月して見つかることが多いのです。

レビー小体型認知症に伴い、パーキンソン症候群が出現し、歩行が不安定になっていたのです。バランスが悪くなったり、足の上がりが悪くなり、ちょっとした段差につまずいて転倒します。

長男の話では、4カ月前に転んだ後、しばらく尿失禁がひどくなり、1~2カ月して治ったそうです。血腫が原因だったと考えられました。血腫に脳が圧迫されて、尿失禁が出現したのです。時間が経って血腫が自然に吸収されて、脳への圧迫が改善し、尿失禁がなくなったと思われます。

頭部打撲の時期から推測すると、ゴミ出しができなくて近隣苦情があった時期と重なります。急に悪くなったのは、慢性硬膜下血腫のためだったようです。急にいままでと違った症状が出たようなときには、脳の画像検査が必要です。血腫はすでに吸収されつつあり、脳への圧迫も見られないので、手術の必要はないと判断しました。

白内障が判明

転んだ原因はパーキンソン症候群と考えられましたが、念のため、眼科受診もしてもらいました。すると、白内障が進行し、目が見えにくくなっていたことが判明しました。目がよく見えないので、足元がよく見えず、より一層転倒しやすくなっていたようです。

眼科に情報提供し、手術が必要であれば行っていただけるように依頼しました。

間もなく白内障の手術を受け、視力が回復しました。そして、慢性硬膜下血腫も徐々に吸収されたところ、また以前のように、きちんとゴミ出しができるようになりました。

認知機能が低下し、腰が曲がってくる

翌年になると、徐々に腰が曲がり、腰痛が出てきました。パーキンソン症候群による症状と考えられました。レビー小体型認知症は、パーキンソン病と同じような歩行障害が進行してきます。

同じころ、季節がわからなくなりました。春なのに「もう落ち葉の季節だから」と言ったり、「デイサービスは中年の人が通っている」と、事実と違うことを言います。

一緒に住んでいる長男は、話を聞き流せればいいのですが、それをいちいち訂正しようとして、イライラしてしまいます。

私は「害がない妄想は聞き流して、へえー、と言っておけばよいのですよ」と指導しました。しかし、長男は受け入れられませんでした。長男のメンタルケアが必要になってきました。

長男は全盲であるだけでなく、アトピー性皮膚炎でした。精神的ストレスで悪化します。母親の認知症が進むに連れて、長男の皮膚症状がひどくなってきました。

夫も介護が必要な状態になる

母親だけでなく、父親のほうも誤嚥性肺炎で入院しました。

本人の夫については、当院に受診しなかったので詳細は不明ですが、多発性脳梗塞だったようです。
脳梗塞が多発すると嚥下障害が出現します。高齢ですので厳しい状況でしたが、なんとか肺炎が治って自宅に退院しました。

退院後は、入院前よりも身体が弱り、身の回りのことに手伝いが必要な状態になっていました。長男は両親の面倒をみなければならなくなりました。

このころの本人の認知症の度合いは中期程度でした。料理の手順がわからなくなり、味付けを間違えたり、違うものを作ってしまうようになりました。いままで親子3人の食事作りは母親である本人が一手に担っていました。それが、うまくできなくなりました。全盲の長男が惣菜を買いに行くなど、負担が増しました。

「もう、自分一人では無理です……」

長男は、診察時に涙ぐんでいました。

もの盗られ妄想

本人はもの忘れがひどくなり、なくしたものを誰かが盗ったと言う症状は続いていました。幸い、このころは身近な家族が盗ったとは言い出しませんでしたが、「泥棒が来たんじゃないか」と言っていました。

聞き流すように指導して、なんとか乗り切ってもらいました。食事に関してはまともに作れないので、長男の負担軽減も考慮し、配食サービスを導入しました。入浴の仕方もわからなくなったので、デイサービスで入ってもらうことにしました。

妄想が悪化し薬物療法開始

X-3年、もの盗られ妄想に基づいて興奮することが増えたため、バルプロ酸ナトリウムを投与開始しました。いままでのリバスタッチパッチ®︎と併用です。この薬は、てんかんの薬ですが、気分の浮き沈みを抑える作用があります。このため、認知症の人の興奮を抑える目的で使用することがあります。

この薬の投与によって、以前は妄想を話し出すと興奮して30~40分もおさまりませんでしたが、5~10分でおさまるようになりました。たった20~30分の違いでも、長男にとっては大きな違いでした。

長男によれば、「助かりました!」とのことでした。認知機能はそこそこ保たれており、いままでのADLは保たれていました。

生活管理で全般に改善する

X-2年、MMSE15点でした。2年前は8点でしたので改善しています。もちろん、認知症が治ってきたわけではありません。介護サービスを手厚く入れたことによって改善したのです。

この2年前の受診時は、生活管理が破綻していて、全身が不潔になるなど最悪のコンディションでした。しかし、いまはデイサービスに通い、配食サービスを受け、清潔も保たれています。それが、認知機能検査の点数を改善したと思われました。ADLも保たれていました。

徐々に腰が曲がってきていましたが、身の回りのことは何とかできていました。もの盗られ妄想も続いていましたが、いっしょに住んでいる長男をターゲットにすることはなく、平穏な日々が続いていました。

妄想が出てくるのは夜中だけになり、日中はみられなくなりました。また興奮することもありませんでした。5~10分でおさまって、また寝ます。怒りを示すこともないし、頑固さも改善していたので、認知症の精神症状で家族が困ることはありませんでした。

身体機能が低下してくる

認知機能に大きな変化はありませんでしたが、パーキンソン症候群は徐々に増悪しました。レビー小体型認知症は認知機能の低下だけでなく、パーキンソン病と同じような身体症状が出現します。すり足、小刻み歩行といった歩行障害が主です。

そのほかにも手足が震える振戦、体が固くなる固縮、動きが少なくなるアキネジア、バランスが悪くなる姿勢反射障害などが出現します。

体の動きが悪いので、長男が介護しなければならないことは増えましたが、精神的に落ち着いていたので問題なく介護できていました。

尿失禁への対処

X-1年、尿失禁が出現しました。認知症の人の尿失禁は、いろいろな原因で起こります。尿意がわからなくなる、トイレに行くのに時間がかかってしまうので間に合わない、トイレの使い方自体がわからない、などです。

この人の場合は、パーキンソン症候群で足の運びが悪くなり、トイレに間に合わないことが原因でした。特に夜間のトイレの際、ベッドから起きてトイレまで歩くあいだに間に合わないで出てしまいます。ひどい場合には、ベッドから起き上がろうとして腹圧がかかると、ベッド上で尿が出てしまいます。

このため防水シーツを使い始めました。ベッドのマットレスが濡れないためです。寝るときはリハビリパンツも穿いてもらいました。

夫の死

この年の冬、肺炎を患っていた夫が他界しました。何度も誤嚥性肺炎を繰り返した末の死でした。

夫の死後の手続きは、全盲の長男が行わなければなりません。長男が多忙になり、通院に付き添えなくなったため、しばらくのあいだ通院介助ヘルパーを入れてもらいました。気の利くヘルパーで、長男はこのヘルパーを頼りにしていたようです。無事に相続などの手続きが一段落しました。

本人は、夫が他界したことを覚えておらず、夜な夜な「お父さんはどこ?」と探し回っていました。夜になって暗くなると、夫を探して歩き回ります。家の中を探しているうちはよかったのですが、そのうち外に出て行くようになりました。

1度目は、迷子になって自ら交番に助けを求めました。
2度目は、通行人に保護されました。保護してくれた人は、たまたま介護ヘルパーだったそうです。
3度目は、出ようとしているところを長男が気づいて制止しました。玄関の外で本人を引き止め、「お父さんはもう死んだんだよ」と言って、本人に家に入るように促しました。

本人は素直に家に入りました。そこまではよかったのですが、長男がまだ外にいるのに玄関の鍵をかけてしまいました。家に入ろうとした長男は、玄関が開かないので本人を大声で呼んで玄関を開けてもらおうとしましたが、本人は気が付かずにそのまま自室に入って寝てしまいました。長男は、なんとかケアマネジャーの事務所まで行き、ケアマネジャーに助けを求めました。

さらに記憶が遡る

数カ月するとさらに記憶が遡り、夫ではなく、自分の祖母が生きていると思うようになりました。「ばあちゃんが帰ってこない」と、落ち着かなくなります。

長男は、毎晩の症状に対応しているうちに疲労が溜まってきました。夫の他界と本人の通院介助をきっかけに、ヘルパー利用を増やしました。長男が頼りにしていた若い女性ヘルパーが来ると、本人は生き生きし、長男も気持ちが安らぎました。

夜になると騒ぐ母親への対応に疲れ、長男は辛い日々を送っていましたが、ヘルパーが来る時間が心の支えになっていました。夕方になると落ち着かなくなり「ばあちゃんがいない」「お父さんはどこ」と探していたので、その時間帯にヘルパー同行での買い物援助も導入してもらいました。

すると、本人はそれで満足するのか、夜間騒ぐ症状が軽減しました。外に出て行こうとすることもなくなり、長男は気持ちがとても楽になりました。尿失禁は徐々に増悪し、夜間だけでなく、日中も間に合わなくなりました。

認知症の進行と長男のメンタル

X年、MMSEが少し低下し、13点になりました。重度に入っています。瞬間的に忘れるので、質問の頻度も多くなりました。長男は対応に疲れ果ててしまったようです。

いままで頼りにしていた若い女性ヘルパーに、慰めを求めてしまったようです。具体的にどのようなやりとりがあったのかは私にはわかりません。長男も、「それは話せません」と言いました。しかし、事業所ではヘルパーを替える事態になりました。

「娘がいる」

ヘルパーは交代しました。その後、新しいヘルパーになってもサービスはいままで通り続けてもらいました。認知症は緩やかに進行し、それでもいままで通りの在宅生活は続いていきました。

しばらくすると、「娘がいる」という妄想が出現しました。本人には子どもは1人しかいません。全盲の長男だけです。

ところが、ヘルパーが訪問すると「最近娘が来てくれなくてね」と言うようになりました。どうやら前のヘルパーを娘だと思っていたようです。長男が頼りにしていた若い女性のヘルパーです。

長男だけでなく、本人もそのヘルパーを家族の一員のように思っていたのです。

失禁を繰り返すうちに、尿路感染症になる

X+1年、このころには間に合わないのではなく、尿意がわからなくなり失禁が増えました。そして、尿路感染症を併発しました。常時失禁状態なのでリハビリパンツは毎回濡れています。また、自分では取り替えませんし、全盲の長男もリハビリパンツの取り替えができないので、ヘルパーが訪問したときだけリハビリパンツを取り替えていました。

膀胱炎から腎盂腎炎になり、高熱が出て、入院することになりました。敗血症です。

本人が入院し、長男は在宅独居になりました。母親がいない生活は初めてです。いままで自分の目の代わりになってくれていた母親がいなくなりました。長男は家の中で転倒、大けがをしました。

一方、母親のほうは入院中の病院で食事の皿にかかっていたサランラップを食べようとして口に入れるなど、認知症がかなり進行していました。異食と言う症状です。パーキンソン症候群も進行し、外出は車椅子介助の状態になりました。

口頭指示が入らなくなる

敗血症が治り、やっと退院しましたが、認知症がかなり進んで、もはや長男の目の代わりにはなれませんでした。診察についてくるときにも、いままでは全盲の長男を椅子に座らせてから自分が座っていたのですが、このころからは長男にはお構いなしに、自分だけさっさと診察室に入ってきて、1人で座っています。

長男は何度も当院に通っているので、1人でも白杖で確認しながら診察室の椅子まで歩いてこられます。通い始めたころとだいぶ状況が変わりました。

本人は尿失禁だけでなく、便失禁もするようになりました。長男にはその処理ができず、ヘルパーに処理してもらっていました。体全体の動きが悪くなったのです。服の着替えや、食事などの動作も困難になりました。

レビー小体型認知症に伴うパーキンソン症状の増悪が原因と考えられました。このため、抗パーキンソン病薬のネオドパストン🄬を使用開始しました。すると少し体の動きが改善し、なんとか日常生活の動作ができるようになりました。

しばらくすると、今度は振戦が悪化し、食事に介助が必要になりました。このように、レビー小体型認知症は認知機能障害だけではなく、パーキンソン症候群が悪化して次々に新たな症状が出て、要介護状態が悪化するのです。

大脳萎縮に伴い、前頭葉症状も出現

さらに、手すりなどを掴むと手を離すことができなくなりました。握った手が離せない症状です。前頭葉の症状で、強制把握といわれる症状です。前頭葉の機能低下で出現します。

立位歩行はできなくなり、ベッド上介護の状態となりました。排便はベッド上となり、週1回、訪問看護師の訪問時に、浣腸をして排便させるようになりました。

歩けません。外出は全て車椅子になりました。
もはや、長男の目となり、支えとなることはできません。

長男では介護ができない

その後も在宅生活を継続していましたが、さらに認知症は進行し、MMSE4点となり、ほとんどコミュニケーションができません。本人は車椅子介助で、ADLのすべてに介助が必要な状態です。ヘルパーが手厚く入ることにより、なんとか在宅で生活できていますが、長男にはもはや介護は不能です。

介護保険の更新時期になりました。ケアマネジャーが付き添って来院したので、「そろそろ施設入所したほうがいいのではないですか?」と提案しました。

「こんな状態ですが、長男とは仲良くやっていて、互いに依存して生活しているのです。二人を引き離すことは難しいと思うのです」

ケアマネジャーは、そう言いました。

もはや、長男が同居していても介護ができるような状況ではありません。それでも同居を望んでいるのです。ケアマネジャーは、介護サービスを駆使して母子の生活を支えていこうとしています。

今までの母子の人生を考えると、それが正解なのかなと思います。
たとえそれが困難であっても。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。