1.きっかけ
私は精神科歴27年目の看護師です。今から5年前のことになりますが、当時所属していた慢性期精神科病棟を依存症治療病棟に改編するという方針が打ち出され、そのプロジェクトメンバーに選ばれました。もともと依存症に対する陰性感情や苦手意識はなく、どちらかといえば親和性を抱いていました。加えて、新しいプロジェクトに挑戦できるワクワク感とともに、私は依存症ケアの道を歩み始めました。
しかし期待以上に、その道はまさに私の心を震わせ続けた体験の連続で、気づけばアディクションケアの沼にどっぶりハマっていました。今日はそんな私のストーリーを綴りたいと思います。
2.出会いのなかで
最初に私の心を震わせたのはリハビリ施設スタッフの方たちとの出会いでした。目の当たりにしたのは、映画以上に壮絶な人生を歩んでこられた方々の実際です。私自身、少しだけやんちゃだったこともあり、10代の多感な年代には薬物使用していた少年たちと行動をともにしていた時期もあって、それほど身構えることはありませんでした。しかし、感銘を受けたのはリハビリ施設スタッフの方たちの真っ直ぐに生きようとする姿勢でした。
「俺たちは依存症だから、自分勝手だし、すぐ人を裁くし、嘘をつく。このどうしようもない人生を変えるために回復を続けていく」と、ミーティングで自分の体験を話します。家族に腹部を刺されたとか、死のうと思ってビルの屋上の手すりに手をかけたけど死にきれなかったという話を、ありのままに語ります。人生のどん底から抜け出すために、新しい歩みのなかで自分たちにしかできない役割を理解し、取り組んでいます。同じ苦しみを経験した人たちを支えることが、みずからの回復につながると信じ、実践しています。
彼らだけではなく、後に出会う自助グループや家族会を運営されている方々にも同様の意思を感じました。そしてその活動は世界中に広がっていることも知りました。まさに【国境なきピアサポート集団】といったところです。
次に心が震えたのは、依存症ケアに携わる支援者の方たちとの出会いです。幸いにも個性的なキャラクター、バイタリティにあふれる支援者の方たちとつながらせていただきました。行きすぎた情熱も、ときには周囲からわずらわしく思われがちですが、皆さん振り切っていて、医療や福祉や行政といったさまざまな分野で、それぞれの地域で、依存症ケアを支えておられます。
そういった方々との出会いによって、胸の中で燻っていた私の熱き魂が着火され、感化されながら、今日も奔走中であります。いつの日か、この地域にも形式だけではない【切れ目のない依存症支援】が実現できると心から信じられるようになってきました。
3.変わるのは患者さまだけじゃない
「依存症の人は約束を守らないし、すぐ揚げ足をとる。治ってもすぐにまた入院してきて、本人に治す気がないのだから治療の意味がないんじゃないの?」という医療者の陰性感情は、今も臨床において感じることがあります。変わりたいのか、変わりたくないのかよくわからないまま揺れ動く心情も、依存症の特徴だと学びました。そんな現場の医療者たちに依存症ケアのやりがいとポジティブなメッセ―ジを届ける、それが自分の職務だと思って日々取り組んでいます。いつの間にか私は依存症ケアの現場責任者となり、ケアの実践、人材育成、広報へと駆け回る毎日を過ごし、一日が一瞬で過ぎ去ります。本当にかけがえのない日々です。今が私の人生の絶頂なのではと思えてしまうほど至福で、成長させてもらえる環境に身を置いています。
また、依存症ケアに取り組むこの5年間は、同僚たちに支えられた5年間でもあります。今では立ち上げからのプロジェクトメンバーは私ひとりになってしまいましたが、その都度新しいメンバーを迎えました。そのメンバーたちがつねに新しい風を送り込んでくれています。新メンバーも依存症ケアプログラムや院外のイベントに参加するなかで、ケアの目線が変わっていくというか、それまでの問題解決型の思考から患者さまのストレングスを探すようになりました。
入院中に暴れまくり、ワガママばかり言ってスタッフを困らせていた患者さまと地域の自助グループで再会を果たしたとき、当時の姿からは想像も出来ないような明るい笑顔と人懐っこさをみて驚いていた新メンバーは、翌週には私と同じ【ハマったさんの表情】になっていました。
依存症ケアのいちばんの魅力は、支援者も変わっていくことだと私は思います。かつて自分がケアした患者さまの回復を続ける姿に触れることだったり、当事者から回復のメッセージを聴いたり、依存症ケアを楽しんでいる医療者や意欲的に活動している支援者とつながったりすることで、自分の価値観や考え方が変わっていく。たいへんなことや辛いことはもちろんありますが、そんなときは支援者も話せるミーティングで気持ちを吐けばいい。そんな場所がある、その方法を知っているというだけで、ずいぶんと救われます。支援者も当事者も同じ人間、誰でも変わることができるということを知りました。
4.これから
私が勤める病院は依存症ケアの理念として【かかわり続ける、理解し続ける、連携し続ける】という3つの柱を掲げています。これは依存症の回復における【継続すること】の重要性に由来しています。そして私が管理・運営する依存症ケアプログラムのコンセプトは【よく語り、よく学び、よく遊び、よく笑う】です。集団認知行動療法も行いますが、そのほかには登山したり、ザリガニ釣りに行ったり、チョコレートを作ったり、看板を作ったり、近くの動物園にライオンやキリンを見に行ったりもしました。桜が咲けば花見に行き、年が明ければ初詣に行きます。地域の自助グループや家族会の方々も快くメッセージを届けにきてくれます。リハビリ施設の仲間とともに体育館で運動して汗を流します。なにより患者さまに楽しんでもらったり、笑顔になってもらうことを目指しています。
やめる、やめない、で苦しむよりも、これからの人生をどう過ごすか?どうしたら人の力を借りられるか?どうやったらその人たちとシナジー(相乗効果)を創り出せるのか? そこまで深く考えなくても、どうしたら人生を楽しめるか。ポジティブな生き方には自然と周りに人が集まってきます。自分の存在価値を自覚し、だれかの役に立てている実感を得られれば、その人生はいっそう輝きを増していくと思います。
私もこれからの人生を何周分も遊びたい、魅力溢れるこの世界を満喫したい、たくさんの人に出会って人に支えられたいです。まだまだ支援者として駆け出しの私ですが、今後も失敗を繰り返しながら、依存症ケアに取り組んでいきたいです。誰よりもこれからの【生きる】をもっと楽しもうと思います。
