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認知症には、さまざまな妄想が出現します。代表的な妄想は「もの盗られ妄想」です。アルツハイマー型認知症の初期~中期によく見られる妄想です。そのほかにもレビー小体型認知症には多彩な妄想が認められ、「嫉妬妄想」「被毒妄想」などがあります。

通常、妄想の治療には漢方薬の抑肝散、統合失調症の治療薬である抗精神病薬などが選択されます。抗精神病薬は、高齢者に処方すると心血管系の合併症を引き起こしたり、薬剤性パーキンソン症候群によって体の動きが悪くなり、転倒や嚥下障害等を来します。このため、少々の妄想があっても生活に支障がなければ治療をしないことが多いのです。

レビー小体型認知症の妄想は、アリセプト®︎などのアセチルコリンエステラーゼ阻害薬で劇的に改善することがあります。しかし、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬で消化器症状やそのほかの副作用が出て、使用が難しいことがあります。

認知症の進行とともにさまざまな妄想が出現し、治療に難渋して、何年も苦労することがあります。薬の副作用との戦いにもなります。


看護師のための認知症患者さんとのコミュニケーション&“困った行動”にしない対応法

CASE 032
75才男性

5年前に1人で通院していた男性が、ある日突然、妻に付き添われて来院しました。

「じつは夫が銀行とトラブルを起こしました。なんとかしてください」

男性は当院に初めて来たかのような態度です。5年前のことを覚えていないのです。妻が言うトラブルとはどんなトラブルなのでしょう。私は何をすればいいのでしょうか……。

これまでの経過

X-6年、ふらつき、めまい、眠気、倦怠感を訴え、73歳の男性が受診しました。症状は10年前から続いており、徐々に悪化していると言います。いろいろな病院を受診しても原因がわからず、「どこも悪くない」と言われてきたとのことでした。また最近になり、もの忘れもひどく、通帳をなくして銀行で頻繁に再発行してもらっており、これが困りごとでした。診察中は切羽詰まったようによくしゃべり、話が脱線して余計な話が多く、まとまりがありません。

老年期うつ病の症状でこういったことが見られます。焦燥感が強くなり落ち着きません。もの忘れも増えます。集中力や注意力が低下しうっかりミスが多くなります。

この人にも強い焦燥感がありました。訴えは全般に漠然としており、神経学的診察では明らかな他覚的異常所見が見られません。あくまでも本人の感じかたの問題のようです。いわゆる「不定愁訴」です。

病歴では、認知機能低下に先立って10年前から日中の眠気や倦怠感、めまいが続いていました。老年期うつ病では身体症状の訴えが多く、内科などを受診することが多いのです。この人もいままでは体の症状だと思っていたので、内科や耳鼻科を受診していました。もの忘れするようになって初めて神経内科を受診しました。老年期うつ病は認知症の前駆症状として現れたり、認知症の原因そのものにもなります。

また、認知症の精神症状の一つである「アパシー」は、意欲低下、自発性低下を呈し、眠気や倦怠感として現れます。軽いうちには老年期うつ病による眠気や倦怠感と区別がつきません。初期のころには症状が認知症によるものなのか、老年期うつ病によるものなのかを見極めるのは難しいのです。

大脳の萎縮

頭部MRIを施行したところ、海馬を含む大脳のびまん性萎縮が認められ、画像上はアルツハイマー型認知症の初期のようでした。脳梗塞などはありません。

認知機能については、もの忘れの自覚があり、記銘力障害があるものの生活に支障が出るほどではなく、軽度認知障害の段階でした。軽度認知障害の一部はうつ病であると言われています。また、軽度認知障害の10%程度が1年後に認知症へと移行するといわれています。この人の場合、海馬の萎縮が認められたため「MCI due to AD」、つまりアルツハイマー型認知症の初期症状としての軽度認知障害と考えられました。

先行する10年にも及ぶうつ状態については、老年期うつ病の合併だったのか認知症の前駆症状だったのかわかりません。海馬の萎縮があるので、精神症状も認知機能低下もアルツハイマー型認知症の初期症状と考え、抗認知症薬で治療を開始しました。

抗認知症薬が飲めない

アリセプト®︎を開始したところ、すぐに副作用の消化器症状が出てしまい、ひどい下痢になり継続できませんでした。当時はほかに抗認知症薬がなかったので、別の治療を検討しました。

不定愁訴に対して、抗うつ薬のドグマチール®︎、抗不安薬のソラナックス®︎を開始しました。これらの薬で気分は改善しました。いろいろと訴えていた不定愁訴が消え、本人は快調になりました。しかし、どちらの薬も認知機能を低下させるほうに働くため、ぼうっとしてミスが増えました。大事な物を失くすなど管理能力が低下しました。

2つの薬を止めて、アモキサン®︎という薬で治療を開始しました。アモキサン®︎は抗うつ薬の一種です。効果も副作用もマイルドなので試しに投与しました。すると、この薬が非常によく効いて、長らく続いていた倦怠感がなくなり、眠気も解消しました。めまいやふらつきも改善しました。認知機能も改善しました。注意力も良くなって、物を失くさなくなり、通帳の再発行もなくなりました。
本人は「こんなにすっきりしたのは、生まれて初めてだ」と言いました。

認知症の初期かと思いましたが、抗うつ薬で劇的に改善したので老年期うつ病がメインだったのだと思いました。

頻尿の薬

X-5年、頻尿になりました。このため泌尿器科で処方された薬を飲んだところ、途端に具合が悪くなりました。頭がぼんやりして何となく苦しくなりました。そして居眠りが増えました。記憶力も悪くなりました。

気圧の変動に弱くなりました。台風の前など天気が激変するときに倦怠感が強くなり、元気がなくなります。また、入浴後に著しく血圧が下がって、身動きできないほどになることも出てきました。同じころから立ちくらみが起こるようになりました。ベッドから立ってトイレに行こうとしたり、食事の後で椅子から立ち上がって移動しようとすると、決まって具合が悪くなり倒れます。自律神経失調症です。

このため頻尿の薬を中止してもらいました。すると、種々の症状が改善し、調子が良くなりました。ぼんやりしていたのも治り、頭がハッキリしました。

この泌尿器科の薬は過活動膀胱の薬でした。抗コリン薬という種類の薬です。アセチルコリンを抑制する作用があり、認知機能が下がる人がいます。このため高齢者には処方に注意が必要な薬です。

夫婦の関係

10年にもわたる不定愁訴が原因で妻とは疎遠になっていました。抗うつ薬の投与で改善し、少しテンションが上がり気味になったのか、「妻と仲直りのため、久しぶりにセックスがしたくなりました。でも、うまくいかなかったのでバイアグラをください」と言います。

夫婦関係は改善したようでした。

その後「すっかり良くなりました」とのことで、抗うつ薬を漸減中止しました。当院への通院はここでいったん終了となりました。

老年期うつ病が治ってから

X-2年、自営のお店を閉店しました。その後、家でぶらぶらして暮らしていました。

X-1年、妻がけがをして入院していたあいだ、無為に過ごし、妻が退院してくるとひどい散らかりようでした。

通院していた記憶がない

X年、「つじつまの合わないことを言う」という主訴でかかりつけの内科医から紹介され、5年ぶりに受診しました。このとき初めて妻が付き添ってきました。

認知症の症状を伺うと、もの忘れがひどく、朝から晩まで探し物をしています。外した義歯を置いた場所がわからなくなります。頻尿で失禁用の下着を自ら購入して使っていましたが、「こんなパンツは嫌だ」とはかなくなりました。

意欲が低下して一日中居眠りしており、テレビも新聞も見ません。物の名前が出てこなくなり、「あれ、これ」などの指示語ばかりになります。食事に集中できなくなり、ほかのことに気を取られると手が止まってしまいます。食後の薬が気になって、確認し始めると食べなくなってしまいます。嚥下障害もあり、食事中にむせます。

間食が増え、以前は見向きもしなかったような甘いお菓子ばかり食べるようになりました。これに伴いお腹がせり出し、肥満してきました。糖尿病が悪化していました。

5年前に妻と仲直りしようとしていたことも忘れており、妻に対しては短気で易怒的です。見当識障害も出現しており、年月日曜日がわかりません。

パーキンソン症候群の出現

この5年のあいだに歩行障害が出現していました。すり足小刻み歩行で、姿勢反射障害による転倒が見られました。

入浴を嫌がりほとんど入りません。両便失禁があり、トイレに間に合わず、トイレの床に尿や便をこぼしてしまいます。便器も服も汚します。パジャマに着替えなくなり、普段着のまま昼夜なく過ごします。

本人は5年前に当院に通っていたことは記憶になく、初めて来院したものと思っていました。頭部MRIを行うと海馬の萎縮が進行していました。もう完全にアルツハイマー型認知症になっています。それだけではありません。身体的には、5年前には見られなかったパーキンソン症候群が出現しています。パーキンソン症候群を伴う認知症を合併しているのです。パーキンソン症候群を伴う認知症にはいくつか種類があります。レビー小体型認知症、大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、多系統萎縮症、嗜銀顆粒性認知症、特発性正常圧水頭症などです。どの病気でしょう。

妄想の存在

妄想がありました。「介護の人が来たら、お礼として6万円渡すようにと言われた」「天皇の記念切手を1000枚頼んだ」「銀行員に10万円渡した」など、事実と違うことを言うのでトラブルになっていました。特に銀行員に対する妄想が目立ち、「金銭を預けたのに返してくれない」と訴え、窓口に通ってしまうのが問題でした。

このような妄想が認められる場合、レビー小体型認知症の可能性が高そうです。もちろんその他の病気でも妄想が見られることがあります。診断には経過を見る必要があります。

レビー小体型認知症には、アリセプト®︎が著効することがあります。このため6年前に処方したアリセプト®︎を再度試しましたが、やはり下痢をしてしまい、服用できませんでした。

妄想へのアプローチ

妻が最も困っていたのは、本人が妄想に基づいて銀行に行って、たびたび窓口で騒いでしまうことでした。

妄想に対して薬物療法を検討しましたが、アリセプト®︎は飲めませんでした。抗精神病薬は、現在もあるパーキンソン症候群による歩行障害を増悪させる恐れがありました。薬物療法以外の対策が必要でした。

まずは介護認定申請してもらいました。そして、日中、銀行が開いている時間帯にデイサービスで過ごしてもらうことにしました。デイサービスを導入したところ、本人が「楽しい」と気に入って、「とてもいいので、もっと行きたい」と言ってくれました。

病識欠如

6年前にあった病識は失われていました。診察時、「もの忘れはしないんだけど、めまいがするんだよね」と言います。以前は「もの忘れがひどくて困っている」と訴えていたのです。

X+1年、テレビに映っている少女を指差し、「息子は、あの子と結婚したんだよ」と言います。
このころから近所で迷子になるようになりました。

「最近、死んだやつが出てきて、いろんなことを言ってくる」と言います。幻聴でしょうか。

前頭葉症状

朝起きても何もしないでぼうっと椅子に座っています。食事を目の前に置いても無関心で食べようとしません。入浴時、服を脱いでそのまま指示を待っています。アパシーです。分類や整理ができなくなり、郵便物や広告のチラシを分けることができません。これらは前頭葉症状です。

動作が徐々に緩慢になりました。パーキンソン症候群の悪化です。難聴になったので耳鼻科受診を促すと、耳垢が溜まって耳垢塞栓になっていました。耳垢を取ると聞こえるようになりました。

誇大妄想が出てきました。デイサービスでほかの利用者に「マラソン選手のXXは、うちの息子の彼女だ」「フィギュアスケートのXXは、うちの息子の彼女だ」などと言います。また、何か気に入らないことを言われると「息子は暴走族をやっている。私も昔やっていた」などと言って相手を怖がらせます。「俺はXX(有名人)に金を貸している」「XX(有名人)の保証人になっている」などと自慢します。

妻の妹

X+2年、「妻の妹が持参金3000万円持って嫁にくる」と言います。「妻とはもう離婚するから、妻の妹と結婚するんだ」と言うのです。妻は嫌われてしまったようです。

入浴の際の洗身動作ができなくなりました。小声になり、手が震えてきました。パーキンソン症候群の悪化です。夕方になると家から出ようとする「夕暮れ症候群」も出現しました。

誇大妄想がますます激しくなりました。「周辺の土地は地主に頼まれて俺が管理している」「デイホームの責任者に任命された」と言います。妻が否定すると納得するまでしつこく話します。妻にわかってもらえないと怒り出し、出て行こうとします。

このような症状への対応で妻が困っていました。診察時に、妄想を否定しないで「すごいわね」とか、本人の気が済むように、本人が言ってほしいと思っていることを想像して言ってあげるようにと指導しました。すると、短気で易怒的だった態度が和らぎ、妻に感謝の言葉を言うようになりました。「妻の妹が嫁にくる」話は下火になりました。

同時に、テンションが上がり、眠る時間が減り、発語が増えました。夕暮れ症候群もなくなりました。妻がじょうずに接することにより、困った症状がある程度改善したのです。

誇大妄想は続いていますが害はありません。「今度からデイホームの会長になった」と言います。「えらいわね」と聞いてあげれば、ニコニコしていて機嫌が良いのです。

転倒、骨折、入院

突進現象が出現し、歩いていて止まれないことが出てきました。そしてついに転倒しました。

打ちどころが悪く、大腿骨頸部骨折しました。入院、手術になりました。手術後、なんとか歩行器で歩けるようになり自宅に退院しました。体調が悪いせいか、誇大妄想は影をひそめ、「健康食品を断ったから訴えられる」とか、「自宅を町会に乗っ取られる」などの不穏な妄想になりました。骨折後の歩行はリハビリテーションによって改善し、一人でトイレに行けるようになりました。体調が良くなると元通りの誇大妄想に戻りました。

「デイホームの女の子に結婚を申し込まれちゃったよ」とうれしそうに語ります。「2億入ることになった」と言います。どこから入るのでしょう。

躁状態

X+3年、「デイホームの責任者と結婚することになりました」と私にあいさつします。妻には「もうすぐ3億入る」と言います。額が増えています。表情は晴れ晴れとして幸せそうです。

「今度、独立しようと思います。銀行が7億貸してくれることになったので」と言います。さらに増額しています。私も妻も「すごいわね~」と笑顔で返していましたが、たいへんなことが起こりました。

急に興奮気味になり銀行の窓口に押しかけてしまったのです。何度も窓口に行っては「7億貸してくれ」と言います。窓口の行員は困ってしまい妻に電話してきます。迎えに行って家に連れ帰っても、目を離すとまた行ってしまいます。行かせないように制止していると電話をかけます。

性的行動の亢進

同時に、妻に対する性的行動が活発になりました。ところかまわず妻に抱きついたりキスをしたり、スキンシップを求めます。介護の妨げになるだけでなく、妻がけがをする恐れもありました。

ついに、やむを得ず抗精神病薬を使いました。リスパダール®︎という薬です。統合失調症の薬です。歩行障害や手の震えなどパーキンソン症候群が悪化することが懸念されましたが、当初は思ったより副作用は出ませんでした。

興奮することはなくなりました。活動も抑制され眠気がやや強まりました。妄想がなくなったわけではなく、静かに誇大妄想を語ります。妻へのボディタッチはなくなりませんでした。しかし、以前のような激しさはなくなり、性的行動というより男の子が母親に甘えているような行動に変化してきました。

副作用の出現

徐々に鎮静効果のほうが強くなり、眠気やぼんやり感、両便失禁の増悪が見られたので、数カ月でリスパダール®︎を減量中止しました。

X+4年、食事の仕方がわからなくなり、一つひとつ妻に聞きながら食べるようになりました。最初のうちは「楽しいから通いたい」と言っていたデイサービスも、毎朝「デイサービスってなんだ、どこに行くんだ」と妻に聞くようになりました。

「糖尿病の先生が自殺して、全財産を俺に譲ると言っている」「孫娘と結婚することになった」
などの妄想が続きました。

このころに妻がけがをして入院してしまいました。

ショートステイ

介護する人がいなくなったので、ケアマネジャーが緊急にショートステイを手配しました。ショートステイではもの盗られ妄想や帰宅願望が出て、介護に難渋しました。

いったん中止していたリスパダール®︎を再開しました。精神症状はある程度改善しましたが、夜間尿失禁するようになりました。このため興奮がひどいときだけ頓服で使用してもらうことにしました。

妻が退院し、通院できるようになりました。診察室に入ってくるなり大きな声で「いやー美人の先生だなぁ、ハハハ」と高笑いします。躁状態です。妻の話では、このような躁状態とぼんやりして反応が鈍いときを繰り返しているとのことでした。認知症の経過のなかで双極性障害のような精神症状を呈してくることがあります。

会う人誰にでも「あなたと結婚することにした」と言います。幸せそうです。ケアマネジャーが訪問すると、抱きついてキスをしようとします。けがの恐れがあります。

このため、デパケンR®︎(バルプロ酸ナトリウム)を処方しました。感情の波を抑える薬です。これにより少し症状の波が治りました。トーンダウンはしましたが妄想はなくなりませんでした。

ADLの低下

X+5年、歩行障害が悪化し、屋内は両手引き歩行、屋外は車椅子レベルになりました。両便失禁が常時となり、リハビリパンツを終日着用するようになりました。ときどき妻の顔がわからないことがあります。自宅にいるのに「家に帰る」と言います。アルツハイマー型認知症、後期の症状です。

X+6年、難聴になったと思ったらまた耳垢塞栓になっていました。耳鼻科に連れて行くのがたいへんで、耳の手入れを怠っていたためです。

レム睡眠行動異常症の出現

大声で寝言を言うようになりました。レム睡眠行動異常症です。レビー小体型認知症でよく見られます。テレビ現象が出現しました。テレビと現実の区別がつきません。自分がニュースに出ていると思い、「なんで俺は殺人なんかしてしまったんだろうなあ」と言います。

妄想はありますが、身体が弱り、ほぼ寝たきりで体重が減ってきました。興奮することもなくなりました。このためデパケンR®︎を中止しました。しばらくすると歩行が改善し、家の中は自力で移動できる程度になりました。

X+7年、徐々に食欲が回復し、体重も増えてきました。家の中を自由に歩き、宅急便が来ると受け取りもできるようになりました。夜間、「歌が聞こえる」と言い、幻聴に合わせて歌を歌うようになりました。

身体機能の低下

X+8年、自宅内でも車椅子介助になりました。介護度は最重度の要介護5になりました。一度は改善していた食欲も低下し、体重が減りました。初診時よりも16kg減りました。ガリガリに痩せています。

妻のことを、母親だと思っています

ショートステイに預けるとひどい便秘になったり、褥瘡ができて帰ってきます。パーキンソン症候群がひどくなり、寝返りが打てないのです。入浴が全介助となり、自宅では入浴させるのが難しくなりました。デイサービスで週2回、機械浴で入れてもらうようになりました。

歌は好きで、夜になると歌います。ミオクローヌスという不随意運動が出現し、ときどき間欠的に体幹の痙攣が起きます。

「何が困っていますか?」と妻にそう尋ねると、「おむつの交換がたいへんです」と答えました。妄想や躁状態はもう困る症状ではありませんでした。

その夏、申し込んでいた特別養護老人ホームに入所しました。

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西村知香
認知症専門クリニック「くるみクリニック」院長。神経内科医。認知症専門医。介護支援専門員(ケアマネージャー)。1990年横浜市立大学医学部卒業。1993年同医学部神経内科助手、1994年三浦市立病院、1998年七沢リハビリテーション病院、2001年医療法人社団・北野朋友会松戸神経内科診療部長を経て、2002年東京都世田谷区に認知症専門のくるみクリニックを開業。