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1.精神科で働くまで

看護師の免許を取得して、私が最初に働いたのは外科でした。当時は精神科で働くことについてまったく想像できず、精神看護の実習も就職が決まったあとでした。当時の師長さんからは、「精神科楽しいよ」とお話はいただいていたものの、もう行き先は決まっていたし、やはり働いている姿を想像することはできませんでした。

そんななかで看護師3年目を迎え、いろいろな悩みや結婚などのイベントも重なり職場を変わる決心をしたときに、精神疾患の当事者に出会いました。私の目からは落ち着いてるように見えるのですが、周囲からはそうは見られておらず、「注意して観察しなさい」と言われることに違和感を覚えました。このことをきっかけに、もっと深く学んでみようと思い精神科に飛び込むこととなりました。

そうして飛び込んだ精神科、最初はギャップの連続でした。働きはじめた施設では依存症に触れる機会はほとんどなく、先輩たちから「依存症の人たちは嘘つきだよ」という言葉を鵜呑みにしていました。統合失調症などの一般的な精神疾患の方が多く、そのなかでリカバリーを大事にしながら日々かかわっていました。そんななかで、現在のボスともいえる古川優樹医師と出会うことになります。

2.依存症との出会い

出会った当時の古川先生は、まだ依存症を専門にされていませんでした。当時からおもしろい先生だなぁと思っており、自分にはない世界を見せてくれる方という印象でした。そして先生が退職されたあとに、依存症を専門にされていることを知りました。そのことを知ったときは、先生がどこか違う世界に行ってしまったような感覚でした。

その後、私は副看護師長をさせていただくようになっていたのですが、久しぶりに古川先生にお会いしたときに、ひょんなことからダメ出しをされました。その指摘には自分のなかで思い当たる節もあり、「古川先生、変わらないとなぁ」と思っていたところに、久里浜医療センターで研修をさせていただける機会がありました。名古屋を離れ、半年間、神奈川で人生初のひとり暮らしをすることになりました。久里浜医療センターの病棟の皆さんには、愛知からきた謎の男を受け入れていただき、いろいろなこと学ばせていただきました。

最初のオリエンテーションのときに「多くの回復した人をみてほしい」とアドバイスをいただき、病棟に掲示してあったポスターを頼りにイベントに赴きました。そこでお話をさせていただいた川崎のK-GAP(川崎ギャンブラーズアディクションポート)さんと、横浜のYRC(横浜リカバリーコミュニティ)さんのミーティングやプログラムに参加させていただきました。施設やミーティング場のドアを開けるとき、「なんだ、コイツ?」って思われたらどうしようと思いながら行ったのですが、笑顔で受け入れてもらえたときの安心感とうれしさは、今でも忘れません。

3.依存症が好きになる

病棟では、勤務のなかでプログラムに参加させていただき、休日はミーティングにいくという生活が始まりました。YRCのある根岸やK-GAPのある川崎の町も大好きになり、川崎のカプセルホテルにハマり連泊したりもしました。神奈川は第2の故郷といっても過言ではないくらい、思い入れのある土地となりました。

ミーティングなどに参加してお話を聞いていくと、自分のなかで「その辛さでは、スリップしてしまうのも仕方ないのかなぁ」と思うことがあり、ミーティングのあとの帰り道でそのことについて話したことがありました。仲間は「けど、それでも決めるのは自分なんですよ」と言いました。このやりとりで、精神科に勤務するなかで自分が大事だと思ってきた「リカバリー」とつながっていきました。

こうした経験させていただくなかで、その人のパッションが揺れ動いている瞬間に立ち会ったときに、自分の気持ちも動いている感覚を知り、一気に取り込まれました。YRCでは、愛知に帰る前に時間をいただき、自分のこれまでを語る機会もいだだくことができました。

神奈川での生活に終わりが見えてきた年末に、古川先生が横須賀までやってきます。そこで、「いっしょにやらないか?」というお誘いを受けることになります。こうして私は、現在の一ツ山クリニックで働くこととなったのです。

4.自分自身の変化

クリニックで働くことが決まったあと、名古屋ダルクさんの35周年のイベントに参加させていただく機会がありました。私ははじめてのところに行くときには過剰なほど緊張するので、小さくなって椅子に座っていました。

メンバーさんはみんな笑顔で迎え入れてくれて、なんだか楽しそうで、「新しい生き方」というワードがとても印象的でした。自分にとっての新しい生き方ってどんなのだろう?と自問自答した結果、出た答えは「アフロにすること」でした。髪型のおかげか、先日、名古屋で開かれたアディクションセッションでは「髪型でわかりました!」と認知していただけることが増えてきたと思っています。

自分自身も生きづらさを抱えるひとりとして、依存症にかかわりながら回復し、自分がこれまで与えてもらったものをいつかつなげていけるように、日々取り組んでいこうと思っています。よろしくお願いいたします。

海戸 健司
一ツ山クリニック こころアディクションセンター 看護師


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