1 総合病院時代の私のアルコール依存症患者さんへの思い
私は看護師になってから13年間、総合病院に勤務していました。総合病院時代には、アルコール性の肝障害や急性膵炎、急性アルコール中毒の患者さんの治療に携わることもありました。
当時は体の治療がメインで、治療が終了して退院する患者さんに対しては「退院したら、また飲んじゃうのかな」と思うことが多かったです。案の定、アルコールが原因で身体的治療のために再入院する患者さんも、多くみてきました。当時の私は、「意思が弱いから再飲酒して、入退院を繰り返しているんだな」と思っていました。
2 精神科単科病院に異動となって
看護師経験14年目に、現在の精神科単科病院に異動となりました。異動した当初は、アルコール依存症の治療についての知識も経験もなく、よくわからないというのが正直なところでした。
当院での経験が3年目となった年に、私は開放病棟に異動となりました。その病棟では、アルコール依存症患者さんへの治療として、それまでの集団プログラムとは別に、病棟独自でアルコール依存症の個別プログラムを開始する案が出ていました。
アルコール依存症の患者さんのなかには、集団プログラムが嫌で、アルコール治療を中断してしまう患者さんがいます。そのような患者さんは、病院とのつながりがなくなったことで孤独となり、お酒がやめられない状態のまま地域生活を送っていることを知りました。
そこで、集団プログラムは嫌だけど、個別で自分のペースでアルコール依存症治療に臨める「個別プログラム」なら参加してくれるのではないかとのコンセプトのもと、個別プログラムを実施することが決まりました。このコンセプトに医師も看護師もPSW(精神保健福祉士)も賛同しました。
プログラムは個別に行うので、看護師がプログラムの中身を理解していないと患者さんへの教育ができないため、病棟で勉強会を重ね、全員がプログラムを理解し実施できるようになりました。
個別プログラムは全8回シリーズになっており、対面で約1時間かけてプログラムを行います。そのなかで、私は第7回が苦手なパートでした。「どうか、第7回のパートが自分の担当になりませんように!」といつも心のなかで思っていました。
第7回が「自助グループってどんなところ?」という単元でした。当時の私は自助グループについて、よくわかっていなかったのです。原因は私が自助グループに行ったことがなく、イメージができていないからでした。
あるとき、プログラム中に患者さんから「自助グループってどんなところなんですかね。AAってどんなことやるんですかね?」と聞かれたのです。ドキッとした私は、行ったことも見たこともなかったので、「機会があったら行ってみたらいいですよ」と適当な返答しかできませんでした。
当時の私は、地域でのサポートについてはまったく知識がなく、病院での治療がすべてだと思っていたのです。
3 初めてAAに参加した!
それから数年が経ち、病棟が変わった私は、あるとき病棟医長に「今度、BさんといっしょにAA(アルコホーリクス・アノニマス/アルコール依存症の自助グループ)に行ってほしいんだけど、行ってくれる?」と言われました。「Bさんにとっては、入院後初めての外出になるので、帰りにスリップするといけないから、いっしょに行ってほしい」ということでした。
私自身、AAに実際に行くのは初めてだったので、「どんな所だろう? 私がいっしょに行ってもいいのだろうか」など、いろいろな思いが頭をよぎりましたが、とりあえず患者さんのためだと思って「いいですよ、行ってきますよ」と返答しました。
数日後、緊張しながらBさんといっしょにAA会場に行きました。いざ始まってみると、「言いっぱなし、聞きっぱなし、ここでの話はここだけの話」という説明があり、順番に参加者が、それぞれの話をしてくれました。終盤になり、司会者から急に「看護師さん、次どうぞ、話をしてください」と振られました。
私は「え?私も話すの? 何話そう……」と思いましたが、何とか勇気をふりしぼり、「仕事が忙しくて、最近お酒の量が増えてるなって実感しています。もう少し、仕事の量をコントロールしながら飲みすぎないようにしたいと思います」と話をしました。話し終わったら、みんなが拍手をしてくれました。話し終わった私は、なぜかすっきりした気持ちになり、「また来たいな」と素直に思いました。Bさんも「参加してよかった」と満足そうでした。
帰りに、AA参加者から「お疲れ!」と笑顔であいさつされ、その人と握手をして別れた私は、すがすがしい気持ちでBさんと病院に戻りました。この経験が、私にとって依存症治療にはまるきっかけとなりました。
4 患者さんとのかかわりから学べたこと
依存症治療に興味が出てきたとはいえ、ときには依存症治療中の患者さんにイラっとすることもありました。ある日、AAの見学に行くと言って単独外出した患者さんがいました。昼ごろ、参加しているはずのAAから「来ていない」と連絡がありました。私は「スリップしちゃったんだろうか」とすぐに思いました。
その日の深夜、警察から患者さんが保護されたと病院に連絡が入り、私は当直医とともにタクシーで迎えに行きました。警察署で患者さんに会うと、患者さんは泥酔していました。「なんでこんなになるまで飲んだんだ」と心のなかで思いながら、病院に帰ってきました。
そのときはイライラしましたが、病院に着いて冷静になって考えたとき、無事に警察に保護されてよかった、生きててよかった、と思いました。そのとき、スリップしたのは病状がそうさせているのだと思える自分がいました。
5 依存症治療にかかわってきて気づいたこと
私は、AAに行ったことがきっかけで依存症治療にはまりました。とはいえ、まだまだ知らないこともたくさんあります。
わかったことは、依存症について学び続けること、みずから行動し経験してみること、患者さんに真摯に向き合うこと、地域のいろいろな人たちとかかわっていくことが大切だということです。依存症患者さんにとって、医療の力が必要となる部分は少ないかもしれません。せいぜい、命を救うことくらいしかできないかもしれません。私たちにできることは、当事者や自助グループ、行政への橋渡しくらいかもしれません。それでも、患者さんが地域で生活し続けられるようにかかわり続けることが大切だと実感しています。