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親子のあいだとはいえ、仲良し親子ばかりではありません。いろいろな親子関係があります。単にウマが合わないだけではなく、親が発達障害やパーソナリティー障害というケースもあります。

幼いころには比較できるものがないので、親を受け入れざるを得ませんが、長じるにつれ、子どもにも自我が芽生えます。他の親子を観察したり、友だちと情報交換をするうちに、違和感を感じるようになります。

早いうちに気がついて、自分を守ることができる子どもがいる一方、そのまま傷つきながら大人になっていく子どももいます。そのような心の傷が、種々の精神疾患の原因になることがあります。
家族関係というのは、とても大事なものなのです。

そのようなわけで、認知症になるまでは、家族でもほどほどに距離を置いて付き合っている親子もいます。しかし、いざ介護が必要になると、どうしても関わりが濃くなってしまいます。親に問題があって、子どものころから自分を守るために親と距離をとっていた人が、介護をきっかけに関わらざるを得なくなり、親子の問題に直面することがあります。

CASE 027
76才女性

あるとき、認知症の母に付き添ってきた娘が、自分と母親の関係について語り出しました。

「もともと、あまり深く話さない人でした。面倒なことは、夫や子どもに丸投げで、自分で何か決めることはできませんでした」

「子どものころには、母親なので、もっと自分の悩みも聞いてもらいたかったし、何か人生の岐路に立ったときに、アドバイスもしてもらいたかったけど、それは叶いませんでした」

「母が自分に応えてくれなかったので、何かあるたびにイライラし、割り切れない思いを抱えてきました」

いったい、どういう母親だったのでしょう……。

今までの経過

25歳で結婚し、3児の母になりました。明るく屈託のない性格で、社交的です。誰とでも仲良く付き合えました。しかし、未熟な性格だったようで、子どもが何か失敗すると、平気で悪口を言い、子どもが泣いても、なんとも思わないようなところがありました。どうやら、子どもの気持ちがわからなかったようです。

人の身になって考えるという、共感力がありませんでした。子どもが学校で良い成績を取っても無関心で、どうでもいいと思っている様子でした。子どもが褒めてもらいたいと思っていても、何の声かけもしてくれなかったそうです。

最近では、前頭葉の機能の解明が進んでおり、このような共感力、人の身になって考えるという力は、前頭葉が司っていることがわかってきました。もともと、その機能が弱い人だったのです。生活に支障があるほどひどければ発達障害といえるでしょう。実際、子育てでは、支障があったのです。子どもたちにとっては、支障がありました。機能不全の母だったようです。

子どもたちは、次々に家を出て、母親と深く関わることをしませんでした。

能力が低下してくる

X-10年、夫が他界。独居になりましたが、コーラスや洋裁、ダンスなど、多彩な趣味を楽しんでいました。

X-4年、徐々に家事をしなくなり、趣味もやめました。生活が立ち行かなくなっていくのを見て、末の娘が同居を開始しました。

X-3年、言ったことや、やったことを忘れるようになりました。その都度、違う返事なので、娘が問い詰めると「知らない」と答えます。

X-1年、お中元のお菓子を、娘に内緒で自分の部屋に隠し、その後忘れていました。初夏になり、気温が高い日に冬物のセーターを着込んでいました。自分では、夏物と冬物の区別がつかず、娘が手伝わないと衣替えができませんでした。このため、娘に連れられて、当院初診しました。

アパシー

初診時、MMSE25点でした。MMSEは、認知機能を調べるための簡易な知能検査です。記銘力、見当識、集中力、言語機能、構成能力などを調べます。30点満点で、だいたいの目安として24点以上が軽度認知障害、23点以下は認知症です。それは、あくまでも目安で、生活のなかでの認知症の症状で病気かどうかを判定します。MMSEに含まれない症状、たとえば精神症状、身体症状については評価できないので、MMSEだけでは認知症の重症度を判定できません。

物忘れはひどく、数秒で忘れます。日付を間違えます。間違いを取り繕います。娘にきつく問い詰められると、笑ってごまかします。

無気力で、自発性の低下が目立ちます。すべての行動が時間つぶしのようで、のんびり、ダラダラとやっています。途中でやめてしまうこともあります。自発性の低下は、アパシーという症状です。アパシーは前頭葉の症状で、前頭葉内側面の萎縮で起こります。アパシーは、MMSEでは評価が困難です。

受診のきっかけになった冬物と夏物の区別ができないという症状は、分類整理を行う機能の障害です。前頭葉の症状です。

遂行機能障害

洗髪の回数が減り、「洗っている」と言いますが、異臭がするときがあります。二つのことを同時にできません。何かに気を取られると、それまでやっていたことを忘れてしまいます。料理の手伝いも「これを切って」など指示をすればできますが、「これを切って、塩で下味を付けて」など、二つ同時に指示を出すと、二つ目の指示が抜けて、同じことを二度します。遂行機能障害、実行機能障害といわれる症状です。段取りができないのです。これも前頭葉の症状で、前頭葉背外側の萎縮で起こります。

薬の管理は、「朝1回だけ」なら自分で飲めます。暖かくなっても冬物の服を着ています。食べこぼしが増えましたが、本人は頓着していません。身体的には、すり足気味ですが、一人で歩けます。医師の問診に気軽に返答し、わからないと笑ってごまかし、屈託のない明るい笑顔が印象的な人でした。

診断と治療

頭部MRI検査を行ったところ、海馬に萎縮が認められ、アルツハイマー型認知症と診断しました。進行予防のため、アリセプト®︎の投与を開始しました。

デイサービスなどに通所させ、脳を活性化すると進行予防になると指導して、介護認定申請するように話しました。しかし、当面、娘が自分で薬の管理や脳トレをすると言って、申請はしないことになりました。

多くの場合、私がデイサービスを利用したほうがいいというアドバイスをすると、ご家族が受け入れて、すぐに介護認定申請に繋がります。そして、デイサービスが始まり、「行くと、生き生きします!」など、良い感想が聞けるのですが、この娘は違いました。「やらせてください!がんばります!」という感じです。熱心さは伝わりますが、なんとなく違和感がありました。

その後も定期的に通院していただきました。取り繕いが顕著で、診察室では「薬はちゃんと飲んでいます」「どうしたら物忘れが良くなりますか?」と、同じ話の繰り返しです。

病識というには不十分でしたが、病感はあるようでした。病識というのは、自分が病気であるという認識で、どういう症状があるのか自覚している場合を言います。病感は、自分にどういう症状があるのかは認識できませんが、なんとなくおかしいということはわかっている状態です。アルツハイマー型認知症の初期には、この病感があることが多いのです。

介護保険サービスの導入

ADLは自立していました。しかし、血圧測定や薬の管理などには援助が必要でした。この段階では、初期~中期に差しかかる程度です。

家に閉じこもりです。トイレの電気はつけっぱなしです。入浴はしますが、洗髪はしません。食事したことを忘れます。3人以上の会話には入れません。家族で会話していても、話が噛み合いません。内容がわかっていない様子でした。

徐々に悪化してきたので、やはり介護認定申請をするように勧めると、ようやく娘が納得し、認定調査を行いました。すると、要介護1が出ました。デイサービスやショートステイが使えます。デイサービスなら、週2~3回参加できます。

デイサービスに参加するのが望ましいと考えました。まずはケアマネジャーと契約し、デイサービス事業所の見学に行くように勧めました。ケアマネジャーを探すために、地域包括支援センターに相談に行くように指導しました。地域包括支援センターの担当者に対して情報提供しました。間もなく、ケアマネジャーと契約することができました。

もの忘れの悪化

X年、同じ話を繰り返す頻度が増えました。

診察室に入ってくるときに、毎回「おかげさまで膝の痛みがなくなりました」と、うれしそうに言います。整形外科だと思っているのです。

外出しても、決まった場所3カ所くらいしか行けません。新しい場所は覚えられません。動くことが減り、下腿がむくんできました。廃用症候群です。日付だけでなく、季節もわかりません。

それまでは歌が好きで、近所の歌の会に入り、毎週1回集まって歌の練習をしていました。徐々にスケジュールを忘れ、参加することを忘れ、行けなくなったため、退会しました。

MMSEを行ったところ、21点でした。記銘力障害、時間的見当識障害が目立ちます。1年前の初診時は25点でした。初診時よりは明らかに悪化しています。通常のアルツハイマー型認知症の進行の場合、MMSEの低下は1年間で2~3点といわれています。しかし、この人は4点低下しました。進行がやや速いということです。

頭部MRI検査を行ったところ、両側海馬の萎縮が進行していました。前頭葉も萎縮しています。悪化しているので、内服中のアリセプト®︎の増量を提案しました。アリセプト®︎は、初期~中期で5mg、重度では10mgが維持量になります。重度でなくても、進行が速いケースでは、10mgまで増量することがあります。しかし、娘は「これからデイサービスに通わせるので、薬を増やさないで経過を見てほしい」と言いました。

ここでも、娘の主張に違和感がありました。専門家である私の意見をそのまま素直に受け入れないことにより、娘自身が母親を支配しようとしているように感じました。

通常、アルツハイマー型認知症の進行予防は、薬とリハビリテーションの併用が必要です。ですから、状態に応じて薬剤調整しながら、デイサービスなどのリハビリテーションを行なっていただきます。しかし、娘が反対したので、薬剤調整せずにデイサービスを開始して様子を見ることになりました。

ADLは自立していても

暮らしぶりをうかがうと、ADLはまだ自立しています。食事動作は自立していて、服を出してあげれば一人で着られます。また、トイレにも一人で行けて、失敗はありません。入浴も一人で入っているとのことです。

以前に比べて薬の飲み忘れが増え、血圧測定も忘れる頻度がどんどん増えていました。診察時に毎回、同じ服を着てきます。季節感はありません。暑さ、寒さに応じて服装を変えることはできません。

社会性が低下し、人の話を聞かなくなりました。自分が言いたいことだけ言っています。これは、前頭葉の症状です。ぼーっとしていることも頻繁に見られるようになり、そういうときには、娘いわく「目が死んでいる。表情がない」ということでした。これも、集中力や注意力の低下と考えられ、前頭葉の症状でした。

「自分勝手になったり、注意力が低下しているのは、前頭葉の症状ですよ。認知症が悪化しているのです」と説明しましたが、娘は腑に落ちない顔をしています。

「でも、母はもともとそうなんです。もとの性格がひどくなったと言うことですか? どこまでが性格で、どこからが病気なのか、わかりません」と言います。気になる発言でした。

元の性格がひどくなることを、人格の先鋭化といいます。これも前頭葉の症状です。アルツハイマー型認知症、前頭側頭葉型認知症など、いろいろなタイプの認知症で見られます。誰にでも、ある程度の性格の偏りというものはあります。しかし、それが著しく病的な場合には、疾患や障害になります。

ケアマネジャーが見学を手配し、デイサービスを導入しました。デイサービスには順調に通うことができました。

その後、徐々に洗髪しなくなりました。自宅で洗髪するのが難しいのであれば、デイサービスで洗ってもらうか、美容院に定期的に行くようにアドバイスしました。

反応の低下、遂行機能障害の悪化

もの忘れの頻度は増えてきました。毎日、何十回も同じ話を繰り返すだけになりました。話のレパートリーはたった二つだけになりました。

以前は、孫が話しかけると表情が出て、会話も弾んだそうですが、孫が来ても反応しなくなりました。

家ではまったく洗髪しなくなったので、デイサービスで入浴してもらうことにしました。その際に、洗髪以外にも、入浴時の手順がわからなくなっていることが判明しました。脱衣場で服を脱いで、風呂場に入り、髪を洗い、体を洗い、湯船に浸かる、などの手順です。また、石鹸、シャンプー、リンスの使い方もわかっていませんでした。

洗髪しなくなった原因は、シャンプー、リンスなどがわからないことや、その使用手順を忘れたためでした。自宅では一人で入浴させていたので、家族は気がつかなかったのです。

過去の親子関係

「進行しましたね」と私が言うと、娘が「確かに、もの忘れの速度が速まりました。頻度も増えました」と言います。

「意欲も低下して、何もかも全部、私たちにお任せです。でも、いま考えると、もともと人任せの傾向があったんです……。母親としては失格でした。悩みを話そうとしても、詳しく聞こうとせず、笑って聞き流すような人でした。そんな態度に、子どもたちはイライラしていました」

そして、過去の親子関係に対する不満が噴出しました。子どものころから、娘たちの悩みの相談に、一度も乗ってくれなかったこと。人生の岐路で迷っているときにも、なんのアドバイスもしてくれませんでした。成長するにつれ、子どもたちはそんな母親を徐々に受け入れていきました。しょうがないと諦めて、母がいる実家から遠ざかり、疎遠になっている子どももいました。

X+1年、本人は相変わらず明るく元気な様子でした。デイサービスに通って、楽しく過ごしています。診察時の屈託のない笑顔も同じようでした。

MMSE22点でした。前年に21点でしたので、少なくともこの点数だけで言えば、悪化はありません。しかし、画像検査を行うと、海馬や大脳皮質全体の萎縮が進行していました。特に、前頭葉の萎縮の進行は目立っていました。脳溝が楔状に広がっていました。

MMSEに表れない症状の進行

先にも書きましたが、アパシーは、MMSEでは評価ができません。このころに目立って進行していた症状は、前頭葉の機能低下による、アパシーが主でした。

友だちに電話しなくなりました。家に人を招かなくなりました。家事や頼まれごとを、理由をつけて断るようになりました。なんでも億劫がります。促してもしなくなり、料理もしようとしません。もともと得意だったポテトサラダだけは作れました。材料は娘が揃え、急かさないで根気よく促せば、ゆっくり時間をかけて、以前と同じように作ることができました。服の着脱や食事は、声かけしないと、しません。

排泄の失敗が出現

夜間、中途覚醒した際に、トイレの場所がわからず、室内のゴミ箱に尿や便を排泄することが出てきました。ケアマネジャーに連絡し、夜間に使用できるように、ポータブルトイレを手配してもらいました。リハビリパンツや、パットの使用も勧めました。ポータブルトイレは設置されましたが、何に使うものかわからない様子で、なかなかうまく使えるようになりません。

じっとしていることが増え、足が細くなり、弱ってきました。夜間、尿失禁するようになりました。寝具やパジャマを濡らしてしまいます。歩行が遅くなり、トイレに間に合わないのも一因のようでした。

スクワット

足が弱るのを食い止めるため、娘が毎日スクワットさせるようになりました。娘が母親を連れて整形外科に相談に行き、筋力トレーニングの方法を教わってきたのです。自分からは、やりません。娘が声をかけて、やらせれば、素直にやるということでした。

スクワットを根気よくやったところ、筋力がついて、トイレ歩行ができるようになり、夜間の尿失禁が減りました。

排泄の失敗が出てきたことで、同居していない子どもたちは「施設に入れたほうがいい」と言い始めました。しかし、同居の娘は「まだ母といっしょに暮らしたい」と言いました。

介護で施設に入れる基準は、火の不始末、排泄の問題、食事が取れないなど生命に直結する問題が出てきたときといわれています。排泄の介護は重労働です。それでも、娘は「まだいっしょに暮らしたい」と言いました。他の子どもたちの意見を聞き入れず、頑固に自分の意思を押し通しました。

X+2年、ポータブルトイレの使い方を根気よく教えたら、使えるときが出てきました。

放っておくと寝たきりに

記憶が保てる時間が徐々に短くなり、自宅にいるときには、数秒で忘れてしまいます。しかし、外に出て他の人と話していると、もう少し長く記憶が保てます。そうやって外でがんばってくると、帰宅した際には、すぐに眠り込んでしまいます。脳が疲れてしまうのです。

家にいるときは、放っておくと、ほとんど寝ているようになりました。娘は、躍起になって母親を起こしておこうとします。しつこく声かけすると、起きます。指示すれば、体操もします。スクワットも毎日続けさせました。

本人は特に反抗することもなく、娘に言われるままに、素直に従います。

母に求めるもの

「何か、いじめているみたいになってしまって・・・」と娘が言いました。

そう感じるのも無理もありません。体操をしているときは、本人はぜんぜん楽しくなさそうだというのです。表情は険しく、「眠いのよ」「疲れているのよ」と言うようです。娘はついつい「ダメよ」とたしなめたり、イライラして接してしまいます。本人は、あくまでも明るく「気がつかなかったわ!」「うっかりしただけよ」など、笑顔で返します。娘はその笑顔を見て、ますますイライラしてしまうと言うのです。

「もともと、そうやって何でも取り繕って、誤魔化す母だったので、本音を言ってくれていないと感じて、寂しかったんです」

「母と、心の底から本音で語り合ったことがないんです。いまでも、寂しいです。母にそれを求めてしまうんです」

娘は、涙を浮かべていました。母の、心の底からの思いやりのある言葉を求めて、それが得られるまでがんばるつもりのようでした。その能力は、もともとなかったかもしれないのに。

スパルタ式

娘は、毎日のスクワットや体操、なるべく寝かさないで起こしておくことなど、がんばって行なっていました。その成果か、1年ぶりの検査でMMSE21点と、横ばいでした。もっとも、アルツハイマー型認知症では、このくらいの点数の時期がけっこう長く続きます。記憶障害、時間的見当識障害が出現してから、失語や失行が出るまでには何年かあるからです。そのあいだには、MMSEでは判定できない症状が緩やかに進行します。

とはいうものの、娘のたゆまぬ努力により、ポータブルトイレは使えるようになっていましたし、歩行や動作の低下は見られず、保たれていました。

ADLに関しても、食事、着替え、入浴、トイレ動作のすべてが、いまだに口頭指示だけで行うことができていました。

FAST

生活での変化を、MMSEだけで評価するのは難しいと感じ、FASTという基準でスコアリングしてみました。FASTとは、Functional Assessment Staging of Alzheimer’s Diseaseの略です。アルツハイマー型認知症の進行段階に応じて生じてくる、生活上の変化から、段階を判定するものです。MMSEでは評価できない、生活上のエピソードを問診して判定します。

FAST4でした。FAST4は「パーティーの計画、買い物、金銭管理など日常生活での複雑な仕事ができない」というレベルです。

次のFAST5は「TPO に合った適切な洋服を選べない。入浴させるために説得することが必要なこともある」レベルです。FAST5になると、日常生活でも、家族が苦労するようになります。

家事能力の低下、意欲の低下

得意だった料理も、できなくなりました。時間をかけても、ポテトサラダがどうしてもできません。洗濯物が濡れているのに、取り込んでしまうようになりました。

娘が行わせるスクワットなどの筋トレも、なかなかやってくれなくなりました。ぼんやりしていて、指示に従いません。なだめたりすかしたりして、なんとかやらせますが、かなりの努力を強いられるようになりました。娘の努力が空回りし始めました。娘の疲労やイライラが増してきました。

本人は無表情になりました。足が弱り、自宅の中で、たびたび転倒します。

X+3年、まだ買い物はできていました。買い物といっても、いちばん近いコンビニでパンを買うだけです。朝、新聞を取ってくる仕事もできていました。新聞を取るついでにコンビニに行き、菓子パンを買い、新聞の間にはさみ、娘に見られないように隠して、自分の部屋に持っていきます。怒られるからです。そのような考えや行動はできるのです。

MMSEを行いました。MMSEは21点でした。前年と同じ点数です。しかし、前年に同じ検査をやったという記憶はありませんでした。「こんなの、初めてやったわ!」と笑います。いつものことながら、医師の前では明るく朗らかで、屈託のない態度です。

リハパンを洗って干す

そのうち、リハビリパンツを洗って干すようになりました。普通のパンツと区別がつかなくなったのです。

コンビニでパンを買う行動が、1日4~5回と徐々に増えました。1日中、菓子パンを食べている状態になり、普通の食事を食べなくなりました。菓子パンを、そう何個も食べられるものではありません。食べかけて、すぐに残すので、残したパンを家の中のあちこちに隠したり、しまったりするようになりました。鏡台の引出しや、裁縫箱の中に入れてしまいます。

濡れたままの洗濯物を取り込んでいましたが、徐々にそれすらもしなくなり、洗濯自体をまったくやりません。汚れた服と清潔な服の区別もつきません。介護がたいへんになり、娘が疲れているのがわかりました。

「この先、どうなるのでしょうか……」

やつれた顔の娘は、私に尋ねました。

「いまは出ていない症状が、いろいろと出てくるでしょう。人によって違います。場所の認識、人物の認識が、徐々にわからなくなります。家事や身の回りの動作のやりかたが、次々にわからなくなっていきます。まだがんばりますか?」

他の子どもたちは、もう2年ほど前から「施設に入れよう」と言っています。私も、娘の疲れ具合を見ると、そろそろ施設に入れたほうがいいと思っています。しかし、いまでも頑固に世話をすると言い張り、がんばっているのです。

娘は、「まだがんばります」と言いました。

主治医の顔を忘れる

以前は、診察室に入ってくるときに、毎回笑顔で「おかげさまで、膝の痛みがなくなりました」と言っていたのですが、何も言わなくなりました。怪訝そうな顔で私の顔を見て、「私は悪いところがないのに」と言います。

一度は獲得した、ポータブルトイレの使いかたを忘れました。

過去にさかのぼっていく

X+4年、「スクワットと背筋、腹筋、体幹トレーニングをやらせています」

診察室に入ってくるなり、娘は開口一番、そう言いました。本人は「歌の会に週1回通っています」と言います。4年前まで通っていた会のことです。本人の時間は、そこで止まっています。進行すれば、もっと過去までさかのぼってしまうことでしょう。

尿失禁は常時となり、娘がリハビリパンツをこまめに取り替えても、尿臭が取れません。MMSEは18点になりました。頭部MRIで見ても、明らかに海馬の萎縮が進んできました。

発病してから7年、初診から4年経ちました。診察のたびに、本人は私の顔を見て、不安そうな顔で「どこが悪いんですか」と聞いてきます。横から娘が「物忘れの先生よ」というと「ショックだわ!」と驚きます。診察のたびに、私のことは初対面だと思っています。

虐待を防ぐ

認知症が悪化して、どんどん本人の性格が先鋭化してきました。家族に対して無関心です。その場限りのリアクションで、深みはありません。平気で悪口を言います。

娘は、この母親に、母親らしさを求めています。他の子どもたちは、とうにあきらめています。しかし、この娘は、あきらめきれないのです。その気持ちが毎回、ひしひしと伝わってきます。母親を求めて、一生懸命に介護しています。そのためだけに、介護をしています。私が見るところ、この先も報われることはないでしょう。

スパルタ式の介護を見ていると、「復讐?」と感じさせることもありますが、娘にはそんな自覚はないようです。これからも娘を支えて、虐待につながるのを防いでいく必要がありそうです。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。