「あなたがしているのは看護じゃなくて業務でしょ?」そう言われた主人公の榛葉(しんば)が、夢と魔法の国の病院で気づいたこととは……。トゥーンタウンの向こう側にある病院を舞台に繰り広げられるナースのケアと成長の物語。
今回は『イマジネーション・ケア もしもディズニー記念病院でケアを学んだら』の刊行を記念して、本書の一部を数回にわたって公開いたします。
「あなたがしているのは看護じゃなくて業務でしょ?」
榛葉陽菜は、今日言われた言葉を頭の中で繰り返していた。
寮の自室で天井を眺める。窓を大粒の雨がバタバタと打ちつける。雨粒に反射した街灯の光が真っ暗な室内をうっすらと照らしてぼんやりとした明るさが部屋に広がっていた。カチコチと壁掛け時計の動く音と外の雨音が妙に大きく響いてうるさい。昼間の出来事でもやもやした気を紛らわせようと、榛葉はソファに寝っ転がりながらテレビをつけた。
『夢が叶う場所! 東京ディズニーリゾ……』
ピッ。
反射的に消していた。そんな気分になれないのは明らかだった。テレビの画面に一瞬映った華やかで輝かしい世界と、今自分がいる灰色の世界がどれだけ違うのかを突きつけられるだけでも気持ちが重苦しい。
(最後にディズニーランドに遊びに行ったのっていつだったっけ、ずっと昔に連れてってもらって以来行ってないなぁ……)と少し思い出に浸りかけたものの、すぐに先輩の言葉がまとわりついて、榛葉を現実に引き戻す。
「あなたがしているのは看護じゃなくて業務、って何?……自分なりに考えて対応したのに!」
思わず大きな声を出していた。
きっかけは今日の昼間の出来事だった。配膳や配薬に追われていたタイミングで受け持ち患者からのナースコールを受けた。急いでベッドサイドへ行ったところ、「トイレがしたいんだけど」というのでひとまずオムツを当てて対応した。そこを先輩が見て「看護じゃなくて業務をしている」と言われたのだ。どうせいつも時間をかけてトイレに連れていっても結局用が足せないからオムツを当てたのに。
(自分なりに優先度を考えて対応したのに。時間に追われる中でベストな選択をしたのに。それなら、何が看護だっての……)
大きなため息をついた。
医療はサービス業といわれることもあるが、自分がしているのはサービスじゃなくて看護なんだと言い聞かせていた。
(そりゃ時間があってたくさん人手もあるならいくらでもトイレに連れて行けるけどさ)
何人もの患者を受け持ち、予定されている業務をこなしつつ検査出しやオペ出し、ナースコールの対応をし、書類を捌き、記録を入力し、入退院の処理を行い、使った部屋の清掃や消毒をして、時には患者の代わりに買い物に行ったり、委員会活動にも参加したりする……。看護師として与えられている仕事は枚挙に暇がない。休憩時間を削り、仮眠も取らずに病棟を走り回ることだってある。その中で、現実的に自分ができることを行っているのだ。これ以上は無理だ。
看護師になりたくてなったのに、先輩の一言でこんな気持ちになる自分にも、榛葉は困惑していた。
(私がやりたい看護って、なんだっけ……。これがずっと続くの?) 考えれば落ち込むが、自分だけが悪いわけじゃないのにと言い返したい気持ちもある。悔しさを跳ねのけるように、ソファから起き上がると部屋の電灯をつけ、看護学校以来、本棚の片隅で埃の王冠を被っていた看護師のバイブル、ナイチンゲール著『看護覚書』を引っ張り出した。ページを捲るたびに舞う埃が机のライトに反射して小さく光っている。埃のダンスを横目に目的のページにたどり着くと、
『看護とは、体内の回復過程を促進させること。看護でないことは、生命力を消耗させること』
という一文が目に入った。
(はいはい、そうですか)
大先輩であるナイチンゲールなら自分の味方になってくれるかと思ったのに、なんとなく否定されたようで、もやもやは解消されるどころかもっと増えた。
「はー……」
榛葉は本をバタンと閉じて床に投げ捨て、ベッドに突っ伏した。
言われたときはそんなに思い詰めていなかったのに、独りになると頭の中で先輩の言葉がぐるぐる回って離れない。ベッドの上で寝返りを打ちながら、違うことに思いを巡らせる。
「今年で三年いっぱい働いたことになるし、辞めて別のところも考えてみようかな」
横になったままスマートフォンで転職先を探してみることにした。
薄暗い気持ちとは対照的に、スマホの画面は煌々と明るい。
(ほんとに辞めるわけじゃないし、少しは気晴らしになればいいか。明日もまた同じ病院で同じことをするだけなんだから、どうせ働くならすごいところで働いてみたいな。今とは全然違うような……、給料がいいところ? 有名なところ? 楽しく働けるところ? なんでもいいや、とりあえず何か変われれば)
【看護師 求人 有名 すごい】
そんなに都合のいい募集なんてあるわけないよね、と自分で打ち込んだ検索ワードを見て、笑ってしまう。データ通信を示す輪っかがクルクルと回ってパッと画面が切り替わった。
【浦安市舞浜 ディズニー記念病院】
スマホには、さっき榛葉が目を背けた夢の国と並び立つ、病院の姿が表示されていた。東京湾とディズニーリゾート、そしてモノレールに囲まれて屹立する建物は、まさに夢のような存在感を放っている。
思わずガバッと起き上がって座り直し、改めて画面を覗き込む。
「何これ……? ディズニーリゾートに病院ってあったんだっけ」
(次回へ続く)
「あなたがしているのは看護じゃなくて業務でしょ?」そう言われた榛葉(しんば)が、夢と魔法の国の病院で気づいたこととは……。もしもディズニーに病院があったら、そこではどんなケアが生まれるのか? それは、ディズニーでしかできないケアなのか? 新感覚の看護小説、ここに誕生!
定価:1,980円(税込)
刊行:2022年9月
ISBN:978-4-8404-7891-5
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