CASE028:異国の地で|ケアマネ医師は患者・家族とどう向き合ってきたのか 認知症の介入困難事例アプローチ|西村知香

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日本には、いろいろな国から移り住んできている人々がいます。日本で暮らすうちに、日本の言葉や文化を徐々に身につけて、慣れていきます。

日本に来るのには、いろいろな理由があります。好きで日本に来ても、文化の違いでストレスを感じることもあるでしょう。そんなときに、精神疾患を発症してしまうこともあります。また逆に、日本の生活にすっかり馴染んでいても、病気になったことによって、徐々に馴染めなくなり、うまく生活できなくなっていくこともあります。

CASE 028
78才女性

当院の待合室に、修道服に身を包んだシスターが3人並んで座っていました。3人のうち1人は、ラテン系の顔立ちです。当院に通院中の認知症のシスターです。

いつもの診察が終わり、「お大事に」と挨拶をして診察室から送り出しました。すると、廊下から1人のシスターが戻ってきました。「実は、今の診察では日本語を話していましたが、修道院では、もう日本語がわからないようなのです」と言うのです。長年話してきた日本語を、ついに忘れてしまったのでしょうか……。

これまでの経過

チリ出身の修道女です。布教のために28歳で来日し、以来50年間、日本国内の修道院で暮らしていました。明るく、穏やかな、おっとりした性格で、料理と庭仕事が好きなシスターでした。

X-10年、北関東の修道院に出向しました。

X-4年、北関東に行く前に住んでいた、都内の修道院に帰ってきました。元気がなくなっていました。以前のような溌剌とした様子ではなくなり、朝のお祈りの時間に居眠りをしてしまうようになっていました。姿勢が悪くなりました。

X-3年、料理ができなくなり、味付けがおかしくなりました。食事のときにむせるようになりました。

歩行が遅くなったので、トイレに間に合わないことがあり、ポータブルトイレを使っていました。自室内に手すりも設置してもらっていました。

物忘れがひどくなったので、当院に受診されました。

頑固さや、怒りっぽさが現れる

日々の出来事を忘れてしまいます。印象の薄いことは、まったく記憶に残りません。勘違いが増えました。もともと穏やかな性格で、何事もなければ穏やかなのですが、他のシスターが本人にわからないことを追求したりすると、怒ったり、頑固に拒絶するようになりました。

日本語の単語がわからなくなってきました。母国語はスペイン語です。わからない単語は、スペイン語で代用するようになりました。

都内の電車の乗り方がわからなくなり、1人で公共交通機関を利用して外出することができなくなりました。

病識欠如

本人は、物忘れの自覚は多少ありましたが、「それによって困ることはまったくない」と言いました。病識欠如は、アルツハイマー型認知症に典型的な症状です。頭部MRIでも、海馬の萎縮があり、アルツハイマー型認知症と考えられました。

修道院のシスターたちは、進行予防の薬物療法を希望しました。このため、アリセプト®︎の投与を開始しました。

アリセプト®︎の効果

服用を開始して、すぐに意欲が改善しました。以前はすぐに居眠りしてしまう状態でしたが、覚醒している時間が増え、「何かやりたい」と言うようになりました。しかし、同時にいままでなかった症状が出始めました。部屋の中の整理を延々と続けて、なかなか終わりません。以前は、片付けなどしませんでした。

お祈りに行くときに声をかけると、「お祈りができる自信がない」と言い、尻込みするようになりました。いままでは毎日修道服に着替えていましたが、休むときに着るガウンのまま食堂に出てくるようになりました。

薬が効いている面と、認知症が進行している面とが入り混じっていました。

1~2カ月すると、食事のメニューが少し増えました。以前作れていた料理がまた作れるようになりました。以前作っていた、生まれ故郷のチリの料理をまた作るようになりました。

修道院は20人ぐらいの人が共同生活をしていました。以前は、人前で昔のことを話さない人でしたが、チリで生まれ育った話を皆にするようになりました。もともとガーデニングなどの庭の手入れが好きでしたが、庭の草取りなど、欠かさずやるようになりました。

首垂れと病識

身体面では、徐々に首が曲がってきて、いわゆる「首垂れ」の状態になりました。診察時には病識があり、「新しい頭が欲しいです」と語りました。

X-2年、薬の管理はできないので、世話係のシスターが援助していました。週1回は当番で、食事の支度をしました。首垂れは治ることがなく続いていました。

当初は病識がありましたが、徐々に病識が薄れてきました。数カ月経つと「子どもじゃないんだから、薬の管理は自分でできる」と主張し始めました。自分の主張が通らないと、泣いて訴えるようになりました。周りのシスターたちは困りました。

病識欠如は認知症の症状の悪化と考えられました。MMSEを試行したところ17点でした。中等度の認知症の状態です。見当識障害、記銘力障害は重度です。

本人があまりにも激しく主張するので、シスターたちは薬を本人に管理させました。

火の不始末が出現

週1回は調理の当番でしたが、火の不始末が出現しました。鍋を焦がします。調理を失敗するところを人に見られたくないためか、台所に入ると中から鍵をかけてしまうようになりました。
漢字やひらがなが読めなくなりました。

修道院内でも、診察場面でも、話し言葉はスペイン語が増え、日本語がなかなか出てこなくなりました。

火の不始末が増えたので、修道院内ではサラダ作りのみをしてもらうことにしました。主にサラダのトッピングだけをさせることにしました。すると情緒が安定し、台所の内側から鍵をかけてしまうこともなくなりました。

このように、認知症になると自分ができないことを不安に思ったり、恥ずかしいと感じて、隠そうとします。何ができて何ができないのかを見極めて、できることをさせるのが望ましいのです。

そのうち、物のしまい場所がわからなくなりました。この頃に、アリセプト®︎を1日7.5mgに増量し、その1カ月後に10mgに増量しました。また、薬は本人が管理していましたが、飲み忘れが増えたので、世話係のシスターが薬を預かりました。

食事の支度ができなくなる

アリセプト®︎を増量し、さらに薬の管理を援助したことで規則正しく服用でき、意欲が出ました。台所に入り、配膳などを手伝うようになりました。

しばらくして、自室内で転倒し、右手首を骨折しました。これをきっかけに箸が使えなくなりました。28歳で日本に来てから、食事は箸を使っていましたが、骨折が治っても箸は使えるようになりませんでした。フォークで食べるようになりました。

介護保険サービスは、骨折するまでは手すりの貸与だけでした。ところがこのころ、骨折の影響で入浴動作ができなくなり、介護保険サービスで入浴を援助することになりました。私は、ケアマネジャーと連絡を取りました。骨折後のケアやリハビリテーションも必要なので、訪問看護での入浴を導入してもらいました。訪問看護指示書を書き、定期的な入浴介助に入ってもらいました。

骨折前は意欲が改善していましたが、骨折後は部屋に閉じこもりがちです。動作が鈍くなり、ぼーっとしており、もの忘れも悪化しました。

食事の時間を忘れます。外出する際、電車の乗り降りにもたついて、素早く動けません。注意力も低下し、危ない感じです。

以前は得意だったサラダ作りも難しくなり、見よう見まねでなんとかやっています。

ガクッと悪くなる

X-1年、MMSE14点に下がりました。やや重度の状態です。電気ポットの使い方がわからなくなりました。庭仕事は、なんとかいままで通りやっていました。

1人では、サラダ作りができません。世話係のシスターが付きっきりで教えながら、なんとかサラダを作ることができます。

転倒を防ぐため、ケアマネジャーに依頼し、介護用ベッドを導入し、ベッド柵をつけてもらいました。修道院の2階に居室がありましたが、転倒のリスクが高いため、居室を1階に変更してもらうことにしました。

庭仕事が好きなのは相変わらずで、誰も見ていないときに1人で庭に出てしまうため、転倒リスクは高い状態でした。

訪問看護が入り、リハビリテーションも行っていたところ、MMSEは17点と上昇しました。MMSEは改善しましたが、失禁が悪化しました。ときどき下着の中に出てしまい、自分で気がつきません。

迷子になるので、近所のお店に買い物に行けなくなりました。改善した部分と、悪化した部分が混在していました。

ベル麻痺

注意力が低下し、足の運びも悪く、室内の電気アンカのコードに引っかかり転倒しました。腰部を打撲しました。しばらく身動きできないほどのひどい打撲でした。

痛くて寝込んでいると、突然、左顔面が麻痺しました。それを訪問看護師が発見しました。近くの中規模病院にすぐに搬送され、頭部CT検査を行いましたが、脳に異常はありませんでした。左顔面の麻痺だけで、手足の動き、構音や嚥下に問題はありませんでした。本人も「顔に力が入らないけど他は大丈夫、3回目ね」と言っていました。

ベル麻痺です。末梢性顔面神経麻痺で、寒冷暴露や風邪、ヘルペスウイルス感染などが原因で起こるといわれています。免疫力が低下したときに起こりやすいので、今回のように腰を打撲して痛みが強く、寝込んでしまっているようなときに起こります。

ヘルペスウイルスは体の中に潜んでいるので、その人の体力が低下したり免疫力が低下すると活発になり、炎症を起こします。炎症を起こす場所によって、帯状疱疹や口唇ヘルペスが起こりますが、顔面神経に炎症を起こすとベル麻痺になります。

本人は以前にも、このベル麻痺になったことがあったようです。3回目と言っていました。本人は「前の2回はきれいに治ったので、今回もきっと大丈夫。治るのには時間がかかるね」と言いました。認知症になっても過去の記憶はあるのです。

顔面神経麻痺になると、片方の目、口や頬の動きが悪くなります。眼輪筋、口輪筋は、それぞれ目や口を閉じる筋肉です。この筋肉が麻痺すると、目や口が閉じられなくなります。

目が開けっ放しになり、涙液が出なくなることもあります。眼球が乾いて、ごろごろして目が痛くなり、結膜に炎症を起こします。「兎眼」と言います。うさぎのように目が真っ赤になります。軽い麻痺は兎眼にならないのでわかりにくいですが、目をぎゅっとつぶってもらうとわかります。通常は目をぎゅっとつぶると、まつげが上下の眼瞼の間に隠れます。目を閉じる力が弱くなると、麻痺しているほうの目だけまつげが見えるので、「まつげ徴候」と呼ばれます。

目が完全に閉まらないので、眼球を保護する必要があります。この際、眼帯を使ってはいけません。眼帯は目に密着するので、ガーゼが眼球の表面を刺激して炎症がひどくなります。メガネやゴーグルの使用が適切です。洗髪の際に目が閉じないので、シャンプーやリンスが目に入ります。洗顔の際には目に石鹸が入ったり、顔をこする際に指が目に入ることもあります。顔は、蒸しタオルで拭くなどしたほうが安全です。

頬の筋肉が麻痺すると、つっぱった感じがします。口角が上がらなくなります。食事を咀嚼したときに頬が動かないので、頬の内側に食べたものが溜まってしまいます。うがいをすることもできなくなります。唾液の分泌が悪くなったり、味覚が低下することもあります。口が完全に閉まらなくなるので、麻痺しているほうの口角から口の中のものが出てしまいます。

治るのに時間がかかると、麻痺している筋肉が萎縮して後遺症が残ってしまいます。筋肉を刺激するように、蒸しタオルで温めたり、マッサージをすると良いといわれています。

9割方は2~3週間で治りますが、何週間もかかるような場合には後遺症が残ることがあります。また、味覚障害や聴覚過敏が出るような場合には治りにくく、後遺症が残ることが多いです。

この人の場合は、目はまつげ徴候が出ている程度でした。口は、麻痺しているほうの口腔内に食物が残ってしまい、指で掻き出す必要がありました。しかし、1カ月後には完治していました。完治すると、ベル麻痺になったことはまったく覚えていませんでした。

日本語の意味がわからない?

X年、診察に来ると、「こんにちは」と挨拶し、「寒くなったから、膝が痛いです」などと話します。自分からは話しますが、日本語で話しかけられると意味がわからないことが増えました。

通院で電車に乗るときも、以前はPASMOで改札を通過できていましたが、カードの区別がつかなくなり、診察券で改札を通ろうとします。

それでも日常生活動作は自立しており、尿失禁があっても自分でパットを取り替えることができていました。

自分で耳垢を取らなくなり、訪問看護師が訪問時に処置しようとしましたが、大量にたまっていて、固くなり、「耳垢塞栓」になっていました。耳栓と同じです。耳鼻科で除去してもらうと、聞こえが良くなり、日本語で話しかけても反応するようになりました。

耳垢は、認知症になると自分で処置しなくなるので、たまっていることがあります。なかなか気がつかないことが多く、難聴だと思われているケースがあります。リハビリテーション病院に勤務していたときに、話しかけても返事をしない、脳卒中慢性期の患者さんがいました。耳の中を覗いてみたら、真っ黒な耳垢がぎっしり詰まっており、オイルで浸軟するなどして耳垢鑷子で取り除いたところ、鼓膜まで達する2cmほどの長さの耳垢が出てきて驚いたことがあります。その患者さんは、話しかけられると返事をするようになりました。

この人も、認知症になってから自分で耳垢を取ることを忘れていたようです。
日本語がわからなくなったのかと心配しましたが、耳垢塞栓による難聴だったのです。

排泄機能の悪化

MMSE16点に下がりました。おかずの煮物を皿ではなくコップに入れるなど、食器が選べなくなりました。入浴時に洗身や洗髪がうまくできなくなったので、訪問看護師の訪問時に入浴介助を受けるようになりました。きちんと洗えていなかったため、足爪白癬になっていました。爪も肥厚し、看護師の処置が必要です。定期的なフットケアも行うことになりました。

入浴時に下着をチェックすると尿や便を失禁していました。下着だけでなく、着衣にも付着していることがあり、臭います。自分では気づいていません。パットを自分では取り替えなくなっただけでなく、パットを付けることも忘れるようになりました。

薬を飲み忘れ、援助されると怒るようになりました。周囲の人たちが、援助の際にあえて本人に言わず、黙って食器の上に薬を出すなど、配慮するようにしたら怒らなくなりました。

診察時に「いかがですか」と尋ねると、「大丈夫。ひとりでできる」と答えます。

転倒することが増えたので、ベッドの周囲に手すりを設置しました。入浴の際にシャワーチェアーとシャワーキャリーを導入しました。

もの盗られ妄想の出現

X+1年、MMSE14点に下がりました。表情が乏しくなり、笑顔が減りました。財布や現金をなくして、誰かに盗られたということが出てきました。もの盗られ妄想の出現です。

それまではアリセプト®︎だけで治療していましたが、メマリー®︎の併用を開始しました。メマリーは、中等度から重度のアルツハイマー型認知症の治療に使います。

食堂で皆と食事をする際に、他の人の皿から食べるようになりました。食欲が亢進して過食となりました。以前より多く食べているにもかかわらず、体重は増えませんでした。日本に来てから箸を使っていましたが、もう使えなくなっていました。フォークで食べていましたが、このころになるとフォークも使えなくなり、手づかみで食べることが出てきました。

本当に日本語がわからなくなる

もともと好きだったガーデニングは、以前に比べてやりたがることが増え、しょっちゅう庭に出てしまうようになりました。それが自分の仕事だと思っています。

時間がわからなくなり、夜暗いのに庭に出て、落ち葉を拾ったり、草をむしっています。「やらなくてもいい」と他のシスターが注意しますが、意味が通じません。

同郷のシスターが、スペイン語で制止すると、「働いていない者は食べてはいけない」と、スペイン語で言います。日本語で「働かざるもの食うべからず」といったところでしょうか。寒くなっても庭で掃除をしていることが増えたため、風邪をひいてしまいました。庭の掃除に夢中になって、食事の時間に遅れてくることが増えました。

最期の地

もうスペイン語しかわからないので、私は「故郷の国に帰ってはどうか」と提案しました。しかし、世話係のシスターによれば、「故郷には家族や親戚がなく、帰る場所はない」ということでした。

その翌年、体調を崩し、当院に通院できなくなりました。訪問診療になり、他院に転院しました。当院の患者さんではなくなりました。 その後、どんな様子で過ごされたのか、わかりません。

数カ月後、風の便りで最期を迎えたと聞きました。異国の地で、どのような思いだったのでしょう。同じ修道院のシスターたちに看取られて、天に召されたのだと思います。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。