1 「回転ドア」の渦に巻き込まれて
依存症に限らないことですが、何度も入退院を繰り返してしまう患者さんに出会ったとき、どのように感じますか?
精神科は依存症に限らず、入退院を繰り返してしまう患者さんが多いです。いわゆる「回転ドア現象」です。
せっかくよくなって退院したのに、スリップ(依存物質の再使用)や外来受診・内服薬の中断など、理由はさまざまです。病棟で同じ患者さんに出会うたびに「またか」「自業自得じゃないか」「どうして医療で助けなければならないのか……」、そんなことを思うことはありませんか。
でも、患者さんの話をよく聞いてみると、入退院を繰り返しながらも「どうしてこうなっちゃうんだろう」「本当はもう入院したくない」と、自分の問題に向き合おうとしているのに、その方法がわからないという方は多いです。精神疾患は糖尿病や高血圧と同じ慢性疾患です。依存症も同じで一度依存症になり依存対象をやめても、再使用すれば以前の状態に戻ってしまうといわれています。もう何年もアルコールをやめている依存症の方が、夢でお酒を口にしてしまって「まずい」と思って目が覚めるということは往々にしてあるようです。
それでも依存症には回復者という方々がいらっしゃいます。私たちも治療の中で回復者の方々の力を借りることが多いです。というよりは、依存症は仲間の力なくしては回復できない疾患なのです。やめ続けなければいけないのに、「回復者」とは。「回復」の定義とは何か? と、私も最初は戸惑いました。
2 よいときだけが回復ではない
話は変わりますが、近年、精神科医療においてリカバリー(回復)という考え方が注目されています。病気が治る・寛解するという臨床的リカバリーではなく、「その人らしく生きる」「自分らしさを取り戻す」という意味でのパーソナルリカバリーという考え方です。リカバリーを自己実現のようにとらえるならば、人生そのものがリカバリーをしている過程であり、よいときも悪いときもある、それ自体がリカバリーのプロセスだと考えられています。
先程の「どうしてこうなってしまうのか」「もう入院しないために何とかしたい」と自分の問題に向きあっている患者さん、回復を望んでいる人は、すでに十分リカバリーのレールに乗っており、症状が再燃してしまってもスリップしてしまっても回復に向かっている途中なんだな、と思っています。
3 看護師は助けるのか助かるのか
話を依存症の方に戻します。依存症は孤独の病といわれており、自助グループの中で仲間とともに回復します。コロナ禍で孤立しないようにと、いち早くオンラインの自助グループを始めたのは依存症当事者の方々でした。仲間が困っていたら夜中でも電話に出て話を聞くこともあるそうです。仲間のために心を尽くすことができる回復者の方々を、私はとても尊敬しています。自助グループのメンバーは「助けるものが助かる」という行動原理に従って動いています。この「助けるものが助かる」という原理ですが、依存症に限ったことではないと感じませんか?
例えば、同じ立場の仲間同士が支え合うピアサポートです。烏山病院では統合失調症の方を「ピアスタッフ」として雇用し、入院中の患者さんの悩みを聞いたり、患者さんと医療者の架け橋になるという役割を果たしてもらいます。ピアスタッフ・ピアサポーターとして活動する中でもピアスタッフ自身が安心感を感じられたり、対象者に癒されるということがあるそうです。ここでも「支えながら支えられる」という関係性が成り立っています。
そして何より私たち看護師も、患者さんに日々支えられている・癒されていると思うことはないでしょうか。私はいつも、自分の仕事に「大丈夫だろうか」「これでいいのだろうか」と考えてしまいます。そんな中で、患者さんが自分にかけてくれる労いのことばや感謝のことば、何気ない生活の話にもエネルギーをもらいます。
こんな自分に、生きづらさや困難感を話してくれる患者さんに感謝の気持ちを抱くこともあります。いつも患者さんを支えていると見せかけて、「看護師としての自分」を支えてくれているのは、紛れもなく患者さんやご家族だなと考えています。ピアスタッフの活動を支援しているときも、ピアの活躍に希望と前に進むエネルギーをもらっていたのは私のほうだと胸を張って言えます。
ということで、私も「助けるものが助かる」という原理に支えられて今日まで看護師を続けられています。ある意味、私もリカバリーの途中だなと思っています。理想の看護師に近づいていくためには、これからもずっとリカバリーを続けていくのだろうと思います。
依存症もその他の精神疾患も、障害のある人もない人も、看護師もみんな同じ原理で動いていて、人としての根っこは同じ。特別なことは何もないんですね。