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1.依存症なんて大嫌い

私は約10年前に烏山病院に勤務していました。結婚を機に千葉県に引っ越し、その後千葉の病院でも精神科看護に携わってきました。今は子育てを楽しみたく、看護師の仕事からは離れていますが、今後はまた依存症治療にかかわりたいので育児の合間に勉強中です。

烏山病院に勤務していたころは依存症治療にはあまり興味はなく、むしろ苦手でした。何度も飲酒を繰り返す患者さんにどうかかわればよいかわかりませんでしたし、離脱の苦しみや渇望感から、いらいらする患者さんに強く当たられたこともありました。そんな苦手意識から、「依存症治療ってむずかしくてよくわからない」と開き直って、勉強から逃げていました。

2 .依存症治療の変化

そこから数年経ち、当時烏山病院で依存症治療をすごい勢いで立ち上げた、常岡俊昭先生の講習動画を見る機会がありました。「依存症は意思の弱い人がなる病気ではない」ということがわかりやすく説明されていて、そこから急に引き込まれるように興味をもちました。また、千葉県の病院に勤務するなかで、依存症治療の先生からハームリダクションの考え方を聞いたとき、今までの「お酒を完全にやめられるようになってほしい」「入退院を繰り返さない生活を送ってほしい」という私の考えは、看護というよりただの私の思いなのではないかと気づきました。そこでさらに依存症治療に興味が湧きました。苦手だと思っていた依存症治療でしたが、見方を変えて患者さんと接してみると、楽しいと感じるようになりました。

しかし病棟看護をしていると、どうしても“ルールを守る”“安全に!”を重視するあまり、ついつい管理的になってしまう面がありました。時に、患者さん同士がお互いにおせっかいを焼いていると、「自分の治療に集中するように」と声をかけたりもしていました。それって本当に正しいのかと疑問に思っていたとき、常岡先生から烏山病院見学会の案内をもらい、柔軟な対応や患者中心の看護について勉強したかったので参加しました。

3.病院見学で

自助グループの外出は、帰院時間の門限の23:59まで許可すること、ホールは24時間使用可能で患者さん同士の情報交換や分かち合いの場として使われていること、消灯後寝ていなくても入床は促さないこと、帰院時にお酒の臭いがしてもアルコールチェッカーは使わずに本人から言うのを見守って待つこと、断酒会などの自助グループの紹介は患者さんが行うことなど、烏山病院では斬新で特徴的な体制がありました。

4.転んでもらう看護

正直、私が烏山病院で働いていたころは、新しい試みを取り入れる風習はあまりなかったように思います。私自身も、危険は回避したほうがよいという考え方でした。

当時、看護師長に「患者さんが失敗しないように目の前の石ころを拾ってあげたくなるけど、あえてつまずかせてあげるのも看護だよ」という声をかけてもらったことがありました。今ではその言葉の意味がよくわかります。ですが当時の私は、退院に向かっている患者さんが、トラブルで足を止めるのはもったいないと思っていましたし、問題なく入院生活を送れることが退院後の生活に役立つと信じていました。

というのは建前で、トラブルがあると仕事が増えるので、きっとそれがめんどくさかったのだと思います。今振り返ると、まったく患者さん思いではない看護師だったなと思います。

5.トラブルはチャンス!

千葉の病院では依存症治療のチームに入れてもらい、週に1回患者さんについて多職種が集まって話し合いました。チームのスタッフは患者さん思いで知識豊富な人が多く、試行錯誤しながらも“患者さん中心”が当たり前のように考えられていました。そうすると自然と私も今までの考え方を変えようと思うようになりました。人に恵まれたと思います。今では、トラブルはむしろ振り返るチャンスと考えられるようになりました。

烏山病院であんなにも患者さん中心のルールが組み込めたのも、きっと素敵な考えの人が集まっているからなのかなと思いました。烏山病院見学会では、患者さんの回復を信じるスタッフの熱い思いと、患者さんとの信頼関係を強く感じました。

6.最後に

こう振り返ってみると、依存症治療でいちばん大事になるのは、チームワークと患者さんを思う気持ちだと思います。私が身構えて苦手意識をもつほど、依存症看護は特別なものではなかったのかもしれません。

烏山病院見学会で感じたことを大切にしながら、これから依存症治療にかかわっていきたいです。

平田 歩
看護師

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