1.精神科3年目の看護師です
働く世代に身近な診療科の割に、偏見が多いと感じ、内科から精神科に飛び込みました。そこから今年で3年目になります。入職した昭和大学附属烏山病院には、依存症病棟という専門病棟がなく、私がいる急性期病棟にも依存症の患者さんが入院してきます。
入職当初の私の依存症に対するイメージは、誤解をおそれずにいうと、年中手が震えている自分勝手で自業自得な人たちというものでした。学生時代にギャンブル場でアルバイトをしていたときに見ていたお客さんの姿と相まって、冒頭で、精神科を志望した動機に偏見が〜というわりに、私がいちばん偏見にまみれていたと思います。
ところで私は映画をよく観るのですが、洋画で、登場人物がどこかの会場に足を運び、円になって自分のことを語るシーンを見ると、(いまいち何をしているのかはわからないけど、この人は依存症なんだな、よくある描写だな)といううっすらとした認識もありました。
2.もっとどうしようもない人たちのはず…
このように、今考えてもなかなか傲慢でしたが、そんな考えが覆ったのは依存症の患者さんと初めて接した日です。確か、入職してから1か月くらい経ったころでした。
こんなに(身なりが整っていて)ちゃんとした(会社に勤めていて、妻子もある)人が!
そして、家族に言わせれば「お酒を飲んでいる時以外は本当にいい人」が!
驚きの連続でした。
私の思い描いている依存症の患者さんは、もっとどうしようもない人たちのはずなのに……。特大な偏見が取っ払われた瞬間でした。
その後も、入院してくるさまざまな患者さんを知って行けばいくほど、依存症は孤独の病と言われるゆえんがわかりました。
また、映画で観ていたワンシーンはアノニマスミーティングという心理療法の一環であり、もっともメジャーな回復の方法であるということを知りました。
3.精神科領域で鍵になるのは家族
ところで、依存症の当事者さんたちには、院内のプログラムや自助グループなど、回復するための場がたくさん用意されており、かかわる私たちも、ここがこの人のいいところだな、素敵なところだなと発見があります。
しかし、ときおり接する家族からは、「うちの人は最近どうですか? 本当にどうしようもない人なんです」と、心配しつつもネガティブな発言ばかりが聞かれます。
そのたびに、内心では(とってもがんばっているのに? そんなに言わないであげてくださいよ)と思いつつ、でも入院前の状態の当事者といっしょに暮らしていた家族の声としては、当然だよな〜と、もどかしい気持ちになり、返答に困ることが多かったです。
そんなとき、
「ご家族はきっとたいへんでしたよね。○○(患者)さんがお家にいたときは気が休まらないことも多かったと思います。眠れていますか?」
という、ある先輩看護師の電話対応を耳にして、あぁそうか、と腑に落ちました。当事者を非難したくなる気持ちは受け止め、がんばりをねぎらうということに。
また、その先輩から「依存症だろうと統合失調症だろうとうつ病だろうと、困っているのは患者さんより家族なことも多い。家族が回復していくことがとっても大切です」と教えてもらいました。
4.家族の回復
烏山病院では、昨年から院内家族相談会という会を開催しています。困りごとや身近な人には言えない話など、オールテーマで自由に話してもらう場です。外部の家族会への橋渡しができれば、という考えで発足し、月に一度、1時間半、参加人数は10人以下の小さな会です。
第1回目では、「夫にGPSをつけて……」「心配で、どうしても息子の様子を見に行ってしまう」などと涙ながらに話す方も多く、このご家族たちがどうやって回復していくのだろうと、不安になった記憶があります。しかし、回を重ねるごとにご自身の趣味活動を楽しめている話や、「あのときの私の行動が(当事者の)依存症に拍車をかけていたのかな」といった声が聞かれ、ご家族の回復の過程を垣間見ることができました。
家族相談会を通して家族にもつながりができ、月に一度の会でも着実に回復している姿を目にすると、家族の回復の場ってますます重要だなと感じました。
5.看護師も依存する
依存症・家族の看護において私ができることは、安心できる場をつくることです。
それは自分の意見や気持ちを臆せずに表現できる場です。ときに居心地が良すぎることもあり、患者さんや家族が、外の世界に飛び出して他者とつながることの妨げになることもあります。
こんなとき、私自身もこの治療関係に依存しているのでは、と思います。
前出の先輩と常岡先生にそのことを相談したら、「依存上等、あとはうまく手放す方法を知るだけ。そもそも手放せるのは、一度その関係を手にした人だけだよ」という言葉をかけてもらいました。
これからも上手な手放しを意識しながら、かかわる方々に安心できる場を提供していければと思います。