認知症の人は、警察のお世話になることがよくあります。最も多いのは、徘徊して保護されるケースです。外出して、行き先がわからなくなり、迷子になってヘトヘトになるまで歩きます。路上にしゃがみ込んだり、転んで倒れているところを通報され、警察が駆けつけることになります。アルツハイマー型認知症に見られます。
アルツハイマー型認知症には、そのほかにも、もの盗られ妄想が多く見られます。「泥棒が入った」と、110番を繰り返します。何度か続くと警察署のほうでも病気の症状であることを把握して、生活安全課の職員が対応してくださいます。
また、レビー小体型認知症では錯視や幻臭が活発なことがあります。「家の中に大勢の人が入ってきた」「上の部屋の住人が毒ガスを撒いている」といった通報を繰り返してしまうこともあります。
認知症の人が犯罪を起こしてしまうこともあります。前頭側頭型認知症の代表的な病気、ピック病では、万引きや無銭飲食を繰り返すことがあります。コンビニの弁当を棚から取って、その場に座り込んで食べ始める人がいます。街路樹や公園、他人の家の花壇から花を持ってくる人がいます。診察時に「先生にあげる」と言って、環七沿いの街路樹であるツツジの枝を持ってきた人もいました。
前頭葉機能の障害により、衝動性が増すのが原因です。いま欲しいから取るのです。食べたいから、きれいだから、取るのです。前頭側頭型の人は本人だけのルールで行動します。社会のルールを守りません。
診察室に通院中の人の妻が入ってきました。
「先生、うちの人、警察に保護されてしまったんですよ」
警察に保護。迷子になり、徘徊したのでしょうか。
「以前からマークされていたようで、目撃した近隣の方が通報して、捕まったのです」
犯罪行為をしてしまったようです。花壇の花を盗んだのでしょうか。いったい何をしたのでしょう。
これまでの経過
X-5年、脳内出血で入院しました。出血した部位は右前頭葉でした。大学病院で手術し、幸い手足の麻痺などの後遺症はありませんでした。しかし、注意力の低下など高次脳機能障害が残りました。
退院して間もなく、頭痛や不眠を訴えるようになり、レスリン®︎が処方されました。レスリン®︎は抗うつ薬の一種です。一般名はトラゾドンといいます。レスリン®︎服用開始後は、頭痛や不眠が改善し穏やかになりました。
トラゾドンは抗うつ薬ですが、高齢者の不眠症や認知症の周辺精神症状に対して処方される薬です。マイナートランキライザーといわれる一般的な睡眠薬は、意識障害や筋力低下を招くので、高齢者には使わないことが推奨されています。
トラゾドンは副作用の眠気が非常に強く、抗うつ薬としては使いにくい薬でした。しかし、眠気の強さが睡眠薬の代わりになるということで、高齢者の不眠症に使われるようになりました。
また、認知症の周辺症状で昼夜逆転などの状態に対しても使われることがあります。リスパダール®︎などの非定型抗精神病薬に比べて薬剤性パーキンソン症候群などの副作用が出にくく、比較的、安全なのです。
衝動性の始まり
X-4年、スーパーで万引きをして捕まりました。最初の万引きは、雑貨屋で小物をくすねてポケットに入れたのを店員に見咎められて捕まりました。高齢者であることから店側が配慮しました。自宅に電話して妻に来てもらい、代金を支払ってもらうことで穏便に済ませました。
2度目の万引きでは「またやった」ということで、店側は妻に「次にやったら警察を呼びますよ」ときつく注意しました。妻は平身低頭して謝りました。本人は悪びれる様子もなく、平然としていました。
パーキンソン症候群の始まり
X-3年、歩行障害が出現しました。小刻みすり足歩行になりました。ふらついて転びそうになります。バランスが悪いのです。背中が前屈みになり、前傾姿勢になりました。
脳内出血の既往があるので、かかりつけの脳神経外科医が水頭症を疑いました。頭部MRI検査を行いました。しかし、水頭症の所見はなく、「原因不明」と言われました。歩行障害は徐々に進行しました。
初めての勾留
X-2年、3度目の万引きをしました。いままでとは別のスーパーマーケットで酒を盗みました。今度は警察に捕まりました。身柄を拘束され取り調べを受けました。
この間、妻は自宅に帰ってこないのを心配してあちこち探し回りました。見つからないので自宅に帰り、行方不明ということで警察に届け出ました。その後、警察に勾留されているのを知りました。
このときにも、迎えに行った妻に対して悪びれる様子も反省する様子もなく、ケロッとしていました。
暴走自転車
X-1年、自転車で出かけ転倒しました。
パーキンソン症候群による歩行障害が進行し、家の中は伝い歩きになりました。外出時には歩行がおぼつかないので自転車で出かけるようになりました。スピードを出して、周囲におかまいなしに暴走します。暴走自転車です。
その日は飲酒した状態で、ふらりと自転車で出かけました。行き先がわからなくなり、とにかくガンガン走っていたようです。勢いよく走って、段差に気が付かず乗り上げて、多発外傷を負いました。
外出してから6時間ほど経っていたとのことです。大怪我でした。8本の肋骨が折れて肺に刺さりました。多発肋骨骨折、気胸、血胸で、大学病院に搬送され、膿胸を併発し、集中治療室で治療を受けました。
なんとか命は取り止めました。入院中にリハビリテーションを行い、自宅で生活できる程度にまで回復しました。
外傷の治療で長く入院しているあいだに足が弱ったので、退院後にもリハビリテーションを行うことになりました。
介護認定申請
入院中に介護認定申請をしました。認定結果は要介護2でした。退院後にすぐにリハビリテーションを開始できるよう、あらかじめケアマネージャーと契約し、週3回、半日のデイケアのプランを立てました。
もう自転車はやめるように言われていました。退院後、飲酒すると尿失禁するようになりました。しばらくしたある晩、飲酒して、自転車で出かけ、体調不良となり再入院になりました。
今度はリハビリテーション病院にいったん転院し3カ月間入院しました。さすがに懲りただろうと妻は思っていました。
ところが、退院した翌日また自転車で出かけてしまいました。今度は迷子になり、遠方で保護されました。「どうして」と問う妻に、「足が弱って歩けないから自転車に乗って行くんだ」と答えました。
さすがに何か病気ではないかと思った妻がケアマネージャーに相談しました。そして当院に相談に来ました。
まずは妻が受診
本人には病識がなく、通院を促しても受診しようとしませんでした。このため、悩んだ末に妻が当院を受診しました。
妻は夫の症状に戸惑い、悩んでいました。当初は「高次脳機能障害」と言われており、後遺症による生活障害は少なかったのです。
年々、種々の症状が現れて徐々に進行してきました
夫は入浴しなくなりました。促せば週1回くらいはなんとか入ります。排泄も両便失禁状態になりました。ほぼ垂れ流しの状態です。リハビリパンツを穿かせていましたが、布団やクッションを汚してしまうことが頻繁でした。
介護の手間が増え、疲弊していました。何かおかしいと感じていました。
妻の訴え
このように症状が変わってきていましたが、かかりつけの脳神経外科では「脳内出血後遺症」という診断のまま治療が変わることはありませんでした。
症状が変化してきているのに対応してもらえなかったのです。高次脳機能障害は進行性の病気ではなく、脳の損傷による後遺症と捉えられます。症状が次々に加わり、状態が変わってくるということはないのです。
症状が変化しているのなら、それは進行性の病気です。つまり認知症です。脳血管障害が悪化していれば血管性認知症です。ほかの認知症が合併すれば、ほかの認知症との混合型認知症です。
脳神経外科ではそこを診断してもらえませんでした。妻がなんとか頼み込んでやってもらった知能検査でも正常という結果が出たので、「認知症ではありませんよ」と言われて診察が終わってしまいました。
このときの検査は改定長谷川式簡易知能評価スケールでした。27~28点取れたようです。記銘力障害、見当識障害はなかったのでした。
転院
「……ですから、転院させたいのです」と妻は言いました。
記銘力障害、見当識障害がないと「認知症ではない」と言われてしまうのです。しかし、衝動性や反社会的行動、パーキンソン症候群、両便失禁が出現しています。
病識はありません。ほかにもになる症状はありました。
食事をするとき、食べ方が汚くなりました。ガツガツ食べて、食べこぼしても平気です。周りの人が不快感を覚えるような食べ方です。知能検査では拾えない症状です。
脱抑制
欲しいものは手に入れなければ気が済まなくなりました。がまんがきかないのです。脱抑制といいます。これも前頭葉症状です。クレジットカードを利用して、高額なものを次々に購入してしまいます。この行動にも妻は悩んでいました。お金持ちではありません。年金生活です。「老後が心配です」と訴えました。
妻が制止しても聞く耳を持ちません。夫は自分なりのルールで、好きなように生きています。先を見通すような洞察はなく、いま、このときを刹那的に生きているのです。
妻は、このころすでに近所のメンタルクリニックを受診して、抗うつ薬を飲み始めていました。
本人の受診を促す
本人は脳内出血の後遺症で高次脳機能障害になりました。その後、数年間の経過で前頭側頭型認知症の症状を呈してきました。変性疾患を合併していると考えられます。このため、この問題を解決するには本人に受診してもらい、診断をつける必要がありました。
「なんとか、だまくらかして連れてきてください」
妻にそう話しました。数週間後、本人が受診しました。
本人の初診
初診時、秋口なのに真冬のように着込んで来院しました。
このころには家の中にいるときには1日中、居眠りしているような状態でした。無頓着になり、カビが生えたパンや古くなった刺身を平気で食べていました。
日中、夜間を問わず、玄関から頻繁に出ていき、道端にぼんやりと立っていることが増えました。何か考えているふうでもあり、周囲を観察しているふうでもありました。外に出ないように妻が玄関に鍵をかけると怒り出しました。
本人は毎日、自分の行動を日記につけていました。時間と行動した内容を逐一記録していました。日記を盗み見た妻が内容を教えてくれました。
時刻表的生活
毎朝3時に起床します。起きてすぐに自宅の生ごみを近所のほかの家のゴミ箱に捨てに行きます。
家に帰ってくると菓子パンやどら焼きなどを食べているようです。食べたものも記録してあるので、どんな食生活なのかがわかります。食欲がなくて夕飯を残しがちです。
毎日、午後3時にも菓子パンやどら焼きなどを食べていたことが判明しました。「3時」というのがこだわりのキーワードのようです。
毎日、同じ時間に同じ行動を繰り返すことを時刻表的生活といいます。朝から晩までの行動を日記につけることも、時刻表的生活に組み込まれていました。前頭側頭型認知症に特有の症状です。
妻が日記を読んだことがわかると、本人は激昂して暴言を吐きます。妻は本人にわからないように、こっそりと日記の内容を私に知らせてくれました。
だらしのなさ
以前は身だしなみに気を使う人でした。しかし、このころにはだらしがなくなり、不潔になっていました。爪や鼻毛が伸び放題で手入れをしません。メガネも拭かないので曇って油ぎったままです。
下着やパジャマは尿でびしょ濡れになるまで洗濯しません。靴下も替えません。歯磨きをしなくなり虫歯ができました。自室はゴミ屋敷状態になりました。
家の外に出て玄関脇の観葉植物の鉢植えに放尿します。妻が咎めると「トイレに行くのが面倒だから」と言います。尿失禁して下着やパジャマを濡らすので、妻がリハビリパンツを穿くようにいうと怒ります。入浴をなかなかしないので、促すと「認知症じゃないのだから、うるさく言うな!」と怒ります。
初診時の所見
MMSEを行いました。30点満点で29点でした。3つの言葉を覚えて後で思い出す、遅延再生という項目で1つ思い出せないだけでした。
この人の認知症は前頭葉症状が主なので、MMSEでは検出できないのです。頭部MRIでは脳内出血の跡が右前頭葉に認められました。そのほかに特異的な所見はなく、大脳皮質のびまん性萎縮と側脳室拡大が見られただけでした。
なんらかの変性疾患ですが、MRIの画像所見だけでは診断ができませんでした。
病前性格
激昂する、暴言を吐くなど妻が困る症状があったので、レキサルティ®︎を開始しました。非定型抗精神病薬の一つで、副作用が少ないので使いやすい薬です。まずは1mg処方してみたところ多少穏やかになったとのことでした。
妻が受診し、夫の過去について語り出しました。
「新婚時代から怒りっぽい人でした。私が友だちと会う約束をすると、その日は家の用事があるから行くなと言われて行動を制限されました。だから友だちとは疎遠になりました。同窓会にも行かせてもらえませんでした」
いまでいうモラハラ(モラルハラスメント)、パワハラ(パワーハラスメント)です。
「私が夫の気に入らないことを言うと突き飛ばされたり、殴られたりしました。だから言葉に気をつけるようになりました。ビクビクして暮らしてきました」
DV(ドメスティックバイオレンス)、家庭内暴力です。
このような病前性格の人が認知症を発症することがよくあります。もともと前頭葉の機能が低いので、認知症を早く発症するのかもしれません。
常同行為
同じものばかり食べるようになりました。菓子パン(特に、あんぱん)、どら焼きを欠かさず食べて夕飯が取れなくなりました。
買物も同じ行動を繰り返します。毎日同じスーパーマーケットに行き、あんぱん、どら焼き、枝豆、ポテトサラダ、ステーキ肉を買ってきます。支払いはクレジットカードです。妻が「腐るから」と言っても、「腐らない」と主張します。
スーパーマーケットの袋詰めコーナーにあるポリエチレンの袋を毎回ロールごと持ち帰ります。袋の横に置いてある台布巾も毎回持ち帰ります。このため、自宅にはスーパーマケットから持ってきたポリエチレン袋のロールや布巾が大量に溜まっていました。
浪費
クレジットカードは便利ですが、このような人にとっては害があります。本人の行動は妻が携帯電話の位置情報でチェックしていました。
デイケアに行かない日は毎日、同じルートで行動します。時刻表的生活です。最寄駅から電車で都心の駅に行き、駅周辺の家電量販店、デパート、ゲームセンターを回ります。デパートでは時計宝飾品売り場に行きます。男性ですがアクセサリーなど綺麗なものが好きです。ときどき買ってしまいます。使いもしないアクセサリーが自宅に溜まります。現役時代に蓄えた預金が徐々に目減りしてきました。
いつものルートでは迷子になることはなく、ちゃんと帰ってこられます。こういうのは徘徊とは言わず周遊と言います。
このころにはパーキンソン症候群による歩行障害が顕著になっていました。よろよろと小刻み歩行で前のめりに歩きます。見るからに転びそうです。転びそうな歩き方で毎日スーパーマーケットに行き、午後は都心に行き、浪費して帰ってきます。
実行機能障害
入浴の手順がわからなくなり、入浴を嫌がるようになりました。自宅ではどうしても入ってくれません。洗髪、洗身しないので臭ってきました。その状態でいつものように出かけていきます。
しばらくすると、今度は、鍵の開け閉めの仕方がわからなくなりました。ドアの鍵穴に正しい向きに鍵を入れて、正しい方向に回さなければなりませんが、それができません。失行です。ガチャガチャやっているうちに鍵や鍵穴を壊してしまいました。
鍵が壊れてから、本人は不安そうにしていました。ドアの鍵は使えないので、鍵をかけないで外出するようになりました。そして、外の門扉にチェーンを巻くようになりました。チェーンを巻いてあるので、妻の出入りが不自由になりました。
妻が壊れた鍵を直して使えるようにしました。今度は、妻が鍵をかけて出かけると「どうして鍵をかけるんだ! 鍵をかけるな!」と激昂するようになりました。
激昂して手がつけられないので、レキサルティ®︎を2mgに増量しました。激昂する頻度は減りました。声も小さくなりました。
デイケアで失禁
レキサルティ®︎増量により失禁が悪化しました。デイケアでリハビリテーション中に失禁してしまします。
妻がリハビリパンツやパットを使うように言うと怒り出してしまい話になりません。デイケアで通所中の事業所からは「オムツやパットの替えを持たせてください」と言われています。多発外傷での入院以後、デイケアに週3回通っていましたが、失禁してしまうせいか行くのを渋るようになりました。週2回に減らしたいと強く主張します。
「本人には言わずに、黙って替えのリハビリパンツとパットを持ち物に入れておいてはどうですか?」
物が見つからない
物をしまうとわからなくなってしまうようになりました。このため、食卓の上にいろいろな身の回り品を並べておくようになりました。いざ食事の際に、妻が食卓の上を片付けて食器を置こうとすると本人が怒り出します。仕方がなく、並べてあるものの間や上に食器を置いて食事するようになりました。
入浴しなくなって何カ月も過ぎました。妻が「お風呂は入ったの?」と聞くと「入った」と言います。靴下を脱ぐと垢がボロボロと落ちるようになりました。
ケアマネジャーに相談し、3回通っていた半日のデイケアのうち1回を1日型のデイサービスに変更することになりました。デイケアを2回に減らしたいと主張していたので意外とすんなり受け入れてもらえました。1日型のデイサービスでは入浴サービスも行なっており、そこで入浴できるようになりました。
毎日、あんぱんとどら焼きばかり食べているせいか、本人は胸焼けを訴えるようになりました。
隣家の庭木を切る
歩行障害が増悪し、最寄駅まで歩けなくなりました。このためデパートなどでの高額な買い物はしなくなりました。スーパーマーケットと自宅近くを周遊するようになりました。
花が咲いた木を切って持ち帰ります。近隣の庭や花壇の木を切ってくるようです。本人はそれを自宅の花瓶に飾り、眺めて楽しんでいます。
下着の着方がおかしくなりました。以前はランニングの上にシャツを着ていましたが、下に何も着ないでトレーナーや上着を着てしまいます。
リハビリパンツや尿取りパットは以前は自分で取り替えていましたが、徐々に替えなくなりました。妻が変えようとすると怒って拒絶します。デイケアやデイサービス利用時に取り替えてもらうことにしました。便失禁も出現しました。
他の店に行かなくなったためか、スーパーマーケットからペーパータオルやそのほかの備品も大量に持ち帰るようになりました。店側と話し合いをすることになり、診断書を出すというので当院で用意しました。妻が付き添って、お金と菓子折りを持って謝りに行きました。今度からスーパーマーケットの店内で何かトラブルがあったら、すぐに妻を呼び出してもらうことになりました。
昼夜逆転
日中の周遊範囲が狭まったことで夜間の睡眠が浅くなりました。たびたび起きて、あんぱんやどら焼きを食べます。デイケアやデイサービスに行かない日はほぼ寝ています。食事の最中に居眠りしてしまうことも出てきました。
昼夜逆転です。食事中に眠るのは意識障害です。睡眠障害に対しデエビゴ®︎を処方しました。
睡眠薬にはいろいろ種類がありますが、認知症高齢者に従来のベンゾジアゼピン系睡眠薬を服用させると、ふらつきや転倒などの筋弛緩作用が強く出てしまったり、意識障害の一種であるせん妄が悪化します。
デエビゴ®︎は新しいタイプの睡眠薬で、ベンゾジアゼピン系ではありません。ベンゾジアゼピン系ではない睡眠薬は、このほかにロゼレム®︎、ベルソムラ®︎があります。
デエビゴ®︎のほうが効きがいい人が多いのですが、この人にはあまり効果がありませんでした。このためベルソムラ®︎に変更しました。すると朝まで眠れるようになりました。
居眠りが増えてから、両下腿の浮腫が出現しました。足首が太くなり、足の甲がぷっくりと盛り上がっています。靴がきつくなりました。近所を周遊してくると靴擦れができるようになりました。水ぶくれになり痛がります。
ジスキネジア
口をもぐもぐする口舌ジスキネジア(オーラルジスキネジア)が出現しました。不随意運動です。レキサルティ®︎などの抗精神病薬の副作用かもしれませんが、変性疾患の錐体外路症状が出現してきたのかもしれません。
妻が昔のことを思い出しました。「舅(夫の父親)も、晩年、口をもぐもぐしたり、舌をぺちゃぺちゃしていました。足も悪くなって最後は歩けませんでした」と言います。遺伝性の変性疾患でしょうか。
DATスキャンを行いました。両側線条体集積軽度低下という結果でした。変性性パーキンソン症候群の可能性があるということです。
変性性パーキンソン症候群とは、レビー小体型認知症、進行性核上性麻痺、多系統萎縮症、大脳皮質基底核変性症などの疾患です。遺伝性の変性疾患の可能性もあります。
通院が難しくなる
X年、パーキンソン症候群による歩行障害が増悪し、当院まで徒歩で来られなくなりました。方向転換ができなくなり、特にトイレの中など狭い場所では床に倒れてしまいます。そして自分では立ち上がれません。
両便失禁が常時となり、尿路感染症を来しました。
あんぱんとどら焼きを食べる生活が続いたため糖尿病を発症しました。また、レキサルティ®︎のような非定型抗精神病薬には、薬剤性糖尿病を発症したり、糖尿病が悪化して高血糖になる副作用があります。糖尿病になると感染症に対する免疫力が低下します。尿路感染症が治りにくくなります。
レキサルティ®︎を減量中止することにしました。38度の発熱があり、尿路感染症から腎盂腎炎を来したものと考え、抗生物質のクラビット®︎を処方しました。
発熱したところ、せん妄状態になりました。食事も取れません。
救急搬送
食事も水分も摂れなくなり救急搬送されました。尿路感染症だけではなく、両下腿に蜂窩織炎が見つかりました。日中の居眠りから両下腿がむくみ、きつい靴を履いて周遊し、靴擦れができ、その傷から細菌感染を起こしたようです。
3週間ほどで感染症は改善しました。退院後は歩行不能なため、自宅に帰ることは難しいと判断されました。介護老人保健施設に入所しました。そこで1カ月半ほどのリハビリテーションした後、なんとか歩けるようになり自宅に帰ることになりました。
すると以前あった周遊が再燃しました。毎日、スーパーマーケットに行き、同じ物を買ってきます。ポリ袋やペーパータオルを盗んできます。玄関の外で立ち小便をします。
買い物できないように妻がクレジットカードを隠しました。以前なら、そんなことをすると激昂していましたが、最近は弱気になったのか下手に出てきます。「カードを貸してくれよ」と妻に頼んできます。
腿浮腫
蜂窩織炎は治りましたが、下腿の浮腫はなかなか治りませんでした。本人がベッドに腰掛けた姿勢で居眠りしてしまうのが原因です。
妻がいくら言い聞かせても、ベッド上に足を載せないで腰掛けた姿勢で居眠りします。ケアマネジャーに頼んでベッド柵をつけてもらいました。
すると本人はそのまま臥床して眠るので、足を下ろして寝ることがなくなり、下腿の浮腫は改善しました。
妻は言いました。
「足のむくみは良くなりました。それに、お漏らしもほとんどなくなりました。リハビリパンツや尿取りパットも汚さなくなってゴミが減りました」
失禁まで改善するとは不思議です。
そんなことがあるのか、と思いました。
2度目の勾留
そんなある日、妻が1人で来院しました。
「勾留されています」
2年前、万引きで勾留されて以来です。
理由は毎日の行動にありました。感染症で入院した後、時刻表的生活が戻ってきていました。朝の3時に出かけて行き、近所を周遊してきます。小刻みすり足歩行でトボトボと歩いて行きます。
そのときに近所の家のゴミ箱に自宅から持参したゴミを入れていたのです。妻は知りませんでしたが以前から度々あったとのことでした。よその家のゴミ箱に汚れたリハビリパンツや尿取りパットがたびたび捨てられていたのでした。
その家では気持ちが悪いので警察に相談していました。警察のほうでもときどきパトロールを行なっていました。
悪いこととわかっていてもやってしまう
なぜやったのかと聞かれ、「家のゴミ箱にあると臭くて嫌だから、よそに捨てたんだ」と答えたそうです。悪びれる様子はありません。悪いことだとわかっていても、やってしまうのです。まさに前頭側頭型認知症の人の答えです。
警察と被害者に、認知症で通院中である旨説明し、妻が謝罪をしました。近所の人とはいえ、まったく面識のない人でした。「認知症だ」というと、被害者の人は理解を示してくれたのです。警察からは「目を離さないでください」と厳重に注意を受けたとのことです。
ケアマネジャーに連絡し、対策を検討しました。本人が外に出られないように鍵を増設することを検討しました。これは閉じ込めることになるので虐待とみなされます。
徘徊探知装置を付けることになりました。本人が玄関から出て行くとブザーが鳴って知らせます。このようなセンサーは介護保険の福祉用具貸与でレンタルができます。果たしてこれで解決できるのでしょうか。
これからも目が離せません。
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。