CASE025:夫の病気が受け入れられない|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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当院は、認知症専門のクリニックです。
医療機関につながるのが難しい、初期~中期の、病識のない人を診察し、診断をつけて、治療やケースワークを開始することに力を入れています。

訪問診療は行っておりません。
このため、初期~中期のあいだは通院していただきますが、重度になり施設に入ったり、訪問診療に移行すると、そこで通院が終了します。

それから何カ月か、何年かして、紹介先の訪問診療医から「お亡くなりになりました」と報告をいただくことが多いのです。

ところが、たまに、そうでないケースもあります。
訪問診療に移行してからも、当院に相談に来るのです。
そういうときに私に求められるのは、本人の診療ではなく、家族のメンタルケアです。

受容できないということは、ネガティブにとらえられがちです。しかし、受容しないでも、在宅介護が継続できることもあります。受容できない人を支えるのも、私の仕事です。

そんなケースについて、お話ししたいと思います。

CASE 025
77才男性

「また通院させて下さい」

訪問診療に転院して、もう半年経ちました。
看取りに入り、通院は終了したと思っていましたが、久々に妻が来院しました。

何があったのでしょうか・・・

これまでの経過

X-10年、夜間睡眠中、夢にうなされて、寝言を言うようになりました。寝言を言うだけではなく手足をバタバタと動かして暴れるようになりました。このような症状は、レム睡眠行動障害といい、レビー小体型認知症の前駆症状と言われています。ときには認知症を発症する何十年も前から見られるケースもあります。

このころから幻視を見ていたようですが、おかしいと思われるのが嫌で、家族には言わないでいました。

趣味のオートバイで走行中に転倒するようになりました。体のバランスが取れなくなったのが原因と考えられます。パーキンソン症候群による、姿勢反射障害だったと思われます。こちらもレビー小体型認知症によく見られる症状です。

X-8年、家族が心配して、大学病院の脳神経内科を受診しましたが、いざ検査となると不安になってしまい、検査をキャンセルし、そのまま通院中断しました。診断がつきませんでしたので、治療も始まりませんでした。

X-7年、入浴中に便が漏れてしまうようになりました。便失禁は、自律神経障害の症状です。入浴すると血圧が低下して、下痢をして便が漏れてしまう人がいます。また、めまいを頻繁に訴えるようになりました。めまいも自律神経障害の1つです。幻視だけでなく幻聴も出現しました。

X-6年、家族が心配して、近所の脳神経内科を受診し検査をしました。ところが認知機能の検査は正常でした。このため、病気ではなくて単なる老化と言われて、治療につながりませんでした。

レビー小体型認知症では、もの忘れなどの認知機能に大きな異常がないにもかかわらず、幻視幻聴、自律神経失調症、パーキンソン症候群などがメインの症状として現れるケースが多々あります。「認知症」という言葉にこだわってしまうと、診断ができなくなります。

X-5年、趣味のオートバイは運転中のたびたびの転倒により、自分でも怖くなってやめました。ほかに囲碁や卓球も趣味でしたが、囲碁に関しては「盤面がイメージできなくなった」と訴えて、やめてしまいました。卓球は何とか続けていましたが、へたくそになりました。

囲碁の盤面を思い浮かべるのは、脳の高次機能です。そこに必要なのは、視覚認知と空間認知です。後頭葉や頭頂葉の働きです。このころから、後頭葉や頭頂葉の機能が低下してきたものと考えられます。

X-4年、夜中に家の中で迷子になり、トイレと寝室を間違えてしまいました。さすがに自分でも病気ではないかと思い、最初に受診して、検査が怖くて行かなくなってしまった大学病院を再度受診しました。そこで神経学的な診察を詳しく受けた結果、パーキンソン症候群が出現しているということがわかりました。また、幻視が認められるので、レビー小体型認知症と初めて診断されました。この時にはMMSE25点に低下していました。そこで、アリセプト®︎の投与が開始されました。

アリセプト®︎は、レビー小体型認知症に適応がある唯一の認知症の治療薬です。この薬を飲んでから、イライラや幻視が落ち着き、夜中に部屋とトイレを間違えて開けることがなくなりました。また、入浴時の便失禁もしなくなりました。副作用で多少吐き気が出ましたが、しばらく服用していたら吐き気はなくなりました。

困った症状は無くなりました。落ち着いていました。しかし、妻がこの病気を受け入れられませんでした。

病気の説明を受けて、治療がうまくいっているのに、妻の不安は強く、診察時にたくさんの質問があります。大学病院の主治医は忙しくて、妻の質問を途中で遮り、全部は答えてくれません。質問の答えが得られないことで、ますます妻の不安が募ります。悩んだ妻が、知人のつてをたどり、当院を知り、転院してきました。

病識がある

初診時、アリセプト®︎が奏効しており、本人はほぼ正常に近い状態でした。MMSE27点で、軽度認知障害レベルです。

私が「いかがですか」と問うと、みずから「周期的に悪い時期が巡ってくる感じです。悪い時期になると、トイレが間に合わなくて、おしっこをこぼすのが悩みです」と言いました。

レビー小体型認知症の特徴である、症状の波を体感しているのです。パーキンソン症候群で、体の動きが悪くなり、トイレに間に合わないことを言っているのです。

レム睡眠行動障害についても語りました。

「半分夢を見ている状況で動いて、間違えて、寝ぼけているような感じです。錯覚と入り混じるんです」

自律神経障害についても語りました。

「汗にも困っています。寒いのに汗が出るなど、おかしくなりました」

認知機能障害についても「囲碁がへたくそになりました」と自覚していました。

このように、自覚があることを「病識がある」と言います。通常、アルツハイマー型認知症では、早期から病識が失われ、このような自覚症状を語ることはありません。典型的な、レビー小体型認知症の患者さんでした。

初診時の状態

もの忘れには波があり、良いときと悪いときが交互にきます。悪いときは一瞬で忘れ、良いときは数日覚えています。

幻視は残存しており、「ベランダに人が立っている」と怖がることはときどきありました。また、夜間トイレに行った際、「トイレに人がいる」と訴え、トイレに入れないこともありました。そのようなときには、トイレの前で失禁してしまいました。

語想起障害があり、語彙が減っていました。言葉の意味もわからなくなり、「コンセント」などの外来語が理解できなくなりました。

本人が言うように、囲碁がへたくそになりました。これは空間認知障害です。空間全体の状況が把握できなくなっていました。

衝動性があり、不適切な発言をしてしまいます。これは前頭葉症状です。抑制が取れてしまい、思ったことをすぐに発言してしまうという症状です。失言が多くなり、周囲の人に対して失礼になります。

集中力が低下して、いっぺんに2つのことはできません。何か気になることがあると、食事さえしません。

自律神経症状も顕著で、便秘がひどく、数カ月にわたり、ひどい便秘が続いているということでした。これに伴い、食欲にも波がありました。

身体症状の進行

初診時から嚥下障害が認められ、固いもの、繊維質が多い食材が飲み込みにくくなっていました。

パーキンソン症候群が顕著で、声が小さく、囁き声に近い状態でした。すり足、小刻み歩行です。小刻み歩行については、症状の波が顕著で、すたすた歩けることもあります。手先が不器用になり、食べこぼしなどが増えました。

認知機能の低下よりも、身体症状のほうが目立つ印象でした。妻は「いまは薬がよく効いて、特に困っていることはありません。でも、これから先、どうなるのかが不安です。これから先も、どうしたらいいのか、教えてもらいたいのです」ということでした。

介護指導を行う

まずはトイレが間に合わない件で、本人が困っており、妻も困っていましたので、そこを検討しました。大量に失禁してしまうこともありました。夜間はリハビリパンツを穿いてもらいました。夜間、トイレ歩行時の転倒もありましたので、夜間は必要でした。

リハビリパンツの穿き方は覚えられませんでした。本人は、リハビリパンツを穿いて、その上からパジャマのズボンを穿くということがわかりませんでした。認知機能低下によってできないので、リハビリパンツの着脱はすべて妻が行うように指導しました。できることはやらせてよいのですが、できないことは介護しなければなりません。

「これはできないので、やってあげてください」
そう指導することが重要です。

パーキンソン症候群と付き合う

歩行時に、横や前に傾いてしまうのがパーキンソン症候群の症状です。傾くことにより、転倒しやすくなります。その特徴について妻に指導しました。どうやって支えたら転倒しないのか、効率的に介助歩行させられるのか、教えました。

このような歩行状態では、階段の下りで転倒しやすいのです。寝室が2階で、トイレが1階でした。寝室を1階に変更するように指導しました。

自律神経症状とも付き合う

自律神経症状についても考慮が必要です。
この人は、血圧変動が激しくなっていました。通常、血圧が高いと高血圧症と診断され、降圧薬が処方されます。しかし、レビー小体型認知症の血圧上昇は、高血圧症ではありません。自律神経症状なのです。

降圧薬を服用しても、適度な血圧に下がって安定することはありません。上がったり下がったり、薬の服用とは無関係で、安定しないのです。

血圧が上がったら、椅子に座って安静にする。血圧が下がったら、とにかく臥床して、足を上げて、頭を下げる。血圧の変動に応じて、体位を変えてあげなければなりません。これも妻に指導しました。

薬を変更する

X-3年、前年はアリセプト®︎が奏効しており、頭が冴えていましたが、このころから錯視や転倒が増えました。アリセプト®︎のような抗認知症薬は、最初は効果があっても、半年から1年ほどで効果が薄れてくることがあります。

このため、コリンエステラーゼ阻害薬のリバスタッチパッチ®︎に変更してみました。レビー小体型認知症に保険適応されているのはアリセプト®︎だけなのですが、似た作用のレミニール®︎やリバスタッチパッチ®︎(イクセロンパッチ®︎)も奏効することがあります。

薬を変更したところ、本人、家族が口を揃えて、「顔つきも目つきもはっきりして、頭も気分も良くなりました」とのことでした。

意識消失発作の出現

薬を変更したときの反応は良かったのですが、その後しばらくして新たな症状が出現しました。焦点意識減損発作という、てんかんの発作です。以前は、複雑部分発作と言われていました。

何かをしている最中に、突然眠ったかのように意識がなくなり、無反応になり、フリーズします。数十秒~数分で元に戻ります。レビー小体型認知症には、このようなてんかん発作を伴うことが多いのです。

そのうち症状が進行して、パーキンソン症候群が悪化、突進現象が出現し、歩行中に足の運びが加速して、止まれなくなりました。その挙句、転倒します。失行が目立つようになり、靴紐が結べなくなりました。幻視も活発になりました。

レビー小体型認知症に対する効果のエビデンスはありませんが、メマリー®︎を併用してみることにしました。すると、メマリー®︎の副作用で眠気がひどくなり、日中ほとんど寝ているような状態になりました。これは失敗でした。すぐに中止しました。

パッチでかぶれてしまう

リバスタッチパッチ®︎の貼りはじめは著効しましたが、そのうちかぶれるようになりました。パッチかぶれには、いろいろな対策があります。風呂上がりに、皮膚の広い範囲を保湿します。これからパッチを貼付する部位に皮膚保護剤を塗布。その上からローションタイプのステロイドを塗布。乾いて皮膚表面がサラサラになったら貼付剤を貼ります。貼付剤を剥がすときにはそっと剥がし、残った糊は石鹸とお湯で優しく洗い流します。清潔になったら保湿剤を塗り、さらにステロイド軟膏を塗ります。

妻に指導し、がんばってやってもらいました。しかし、徐々にかぶれがひどくなり、どうしても貼れなくなりました。

この段階で、まだ使用していないレミニール®︎を勧めましたが、副作用に対する妻の不安が強くなり、薬剤をすべて中止することになりました。

レビー小体型認知症は、「薬剤過敏性」という症状もあります。この症状は、厳密には「抗精神病薬の少量投与で、副作用の薬剤性パーキンソン症候群が強く出る」ことを言います。

抗精神病薬は、統合失調症の薬で、幻覚や妄想の治療に使います。レビー小体型認知症では、幻覚や妄想が出るので、抗精神病薬が処方されることがあります。そのときに薬剤性パーキンソン症候群が強く出てしまい、体が動かなくなり、それこそ「廃人」のようになってしまうのです。これを「薬剤過敏性」と言います。

いわゆる「薬剤過敏性」とは異なりますが、抗精神病薬だけでなく、ほかの薬剤でも副作用が強く出てしまう傾向があるようです。抗認知症薬で薬剤性パーキンソン症候群が出現したり、アレルギーやそのほかのさまざまな副作用が激しく出てしまうことがあります。

この人も、処方した薬剤で次々に顕著な副作用が現れて、治療に難渋しました。

薬の使用・不使用と無関係な症状の波

1年前には病識があり、自分の症状について語っていました。病気が進行しても、「それは病気の症状ですよ」と言われると、「なるほど」と納得できて気持ちが落ち着きます。幻視があっても、「病気で見えるだけ。本当はない」と言われると落ち着きます。

貼付剤をやめてしばらくすると、失行が出現しました。トイレの使用法がわからなくなり、妻が付きっきりでないとちゃんと排泄できません。

レム睡眠行動障害も出現しました。夜間寝ているあいだに急に起き上がり、押し入れの襖をガタガタ動かそうとしたり、寝たまま布団の上で手足をバタバタと動かしたりします。

視覚認知障害もさまざまな症状が出てきました。「テーブル全体がチョコレートに見える、トイレの中の水が溢れてそこらじゅうが水浸しになっている、壁の穴に雀が入っていった、ゴキブリが列をなして行進をしていた、大きなネズミがいる」などと訴えます。

趣味の囲碁で使う碁石を、白と黒に分けられなくなりました。テレビ画面は横長ですが「縦長に見える」と言います。脱衣場をトイレと見間違え、トイレに入って服を着替えます。トイレの場所を示すため、妻が「トイレ」と書いた貼り紙をしましたが理解できません。幻視を怖がるようになりました。

波は激しく、調子が良いときは何もかも普通に理解でき、機嫌もよく、鼻歌など歌って過ごしていました。

徐々にピークが下がる

調子が良いときの状態(ピーク)が徐々に低下してきました。記銘力障害が悪化しました。前日やったことを覚えていません。

「自宅がもう一軒ある」と言い出しました。重複記憶錯誤です。重複記憶錯誤は、前頭葉の障害で起こります。実際には1つしかないはずの場所や人物が、複数存在すると確信を持って主張します。統合失調症でも見られますが、認知症ではレビー小体型認知症で多く見られるといわれています。


トイレの使い方がわからなくなり、便器の座り方、水の流し方がわかりません。水道の蛇口の操作ができません。紙パンツが汚れると、取り替えるのではなく、汚れたところを千切るようになりました。ゴミ箱に排泄するようになりました。

パーキンソン症候群も悪化し、すくみがひどくなりました。日中眠り込むことが増えました。不安感も強くなりました。常にソワソワして、家族に依存的です。妻が付きっきりでないと落ち着いていられません。

性的行動

妻に対し、ボディタッチが増えました。性的行動です。思春期の少年のように「セックスしたことがない。させてくれ」と言います。

抗認知症薬を中止していましたが、急速に進行したので再開することにしました。いままで使ったことのないレミニール®︎を処方しました。しかし、効果はありませんでした。かえって落ち着きがなくなり、すぐに中止しました。

大きなぬいぐるみを買って、与えてみるようにアドバイスしたところ、とりあえずすぐに手に入る抱き枕を買いました。抱き枕を与えると妻への欲求は軽減し、よく眠るようになりました。

このころでも本人には病識がありました。診察室で性的言動の話になると、「恥ずかしいけれども、妻に触りたいです」と言います。また「いままででいちばん効いたのは貼り薬です。貼ると頭がはっきりしました。治るような気がしました」と言いました。

レム睡眠行動障害

寝言だけでなく、手足をバタバタ動かして、夜間に落ち着かない症状が持続していました。妻が、夜中に気になって眠れません。治療を希望しました。

これに対して、リボトリール®︎を処方しました。すると、動いたり寝言を言う症状が治りました。また、いびきが多かったのも改善し、よく眠れるようになりました。

便秘

認知症を発症するずっと以前からありました。徐々に便秘がひどくなり、ウサギの糞のようなコロコロ便になりました。

レビー小体型認知症は、パーキンソン病と同じαシヌクレインというタンパク質が原因物質であり、この物質が神経細胞に沈着することで起こります。そのタンパク質の侵入経路が、腸からであるということがわかってきました。

便秘になると、αシヌクレインの凝集が、腸から末梢神経をさかのぼって伝わり、脳に達してパーキンソン病を来すのではないかといわれています。そもそもの始まりは、腸内細菌叢の異常ではないかといわれています。

この便秘の治療には難渋しました。自然排便を待っていると、1週間は経ってしまいます。浣腸を処方して、なんとか便を出してもらいました。下剤も、アミティーザ®︎、ラキソベロン®︎などいろいろ試しましたが、うまくいきませんでした。

偏食が出現し、急激に認知機能が低下

好きなものしか食べなくなりました。フライドチキン、牛丼、ラーメン、餃子などです。

入浴の仕方、紙パンツの穿き方がわからなくなりました。食事の仕方、服の着方、風呂での洗い方もわかりません。

食事については、味噌汁やスープ、お茶などの液体に、ご飯、おかずなどすべて入れてしまい、かき混ぜておさじで食べます。

このころはMMSEが12点でした。初診時、1年半前は27点でした。急激な低下です。通常のアルツハイマー型認知症では、1年で約3点低下し、1年半なら4~5点の低下です。この人は1年半で15点も低下しました。

歩行失行が出現しました。足の出し方がわからなくなり、うまく歩けません。プールの中で歩いている人のようです。

指示語が多く、会話が通じません。帰宅願望が出て、「ロシアに飛行機で行く」と言い出しました。ロシアに住んでいたことなどありません。自分の年齢を30歳と言ったり、90歳と言ったりします。

食事の後で急に収縮期70ほどまで血圧が低下し、意識を失うようになりました。食事性低血圧です。自律神経障害の悪化による症状です。

急激に悪化したので頭部MRIを施行しました。海馬の萎縮はほとんどありませんでした。レビー小体型認知症では、海馬の萎縮がさほどでもないのです。しかし、大脳皮質のびまん性萎縮は進行していました。

再度、抗認知症薬を試みる

あまりにも悪化してしまったので、妻に説明のうえ抗認知症薬を再開しました。本人が、「いちばんよく効いた」と言っていた貼付剤にしました。かぶれますが、皮膚保護剤やステロイドを駆使して使いました。

X-2年、パーキンソン症候群による歩行障害がさらに進行し、屋外歩行不能となり、車椅子を借りることになりました。

訪問リハビリテーションが必要と考え、訪問看護を導入してもらいました。リハビリテーションだけでなく、訪問看護は疾患が進行したときに全身管理にも必要です。

このころから、特に前頭葉症状が悪化しました。

家族がうつ状態になる

前頭葉症状により、人格が変化し、わがままになり、家族に配慮ができなくなりました。家族は一生懸命介護しているのに、意に沿わないことがあると「家族を解散しよう」などと言います。何かしてもらっても、「ありがとう」と言いません。憎まれ口ばかり言います。

妻以外にも、息子や娘が介護を手伝っていましたが、人柄が変わってしまったことに戸惑っていました。もともと子煩悩で、仕事よりも家族を大事にする、良き家庭人でした。良い夫であり、良い父親だったのです。このため、家族は皆、最後まで家で介護したいと思っています。それなのに、別人のようにわがままに振る舞うのです。

別人のようになってしまった父親をみて、家族が抑うつ的になりました。病気のせいだとわかっていても、本人の発言一つひとつに家族は傷ついてしまいます。つい、昔の「お父さん」を求めてしまうのです。

まずは息子に、介護カウンセリングをしました。以前の父親を求めるのではなく、病気の症状の特徴を知り、妄想への対応を指導しました。話を合わせて、本人が自然に納得できるような対応方法を取るようにしてもらいました。また、ハサミをいじるなど危険行為をしそうになるというので、危ないものはすべて片付けるように指導しました。

このようなカウンセリングで、息子のストレスは徐々に軽減していきました。

保たれている病識

診察時に、本人に対して「気分はどうですか」と尋ねると、「脳みそが半分落ちたような気がする」「中が空っぽな感じ」と言います。頭部MRIの画像の通りです。自分の状態がわかっているかのような発言です。病識が保たれているのです。

一方、前頭葉の萎縮に伴う脱抑制が悪化し、同じテーブルについている人の皿から無断で食べます。いくら病識があっても、その衝動を抑えることはできません。外食のとき問題になりました。

同じく、脱抑制の影響で過食になり、好きなものは際限なく食べます。肥満してきました。対策として、マンナンライスを勧めました。

リバスタッチパッチの効果は顕著でした。パッチを貼っていると、意識がはっきりします。病識があり、理性的に話ができます。剥がすと、朦朧としてきます。妄想の世界に入ってしまいます。

褥瘡、薬剤過敏、睡眠時無呼吸症候群

体の動きはますます悪くなり、仙骨部に褥瘡ができました。幻視がひどくなり「死体がある」「指先から、わたが出ている」と言います。

偏食も悪化しました。魚、肉、あんこ、アイスクリームのみ食べます。脱抑制も悪化し、どこでもかまわず歌を歌っています。

試みとして貼付剤を増量してみました。初期用量の4.5mgを継続していたのですが、9mgにしてみました。すると副作用が激しく出ました。意識が朦朧として、パーキンソン症候群による全身の固縮が悪化し、身動きができなくなりました。流涎も顕著になりました。このため、貼付剤はもとの4.5mgに減量しました。

病状の進行に伴い、睡眠中に呼吸が止まる、睡眠時無呼吸症候群になりました。

失行が悪化

風呂の湯船から出るときに、立ち上がり方がわからなくなりました。車からの降り方がわからなくなりました。洋式便器の座り方がわからなくなりました。

X-1年、自宅で入浴できなくなり、デイサービスで入浴するようになりました。血圧が乱高下し、入浴の前後で大きく変動します。血圧が高すぎたり、低すぎたりして、入浴サービスが受けられないことが頻繁です。私が指示書を書いて、入浴可能な血圧の幅を広くとってもらいました。

このころは、MMSE4点に低下しました。最重度の認知症の状態です。

トイレ以外での排泄、嚥下機能の低下

台所で排便するようになりました。トイレの中でも、便器の使い方がわからず、床に排泄します。これには家族も心が折れました。

頭部MRIを施行したところ、海馬の萎縮の進行はほとんどありませんが、前頭葉の萎縮が顕著でした。MMSEの低下が急激なのは、記銘力障害の悪化ではなく、注意力の低下、集中力の低下などが反映していました。

同時期に嚥下障害が悪化しました。食事はとろみをつけないと水物でむせるようになりました。固形物よりも水物のほうがむせやすいのです。それでも好物の餃子やラーメンを食べるときにはむせません。モチベーションが嚥下機能に影響するのです。モチベーションを司っているのは、前頭葉です。好物を与えることによって前頭葉の機能が高まります。そして、嚥下機能も改善するのです。好きなものだけ食べさせていればよいと指導しました。

症状の波、てんかん

寝入りばなに痙攣するようになりました。全般化した全身の痙攣だけでなく、手など体の一部がピクッとするミオクローヌスや、以前からあった、意識が途切れて口をもぐもぐする焦点意識減損発作も出現します。

抗てんかん薬のイーケプラ®︎を開始しました。イーケプラ®︎を飲み始めてから、てんかん発作は起こらなくなりましたが、眠気が徐々に強くなりました。 それに伴い、食べる量が徐々に減りました。食べ物の好みが変わり、餃子、ラーメンのブームが終わり、牛丼とアイスクリームが好きになりました。

自律神経障害も悪化し、排尿がやたら多かったり、ぜんぜん出なかったりを繰り返します。

体の動きも全般に悪くなり、パーキンソン症候群の悪化と考えられました。このため、ニュープロパッチ®︎を併用開始しました。貼付剤です。この薬により一時的に嚥下障害が改善し、食事量が増えました。

家族の不安が高まる

抗てんかん薬の副作用で、眠っている時間が増えたことで妻の不安感が増しました。家族のメンタルケアがますます必要になりました。

いままでリハビリテーションだけお願いしていた訪問看護ステーションに、看護師の派遣も依頼しました。訪問看護師が何度か入り、在宅での状態が思いのほか悪いことに気がつきました。嚥下障害や歩行障害、てんかん発作など、「訪問診療のほうが良いのではないか」との提案でした。

看護師は、妻の精神状態がかなり悪いことに気づきました。妻はうつ状態で、理解力が低下しています。不安感が強く、いつも何かしら心配ばかりしています。介護にこだわりがあり、抱え込んでいます。デイサービスや施設に預けることに対する抵抗感もあります。訪問診療の話が出ると、真っ先に反対したのは妻でした。

妻の受診を促す

妻の精神状態が悪化したとの連絡を受け、妻に当院に受診してもらうことにしました。外来で妻自身の症状を尋ねると、いろいろな訴えが出てきました。

「胸が苦しい、微熱が出る、背中が痛い、気持ちが落ち着かない、焦ってしまう、食欲が出ない、食べ物がおいしくない、肩が凝る、不安、ゆっくり眠れない、喉が渇く」などです。どれも、うつ病に見られる症状です。介護うつです。

誤解

妻は、夫の状態がどんどん悪化するのを見て不安感が強まりました。自分の息子や娘にも、この病気が遺伝するのではないかと恐れました。そして、子どもたちに「あなたたちは、レビーの遺伝子を持っているのだから、早めに薬を飲んで!」と言いました。娘はショックで泣いてしまいました。息子は反発しました。子どもたちとトラブルになりました。

妻にカウンセラーと面接してもらいました。当院では、主に、家族関係に特化したカウンセリングを行なっています。カウンセラーは、妻の子どもたちに対する発言について、「それは、子どもに対するDV(家庭内暴力)です」と指摘しました。夫の介護に夢中になるあまり、子どもたちへの配慮がまったくできなくなっていたのです。

診察のとき、「私は子どもたちに、なんということを言ってしまったのでしょう。これから子どもになんと言ったらいいのでしょう」と、涙ながらに訴えてきました。

私は「レビー小体型認知症は遺伝しません。まずはレビーの遺伝子を持っているという発言を撤回してください」と言いました。すると「遺伝しないのですね!」と表情が明るくなりました。

夫だけでなく、子どもたちとの接し方についても指導が必要でした。「医学的に正しい知識に基づいて、介護に疲れたらショートステイを利用して、気持ちに余裕を持って介護していれば、家族は仲良くできるはず」と説得しました。やがて、子どもたちと和解したようです。

「遺伝しないと、子どもにちゃんと言いました」

その後、家族はひとまとまりとなって協力できるようになりました。妻は「介護を楽しめるようになりました」と言いました。

本人は、体の動きが悪くて当院に来られなくなり、訪問診療に移行しました。最後の診察時には車椅子に乗っていました。紹介状を発行しました。「これからは、おうちにお医者さんがきてくれますよ」と、最後にそう話し、もう会うことはないと思っていました。

妻が通うようになる

X年、半年ぶりに妻が来院しました。「また通院させてください。夫の症状について相談したい」というのです。夫は要介護5になっていました。

精神的に不安定で、眠れなかったり、不安になったりで、妻自身が治療を希望しました。訪問診療の医師は、レビー小体型認知症の専門医ではなかったので、症状の詳しい説明を求められても、妻が納得できるような詳しい説明ができなかったようなのです。単に忙しくて、説明する時間がなかったのかもしれません。

妻は、不安を解消してくれることを求めていました。

治らない病気で、症状は刻々と悪化します。次々に新たな症状が出現し、舌根沈下、高いびきの症状が現れました。流涎も増えました。それらがどうして出現するのか、どう対策したらよいのか、具体的な答えを求めましたが、教えてもらえなかったというのです。

妻のカウンセリングということで、それらの症状について時間をかけてじっくり説明しました。

過去の罪悪感が出てくる

妻は、夫の状態の悪化に伴い、過去の悪いことばかりが思い出されるようになりました。夫の両親を介護していたときのことです。義父母の介護が至らなかったので、その恨みがいまの苦しみを生んでいるのではないかと思うようになりました。夢に義父母が出てくるようになりました。

誰にも言えないでいましたが、カウンセラーにその悩みを話し始めました。過去の義父母の介護が至らなかったと、ずっと罪悪感を抱えていたのです。振り返ることによって、罪悪感は徐々に解消しました。

嚥下性肺炎

ついに、本人は嚥下性肺炎になりました。嚥下性肺炎は、レビー小体型認知症の死因の一つです。

嚥下障害の悪化により肺炎になります。幸い、訪問診療医が処方した抗生物質が奏功し、回復に向かいました。主治医は胃瘻の造設を勧めました。

妻の話では、本人は何より食べることが好きな人でした。胃瘻にすることは、生きる意味があるのかと葛藤していました。

妻は「なんでもいいから生きていたい」と本人が言っていたことを思い出しました。胃瘻を作ることに心が傾きました。しかし、子どもたちは胃瘻の造設に反対し、結局は行われませんでした。食べられなくなったら看取りになるのだと思われました。

睡眠リズム障害

寝たり起きたりするのが不規則になりました。ゼリー食にしました。それでもむせます。唾液が喉に溜まり、いつもゴロゴロしています。訪問看護師の指導で吸引機を設置し、妻も吸引するようになりました。誤嚥性肺炎を繰り返さないために、口腔ケアを指導しました。

ときどき幻視があり、何もない空間を凝視しています。たまに「歩きたい」と言います。家族が抱えて2歩くらい歩かせます。

妻の葛藤

「夫の様子を見ているだけで苦しいのです。重圧感があり、胸が苦しくなります。この先どうなるのかと思うと、耐えられなくなりそうです」

この病気がどのように進行し、どんな症状が出てくるのか、病気で亡くなるとしたら……どういうふうになるのか、わからないからこそのつらさでした。

「そんなに辛いのなら、施設に預けてはどうか」と、ケアマネジャーも、訪問看護師も、訪問診療医も言いました。しかし、最後まで家で介護したいという思いが強く、周囲の人が施設に預けるようにアドバイスしても、受け入れられませんでした。

カウンセリングで、夫の介護以外の自分の人生について考えてもらうことにしました。何カ月かするうちに、「夫の介護は、自分の人生の6~7割になりました」と言いました。

寝たきり

X+1年、寝たきりになりました。座位も取れません。毎食、ペースト食を食べます。痩せてきました。

体は棒のように硬くなりました。レビー小体型認知症の末期です。口腔内に痰がこびりつき、自分では出せません。覚醒している時間が減りました。ほとんど意識がありません。排便は浣腸と摘便です。

「弱っていく夫を見ていくのは、辛いです」

妻はそう言いました。

「夫の介護から、逃げ出したい気持ちもあります」
「逃げ出してもいいのですよ」

私はそう言いました。

「でも、やりたい気持ちもあるんです」

介護から逃げたい気持ちと、やりたい気持ち。それが同時に存在しているのです。

エアマットを導入し、時間で体位交換するようにしました。褥瘡を作らないためです。吸引の回数が増えました。ゼリーなどを経口摂取させていましたが、その量が激減しました。

本人は、表情が乏しくなりました。いつも、微笑んでいるような表情のままです。

「いつも笑っているんですよ。最後まで家で看ようと思います」

やがて、薬が飲めなくなりました。認知症の薬も、パーキンソン病の薬も飲めなくなり、中止になりました。

末期になり、病気を受け入れる

本人は、舌根沈下やときどき呼吸が止まるなどの症状が出てきました。

「夫が病気なんだな、と受け入れたら、つらさが減ってきました」

妻が私に言いました。

本人が通院しなくなって2年経ちました。もういつ命が終わってもおかしくない状態です。どんな状態なのか、私は直接診察していないのです。しかし、妻の話を聞いていると、いまの状態がある程度思い浮かびます。毎回、イメージしながら妻にアドバイスをし続けます。

いつか終わりが来る、その日まで。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。