バックナンバーを読む

認知症は、どのような人にも起こりうる疾患です。しかし、若いころからうつ病であったとか、躁うつ病、統合失調症、不安神経症など種々の精神疾患を患っていたというケースをよく見かけます。また性格に偏りがあったり、大きな事故や災難を経験したことも影響する場合があります。

うつ病と認知症では、同じような脳の変性が起こっていると言われています。強い精神的ストレスは、脳に何らかの変化を与えるようです。

脳の変性の兆しはさまざまな精神症状として現れます。過去の強烈な体験が現在のことのようにありありと想起され、過去に戻ったかのようになる場合もあります。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 054
95才男性

「実は・・・舅に犯されそうになったことがあるのです」

衝撃的な内容です。その女性は通院中の患者の嫁です。

「それはいつのことですか?」

私は聞きました。認知症の初期症状で性的逸脱が出現することがあるからです。

「結婚してすぐです。私は20歳そこそこ、舅は50代でした」

そのころから認知症だったわけではありません。

「夫も知っていることですから隠しません。でも、舅がこうなったのは私が原因じゃないかと思うのです。最近介護していると、若いころの嫌な記憶がよみがえってきて辛いのです。このまま介護していてもいいのでしょうか」

どうしたらいいのでしょう。

これまでの経過

X-2年、本人が1人で来院しました。

「ここ2、3カ月、物忘れが気になるんです。会社をやっているんですけど、お客さんとの会話の内容を忘れてしまって、イライラするんです」

自覚のある物忘れでした。記憶力のテストは正常で、頭部MRIでは軽度の慢性虚血性変化のみで、病的な萎縮は見られませんでした。

「現在のところ認知症ではありませんよ」

私がそう話すと、その人は急に涙ぐみました。

「よかった……すみません、最近涙もろくて。ときどきなんでもないのに涙が出てくる日もあるんです。特に原因はないんですよ。長男一家といっしょに住んでいるんですが、家族はみな元気だし、家族でやっている自営の店もうまくいっています。孫も大学に受かって一安心というところです。孫は家を出て、一人暮らしを始めたところです。少し寂しい気持ちもあるのかね」

うつ状態のように見えました。本人は特に原因はないというのです。孫が大学に行くので家を出たのが原因なのかもしれません。「空の巣症候群」と言われるものです。

仮性認知症

うつ病によるもの忘れは仮性認知症といいます。本物の認知症ではないのですが、うつ病になると頭の働きが悪くなり、注意力が低下します。心ここにあらずという状態です。ぼんやりして注意が必要なことを見落とします。うっかりミスが増えます。

この人は、そのほかにもカッとなったりイライラしたり、感情が不安定になっていました。寂しさや悲哀感もあり涙が出てきます。そのような状態が、2、3カ月続いているのです。

「認知症ではありませんが、うつかもしれませんね。つらければよいお薬がありますよ」

私が話すと、本人が薬を飲んでみたいと言いました。

SSRIという種類の抗うつ薬を少量処方したところ、カッとなったりイライラしたり、涙ぐんでしまう症状がすみやかに改善しました。重症のうつ病ではなかったようです。

「とても気分が落ち着きました。ありがたいです。でも、もの忘れが全然良くなりません」

薬を飲む頻度が徐々に減り、数カ月後には通院が途絶えました。

家庭内トラブル

X-1年、久しぶりに来院しました。

「調子が良かったので、薬はその後服用していませんでした。ところが最近家族の中にちょっとしたトラブルがあって、それをきっかけにまたもの忘れが気になるようになりました」

どのようなトラブルか、尋ねても話しません。私は抗うつ薬を再開しました。しばらくすると嫁が付き添ってきました。

「いっしょに事務所で仕事をしていて、突然何をしていいのかわからなくなりパニックになります。会社の隣にある自宅に引っ込んで、家の中で泣いています。おどおどしておびえている様子なのです。もの忘れもひどくなって通帳をなくしました。再発行してしばらくしたら出てきました。本人は『誰かが入ってきているんじゃないか』と言います」

うつ病かと思っていたら、認知症の初期症状のようです。抗うつ薬に加えアリセプト®︎を開始しました。

付き添ってきた嫁に「ご本人は『家族の中にトラブルがあって』とおっしゃっていましたが、何か心当たりがありますか?」と尋ねてみました。

嫁は、眉をひそめ「いま急に思いつきません」と言いました。家族の中のトラブルと聞いて、私がまず思い浮かべたのは虐待です。認知症の患者に対し「こんなこともわからないのか?」とか「さっきも言ったでしょ?」などと責めてしまい、喧嘩になったり患者がうつ状態になったりします。

「家族の接し方で症状が改善することもありますよ」

「気をつけて接しています。でも、私に対しては感情的になりやすいのです。私に介護されることはプライドが傷つくようですね」

アリセプト®︎を開始したところ表情が明るくなり、元気になりました。覇気も出てきました。

元気は良くなりましたが、もの忘れは緩やかに進行しました。夜中に起きて昼間だと思い、長男夫婦を起こします。当院に来る道もわからなくなってきました。

嫁への被害妄想

被害妄想が出現しました。

「嫁に店を乗っ取られる。嫁がお金をくすねている」などと親戚中に言いふらします。特に嫁に対する妄想がひどくなりました。

焦燥感が強くなり、お金が見つからないと興奮して家中を探し回ります。不安、焦燥、被害妄想などがあり、嗜銀顆粒性認知症を疑いました。

家の権利書を盗られると思い込み、どこかにしまい込んでなくしました。家族が家の中を探したところ、あちらこちらから数万円ずつ封筒に入れた現金が出てきて、総額は数十万円に及びました。肝心の権利書は出てきません。

抗精神病薬を始める

嫁が1人で当院に来ました。

「興奮して手がつけられません。私の顔を見ただけでおかしくなります。薬を出してください。即効性がないと困ります」

このため、抗精神病薬を処方しました。認知症のなかには精神症状が激しくどうしても精神科的な薬物療法が必要なケースがあります。そのようなときには漢方薬の抑肝散や、副作用が少ない非定型抗精神病薬を少量使用します。漢方薬の抑肝散は効果が出るのに1〜2週間かかります。このときは即効性を求められたので、抑肝散ではなくジプレキサ®︎という抗精神病薬をごく少量処方してみました。

嫁から電話がかかってきました。「薬を飲んでもあまり効かなくて、私の顔を見ると興奮してしまいどうにもならないのです」ということでした。処方した薬をもう1回分重ねて服用させるように電話で指示しました。すると今度は眠り込んで朝起きられなくなりました。高齢者の薬物療法は量の調整が非常に難しいのです。

介護認定申請

精神症状が激しくて家族といっしょに暮らすのは難しくなりました。このため私は介護保険のデイサービスやショートステイを利用するようにアドバイスしました。介護認定申請してもらいました。

本人は診察室で言いました。

「突然何もわからなくなって、ものすごく不安です。不安が強くなると涙が出てきます」

診察中にも涙ぐみます。そばで見ていた嫁が「こういうふうに落ち込んでいるときと、ハイテンションなときと、焦って興奮しているときの3つの精神状態が交代であらわれます」と言います。

症状の波が激しいのはレビー小体型認知症に似ています。しかし、この人の波は認知機能の波ではなく感情の波です。レビー小体型認知症によく見られる錯視、レム睡眠行動障害などはありません。

病識が失われる

ときどき嫁や長男が付き添ってきていましたが、本人1人で通院することもありました。最初のうちは病識がありましたが、徐々に病識がなくなってきました。

しばらくすると再び嫁が1人で当院に来ました。

「実は最近薬を飲んでいないようなのです。『病気じゃないのに』と言うようになりました」

処方された薬を飲まずにときどき捨てるようになりました。病識欠如、拒薬です。アリセプト®︎もジプレキサ®︎も服用しません。

嫁の介護うつ

嫁は言いました。

「舅の認知症の症状がひどくなったので、介護や会社の手伝いに専念するためパートを辞めました。私たち夫婦は父の症状に1日中振り回されています。自分自身も最近眠れなくてつらいんです。何をするのにも面倒になってときどき動悸がします。食欲もありません。体重が減ってきました」

介護うつと考えられました。私は嫁に抗うつ薬のドグマチール®︎を処方しました。すると食欲が出て少し元気が出たということでした。ドグマチール®︎は抗うつ薬ですが食欲増進作用があり、食欲不振に使います。高齢者に処方すると薬剤性パーキンソン症候群が出現することがありますが、若い人に少量使用するぶんには副作用はほとんど問題になりません。

本人が嫁に対して「お金を持って行っただろう!」と責めるようになりました。嫁に対する不信感が強まり、薬をまったく飲まなくなりました。

自傷行為

X年、薬をほとんど飲まないまま数カ月が経ちました。自傷行為をするようになりました。「イライラする!」と言って自分の顔を叩きます。

精神症状が悪化したので、本人に対して以前服用していたジプレキサ®︎を再度処方してみました。

実際に薬を与えるのは嫁でした。嫁が薬を与えようとしても「お前なんかに薬を管理されたくない」と高圧的な態度に出るようになりました。それでも嫁は何とか世話をしようとしていました。嫁に対しては怒鳴り散らして当たるようになりました。

仕方がなく、しばらくは嫁ではなく長男が薬を飲ませに行くようになりました。

性的逸脱

あるとき、嫁が1人で来院しました。

「事務所でいっしょに働いていると、舅が私の体を触ったりジロジロと見るんです。耐えられません。『やめてください』と拒否すると、頭をかきむしったり泣き出したりして興奮してしまいます」

X-1年に「家族の中にトラブルがあって」と本人が話していたことを思い出しました。虐待ではなく性的逸脱だったのです。

「それは認知症の症状です」

私は言いました。性的逸脱は認知症によく見られる症状だからです。

ところが嫁は言いました。

「認知症の症状ではないと思うのです。結婚当初から、舅は私に執着していました。私たちが結婚する前に夫の母は病気で亡くなっていました。舅は寡夫だったのです。夫は若いころ独立して始めた事業に失敗して借金を抱え、舅の会社に入れてもらったのです。だから頭が上がらないのです。

最初のころは私に対する舅の態度に見て見ぬ振りでした。舅の態度がエスカレートして私が耐えられなくなり離婚を申し出たのです。そこでようやく夫は自分の父親に、私に手を出さないように強く申し入れたのです。どんな話になったのかわかりませんが、ちょうどそのころ夫の子を授かったこともあり、それ以来舅からの被害はありませんでした。

しかし2〜3年前に認知症になってから、私に対する執着が何十年も経って出てきたようなのです」

病気と関係があるのか

性的逸脱は認知機能が低下するずっと前からあった症状だったのです。このような性格は認知症と関係がないのか、認知症の病前性格だったのか、認知症の初期症状だったのか、認知症の原因になったのか、評価は困難です。

いずれにしても、かつてのように嫁を性的な対象として見ていた時代に戻ったようでした。これにより嫁の方も過去のトラウマがよみがえり精神状態が悪化しました。

「このまま介護していてもいいのでしょうか。舅が認知症になったのは私のせいなのでしょうか。いま精神的な症状がひどくなっているのは私のせいなのでしょうか」

嫁は自分を責めていました。ここで問題は2つあります。1つは認知症そのものの原因、もう1つは精神症状の原因です。分けて考える必要があります。

「認知症は原因不明の病気で、認知症になること自体は誰のせいでもありません。ですから、あなたのせいではありません。50代で認められた性的逸脱は病気の原因ではなく前駆症状だったのかもしれません。

いま出現している性的行動や情緒不安定はあなたがターゲットになっており、あなたがいなければ和らぐのではないでしょうか。ですから、現在の精神症状に関しては、本人とあなたとはなるべく顔を合わせないのが良いのです」

本人も苦しむ

診察中に本人は「イライラしてつらいです。入院したいです」と訴えます。なんでも物がなくなると嫁に盗まれたと思っています。嫁に拒絶されるほど被害妄想も強まります。

それだけではなく、嫁に対しての性的関心が高まり我慢ができません。夜中に突然叫び出し、長男夫婦の部屋へ入ってきます。嫁にとっては恐怖でしかありません。本人も苦しんでいました。何十年も前に一度は忘れたと思っていた感情が、認知症によっていまのことのように噴き出しているのです。

不随意運動

このころから、足先にピクピクした不随意運動が出るようになりました。ヒョレアのようでした。ヒョレアというのは不随意運動の一種で、舞踏様運動ともいいます。ヒョレアが出る代表的な疾患はハンチントン病という遺伝性の変性疾患です。さまざまな認知症の一部や、脳梗塞後遺症、老化による脳の変性に伴って現れることもあります。

この人の場合は脳の変性が進行してきたのが原因と考えられました。

休息入院

本人の希望で短期間の入院をしてもらいました。精神科病院の休息入院を利用しました。約1カ月入院し、セロクエル®︎という非定型抗精神病薬を服用したところ情緒が改善しました。記憶力は悪く「ものがない」と不安になりますが、パニックになるほどではありません。また夜もよく眠れるようになりました。友人と旅行に行ったり別荘を訪れたり、楽しく過ごしました。

しかし、それは長くは続きませんでした。自宅に帰ってきてしばらくすると夜中に暴れるようになりました。どうしても嫁と顔を合わせないわけにはいかないからでしょうか。毎日ではありませんがときどき情緒不安定になります。

長男夫婦の手に追えなくなると、医療ショートステイの形でときどき1週間程度の短期間入院をしてもらいました。いつも入院すると情緒はすみやかに安定しました。家にいなければ昔のことも思い出さないのです。もの忘れは緩やかに進行しました。ものがなくなり不安になると、20回も30回も家族に電話してきます。

娘の協力

X+1年、自宅で過ごすとときどき夜中に暴れるので、よそに嫁いだ娘の家に預かってもらいました。まずは年末年始だけ預けてみました。すると、まったく暴れることはなく穏やかに過ごすことができました。記銘力障害の進行で食事したことを忘れるようになりました。

リモコンと電話機の区別がつかなくなりました。嫁が「リモコン」「電話」と書いたシールを貼り付けてみましたが、本人はそれが気に入らないのか剥がしてしまいます。診察に来ると「何が何だかさっぱりわかりません」と言います。だんだん暴れることがなくなりぼーっとしていることが増えました。

いままでは精神症状が激しくその治療を中心に行ってきましたが、抗精神病薬によって精神症状が落ち着いています。

抗認知症薬を再度試す

私は長男に抗認知症薬を併用してはどうかと提案しました。まずは以前服用していたアリセプト®︎を開始しました。するとすぐに激しい精神症状が再燃し「飲ませることができません」と申し出がありアリセプト®︎を中止することになりました。

アリセプト®︎中止後もいったん怒りっぽくなってしまったのはなかなか元に戻りませんでした。2〜3カ月してようやく落ち着きました。セロクエル®︎だけで経過を見ていました。

介護老人保健施設のショートステイ

X+2年、精神科病院の入院ではなく、介護老人保健施設のショートステイを利用することになりました。専門の病院ではないので利用できるのか懸念していましたが、やはり精神症状への対応が難しく「預かれない」と言ってきました。毎日帰宅願望が出て「家に帰る」と言って暴れ職員にも暴力を振るうのです。

「病院は高いのでできれば老健に預けたいのです。もっと強いお薬でおとなしくなれば預かってくれるというのです」長男はそう言いました。抗精神病薬を強くすると心臓突然死のリスクが高まります。薬剤性パーキンソン症候群による転倒、嚥下障害による肺炎、寝たきりになることで褥瘡や尿路感染症のリスクも高まります。

薬の副作用について詳しく説明したうえで、セロクエル®︎を中止しリスパダール®︎を処方しました。1日0.5mgから始めて効き目や副作用を見ながら少しずつ用量を増やしました。体の動きが悪く傾眠傾向が出てきましたが、なんとか誰でも介護できるような状態になりました。

長男夫婦が介護に疲れると、定期的に娘が預かってくれるようになりました。

薬剤性パーキンソン症候群

このころから頸部に強い固縮が出現しました。体幹にもジストニアが出現し、右前方に傾いています。リスパダール®︎による薬剤性パーキンソン症候群と考えられました。薬の減量を提案しました。長男は「老健に預けたいですし、まだときどき目つきが険しくなることがあって以前のように暴れ出したら困ります」と言いました。

認知機能は低下しMMSE13点になりました。体の動きの悪さに加え両便失禁も出現し介護は過酷になりました。

有料老人ホーム

病院よりは安価なところが見つかり、有料老人ホームに入れることになりました。体験入所させたところ、不穏になり夜間うろついて施設内で転倒しました。大腿骨骨折してしまいました。整形外科に入院しすぐに手術を受けました。術後は安静にしていられずすぐに歩き回ってしまい股関節の脱臼を繰り返しました。最終的には歩行不能となり車椅子介助の状態となりました。

X+3年、車椅子に乗せられて診察に来ました。お正月だったためか「謹賀新年!謹賀新年!」と連呼しており意思疎通ができません。貼り紙の文字を読んでいるのです。環境依存性という症状です。前頭葉機能の低下によって現れます。目に入った文字を次々と読み上げていったり、見たままを口に出してしまいます。

頸部の固縮が強くなり、首が後ろに反った姿勢で固まっています。頸部後屈という症状です。進行性核上性麻痺に見られることが多い症状です。薬剤性パーキンソン症候群だと思っていましたが、変性性パーキンソン症候群なのでしょうか。

後ろにのけぞり車椅子から落ちました。頭を打ったということで、来院時に画像検査を行おうとしました。しかし「はい!はい!」と大声を出し続けておりじっとしていられないので検査はできませんでした。

定型抗精神病薬

有料老人ホームの嘱託医がリスパダール®︎を増量しましたがまったく効果がありませんでした。非定型抗精神病薬での治療は限界と思われました。鎮静効果の強い定型抗精神病薬を処方してみることにしました。レボトミン®︎を処方しました。すると静かになりました。大声や単語の連呼はなくなりました。

左手が徐々に不器用になり、うまく使えなくなってきました。筋力も低下し麻痺が進行しました。食事の際に食器を押さえることができなくなりました。食事は右手にスプーンを持って摂取可能です。しかし、どんどん口に詰め込んでしまうようになり窒息の恐れが出てきました。また食卓に飾ってある花にも手を伸ばして食べようとします。

認知症が進行して穏やかになる

X+4年、穏やかなのでレボトミン®︎を減量中止しました。少し体の動きが良くなり、車椅子を自分でこいで移動できるようになりました。

X+5年、車椅子をこぎながら施設の中を移動して「お母さん、お父さん」と探し回っています。たまに長男や嫁の名を呼ぶこともあるということでした。

食事の際に目の前の器しか見えなくなり一つの皿からしか食べなくなりました。

特別養護老人ホームに移る

X+6年、申し込んでいた特養に移ることができました。日常生活動作はほぼ全介助です。咀嚼嚥下障害が進んだのでムース食になりました。長男の顔も嫁の顔もわかりません。

X+9年、長らく穏やかに暮らしていましたが、誤嚥性肺炎のため特別養護老人ホームで亡くなりました。

しばらくぶりに嫁が当院を訪れました。

「舅は亡くなりました。認知症になったのは、舅を拒んだ私のせいではないとわかり、安心して看取ることができました。ホッとしています」

無事に見送ることができてよかったと、心底思いました。

バックナンバーを読む

西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。