認知症の人の自動車の運転については、いつも悩ませられます。日常的に運転していた人は、認知症を発症してもある程度の期間、慣れた道なら問題なく運転できるからです。しかし、認知症の人の運転は事故率が高いことも事実です。認知症は進行性の疾患で徐々に認知機能が低下しますから、運転中の注意力や運転技術自体も進行とともに失われていきます。
今日は運転できても明日はわかりません。ですから、認知症と診断したら自動車の運転はすぐに止めるように指導します。
認知症の人には病識がない場合が多く、運転免許証を返納して運転をやめるように指導してもアドバイス通りに実行していただけないことが多いのです。免許更新のタイミングは、免許証を返納する一つのチャンスです。
通院中の患者の息子が診察室に入ってきて「親父が1人で警察署に行って、免許証を更新してきてしまいました」と言いました。私は驚きました。
認知症で、とても運転できる状態ではありません。免許更新のタイミングで免許証を返納する予定でした。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
これまでの経過
X-3年、家の鍵を何度もなくすようになりました。
X-1年、妹の夫が亡くなりました。その際に「妹が亡くなった」と言って息子を驚かせました。
X年、毎年自分でやっていた確定申告ができなくなりました。
怒りっぽくなりました。孫の卒園式に出るときに、息子から背広を着て行くように言われましたが拒絶し、大声で怒鳴ってけんかになり、結局卒園式に出ませんでした。
運転中に一方通行の道路を逆走して警察に捕まり罰金を支払いました。かかりつけの内科医が当院に行くように指示し、息子に連れられて当院を初診しました。
初診時の症状
記銘力障害があり、直前に言ったことを忘れ、何度も同じ話をします。疲れやすくすぐに「疲れた」と言って休もうとします。無気力で意欲が低下しています。耳が遠くなり、話しかけてもすぐに理解できず必ず聞き返します。間食が多く煎餅や菓子パンを好みます。
MMSE20点でした。MMSEは30点満点の簡易な知能検査です。できなかったのは、年月日、曜日などの時間的見当識と記銘力の項目でした。頭部MRIでは海馬に中等度の萎縮を認めました。アルツハイマー型認知症と診断しました。まずはアリセプト®︎を処方しました。
自営業ですが、いままでできていた決算書が書けなくなりました。息子に手伝ってもらってなんとか書きましたが、書き終わって税務署に出したことを忘れて「ないない」と探しています。
仕事柄、配達など自分で運転していました。
運転操作がわからない
しばらくすると運転操作がわからなくなることが出てきました。うまくエンジンがかけられず、乗れないこともありました。毎回ではなく、ときどきです。私は免許証を更新せず返納するように言いました。
免許証の更新で試験を受けました。すると私が思った通り点数が悪く、「専門医に診断書を書いてもらうように」と言われたとのことでした。次の診察には当院に診断書を持ってくるように言いました。
次の診察日、息子が「1人で警察署に行って、免許証を更新してきてしまいました」と言いました。どうして更新できたのかわかりませんが、どこかの診療所に自分で受診して、診断書を書いてもらったようなのです。
運転させないようにするためには、車のキーを隠したほうがいいとアドバイスしました。
息子は車のキーを「預かるよ」と言って預かりました。これで大丈夫と思っていました。ところが、ある日息子が気づくと本人が車を運転して出かけました。驚いて本人に尋ねると、「新しい鍵を作ってもらった」と言いました。
鍵を作ってしまう
車の鍵は息子が預かっていました。本人はそれをすぐに忘れ「なくした」と言って家の中を探し回り、最後は車のディーラーに行って鍵を作ってきました。そしてまた運転してしまったのです。
孫の運動会には行きました。しかし、応援するわけでもなく、喜ぶわけでもなく、ぼんやりとただそこにいるだけでした。息子はがっかりしました。
がっかりしたからなのかもしれませんが、次の診察時に息子は「アリセプト®︎は効いてないような気がします」と言いました。
「ぼんやりしているし、元気もないし、もの忘れもひどいし、運転など困ったことだけはやってしまいます」
たしかにその通りです。息子が「薬を変えてもらえませんか?」と言いました。アリセプト®︎が効いていないのか、タイミングが悪くて効いていないように見えているだけなのかわかりません。効いてないと思って見ると、悪くなったところばかりが目につくことでしょう。それでも息子の印象は大事です。レミニール®︎に変えました。
次の受診時には「いまの薬を飲んでからあまり変わっていないので効いていると思います。機嫌もいいですし」との感想でした。機嫌は大事な要素です。しばらくレミニール®︎で治療することにしました。
息子からは「そのほかに家族でできることはないか」という質問がありましたので、脳を活性化するような活動について紹介しました。具体的には、計算ドリルなどの学習療法や地域包括支援センターで行なっている介護予防教室への参加、家族旅行などです。
通院するうちに、もともとあった白内障が徐々に悪化してきました。白内障は数年前から患っているのですが、毎朝起きるとその記憶がないので「目がかすんでいる!」と言います。診察のたびに「急に目がかすむようになって困っています」と言います。
進行を予防したいと思っていた息子は、旅行に誘ったり、介護保険のデイサービスを勧めたりしましたが、本人は強く拒否しました。
車のディーラーに協力を依頼する
自動車運転については、キーを新しく作ってしまったので、新しいキーも息子が預かりました。また作ってしまわないよう、ディーラーに連絡をして本人が依頼してもキーを作らないように頼みました。ディーラーの連絡先が書いてある車検証も回収しました。
私は車も処分したほうがいいと言いましたが、「車がないと興奮して騒ぎ出すのではないかと心配です。車があるのを見ると安心している様子なので、運転できなくても車は置いておこうと思います」ということでした。
本人のADL(日常生活動作)は、入浴、トイレ、食事、着替え、すべて自立していました。家事は調理に関してはまったくできませんでした。もともとできないということでした。妻を亡くしてからは息子がすべて用意していました。
X+1年、髭を剃らなくなりました。診察時にも無精髭が目立ちます。夏にエアコンをつけません。日付はまったくわかりません。それでもADLは自立しています。診察のたびに「目がかすんでいるんです。急になりました」と言います。
車の運転がしたい
本人は相変わらず車の運転をしたい様子でした。診察時に「車の鍵が見つからなくて、運転できません。運転しないでいたら、運転の仕方を忘れてきました。また運転しないと忘れてしまいます」と言いました。
横から息子が「もう免許証を返納したら? 仕事も俺がやるから、親父は運転しなくてもいいんだよ」と言うと、「なんだと! 俺がやらなくてどうするんだ!」と怒りました。
毎回「目がかすむ」と言うので、白内障の手術を受けるようにアドバイスしました。なんとか手術ができて視力が回復しました。すると、いつもぼんやりしていたのが少しはっきりしてきたということでした。
通院時、真冬でしたが半袖で来ました。息子の言うことを聞かないので、上着も着ないでTシャツ一枚で診察室に入ってきました。暖房が入っているとはいえ寒そうです。
尿失禁するようになり、ズボンが濡れてしまいます。気がつくと自分で洗っています。
車を売却
免許証をなかなか返納しないので、息子はついに車を売却することにしました。本人名義の車だったので、売却の際には本人がサインしました。その場では納得したのです。ところが後になって「車がない!」と騒ぎ出しました。「お父さんも納得してサインしたじゃないか」と息子が言うと「勝手に売ったんだろうが!」と怒ります。車のことになると感情が抑えられず、激しく怒ります。2〜3時間は続きます。この間、息子はじっと耐えて根気よく説明します。説明しても時間が経つと本人は忘れてしまいます。
レミニール®︎を飲んでから、車のこと以外では機嫌が良くなりました。孫と笑顔で遊べるようになっていました。しかし、車のことを思い出すと別人のように激昂します。
車を買おうとする
本人は次の車を買おうとして中古車屋に見積もりしてもらいました。息子が見積書を発見し、中古車屋に断りの電話を入れました。
ADLはいままで通り問題なく自立しています。家事も掃除と洗濯はできます。掃除中に家具に頭をぶつけて怪我をしました。頭皮が切れてかなり出血しましたが、本人はすぐに忘れてしまいました。
MMSEを施行したところ19点でした。1年前は20点です。1点の違いに意味があるかどうかわかりません。失点の内容は、時間的見当識障害と記銘力障害が顕著でした。1年前と同じ傾向です。しかし、息子は悪化していると感じていました。
車にこだわってキレる
掃除中に怪我をしたのは注意力の低下です。車にこだわり、キレて怒り出す症状は悪化しています。MMSEでは拾えない症状です。息子と相談のうえメマリー®︎を併用することにしました。
メマリー®︎を服用してから激怒しなくなりました。「車がない」とは言いますが、車を買おうとしたり「勝手に処分したな!」と怒ることはなくなりました。「車はどうしたんだ?」「お父さんが売ったんだよ」と言うと「そうか」とすぐにおさまります。
このころから、いつも同じ服を着るようになりました。
車からゴミへ
また、家の周りの掃除の際にものを拾ってくるようになりました。近所のゴミ集積所に行って、服や靴などの衣類、壊れた小型家電などを持ち帰ってきます。自分で拾ってきたことを忘れ「なんだこれは!」と騒ぐこともあります。
X+2年、両目の白内障手術が終わりよく見えるようになりましたが、口癖で「目がかすむんです」と毎回言います。
通帳の記帳ができなくなり、お金の管理もできなくなりました。支払いはすべて息子が代行するようになりました。口座引き落としの手続きなども息子が行うようになったところ、銀行側は「本人または後見人でないと手続きはできません」と言いました。成年後見制度の利用が必要なレベルなのです。
車に関する妄想
車の件は「息子が車をどこかに隠して勝手に乗り回している」という妄想になりました。しばらくすると「息子が友だちにまた貸ししている」と言うようになりました。
新しい服や靴を与えても使おうとせず、いつも同じ服と靴を着ているようになりました。靴には穴が開き、服は破れたところを自分で繕って着ていました。
失禁の出現
尿失禁が出現しました。オムツやリハパンは嫌がりましたが、失禁対応パンツをはくようになりました。
いろいろと悪化していましたが、MMSE19点で前年と同じ点数でした。このMMSEという簡易な知能検査は、記銘力障害や見当識障害の出始めには点数が大きく動きますが、ある程度悪化してしまうと残りの項目はおもに言語機能に依存しているので、今度は失語症が出てこないと点数が下がってきません。
失語症は、アルツハイマー型認知症だと後期に入るなどして発病後数年経たないと出てきません。アルツハイマー型認知症の人は軽度認知障害の25点ぐらいの段階から年間2〜3点下がるのですが、19〜20点ぐらいの状態からまた下がり始めるには2〜3年かかることがあります。そのあいだに進行しないわけではありません。MMSEの点数に反映されないような能力の低下が進むのです。それは例えば「感情をコントロールする能力」や「社会性、人に配慮する能力」「趣味を楽しめる能力」など数字で評価できないものです。
着替えをしない
X+3年、ずっと着ている服がほころびると、自分で繕っていました。下着もなかなか着替えません。息子が着替えるように促すと怒り出すので本人任せです。
ゴミを拾ってくる症状は徐々に悪化しました。子どもが宝物を集めるような感じです。珍しい形の化粧品の空き瓶や、壊れたおもちゃのパーツなどです。「拾ってくるな」と怒る息子に逆ギレします。息子との仲は徐々に険悪になりました。
私は息子に「黙ってこっそり捨てればいいですよ」と言いました。拾ったものは家の中に放置して、すぐに忘れてしまいます。息子が捨ててもまったく気づきませんでした。
床屋に行かなくなり髪が伸びてきました。髭も伸びてきて全体的にだらしない感じが強くなりました。長さが気になると髪は自分で切るようになりました。
尿失禁も悪化し、服を濡らすことが頻繁になりました。
ゴミ出しに行くよう促すと出かけていきますが、肝心のゴミを持って行かないので何をしに行ったのかわからず、その辺をぶらぶらして帰ってきます。
ADLは自立
このような状態でも、食事、トイレ動作、入浴は自立していました。着替えも頻度は少ないのですが着方がわからないということはありません。着替えの頻度は少なく、同じ服ばかり着るのでズボンはついにボロボロではけなくなりました。ようやく息子が用意した新しいズボンをはくようになりました。しかし、この新しいズボンが自分のものということが覚えられず、毎回息子が渡さないといけなくなりました。
本人は食欲旺盛でとても元気でした。息子と外食すると、とんかつ一人前をぺろりと平らげます。
外出時に履く靴はいつも同じ靴でした。他の靴を用意してもお気に入りの同じ靴ばかりを履きます。ついに靴に穴が開きました。さすがにいいだろうと思った息子が靴をゴミ袋に入れておいたところ、本人がそれを見つけて怒り出しました。結局捨てることができず、そのボロボロの靴を履いてどこにでも行きます。当院にも履いてきました。
免許証の返納ができない
免許証の返納はまだ行っていませんでした。車がないので運転はできません。ときどき思い出して「車はどこだ?」とたずねます。家族皆で口裏を合わせ、「親戚に車を貸している」ということにしています。でもすぐに忘れます。次の免許証の更新のときに自然に切れるのを待っています。
ゴミを拾ってくる行動が活発になりました。最初は燃えないゴミの中から宝探しのように小さなビンやおもちゃのパーツなどを持ち帰っていましたが、このころには近所に出されている粗大ゴミのシールを剥がしてゴミを家に持ち帰るようになりました。それをまた粗大ゴミに出さなければならず、家族の負担が増えました。
X+4年、孫といっしょに映画を観に行きましたが、最初から最後まで寝ていました。まだADLは自立していました。
免許証更新時期の到来
免許証更新のお知らせハガキが届きました。ハガキは息子が保管して、本人の目に触れないようにしました。
冷蔵庫内の生肉や冷凍アサリなど、調理していない食材をそのまま食べてしまうようになりました。買い置きしてあるお菓子は夜中に起きてすべて食べ尽くします。冷蔵庫に鍵をつけてもらい、勝手に開けられないようにしたところ、冷蔵庫は漁らなくなりました。代わりにお茶の缶を開けて中身を出したり、常温保存のものを漁るようになりました。
MMSE18点になりました。1年で1点ずつ下がってきています。それ以上に、生活場面での変化が目立ってきました。アパシーです。アパシーは前頭葉機能の低下による症状です。意欲が低下し、自発性がなくなります。家では何もしないでぼんやりしている時間が増えました。それでもADLは自立しており、夜は自分からパジャマに着替えて眠ります。
嚥下障害の出現
身体面での変化が出現しました。嚥下が悪くなり、むせたり痰が絡みやすくなりました。
白内障の手術をしたので目は見えています。眼科の検査でも視力は改善していました。しかし、診察時には毎回「目がかすんでいます」と言います。内容が伴わない空疎な発言です。
X+5年、ゴミを持ち帰ることはなくなりました。自宅から出すゴミの分別ができなくなりました。
レビー小体型認知症の合併
家に飾ってある絵のなかに「動物がたくさん見える」と言い出しました。動物はまったく描かれていない絵です。錯視と思われます。パレイドリアという症状です。いわゆる見間違いです。レビー小体型認知症によく見られます。レミニール®︎を1日24mgに増量しました。
免許証の自然消滅
車のことをたまに思い出して「どこにある?」と聞きますが、親戚に貸しているということですぐにおさまります。機嫌が悪くなることはありません。免許証は期限が切れました。
ここまで介護保険サービスをまったく使っていませんでした。アパシーの進行で自宅では無為に過ごしているとのことでしたので、私はデイサービス通所などを行ったほうがいいと思いました。介護認定申請をしてもらい、要介護3になりました。
孫を自分の息子と間違えるようになりました。
以前はゴミを拾ってきたり、着ている服を自分で繕ったりしていましたが、まったくしなくなりました。自宅でぼんやり座っている時間が増え、風呂など一人でいるときに独語が見られるようになりました。誰かと喋っているような、自分の考えをただ話しているような、独り言をぶつぶつとつぶやいています。
家族の顔を見間違えるのは人物誤認という症状です。このころからゴミを拾う症状が再燃しました。拾ってきたヘルメットに色を塗ったり、穴の開いた靴を縫ったりしています。粗大ゴミを拾う症状も再燃しました。粗大ゴミを家に持ち帰り、ゴミ出し用のシールを剥がしてしまいます。
リハビリパンツの導入
尿失禁が悪化して毎日下着を汚すので、息子がリハビリパンツを買ってきました。パンツを渡すと思いの外すんなりはいてくれるようになりました。下着が濡れて目が覚めることがなくなったので、夜もトイレに行くことがなくなり、朝まで熟睡してくれます。
お金が数えられなくなり、欲しがりもしなくなりました。買物にまったく行かなくなりました。
自律神経障害が出現しました。血圧が著しく低下し、収縮期が100を切りました。下がると80台になり意識が朦朧とします。
MMSE14点になりました。頭部MRIでも大脳全体の萎縮が進行してきました。自分は70歳だと思っています。認知症発症前の年齢です。紅茶のティーバッグをそのまま食べてしまうようになりました。
抗認知症薬を変更する
レミニール®︎を飲んで3年ほど経ち、進行も目立つため抗認知症薬のローテーションを開始しました。アリセプト®︎に変更しました。
意欲が出たらしく、孫とトランプで遊べるようになりました。本人は近所のゴミ集積所に出かけて行きました。そして、他の家から出た生ごみの袋を開けて捨ててあった刺身を食べてしまいました。
介護認定申請をして、要介護度は出ていましたが、まだ介護保険サービスは何も使っていませんでした。ゴミを食べてしまったことから、さすがに1人でうろうろされると何をするかわからないということになり、日中はデイサービスに預けることになりました。ケアマネジャーがつきました。
ケアマネジメントの開始
自宅近くにある中学校の空き教室を利用したデイサービスに誘ってみました。その中学校は本人の出身校でもありました。いままでデイサービスを拒絶していたのですが、ケアマネジャーが「出身中学校でやっている高齢者の会のお手伝いをお願いできませんか?」と誘ったところ、通所につながりました。まずは週1回です。
デイサービスに行っている日はよいのですが、行かない日には相変わらずゴミを拾ってきます。アリセプト®︎に変えてから、以前のような状態に戻っているのです。このためデイサービスを増回しました。増回はスムーズにできました。地元の中学校出身の友人がデイサービスに参加していたからです。息子の意向で、ゴミ集積所にゴミが出される曜日にデイサービスを入れることになりました。燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ごみの日があります。週4回になります。
睡眠中や入浴中に壁を叩くようになりました。音に驚いて家族が見に行っても本人はケロッとしています。何が目的なのかわかりません。
少しずつ認知症は進行しました。食事の仕方がおかしくなりました。サラダの器に味噌汁を入れて混ぜています。エビフライの上に酢の物を乗せて眺めています。デイサービスで他の人が描いた絵を指差して「俺が書いた絵だね」と笑顔で言います。
服装が選べなくなりました。下着の上にジャケットを着ます。亡くなった親族がいまもいっしょに住んでいるように感じています。
認知症が重度になる
MMSE13点に下がりました。風呂に入っても洗身や洗髪はまったくできなくなりました。食事したことを忘れて、食べた直後に食事を要求します。息子の名前がわからなくなりました。重度の認知症になりました。アリセプト®︎に変えた直後は少し活発になりましたが、徐々に低下しました。ゴミを拾ってくることはなくなりました。
問題行動はなくなりましたが、ADL(日常生活動作)がほぼ全介助になり、息子にかかる介護負担が重くなりました。
「もう、いっぱいいっぱいです。老人ホームに入れたいです」
そう言っていた矢先に、息子が体調を崩して入院しました。急遽ケアマネジャーに連絡を取り、ショートステイを手配してもらいました。初めてのショートステイでは「ここは家じゃない!」と帰宅願望が強く出て騒ぎました。
息子の体調が回復し無事に退院しました。いままで通り週4回のデイサービスに行きますが、デイサービスがない日には風呂に何度も入ったり、ご飯を何度も食べてしまいます。ゴミを拾ってくる行動はありませんが、自宅のゴミを出したり入れたり落ち着きません。掃除をしているつもりなのか、網戸やエアコンのフィルターを叩いて壊します。
息子の変化、ホームに入る
息子がイライラし始めました。もともと穏やかな息子だったのですが、その息子が怒りっぽくなり、父親を怒鳴ってしまうようになりました。介護ストレス、介護うつです。虐待につながる恐れがある状態です。
「大便で汚したパンツを便器の中で洗っていました。そのパンツをその場に放置しています。汚いです。臭いです。もう限界です」
「私も限界だと思いますよ。もう老人ホームを探してください」
診察室での息子と私の会話を聞きながら、本人はニコニコして何か喋っていますが、意味が通じない支離滅裂な発言です。車の運転や免許の話はもうまったくしません。そして老人ホームに入ることになりました。
自動車のことであれだけ悩んだのが大昔のことのように感じます。認知症の人の運転で事故のニュースを見るたびに、この人のことを思い出します。認知症になった人の自動車の運転をやめさせるのには時間も手間もかかるのです。簡単なことではありません。
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。