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医療機関への通院は、何のためでしょうか。

薬をもらうため、と答える人がきっと多いと思います。
もちろん診断する必要もあり、診断から治療につなげるのが医師の役割です。

このように、何か治療を考えて、薬を処方するのが医師の仕事と思いがちです。実際、お薬で良くなりたいとか、いろいろと予防していきたい、進行を遅くしたいなどの要望があり通院している人がほとんどです。

ところが、診断はしてもらいたいけれども、薬での治療はしてほしくないと言う人がいます。その理由は人それぞれです。薬で治療する、あるいは予防するということは自然に反することだから受け入れられないという考え方もあります。薬の副作用が怖いという人もいます。それ以外にもいろいろな理由があります。

薬で治療しないのなら通院する意味はないのでしょうか?

そんなことはありません。薬の処方以外でも、生活の指導や介護の指導、病気のことを理解してもらうための説明、何よりもご家族に寄り添うこと、それは日々必要なことです。そのためだけに通院してもらうのも立派な認知症の治療です。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 051
92才女性

診察室で娘は言いました。

「早く進行してもらいたいんです」

多くの患者家族が認知症の進行を抑えたいといって通院しているのに、この人は違うようです。

「治療はしないでください。進行してもらったほうがよいのです。昔の母とは変わってしまい、いっしょに暮らしていることが苦痛です。早く介護度が上がり、特別養護老人ホームに入ってもらいたいのです」

これは、どういうことなのでしょう。

これまでの経過

若いころはしっかり者で、惣菜屋を切り盛りし、繁盛していました。趣味も多く、編み物や洋裁、茶道など、活発にお稽古事にも通うような明るく娘思いの人でした。

娘一家と二世帯住宅で同居しており、本人は実質一人暮らしでした。

X-4年、突然人柄が変わり、人の悪口ばかり言うようになりました。以前には言わなかったような汚い言葉で暴言を吐くようになり、家族が驚くようになりました。悪口の内容は被害妄想が原因でした。自分が不当な扱いを受けているとか、人からいじめられているなどの内容がほとんどでした。

我慢がきかず衝動的になりました。記憶力も悪くなり、買い物で同じものばかり何度も買ってきてしまいます。冷蔵庫に食材が溜まり、賞味期限が切れたり、腐っていてもそのままになっていました。

X-3年、冷蔵しなければならない食品を室温で放置するようになりました。買い物の際に小銭が数えられなくなり、札を出して釣りをもらう形式になったので小銭ばかりたまるようになりました。

X-2年、やかんを火にかけたままトイレに入り、そのまま忘れてしまいます。自宅内で物の管理ができなくなり、しまう場所がわからないので1日中探し物をするようになりました。

複雑な内容の会話ができなくなり、勘違いが多くなって、間違いを指摘されると取り繕うようになりました。意欲が低下し何もかも面倒がり、放っておくと何もしないでじっとしているようになりました。娘が話しかけても無関心になりました。

食欲が減退してきて食事摂取量が減り、これに伴い便秘するようになりました。以前はできていた自宅内の整理整頓ができなくなりました。注意力が低下し、外を歩いているときに車が来てもよけないし、塀や電柱にたびたびぶつかりそうになるということでした。

娘が心配し、当院初診しました。

初診時の状態

初診時、本人は「たしかに物忘れはありますよ。でも生活には何も支障はありません」と言っていました。病識欠如です。

MMSEという簡易な認知機能検査を行なったところ、30点満点で25点でした。年月日・曜日等がわからない時間的見当識障害が目立ちました。点数だけで判断すれば軽度認知障害ということになるのでしょうが、人格変化や精神症状が目立つので何らかのタイプの認知症と考えられました。

娘の困っている症状としては、聞くに耐えない暴言や悪口が非常に多いということでした。しかし、診察場面では機嫌が良く、会話のテンポも正常で、その場では異常が感じられません。

頭部MRIではやや左側に強い側脳室拡大が認められ、大脳皮質のびまん性萎縮を伴っていました。被害妄想、暴言、人格変化が目立ち、嗜銀顆粒性認知症が疑われました。

薬を試す

最初に診断したとき、認知症の進行速度が遅くなるように薬を飲ませたり、デイサービスに通わせるなどの対策が必要であると話しました。抗認知症薬の使用を提案しました。本人は胃が悪いので飲み薬は飲みたくないと言いました。このためリバスタッチパッチ®︎4.5mg(初期用量)を処方してみました。

また、精神症状が目立ち、娘が苦痛に思い苦しんでいる様子がありました。私が娘に「被害妄想や暴言などは認知症の症状と考えられます」と説明すると、娘は「病気の症状なのであれば、なんとか聞き流して我慢するようにします」ということでした。あまりにひどければ、精神症状が少し和らぐような薬を併用することもできると伝えました。

転倒しやすい

転びやすくなりました。足の運びが悪くなり、少しの段差でつまずきます。足が上がらなくなり、風呂場の湯船もまたげなくなりました。介護保険サービスが必要です。介護認定申請をしてもらいました。介護保険サービスを利用したデイサービスでの入浴を提案しましたが、本人は拒否しました。

介護認定が出るのを待っているあいだに地域包括支援センターに援助を依頼し、次善の策として自宅の風呂場に手すりを設置し、シャワーチェアを注文しました。

家の中での転倒があったので、屋内移動用に4点杖も導入しました。段差がある場所は介護保険の住宅改修を利用してバリアフリー化する工事を行いました。工事が終わるころには認定が出ました。要介護1になりました。このころには本人は自宅内で転倒したことはまったく覚えていませんでした。

転倒での怪我は幸い打撲傷だけでまた動けるようになりましたが、以前と同じというわけにはいかず、外出には歩行器が必要になりました。こちらも介護保険を利用して導入しました。椅子が付いているタイプを借り、近所のコンビニくらいまでは歩いて行けるようになりました。疲れれば途中で座れますし、ものを入れるところが付いていますので、買い物したものを入れて運べます。

テレビの前で眠り込む

「寝室でテレビが観たい」と言い出しました。いつもは居間でテレビを観ながら、こっくりこっくり居眠りするのが日課です。ときどきそのままごろ寝になり、テレビの前で昼寝をするのが習慣でした。ごろ寝が嫌なのか、楽なのがいいのか、本人は寝室で寝たままテレビを観ることを望みました。

テレビというのは認知症にとって良くないものの一つです。テレビを観ている人は完全に受け身です。内容がわかってもわからなくても勝手に情報が垂れ流されていきます。テレビをただ眺めている人の脳は代謝が低下し、活動しなくなるということがわかっています。

私は、テレビばかり観て居眠りしているという人には、ラジオや音楽、デイサービスへの通所などを勧めます。どうしてもテレビという場合にはコンテンツを選んでもらいます。懐メロの歌番組や相撲、野球などその人が興味を持てる内容ならよいのです。

この人の場合、脳を働かせなくて済むので、ぼんやりテレビを観ているのが楽でよいのでしょう。本人は寝たままテレビを観ることを望みました。それをやったら、ますます脳は働かなくなると思われ、とりあえずは寝室にテレビではなくラジオを置いてみるようにアドバイスしました。

風呂に入ったことを忘れる

風呂に入ったことを忘れ、何度も入ってしまうようになりました。風呂では入浴時にシャンプーで顔を洗うなど支障が出てきました。シャンプー自体も何度も繰り返してしまいます。娘が介助に入るようになりました。

介護保険で借りた歩行器を使って、近所のコンビニエンスストアに頻繁に行くようになりました。何度も同じようなサンドイッチ、おにぎり、スイーツを買ってきます。多すぎて全部は食べられません。娘がときどきチェックして、適宜廃棄しました。

吃音が出現しました。語頭を何度も発音してしまいます。言語機能の障害です。会話の理解力も低下し、うまく噛み合いません。

リバスタッチパッチ®︎は維持量の18mgになりました。症状は横ばいで、同じものを何度も買ってきます。精神症状も初診時と同じで、被害妄想による暴言や悪口が頻繁です。同じ話を繰り返し聞かされ、娘もイライラしてしまいます。ちょっと言い返すと怒鳴られます。

自覚してもらいたい

あるとき、娘が言いました。

「認知症の診断を告知して、本人に理解してもらって、悪口を言わないようにできませんか?」

認知症の告知は困難です。しかし、できないことはありません。

「告知しても忘れるので、何度も告知しなくてはなりません。また、告知された内容のすべてを覚えられずに一部だけ覚えてしまい、私たちが意図しないような思い込みにつながることもあります。被害妄想が強い人の場合、医師に騙されていると言って通院しなくなる人もいるのです。正しく理解してもらうためには、周囲の人の根気が必要です。一生懸命やっても最後まで理解してもらえないこともあり得ます。一度理解しても認知症が進行して忘れてしまうこともあるでしょう。でも、告知するのなら協力します。告知するかどうかよく考えて決めてください」

次の診察で告知はしないことになりました。

閉じこもり

夏が来ました。エアコンをガンガンに効かせて、寒いなかで厚着をして過ごしています。冬物を出してきて着ています。

このころから失禁が出現し徐々に増悪しました。パットを使うようになりました。歩行障害も悪化し、布団からの立ち上がりが困難となりました。介護保険で介護ベッドを導入しました。

歩いて買い物に行くのが難しくなりました。買い物に行くように促しても「外は暑いから嫌だ」と言います。同じものを何度も買う症状がなくなり、認知症の症状の悪化に伴い娘の手間が一つ減りました。

家に閉じこもりになりました。このため、ケアマネジャーはデイサービス通所を勧めました。ケアマネジャー訪問時は取り繕いがあり「そうですね、行きましょうか」などと返事しますが、いざデイサービスの見学の日になると「今日は具合が悪いから」とドタキャンを繰り返します。そして、ケアマネジャーのいないところで、ケアマネジャーの悪口を言います。

もの盗られ妄想

ものを無くすと「娘が盗った」と言うようになりました。もの盗られ妄想です。娘は困り果て、「やっぱり告知してください。でも本人が希望を持てるようにうまく話してください」と言いました。

娘の希望に沿って、診察時に本人に言いました。

「もの忘れがひどくなっています。しまい忘れたものをあなたが勘違いして、娘さんが盗んだと思ってしまうこともあるようです。いま貼っている薬は、もの忘れがひどくならないようにする薬です。貼っていればきっと良くなるでしょう。だから諦めないで治療を続けて行きましょう。大丈夫ですよ」

そんなふうに話しました。その場で本人は「そうなんですね。ありがとうございます」と言っていました。ところが、家に帰ってから様子が一変しました。

ものを叩くようになる

杖やテレビのリモコンで壁や床を叩くようになりました。イライラしている様子が伝わります。大きな音がするので娘が驚いて本人のところに行くと「嘘つくなー! 財布を返せー!」と叫びます。癇癪を起こします。娘を怒鳴ります。

そのうち、何もないときにでもつねに壁をトントン叩いたり、床をどんどん鳴らすような症状が続くようになりました。娘が行ってもおさまらず、「殺してくれー!」「もう出ていく!」「嫌だー!」と叫びます。被害妄想がひどくなってしまいました。

精神安定剤の処方や入院を勧めました。なかなか方針が決まらないので、まずは漢方薬の抑肝散を処方しました。しかし効果はまったくありませんでした。

薬をやめる

X-1年、娘の希望で抗認知症薬のリバスタッチパッチ®︎をやめました。被害妄想や暴言、悪口は続いていましたが、怒鳴ったり叫んだりすることはおさまりました。杖で叩いたり、どんどんと音を立てることもなくなりました。元気がなくなった分、精神症状も下火になったのです。

強い拒否もなくなり、デイサービスを導入することができました。MMSEを行うと20点に低下していました。1年前は25点ですので5点の低下です。通常、アルツハイマー型認知症の場合は1年間で2〜3点の低下を示します。5点低下しているということは通常より進行が早いということです。

手先が不器用になり、箸が上手に使えなくなりました。食事中に食べこぼしが増えました。巧緻運動障害です。パーキンソン症候群の症状です。かなりの進行だと思いました。

「薬の中止で進行が早いのかもしれません。どうしますか?」

「薬はいりません」

怒鳴ったり叫んだりされるよりはよいという判断でした。

自然に任せる

娘は自然の経過に任せることにしました。お薬の処方もありませんし、症状の説明も概ね行いました。デイサービスなど介護サービスも入りました。私は「これからの通院は困ったときだけでもいいし、3カ月から半年に1回くらいの間隔で症状だけを教えていただければかまいませんよ」と話しました。

「通院はどうしますか?」

私の問いに、娘は毎月私にアドバイスをもらいたいと言って、いままで通り月1回通うことになりました。

対話のみの診察

「アドバイスが欲しいのか」と思い、最初のうちは娘が訴えるいろいろな症状について解説し、接し方を指導し、娘が悩んでいれば何か解決策を示そうと思い「〜したらいいのでは?」「こういう薬もありますよ」などと積極的に提案するようにしていました。

しかし、何度提案しても実行される気配はなく、そのままになっており、娘の訴えも毎回同じで変わりませんでした。物事が解決に向かっている手応えもありませんでした。しばらくして私は気づきました。この娘は解決を望んでいるわけではないのです。介護の状況をわかっている人がここに1人いるということが重要だったのです。

私は娘の話にほぼ口を挟まずに傾聴するようになりました。ひと通りの現状報告が終わると最後に「でもまだ大丈夫です。なんとかやれます」と言って「また次回よろしくお願いします」と帰っていきます。私に話すことによって現状を確認している様子でした。

たまに質問されることがあり、そういうときには私の専門家としての知識をきちんと伝えます。こちらが必要だと思う知識を押し付けるのではなく、相手が必要としている知識を提供することが娘のニーズに応えることでした。

もの盗られ妄想で荒れる

経過中、また以前のように「お金がない」と興奮し暴れました。部屋中の引き出しや戸棚を開けて物を全部出し、重たいものまで引きずり出し、部屋中散らかします。そのうえで「お金がない、お金がない」と興奮して探し続けています。

さすがに何らかの対応が必要ではないかと思い、「もの盗られ妄想は改善するお薬がありますよ」と提案しましたが、「もう少し様子を見ます」とのことでした。様子を見ていたら自然におさまりました。

被害妄想

デイサービスで入浴させてもらっていましたが、毎日帰ってくると「付け届けをしないので入浴させてもらえなかった」と言います。娘は、本人に入浴した日をカレンダーに記録させるようにしました。

本人が「入浴していない」と主張したときにはカレンダーを見せて、「入浴したと書いてあるわよ」と示すと、不思議そうな顔をして「それなら、私が『お風呂に入れてくれ』と騒いだから、入れてくれたんだ」と言うようになりました。

デイサービスから帰ってくると自室でぼーっとしています。電気もつけないでただ座っています。以前のようにテレビを観ることもなくなりました。

家族を呼ぶ

今度は杖で床を叩く症状が再発しました。誰かに来てもらいたくて呼んでいるのです。最初のうちは、その都度娘一家の誰かが行っていましたが、行って話をしても会話が噛み合いません。本人はずっと不機嫌で、何かに対して怒っています。しかし、会話の内容はどんどん変わり、何のために家族を呼んだのかわかりません。誰も行かないと2、3時間続きます。

遂行機能障害が徐々に悪化し、自宅の水道栓の使い方がわからなくなるなど、徐々に認知機能は低下していました。

人格変化の進行

以前にも増してデイサービスの利用者やスタッフに対する悪口を頻繁に言うようになりました。聞くに耐えない罵詈雑言を口にします。娘はそれを聞くのが苦痛でした。あの明るく社交的で娘思いの母親の面影はどんどん失われていきました。

もはや母親らしさはかけらもなく、悪口と妄想しか話しません。元の母親の性格ではまったくなくなりました。

「昔の母じゃありません」

娘はそう言いました。

食事したことを忘れるようになり、「食べてない」と怒り出します。娘が「さっき食べていましたよ」と言うと不思議そうな顔をしています。

尿失禁のため、尿とりパットを使用していました。そのくせ、デイサービスでリハビリパンツを履いている人やパットを使っている人を見て、「いい年しておもらしなんかして」などと罵ります。

取り繕い

診察に来ると、相変わらず医師の前ではまったく別人です。

「物忘れがあるんですが、良くなりたいです。娘と同居とはいえ、2世帯住宅なのでほとんどひとり暮らしです。何でも自分でやっています。これからもずっとひとり暮らしを続けたいんです」

MMSEは年の初めに20点でしたが秋には18点に下がっていました。頭部MRIで確認すると海馬の萎縮が少し進んでいました。それなりの速度で進行しています。抗認知症薬を使わないせいなのかもしれません。

私は娘に説明しました。「通常、アルツハイマー型認知症では治療の介入をしないと、1年でMMSEが2点から3点下がるといわれています。治療の介入というのは、抗認知症薬の投与や、デイサービスなどのアクティビティケアを行うことです。お母様は、デイサービスに欠かさず通っていますが、それでも何もしていないのと同じぐらいかそれ以上の速度で進行してきています。抗認知症薬を併用すれば、もう少し進行が遅くなるかもしれません」

娘は言いました。

「治療はしないでください。進行してもらったほうがよいのです。昔の母とは変わってしまい、いっしょに暮らしていることが苦痛です。早く介護度が上がり、特別養護老人ホームに入ってもらいたいのです」

認知症の進行

やがて、便失禁するようになりました。入浴中に浴槽内で排便してしまいました。

徐々に元気がなくなり、「お金がない」と言い出すことはあるものの、以前のように暴れてものを散らかしたり、大声で騒ぐことはありません。それでも訴えはしつこく、娘を捕まえては「あんたが持っているだろう」と言います。「お金は娘が預かっています」と書いた紙を貼ってみたところ意外と有効で、娘に訴えてくることが減りました。

被害妄想が強くなりました。家に帰ると「デイサービスのスタッフにいじめられた」と言います。デイサービスに行くと「家で娘にいじめられている」と言います。

歩行障害の出現

このころからすり足小刻み歩行になり、歩行障害が顕著になったため、転倒の恐れがあると考え、娘はウェブカメラを取り付けました。居間と寝室に設置して、日ごろの行動を監視するようにしました。

すると、1人のときにも娘の悪口をつぶやいていることがわかりました。そのほかにも、ぼんやりテレビを眺めながら「早く死にたいよー」などとつぶやいていました。

しばらくして、取り付けたウェブカメラが役に立つときがやってきました。洗濯物を運ぶ途中で前のめりになり転倒しているのがカメラに映りました。すぐに娘が行って怪我をしていないか確認したり、やりかけの洗濯を手伝ったりできました。

孤独の不安

ある晩、夜中に急に起き出して家族を呼びました。孫が行くと「夜中に目が覚めてみたら誰もいない。何かあったら私はどうすればいいんだ」と切々と訴えました。初めてのことでした。

本人もひとり暮らしが不安になってきたようです。

ショートステイの提案をしたところ、「行きたい」と言いました。1人では不安だからと4人部屋を希望しました。ショートステイに行く日の朝になって急に怒り出し、「殺せ!」と大騒ぎになり急遽キャンセルしました。

杖を折る

X年、気に入らないと杖で床を叩く症状は以前からありましたが、冷蔵庫や洗濯機など家電製品が上手に使えないと杖で思い切り叩くようになりました。そのうち杖が折れました。新しい杖を買い与えたところ、また杖であちらこちらを叩くようになりました。

テレビをまったくつけなくなりました。娘がつけてあげてもすぐに「消して」と言います。テレビの内容がわからなくなったようでした。

身体面では、手先が不器用になり、食事の際に箸を落としたり食べこぼしが増えました。ろれつが回らなくなり、何を言っているのか聞き取りづらくなりました。

歩行障害も悪化し、夜中にトイレに行くときは四つん這いで行くようになりました。ケアマネジャーに相談して、寝室からトイレまでの動線に手すりを設置しました。

てんかん発作

ときどき、食事中に意識がなくなり体がピクピク痙攣する発作を起こすようになりました。てんかん発作です。しばらくすると意識が戻り、食事動作を続けます。

杖を握って歩いていますが、椅子に座らせて杖から手を離すように言っても、杖を握ったまま手が離せなくなりました。前頭葉症状です。強制把握と思われます。

「足を乗せて」など簡単な指示をしても、「やり方がわからない」と言います。靴の履き方もわからなくなりました。足の入れ方がわからないのです。

アパシー

ぼーっとしている時間が増え、ほとんどベッドで寝ています。徐々に食べる量が減りました。腰や背中を痛がるようになりました。臥床時間が増えると、腹筋や背筋が衰えて腰痛や背部痛の原因になります。

杖や伝い歩きで歩くのも難しくなりました。介助が必要です。1人で移動しようとして転倒を繰り返し、あちらこちらに打撲によるアザが見られるようになりました。以前はトイレには四つん這いで行っていましたが、トイレにたどり着いても便座に座ることができず、トイレの床に倒れて失禁しています。

水を飲みに行くことも、トイレに行くこともできなくなり、娘を頻繁に呼びます。デイサービスに行くのを嫌がります。車椅子に乗せて無理やり連れて行きます。

ショートステイ

食事も全介助になりました。娘だけでは対応ができなくなり、ショートステイを導入しました。今度は本人が嫌がっても入れざるを得ない状況でした。娘からは「特別養護老人ホームに入れたい」という希望があり、ケアマネジャーは入所希望の施設でのショートステイを手配しました。

ショートステイでの様子も自宅と変わりありませんでした。杖や身近にあるもので壁や床を叩いて人を呼びます。娘の名前を大声で呼びます。トイレに行こうとしてベッドから落ち、四つん這いで施設の中を移動します。食事摂取は不良で、全介助です。

特別養護老人ホームのショートステイでは、このような状態の認知症の人の介護は難しい状況でした。

いままで娘は、抗認知症薬や精神科的な薬物療法をしない方針でした。しかし、ショートステイのスタッフから娘に連絡が入り「このままでは本人を預かれない。特別養護老人ホームへの入所も引き受けられない」とのことでした。

入院するか入所するか

私は、特別養護老人ホームへの入所はやめて、認知症専門病棟への入院を勧めました。専門病棟なら薬物療法なしでも精神症状が出現している認知症の人を預かってくれるのです。しかし、私の意見は受け入れてもらえませんでした。

「年金の範囲で入れるところでないと支払い続けることができません。どうしても特別養護老人ホームに入れたいのです。ショートステイの方からは、『杖で叩いたり、夜中に四つん這いで這い回ったりしなくなるように、薬を飲ませてもらえればこれから先も預かれます』と言われました。お薬を出してください」

娘は薬を出してほしいと言いました。

90歳を過ぎており高齢です。私は以前にも処方した抑肝散という漢方薬を処方しました。また本人は大部屋希望でしたが施設側の提案で刺激が少ない個室対応としました。すると、少し落ち着いて「なんとか預かれそうです」と連絡が来ました。

娘の希望通り認知症は早く進行して、特別養護老人ホームに入れそうです。これもまた一つの答えなのでしょう。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。