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本連載ではいろいろな認知症について書いてきましたが、他の病気でも、進行すると認知症を合併してくる病気があります。代表的なのは、パーキンソン病です。パーキンソン病の人がすべて認知症になるわけではありませんが、認知症になる確率が高いのです。文献によれば、80%以上が認知症になります。

パーキンソン病に伴う認知症は、レビー小体型認知症と同じ原因で起こります。αシヌクレインというタンパク質が、神経細胞にたまって起こります。認知症になったときの症状も似ています。進行すると、幻覚妄想が活発になり、妄想に基づく行動が見られ、周囲の人たちが困ります。

それだけではなく、抗パーキンソン病薬の副作用も加わります。ドパミン製剤の副作用が幻覚妄想です。パーキンソン病が進行し、ドパミン製剤を増やすと幻覚妄想が増悪します。

CASE 029
58才男性

あるとき、当院通院中の患者さんの妻から電話がかかってきました。

「入院中だったのですが、本人が『帰りたい』と言って、治療に非協力的なうえにパトカーを呼んだり、タクシーに乗って帰ろうとしたりして、病院とトラブルになってしまいました。強制退院させられてしまったのです」

今後どうするか考えなければなりません。
どうすれば良いのでしょう……。

これまでの経過

X-13年、パーキンソン病を発症しました。大学病院の神経内科に通院し、薬物療法を行なっていました。しばらくは自分で自動車を運転して通院していました。

X-2年、幻覚妄想が活発になりました。パニックになり、救急車を呼んで、大学病院に搬送してもらうことが頻繁になりました。

X-1年、頻回な救急受診に大学病院で対応しきれなくなり、地区担当保健師に連絡が入りました。保健師からの依頼で、当院に転院してきました。

「エアコンの口から埃が出てきて、掃除をしてもしても取れない」と、ビニール袋に入れたゴミを見せます。「警察にこのゴミを見せて、被害の証拠にしたい。ベランダから人が覗いていて、こそこそ逃げていった。犯人に違いない」と言うのです。

また、「自分の生活が監視されている。テレビの妨害電波を受けている。電話を盗聴されている」など、さまざまなことを訴えます。

当院初診の直前に、度重なる救急車騒ぎに愛想を尽かした妻が出て行ってしまい、一人暮らしになっていました。子どももいたようですが、「もう面倒見たくない」と疎遠になっていました。

大学病院で難病申請や介護認定申請は完了しており、要介護3でした。使っている介護サービスは、ヘルパーサービスと介護用ベッドの貸与です。以前は、通所リハビリテーションにも通っていましたが、幻覚妄想が活発になり、落ち着いて参加できないので通所が保留になっていました。

本人は妄想がパーキンソン病の薬の副作用だということはわかっています。「自分の認識している世界の8割が本当で、2割が妄想と感じる」と言います。「何か見えると、現実か? 幻視か? と考えねばならないのがつらい」と訴えます。

大学病院の医師は、最後の診察でセロクエル®︎を処方していました。

パーキンソン病は、黒質のドパミン神経細胞が比較的選択的に障害されることで発症し、運動緩慢、振戦、筋強剛を中心とした運動症状が前景となる神経変性疾患です。しかしながら、運動神経以外にもさまざまな症状が出るのと、治療薬の副作用も多彩なため、治療は単純ではありません。

特に、この人のように激しい精神症状が出ると治療に難渋します。

精神症状と身体症状

幻覚妄想が激しくなったので、セロクエル®︎が処方され、身体症状が悪化し、トイレに間に合わなくなっていました。セロクエル®︎は統合失調症の薬で、幻覚妄想を抑えますが、副作用で薬剤性パーキンソン症候群が出ます。本人は、体の動きが悪くなり、トイレに間に合わないことを気にして水分摂取を控えており、脱水状態になりました。

脱水状態でぐったりしていたため、ケアマネジャーに依頼し、訪問看護で点滴をしてもらいました。セロクエル®︎のせいか、身体症状の悪化は著しく、身動きが取れないほど固縮が悪化し、ホーン・ヤールの重症度分類5度の状態でした。これは、パーキンソン病の重症度の分類です。

1度は、右左どちらか片方だけの振戦、固縮で、軽症です。
2度は、両側に振戦や固縮が出て、前傾姿勢など姿勢の異常が目立って来ます。
3度は、小刻み歩行などがハッキリ出現し、方向転換がしにくくなり、バランスが悪くなります。食事・着替え・トイレ・入浴などの日常生活動作が障害されます。歩いていて足が加速して止まらなくなる、突進現象が出現します。
4度は、起立、歩行が困難になり、労働ができなくなります。
5度は、車椅子移動になり、寝たきりになります。

本人は5度なので、車椅子が必要になりました。トイレに行こうとしてなんとか立ち上がっても、そこから足がすくんで一歩も進めません。しばらくして、棒のように倒れ、全身あざだらけになりました。

まず動けるようにする

幻覚妄想が激しく、抗精神病薬のセロクエル®︎が処方され、抗パーキンソン病薬が減らされていたので、抗パーキンソン病薬を元の量に戻しました。セロクエル®︎は中止しました。すると、なんとか動けるようになり、3度くらいの状態となりました。

パーキンソン病には、薬が効いているときの「オン」という時期と、薬の効果が切れているときの「オフ」という時期の、症状の波があります。薬の効果が切れてきて、「オフ」になってしまうことを「ウェアリング・オフ」といいます。薬を飲んでも飲まなくても、いきなり効果が切れて動けなくなるのを「オンオフ現象」といいます。いずれにしても、良い時期がオン、悪い時期がオフです。

この人は、オンのときが3度になりましたが、オフのときには5度になってしまいます。

オフで転倒

薬が切れると5度になるので、薬をきちんと飲むように指導していました。しかし、うっかり飲み忘れてオフになることを繰り返すうち、あるとき倒れて、そのままになってしまいました。誰にも発見されずに丸1日以上も経ってしまいました。薬の飲み忘れはこのころから多く、認知機能が低下していたと思われます。

このとき、体の下敷きになっていた左下肢が血流障害で壊死してしまい、切断を余儀なくされました。入院中の病院には神経内科医がいなかったので、抗パーキンソン病薬が切れると、入院中にもかかわらず当院を受診しました。

入院中の病院が「DPC(包括評価方式)病院」だと、通常は医療保険で他院の外来を受診することができません。しかし、この人のように、特に専門的な医療が必要な人は、入院中でも条件付きで他の医療機関を受診できます。

家族が援助しないので、ケアマネジャーが付き添ってきました。左下肢が膝上から切断され、車椅子介助の状態でした。このままでは在宅生活に戻れないので、抗パーキンソン病薬を調整のうえ、リハビリテーション病院か老人保健施設で、ある程度動けるようになってから自宅に戻るようにと指示しました。

自宅での生活を再開

X年、本人は車椅子自走可能となり、自宅生活を再開しました。通院は介護タクシーです。体は左にやや傾いており、それでも何とか車椅子でADLは自立しています。

相変わらず、薬が切れるとホーン・ヤールの重症度分類5度になってしまいますが、介護保険サービスで、ヘルパーを手厚く入れました。これにより、薬をきちんと管理してもらえるようになりました。

幻覚妄想が酷かったので薬を少し減らしており、この頃は、薬が効いていても4度程度でした。

一度は出て行った別居していた妻が、見るに見かねてときどき泊まりに来るようになりました。すると、さっそく「夜になると、妻の寝床に男が来ている。妻が、ものを隠してしまう」と、嫉妬妄想が出現しました。

抗精神病薬の併用を開始

妄想が激しくなり、せっかく戻ってきてくれた妻が、対応に難渋したので、セロクエル®︎を再開しました。

すると、今度はセロクエル®︎の別の副作用で血糖値が上昇しました。セロクエル®︎は血糖値が上昇しやすいのです。リスパダール®︎など、他の抗精神病薬を試しましたが、体の動きが非常に悪くなり、仙骨部に褥瘡ができてしまいました。

抗精神病薬を中止しました。すると、今度は「電磁波のせいで、車椅子の幅がどんどん狭まってくる」と言います。仙骨部褥瘡の治療のため、介護保険サービスの福祉用具貸与で、エアマットを借りてもらいました。

妄想はひどくなり、ケアマネジャーに「電磁波に攻撃されている」と頻繁に電話するようになりました。家族も含め、周囲の人たちが対応に困るようになりました。妻に対する嫉妬妄想、被毒妄想がひどくなりました。

自律神経障害

下肢切断とパーキンソン病で、障害者手帳1級になりました。障害年金の受給も開始しました。自律神経障害が増悪し、発汗過多、体温調節がうまくできずにうつ熱を来すことを繰り返します。失禁も出現しました。

オフの時間が長くなり、薬剤調整が必要と考えられました。当院通院前に通っていた大学病院に、薬剤調整のための入院を依頼しました。初診の際に当院宛に紹介状を書いてくれた医師が大学病院にまだ勤務していたので、入院調整はスムーズに運びました。

帰宅願望

入院して1週間も経たないうちにトラブルが起きました。「帰りたい」と本人が治療に非協力的なうえ、パトカーを呼んで自宅へ向かわせるなどしたため、ほとんど治療せずに退院させられました。医師から「協力してもらえないと治療できない」と言われました。

体の動きは相当悪く、車椅子から動けません。妻の負担が非常に重くなりました。特別養護老人ホームを申し込むようにアドバイスしました。

幻肢痛

X+1年、「切った足が膝から皮膚を突き破って、骨が外に飛び出しているような痛みを感じる」と訴えます。幻肢痛です。セロクエル®︎を増減しながら、だましだまし薬剤調整を行いました。

失禁は徐々に悪化しました。失禁の増悪に伴い、オムツ支給を申請しました。オムツは購入できましたが、自分では穿けません。介助が必要です。妻がフルタイムで働いており、ほとんど家にいないので、オムツ交換をヘルパーにやってもらうことになりました。

体の動きは徐々に悪化し、車椅子に座りきりなので、臀部に褥瘡ができそうになりました。このため、車椅子用の低反発クッションを導入しました。

合併症への対応

唾液が粘稠になり、会話や食事の際に支障を感じるようになりました。また、何もしていないときにも流涎が見られるようになりました。これに対し、テノーミン®︎というベータ遮断薬を開始しました。効果がある人もいますが、この人には効果がありませんでした。血圧が下がったり、脈拍が少なくなるなどしたので中止しました。

不思議な病識

ケアマネジャーが、私に相談してきました。ケアプランを作成したので、その問い合わせです。本人は常日ごろ、幻覚妄想を8割がた信じており、ときどき警察を呼んだり、騒いだりします。そのような状況を踏まえ、ケアプランには本人に寄り添って「外部から嫌がらせを受けていることが大きな悩み」と記載しました。

ところが、本人はその文言を見て「これは違う。『パーキンソン病の薬の副作用で、幻覚妄想があり、本人は困っている』と直してほしい」と言ったというのです。ケアマネジャーは戸惑いました。幻覚妄想だとわかっていながら、警察を呼んだり、興奮して騒いだりしているということが理解できなかったのです。

このように、幻覚妄想だとわかっていても、その場は信じて行動してしまうのです。

体重減少、ジストニア

パーキンソン病の人の症状として、体重減少があります。この人も、このころから徐々に体重が減少してきました。体重減少の原因はいろいろあります。パーキンソン病の場合には、消化管からの栄養の吸収が悪くなることが原因のようです。パーキンソン病は消化管の病気でもあるのです。

徐々に声が小さくなり、いつも囁き声しか出なくなりました。小声は、パーキンソン病の症状です。

だんだん首が左に向いてしまうようになりました。ジストニアです。左を向いたまま固まっています。姿勢が保てず、車椅子から落ちます。怪我が絶えません。身体の動きが悪いので、家の中では物を取るのにマジックハンドを使用し始めました。

X+2年、「NTTの請求書にそっくりのものが来た。印鑑や文字の大きさが違うものが来た。支払いはだいたい自分がやっている。引き落としになっているのだが、家に送ってきた」と言います。実際は、本物の領収書でした。「すべての食べ物に、尿が混入されている。尿臭がする」と言います。幻臭です。

非定型抗精神病薬による糖尿病の悪化

セロクエル®︎を使用するうちに血糖値が徐々に上昇しました。糖尿病が悪化し、ヘモグロビンA1cが11.2%まで上昇してしまいました。褥瘡の治りも悪くなります。

このため、セロクエル®︎を中止しました。セロクエル®︎中止後は、糖尿病は徐々に改善しました。しかし、幻覚妄想が活発になったので、抗精神病薬の代わりに抑肝散を処方しました。

漢方薬による、低カリウム血症

今度は低カリウム血症になりました。漢方薬の副作用です。低カリウム血症は漢方薬の成分である「甘草」の副作用です。甘草は、「偽アルドステロン症」という症状を来すことがあります。

アルドステロンは副腎から分泌され、体内に塩分と水をため込み、カリウムの排泄をうながして血圧を上昇させるホルモンです。このホルモンが過剰に分泌された結果、高血圧、むくみ、カリウム喪失などを起こす病気が「アルドステロン症」と呼ばれています。

「偽アルドステロン症 」は、血中のアルドステロンが増えていないのに「アルドステロン症」の症状を示す病態です。主な症状として、血圧上昇、低カリウム血性四肢麻痺などが知られています。主な原因は、甘草あるいはその主成分であるグリチルリチンを含む医薬品の服用です。甘草やグリチルリチンは、漢方薬、かぜ薬、胃腸薬、肝臓の病気の医薬品などに含まれています。

私が大学病院で研修医をしているときにも手足が動かなくなり、救急搬送されて来た患者さんを見たことがありました。採血検査ですぐに診断できます。カリウムが低いので簡単にわかるのです。

抑肝散の副作用で低カリウム血症になりました。放置すれば、血圧上昇や四肢麻痺が起こるでしょう。定期的に採血をしていたので早めに発見でき、抑肝散を中止しました。

抗精神病薬のセロクエル®︎も抑肝散も中止したので、幻覚妄想が増えました。本人は「幻視なのか、本物なのかわかりません」と言っていました。

腸閉塞になる

今度は、腹痛のため救急要請となりました。搬送先の病院で浣腸を行い摘便したところ、腹痛は改善しました。腸閉塞でした。

この病院で、糖尿病の治療薬と便秘の薬を調節してもらいました。

便秘は、パーキンソン病の特徴的な症状の一つです。発病前から便秘傾向の人が多いのです。腸管の神経細胞にも、パーキンソン病の原因物質であるαシヌクレインが沈着していることがわかっています。これにより腸管の動きが悪くなり、便秘になるのです。

αシヌクレインが心臓交感神経に沈着すると、脈拍を調節する機能が低下します。MIBG心筋シンチは心臓交感神経の働きを見る検査で、パーキンソン病の診断に使います。また、この物質が皮膚の交感神経に沈着すると発汗障害が起こります。皮膚生検でも、αシヌクレインの塊であるレビー小体が見つかります。パーキンソン病が脳だけではなく全身の病気と言われる所以です。

便秘がひどいため、訪問看護での排便コントロールを依頼しました。

褥瘡も見つかる

看護師が臀部を見たところ、褥瘡も見つかりました。その連絡を受け、訪問看護指示書に、褥瘡の処置も追加しました。ホーン・ヤールの重症度分類3度以上だと、訪問看護が医療保険で導入できます。また、すでに難病の公費負担医療を受けていたので、利用時の自己負担がかかりませんでした。

このころ、本人は1日に2~3回の「オフ」があり、まったく身動きできない状態が1日に6~7時間続いていました。訪問看護が1日2回入り、本人は「幻覚があり、怖くて仕方がなかったが、看護師が来てくれるので安心した」と言いました。

食生活

訪問看護が入り、明らかになったことがあります。買い物に同行して初めて、本人がどんなものを買って食べているのかわかったのです。買い物に行くと、おはぎやまんじゅうなど、あんこものを毎回買い、毎日食べているのです。

看護師が付き添ったときには、注意して制止することができました。1人のときは、たくさん買って好きなだけ食べていました。夏はアイスクリームでした。看護師が入って制止しただけで、ヘモグロビンA1cが9%から7%に下がりました。

要介護度の悪化

X+3年、パーキンソン病が悪化し、体の動きが悪くなり、要介護4になりました。手足の筋肉が落ち、細くなりました。固縮で硬くなった筋肉を、訪問看護でほぐしてもらいました。

服薬管理不能となり、すべてヘルパーに管理してもらうようになりました。食生活は、本人に任せるとコーラ、ジュース、まんじゅう、チョコレートばかり食べます。

「薬の飲み忘れ」「糖尿病なのに甘いものを大量に食べる」「褥瘡ができやすい」のが問題でした。「幻覚妄想が激しい」というのもありましたが、これについては、受け答えを工夫すれば何とかなりました。

糖尿病の改善

動けなくなって、お菓子を自分で買えなくなり、糖尿病が劇的に改善しました。その反面、臀部の褥瘡は悪化しました。動けないからです。

X+4年、コレステロール値も正常化しました。このため、高脂血症治療薬を中止しました。

24時間連絡体制加算算定

ベッドからずり落ちると妻1人では起こせないので、夜間でも訪問看護師に駆けつけてもらえるようにしました。そのまま朝まで放置すると褥瘡ができたり、左下肢を失ったときと同じように神経や血管の圧迫で四肢に壊死を来す恐れがあるからです。

妻が付き添えないときには、通院介助ヘルパーを入れました。

ジスキネジア

抗パーキンソン病薬を長年使用していると、体が勝手に動くようになることがあります。薬剤性ジスキネジアといいます。

この人の場合は、頚部を左右にひねるような動きでした。薬剤調整して抗パーキンソン病薬を増やしてから、この動きがひどくなりました。「首が勝手に動くので、首が痛くなります」と言います。

ジストニア

今度はジストニアが出現しました。ジストニアは、姿勢の異常です。ジスキネジアが不随意運動で動きがあるのに対して、ジストニアは、同じ姿勢のまま固まっています。体が右に傾き、曲がったまま動けません。

これが、そのまま妄想につながりました。「体全体が何者かに上下左右から押しつけられ、身動きができません」と言います。夏になって、脱水を予防するため訪問看護師が水分摂取を促すと、「水には毒が入っている」と主張して飲もうとしません。被毒妄想です。

もの忘れもひどくなり、自分では薬を飲まなくなりました。

X+4年、いったん良くなっていた糖尿病が少しずつ悪化してきました。妻が、本人の求めを断るのが面倒で、言われるままに甘いお菓子をたくさん買ってくるようになったのです。妻に来院してもらい、介護指導を行い、本人に与えるおやつを工夫してもらったところ、糖尿病は徐々に改善しました。

病識の低下

徐々に病識が低下し、拒薬するようになりました。抗パーキンソン病薬を飲むのを嫌がるので、オフの時間が長くなり、褥瘡のリスクが高くなりました。

拒薬の理由を尋ねると、「メネシット……あれは敵だ! 大きさが違う」などと言います。メネシット®︎は、抗パーキンソン病薬です。ドパミン製剤で、身体症状を改善しますが、幻覚妄想は悪化させます。

日付がわからなくなりました。時間的見当識障害の始まりです。感情のコントロールが難しくなり、泣きやすくなりました。

入院を勧める

認知症の悪化です。入院を勧めました。ところが、妻が「このごろ幻覚妄想はないし、救急車やパトロールカーを呼んでしまうようなこともない。 体の動きはたしかに悪いが、介護もしやすいしこのままのほうが良いです。 入院しなくてもいいでしょうか?」と言ってきました。

入院はしないことになりました。

幻肢と、自律神経障害

X+5年、「左足が上に挙がっちゃう。どうにかしてください」と言います。左足は切断しています。存在しない足の動きを訴えます。

血圧が乱高下するようになりました。パーキンソン病に伴う自律神経障害です。また、下痢と便秘を繰り返します。これも自律神経障害です。

つねに小人が見えているようになりました。小人の大きさは、通常の人間の5~6分の1だと言います。リハビリパンツは常時使用しています。介護はたいへんになり、妻が本人にあたるようになりました。

虐待か、妄想か

「最近言葉がきつくて、物が飛んでくるんだよ」と言います。「車椅子から突き落とされた」と言います。本当なのか、妄想なのかわかりません。確認が必要です。

「突き落とされた時の傷だよ」と言って、脛にある引っ掻き傷を見せます。まことしやかです。念のため、ケアマネジャーなど介護職種に情報を共有しました。

時間的見当識障害

「最近、時間と日にちがわからなくなってしまって。妻に、同じことを何度もしていると言われたし、寝て起きたらいつなのかわからない。時間の損をしている感じがする」と言うようになりました。アルツハイマー型認知症とは違う、独特な物忘れの感覚です。

有料のケーブルテレビや携帯電話の契約内容、デイサービスの利用料金について、「会社側の陰謀で高い請求額になっている」など各会社に問い合わせを行ってしまいます。もちろん会社側には問題ないのですが、「おかしい。誰かが操作しているに違いない」と言います。アダルトの有料チャンネルを同時に4チャンネル見ているため高くついていますが、本人はその仕組みが理解できません。

趣味ができる

本人はDIYが趣味でした。オンの時間帯にちょっとした大工仕事をして、小さな台を作ったり、木を削って机を作ったりしていました。麻雀が好きなので、麻雀台を作っていました。

作業中オフになると、車椅子ごと転倒したり、固まったままヘルパーが来るのを待つようなこともありました。それでもなんとか家で暮らしていました。オンの時間帯には、趣味や筋トレをがんばったり、前向きでした。

テレビ現象

X+6年、訪問看護師やケアマネジャーに対して、「あなた、このあいだテレビに出ていたね」「テレビの中の人が俺を怒ってくるんだ」など、テレビ現象、人物誤認妄想と考えられる症状が出てきました。

テレビ現象や人物誤認妄想は、レビー小体型認知症によく見られる症状です。パーキンソン病に伴う認知症は、レビー小体型認知症と同じような症状が出てくるといわれています。

自律神経障害が悪化し、頻尿や便秘と下痢を繰り返す症状が増悪しました。

性的行動

訪問看護師が訪問すると、自慰行為をしていることが増えました。ケーブルテレビのアダルトチャンネルを見ながら自慰行為をしています。性欲が亢進しているのです。

自慰行為についてたずねてみると、「淋しいからする」「欲求不満だ」「我慢するとイライラして物を投げてしまう」「代わりに日曜大工でストレス解消することもある」と言います。

外を出歩く

自慰行為に言及したころから、本人は1人で外を出歩くようになりました。もちろん歩くことはできません。車椅子自走で出ていくのです。外で行動中にオフになり、通行人に助けられます。暑い中、外を車椅子で自走し、水分も取らないので熱中症になりました。

救急搬送され、搬送先の病院で点滴をしてもらうことが何度かありました。

性的行動

性的な妄想が増悪し、ヘルパー来訪時にデリバリーヘルス(売春)と勘違いし、性的な言動がありました。また、成人雑誌を購入し、ヘルパーの前で読んでいることもありました。ヘルパーが「私はヘルパーです」と注意したところ我に帰った様子で、「自分がそんな状態のときは、無視してください」と言いました。

成人用DVD数枚を、「こんなの誰が持ってきたんだろう?」と不思議がり、自分で注文した記憶はまったくないと言いました。「だんだん自分が壊れていくね……」と話していました。

性的行動が見られたため、訪問看護はすべて男性看護師が訪問することになりました。

麻雀台の製作を促したところ、性的行動は見られなくなりました。角材にカンナをかけている途中で「そろそろ動けなくなる」と自分で言い、作業場を片付けて横になるところで、ヘルパーが援助しました。女性の看護師も援助に入れるようになりました。

糖尿病の悪化

X+7年、右足先の痺れが出現し、徐々に増悪しました。糖尿病生末梢神経障害と考えられました。妻が、あれこれ考えるのが面倒で本人の好みのものを買ってきてしまうので、食事は焼きそばパン、菓子パン、アイスクリームで済ませるなどの状況が続いていました。

ヘモグロビンA1cは上がり続けて9.0を越えました。とにかくパン類をやめてもらいました。しかし、糖尿病の悪化により、褥瘡の部分に感染を来しました。訪問看護師に皮膚処置を依頼しました。

嫉妬妄想

妻への指導で菓子パンの購入をやめてもらったところ、妻に対する被害妄想が増悪しました。「妻にお腹を蹴られる。妻は自分の子どもを妊娠しているが、イライラして自分を蹴ってくる」などと訴えます。もちろん事実ではありません。本人は妄想を信じており、診察室で泣いて訴えます。

認知機能の悪化

バッグを置き忘れることが増えました。また、家の中でバッグを探していて、目の前にあるのに見つけられないことが出てきました。注意力の低下です。

診察終了後に、お金の代わりにタクシー券を出します。2年前の出来事を、今日のことのように語るようになりました。

「運動しないといけないから」と、病気になったばかりのころに医師に言われたことを思い出し、1人で近所の商店街を車椅子で自走していました。危ないので1人で出ないように指導しても、忘れてしまいます。

パーキンソン症状の悪化に伴い転院

頻繁に転倒し、怪我を繰り返します。ヘルパー訪問時に、家の中で転倒して倒れているのを発見されることが増えました。

パーキンソン症候群に伴う自律神経障害も増悪しました。発汗過多となり、衣服がびしょ濡れになり、頻繁に着替えなければならなくなりました。

このころには、趣味の大工道具でダイニングの机を削ったり、穴を開けてしまうようなことがでてきました。妻が困り、大工道具を隠しました。

身体機能、精神症状の悪化で、いよいよ当院に通院できなくなりました。近くの、訪問診療クリニックに紹介し、転院してもらいました。

他の認知症と違い、ときどき正気に戻って自分を省みていた姿が思い出されます。病気によって変わっていく自分を嘆いていました。

こんな認知症もあるのです。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。