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人物誤認と言う症状があります。通常は、アルツハイマー型認知症が進行して重度になり、人物が認識できなくなる症状です。

アルツハイマー型認知症の標準的な経過では、3つの見当識が順番に障害されていきます。3つの見当識とは、時間、場所、人物です。

時間的見当識障害は、主に記銘力障害に基づく症状です。記銘力障害で新しいことが覚えられなくなります。新しいことが覚えられなくなると、その日の日付が、真っ先にわからなくなります。アルツハイマー型認知症の、初期からでも見られる症状です。

場所的見当識障害は、記銘力障害だけではなく、左右の認識や空間の認識ができなくなると出現します。自分がいる場所と周囲の空間との関係がわからなくなって迷子になります。この段階では、その他の認知機能も低下して、日常生活に支障をきたします。アルツハイマー型認知症の中期の症状になります。

人物的見当識障害は、さらに進行して、過去にさかのぼって記憶が消えていく段階で出現します。何十年も記憶がさかのぼってしまうと、自分の娘はまだ幼い子どもだと思っています。あるいは、娘を産んだことも記憶から消えています。

目の前にいる女性は本当は娘ですが、中年なので自分の母や姉ではないかと勘違いします。この時期には、身に付けた日常生活のスキルを失っているので、生活全般に介護が必要になります。アルツハイマー型認知症の後期に出現する症状です。

さて、似たものに、人物誤認妄想という症状があります。こちらは人物的見当識障害とは違い、目の前にいる人物に対する妄想です。レビー小体型認知症に多く見られます。

「あなたは娘にそっくりだけど、娘ではない。娘はどこに行ったのかしら」
これをカプグラ症候群と言います。

レビー小体型認知症では、特に後頭葉の視覚野の機能低下が目立ちます。視覚野の機能が低下すると、視覚認知が障害されます。カプグラ症候群は、相手の顔、外見がわからなくなるのが原因と考えられています。

しかし、それ以外の理由でも、このような症状が出現することがあります。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 020
85才女性

「私の顔がわからなくなりました」

診察時、娘がそう言いました。

私は耳を疑いました。
中期のアルツハイマー型認知症の人です。精密検査を行っており、アミロイドPET陽性で、アルツハイマー型認知症と確定診断しています。

アミロイドPETは、脳内にアミロイドが沈着しているかどうかを調べる検査です。アルツハイマー型認知症というのは、大脳にアミロイドが沈着し、神経細胞が消失し、脳が萎縮してくる病気です。

記銘力障害で発症してからまだ3年です。顔がわからないというのは、アルツハイマー型認知症の後期の症状です。「どちら様ですか?」という症状です。見覚えがなくなってしまうのです。

時間的見当識障害、場所的見当識障害を経て出現する症状、人物的見当識障害です。

アルツハイマー型認知症の進行速度は、平均的にはおよそ初期が2年、中期が2年、後期が2年と言われています。人物的見当識障害が出てくるには早すぎます。

これまでの経過

夫と2人暮らしです。子どもたちは家庭を持って、それぞれ別に暮らしています。

専業主婦です。付き添ってきた娘が言うには、完璧な母でした。明朗快活で、人に気遣いのできる性格で、段取りはいつでも完璧でした。真面目で、家族の信頼を一身に集めていたようです。

X-10年、手が震えるので大学病院を受診し、MIBG心筋シンチの検査を受けました。MIBG心筋シンチは、パーキンソン病を鑑別するための検査です。90%以上の確率でパーキンソン病が診断できます。また、パーキンソン病と同じ原因で起こるレビー小体型認知症も診断できます。

パーキンソン病に特有の神経学的所見である、固縮、アキネジア(動きが少ないこと)は見られませんでした。しかし、歩行時のアームスイング(腕の振り)の減少が見られたので、念のためMIBG心筋シンチを行ったようです。

このアームスイングの減少というのは、筋肉が硬くなる「固縮」という症状がある場合に見られます。神経学的診察で、ごく軽い固縮を見つけられない可能性もあります。

MIBG心筋シンチの結果は正常でした。パーキンソン病やレビー小体型認知症とは考えにくいということです。

この大学病院の医師は、さらに鑑別のため、抗パーキンソン病薬の投与も試みました。これを診断的治療といいます。パーキンソン病の薬を飲むことによって、症状が改善すればパーキンソン病であるという診断の助けになります。パーキンソン病の薬が効くのは、パーキンソン病であるということです。

3カ月ほど、徐々に増やしながら薬を飲んでみましたが、震えは改善しませんでした。薬も効かないし、パーキンソン病ではないということになりました。

X-9年、震えが自然に治りました。その後も同じ大学病院の医師に、1年に1回ほど通院しました。

X-5年、例年通り、大学病院を受診しました。診察でパーキンソン症状はいっさい認められず、診療終了となりました。

実行機能障害が出現

X-4年、年末、毎年できていた年賀状の宛名リストを用意しませんでした。嫁が準備するように伝えたことも覚えていません。

その3日後にも、まだ準備できませんでした。嫁がリストを出すよう促すと、郵便局に年賀状印刷を依頼したことを忘れ、自分で年賀状を買いに行ってしまいました。

またその翌日にも買いに行きました。さらに数日後、嫁に「買いに行けないから買ってきてほしい」と電話がありました。

X-3年、通っていた俳句の教室に行かなくなりました。

振り込め詐欺について家族と話し合ったその1週間後に詐欺の被害に遭いました。銀行の暗証番号が思い出せなくなりました。財布をなくして、「夫に隠された」と言います。入浴したかどうか、忘れるようになりました。

このため当院初診しました。

記銘力障害が認められ、数時間から数日の記憶がありません。しまい場所が思い出せなくなり、探し物が増えました。社会的手続きなどの、複雑な話が理解できません。

身の回りのことはすべて自立しており、家事もヘルパーに手伝ってもらえばできます。

初診時のMMSEは25点でした。できなかった項目は、時間的見当識でした。年月日がわかりませんでした。また、7シリーズで最後の2回の引き算を間違えました。集中力が続かない様子でした。

神経学的には、固縮、アキネジアは見られません。緩慢さもなくて、反応速度は素早いです。歩行障害も認められません。

両手には細かい振戦が認められ、パーキンソン病のようなゆっくりした震えではなく、細かい速い震えで、本態性振戦のようでした。

進行抑制のため、アリセプト®の処方を開始しました。

病識がある

もの忘れで家事が滞るので、娘が家のあちらこちらに貼り紙をしました。本人はその紙を読んで、家事をします。

「書いてある通りにすれば、それに従って、今まで通りに生活できます」

本人がそう言いました。病識があるのです。

「自分で書くのは億劫なので、娘が書いてくれています」

通常、アルツハイマー型認知症では、早期から病識が失われます。しかし、この人は病識があります。

「もっとできたのに。自分らしくないと思います」

夜眠る時に、「これからどうなるんだろう」と不安になり、寝つけません。

もの忘れは徐々に進行し、冷蔵庫いっぱい古い食材が溜まるようになりました。自分では捨てられません。カレンダーを見ても、今日がどの日かわかりません。お金の計算ができなくなり、買い物では札を出して釣りをもらう方式になりました。このため、財布に千円札や、一万円札が入っていないと安心できなくなりました。

X-2年、年が明け、MMSE 26点でした。

生活ではいろいろ変化がありましたが、この検査の点数は下がらないどころか、1点上がりました。生活では、家事など何もかも億劫になりました。掃除、洗濯など完璧にこなしていた人でしたが、億劫になり、娘が叱咤激励しないとできなくなったのです。

現実逃避

この頃、長男の嫁は「理想や願いごとと、現実の区別がつかなくなっています」と話しました。
当時、夫は脳梗塞で長期入院しており、退院の目処は立っていませんでした。それなのに、「もうすぐ夫が退院してくる」と言うようになりました。作話と言う症状です。本人の願いとは裏腹に、入院したまま、間もなく夫は他界しました。

夫の死がショックで、しばらく泣いて暮らしていました。うつ状態です。薬局で買った睡眠薬を10錠ほどまとめて飲んで、次の日の夕方まで目を覚さないこともありました。

X-1年、MMSE22点に下がりました。

アルツハイマー型認知症と確定

アルツハイマー型認知症の確定診断のため、アミロイドPET検査を行いました。結果は陽性でした。大脳全体に顕著なアミロイドの沈着が認められたのです。

確実にアルツハイマー型認知症は存在していることが明らかになりました。

娘に声かけする際に、間違えて実妹の名前を言ってしまうようになりました。よくみられる症状です。「女性の親族」かつ「自分より年下」という属性の人物の混乱が生じているのです。娘と妹、息子と弟、夫と父親、姉と母親など、いろいろなパターンがあります。

通院を法事だと思い、喪服で通院してきました。コンロに鍋をかけっぱなしで焦がすようになりました。このため、娘は「火を使うな」という貼り紙をしました。

暑さがわからなくなり、夏に電気毛布を出しました。つねに財布を探しています。通い慣れた娘の家に行こうとして、曲がる路地を一本間違えて、10分で着くところが30分かかりました。

「火を使うな」と貼り紙をしているのに、湯を沸かして、ときどきヤカンを焦がします。娘がコンロの点火用電池を抜いても、買ってきて入れてしまいます。

同じ頃、重複服薬しました。このため、薬局の居宅療養管理指導を導入しました。定期的に、調剤薬局の薬剤師が患者宅を訪問して薬を管理するサービスです。薬を薬カレンダーや服薬ロボなどにセットしてもらえます。また、医師と連携して残薬の調整もできます。

進行して中期になる

この年の半ばにMMSE20点に低下しました。

常温保存の食材を冷蔵庫に入れるようになりました。急に、進行が早い時期に入ったようでした。

X年、尿失禁が出現しました。

本人みずから、リハビリパンツを穿くと言い出しました。相変わらず病識が保たれていました。アルツハイマー型認知症としては非典型的です。

通常、アルツハイマー型認知症の場合には、早期から病識が失われ、いろいろな症状が出ていることをみずからは否定することが多いのです。また、特に自身の能力の低下や衰えを示すような症状は、その存在を強く否定する傾向があります。ですから、アルツハイマー型認知症の人の多くは、通常、尿失禁があることを認めようとしません。下着が汚れても、脱いでしまえばもうなかったことになるのです。パットなどの使用を勧められても、拒絶することがほとんどです。この人がみずからリハビリパンツを穿きたいと言ったのは、とても珍しいことでした。

物盗られ妄想

一方、この頃から娘が財布を預かり金銭管理を始めたのですが、それを記憶することはできませんでした。物盗られ妄想に基づいて、警察に通報し、署に出向いて訴える行動もありました。

悪化しているのが明らかなので、抗認知症薬を変更しました。リバスタッチパッチ®です。アリセプト®や、レミニール®と同じ、コリンエステラーゼ阻害薬です。脳内のアセチルコリンを増やすことによって認知機能を補おうという薬です。

何度説明しても、腰痛の薬と間違えて腰に貼っていました。腰痛がひどいと2枚貼ってしまうこともありました。ときどき痒くなり剥がすこともあります。

診察時の態度に変化はなく、いつでも礼節は保たれ、言葉遣いも丁寧です。

リバスタッチパッチに変更してから尿失禁が減りました。尿失禁については、解釈が難しいです。認知症自体の症状でもありますが、抗認知症薬のアセチルコリンエステラーゼ阻害薬の副作用でもあるからです。

この頃から、時間の感覚がなくなってきました。朝と昼の区別がつきません。

抗認知症薬の選択で悩む

貼付薬の副作用であるかぶれが徐々に悪化しました。

かぶれを軽減するために、ヒルドイド®などの皮膚の保湿剤と炎症を抑えるためのステロイド軟膏を処方してしばらくがんばってみましたが、状況は改善しませんでした。

痒いので、自分で剥がしてしまうことが続きました。薬剤の変更を迫られました。抗認知症薬としては、今まで使用したアリセプト®、リバスタッチパッチ®の他に、レミニール®、メマリー®が残っています。

まずは、レミニール®の使用を検討しました。ところが、いまだに本人は独居でした。娘が通いで援助している状態で、1日2回の服薬管理は無理でした。メマリー®は中等度から重度の認知症の進行予防薬です。このためアリセプト®に戻しました。

せっかく尿失禁が減っていたのに、またアリセプト®に戻すのか、というモヤモヤした感じでした。しかし、選択肢はなく、アリセプト®に戻しました。

尿失禁は多少は悪化したものの、リハビリパンツで対応可能な程度でした。しばらくすると起床時に娘に電話してくるようになりました。朝、起きた時に前日までの記憶が消えていて、不安になるのです。

日常生活動作は自立しており、家事もできています。一時的に洗濯機の使い方がわからなくなりましたが、このときも娘が貼り紙をしたら、また使えるようになりました。貼り紙は、どんどん増えていきました。

娘の顔がわからない

その翌月です。「私の顔がわからなくなりました」と、娘が言いました。

よくよく話を聞くと、娘に「どちら様ですか?」と尋ねたわけではありませんでした。

本人には、親しい友人がいました。何でも話せる、親友でした。その友人は3年前に亡くなっていました。ちょうど、この人の認知症が発病したころでした。

記銘力障害が始まると、新しいことが覚えられません。このため、親友が亡くなったことを覚えられませんでした。この3年間の間に「親友が家に来た」など、事実ではないことをよく言っていたそうです。

「亡くなったのよ」と娘が言うと「そうだったかしら」と、その都度、不思議そうにしていました。記憶がないので、信じられないのです。

家電が使えなくなり、娘は家中のありとあらゆるところに貼り紙をしました。するとある時、娘が訪問すると「ありがとう、よく来てくれたわね」と言ってお茶を出してくれたというのです。いつもの態度と違うなと思っていると、娘に対して親友の名で呼びかけたのです。

「ちがうわよ、私よ」と言っても、「なんで、そんなこと言うの?」と言って、取り合ってもらえませんでした。それは1時間ほど続きました。

人物的見当識障害ではなく、人物誤認妄想です。本人の脳内にある人物の役割と、実際の人物の役割とがマッチしていないのです。本人にとって、娘はあくまでも自分の子どもです。日々の生活で、あれこれアドバイスしてくれるのは、長年の親友だったのでしょう。

アルツハイマー型認知症なのに人物誤認妄想

人物誤認妄想はレビー小体型認知症によく見られます。しかし、この人はレビー小体型認知症ではないようなのです。

認知症は徐々に進行しました。暑さや寒さがわからなくなりました。夏にセーターを着て、汗だくになっています。毛布や布団も冬のままです。娘がストーブをしまったら、「寒いじゃないの」と、怒られました。しばらくすると、今度は娘を姉だと思うようになりました。

デイサービスに行くと、「姉がときどき手伝いに来てくれるの。姉は私より年上だけど、しっかり者なのよ」と自慢するようになりました。

実の姉は、数年以上前に亡くなっています。しかし、いまの娘の役割は本人にとって「姉」なのでしょう。

この段階でも、日常生活動作は自立しており、独居が継続できていました。家事のうち、調理は難しくなっていましたが、掃除、洗濯はきちんとできます。

多くのアルツハイマー型認知症の人で、家事のうち、最初にできなくなるのは調理です。この点では、この人もアルツハイマー型に典型的な経過です。

診察室で

そのような経過なので、診察のときに「この人はどなたですか?」と、娘を指し示して聞いてみました。すると、「娘の〇〇です」とちゃんと答えられました。

自宅で家族といるときには、症状がひどく、診察室では症状が見られないことがあります。

「アルツハイマーって、そういう病気なんですよ」

本人、娘と私の3人の診察室で私がそんな話をしていると、初期に妹の名前で呼ばれ、中期に親友になり、ときどき姉になってしまう娘は、

「私は、ずっと変わらないんですけどね」

と言いました。本当に変わっていないのでしょうか。

「恥ずかしいですね」

本人がうつむいて、本当に恥ずかしそうな照れ笑いをして、ぽつりとそう言いました。

続けて娘は、

「貼り紙ばかりしているからでしょうか? 母の家は貼り紙だらけです。どうしたらいいのか、わかりません」

実家を訪れるたび、母ができないことを見つけて、そのたびに貼り紙が増えます。毎日訪問していますが、自分の家庭もあり、ゆっくりしている暇はありません。病気になる前は、母と語らう娘の時間があったのではないでしょうか。

「娘らしさ」が失われているので、本人には娘に見えないのかもしれません。カウンセリングを受けてみることを勧めてみました。

母、娘、それぞれの人生を振り返るカウンセリングです。

何度かカウンセリングをして、数カ月が過ぎました。相変わらず、娘に向かって親友や姉の名前で呼びかけることは続いています。しかし、話し始めると「あら〇〇ね」とすぐに気づいて、相手が娘だと思って話すようになったとのことでした。

人生の振り返りで、娘が母娘の感覚を取り戻し、何か母親に対する態度や表情が変わったのでしょうか。当の二人にしかわからない、何かがあるようです。

アルツハイマー型認知症は進行する病気です。

いつまでもつのかわかりませんが、なるべく長く、母と娘でいてほしい、そう思いました。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。