1.なぜを問いたくなる背景
童話『星の王子さま』にこんな一節があります。
王子「どうして飲んでいるの?」
酒飲み「忘れるためさ」
王子「なにを忘れるため?」
酒飲み「恥ずかしいことを忘れるためさ」
王子「恥ずかしいってなんなの?」
酒飲み「酒を飲むことが恥ずかしいのさ!」
王子「大人って、どう考えても本当にとても変な人たちだ」
なぜ飲酒をするかという質問が、愚問であることがよくわかるやりとりです。理由を問えば問うほどに、理由にならない答えが返ってきます。依存症のみならず、精神科医療に身を置く者であれば、誰しも体験するやり取りではないでしょうか。
酒飲みも最初は、王子と同じ質問を自分に向けたはずです。自問自答を繰り返すなかで忘れたいことが積み重なり、今では何を忘れたいのかもわからなくなって、絞り出した言葉が「恥ずかしい」なのではないかと、勝手に想像しています。
そう、童話に出てくる酒飲みは「忘れたい」のです。「恥ずかしさを忘れたい」と言ってくれた酒飲みに、支援者がすべきことは、詰問を続けてマウントをとることではありません。恥を忍んで胸中を語ってくれたことを十分に労い、「忘れられたら、どんな生活をしていると思いますか?」と希望的観測を尋ね、「ちょっとでもその希望に近いことはなかったですか?」と確認し、「なんだったら負担なく取り組めるか、アイデアを出し合うこと」が大切なのではないかと思います。
そもそも、依存症を疾病と理解する文化が薄い日本では、原因探しの末に、当事者の責任を問う視線が強くなることが問題だと感じます。「好きで飲んでるのだから自業自得でしょ」という言葉に代表されるように、嗜癖行動が脳の構造を変えるという理解は、一般には広まっていません。
依存症外来で医師が酒害を懇々と伝えたところ、患者さんが「酒のことは自分がよくわかってる。やめ方を聞きに来たんだ」と述べたという話を聞いたことがあります。私たちは問題があると、原因を特定しないと解決行動がとれないと、社会のなかで教えられてきました。だからこそ、精神科臨床でも「なぜ」を問うことからスタートするのです。
2.原因≠解決?
もちろん、それは正攻法であり、陽性症状に抗精神病薬が効くように、原因と解決が明確な事柄も存在します。しかし精神疾患は、つねに客観的・中立的に観察可能な「自然種」ではなく、人々のやりとりのなかで解釈が変わる「相互作用種」であるといわれているように、原因特定が困難な性質があります。無理に原因を同定してしまうと、「風邪と言われたから熱っぽく感じる」のように、原因と結果が逆転することだってあり得ます。
私が依存症患者さんから一番に教えていただいたことは、「原因よりも解決が重要である」ということです。飲みたい、使いたい、打ちたい、食べたい・食べたくない、切りたい、盗みたい etc。―こうした欲求が入ること自体をなくすことはできないし、理由もなにもない。そういう病気であり障害なのだと、「変えられないものを受け入れ」る。
そして、どうすれば乱用を防げるかをストイックに考え、ミーティングに参加する、12ステップを行う、代替行動を見つけるなど、「変えられるものを変えていく勇気」を持って実直に行動する。その姿を目の当たりにすると、訳知り顔で患者さんの行動を分析して同僚に吹聴していた自分が恥ずかしくなります。
入院場面など極期の患者さんに出会ったときに、過去のうまくいっていた数年間を無視して、「本当の原因が解決してないから悪化するのだ」と責め立てたりする行為は、なおさらタチが悪いです。患者さんは理屈がほしいのではなく、真摯に解決を望んでいます。高みの見物をしている治療者や支援者は、患者さん側から見限られてしまうのでしょう。
3.解決は偶然に
私たちの生活を振り返っても、構造が明確なものであれば原因を特定することが解決に役立ちますが、人間関係や日常の気分などは、偶然に解決することも多くないでしょうか。
最近、私の身の回りであった出来事を思い出すと、苦手な人と一つのテーマについて話さなければならない状況がありました。緊張していたのですが、その人が先にまったく別の話題を振ってくれたおかげで、会話が少しずつほぐれていきました。雑談を通して自然と打ち解け、本題についてもスムーズに話すことができたという体験です。
それ以降、その方と会話をするときは、本題を後回しにすることがつねになっています。あえて書き記すほどでもないささいな偶然が、解決につながっていることは多いと感じます。
「苦手なあの人はサイコパスの気質があるのではないか? いや、苦手だと言っている自分が、幼少期の母子関係の葛藤を投影しているだけではないか?」と問題を深掘りすることもできなくはありません。しかし、一番に求めているのは解決であり、犯人探しをしたいわけではありません。その偶然が再現性のあるものであれば、また試せばよいですし、逆にいつも同じパターンでつまずくのであれば、パターンとなる行動のいずれかを変えればよいと思います。
「なぜ(WHY)」よりも、「どのように(HOW)」問題がパターン化しているかを把握し、悪循環を切断する方策を考えるブリーフセラピーとよばれる援助技法があります。依存症支援とは相性がよい支援スタイルなので、関心のある方はぜひ調べてみてください。
「なぜ」はわからなくても、ちょっとでもうまくいっていることがあれば、患者さん共に喜び、まだ対策が見つからなくても、解決のために努力したことを丁寧に聞ける支援者でありたいと思います。