前回までのあらすじ

三木看護部長の話を聞いて「看護にイマジネーションって必要なのかな」と戸惑う榛葉。入職式が終了して、いよいよ勤務がはじまる……

数日間のオリエンテーションを経て、配属先が発表された。榛葉は事前の配属希望アンケートに内科病棟と救急外来を書いていたが、循環器・消化器内科病棟に配属された。前の病院で内科に勤務していた経験が加味されたんだろうかと考えながら、病棟師長の滝沢に連れられて榛葉は病棟へと足を踏み入れた。

「はい、皆さん。今日から新しい仲間が増えますよ」

滝沢の声に、スタッフステーションにいた看護師が一斉にこちらを見る。

「おはようございます! 榛葉といいます。よろしくお願いします」

榛葉ができる限り明るく挨拶をすると、スタッフステーションの真ん中から一人のスタッフがにこやかに歩いてきて、

「私が榛葉さんの担当になる寺内美弥です。よろしくね」

と挨拶を返した。声が心に沁み通っていくような不思議な感覚を榛葉は覚えた。

「初めまして。よろしくお願いします!」

「全体のオリエンテーションは終わったから、次は病棟でのオリエンテーションになるね」

「はい。お願いします」

「うちの病院の教育システムがバディシステムということは知ってる?」

「はい。だけど、いまいちイメージが摑めなくて……」

「そうよね。私もはじめはそうだったもの」

寺内は再度バディシステムの説明をした。

「病院の教育システムだと、プリセプターシップとかPNS(パートナーシップ・ナーシング・システム)とかいろいろあるけれど、当院はディズニーリゾートの教育システムを応用したバディシステムを採用しています。ディズニーリゾートではブラザーシステムといっているわ。新入職者は先輩についていき、先輩の言動や行動を見て学びを深めていくの。もちろん、ずっとペアになっているわけじゃなくて離れて行動することもあるけどね」

説明を聞いて、プリセプターシップと似ているなと思った榛葉を見透かしたように、寺内は

「プリセプターと同じじゃないかと思った? でも、バディだからね。職場の中では先輩、後輩って分かれちゃうけど、お互いに学び合って支え合っていくためのシステムなの。チップとデールみたい……、ってのはちょっと違うか。システムの名前がバディなのは、女性が多いこの業界ならではよね。ブラザーってわけにはいかないし」

「バディって、相棒ってことですよね。お互いに対等ってことですか?」

「そうそう! 先にここで働いていた人は、ここのシステムや考え方を伝え、新しく働く人は今までの経験や考え方をここの人たちに伝えてほしいの。この地域だけじゃなくて、いろんな国や地方の方が入院することの多い病院だからね、いろんな視点や経験が必要なのよ」

後から入職してもバディとして対等に学び合っていくと聞いて、榛葉はこれまでの経験が無駄にならなそうだと安心した。

「今日はお互いのことを話して知っていければいいなって思っているよ。もちろん話したくないことは話さなくていいからね」

屈託のない笑顔で寺内が話しかけてくれることも安心できる要因の一つだった。

「私は今年で看護師四年目になるんです。前の病院でも内科で働いていたんですけど、ちょっと思うところがあって転職を決めたんです」

われながら転職の理由がぼんやりしすぎていると榛葉は感じた。もっと突っ込まれて聞かれるかと思いきや、「転職とか、そういうきっかけってどこにあるかわからないものよね」と寺内は言った。自分を受け入れてくれたような言葉に、榛葉はよりリラックスした気持ちになった。

「私たちの世代って、感染症のせいで実習に行く機会があまりなくて……。だから、ちゃんとした教育を受けてないんじゃないかって思っちゃって、なんかいまいち自分がやっていることに自信が持てないんです。教科書とかマニュアルを見て、できるようになった気はするんですけど、本当にこれでいいのかなってずっと不安で。看護師なのに看護が苦手っていうか、自信がなくて。看護は好きなはずなんですけど」

「いいね、ずっと看護師になりたかったんだ?」

「そうなんです。確か子どものときにここで具合悪くなっちゃって、そのときにすごく優しい看護師さんに出会って、それで私もなりたいなって思ったんですよね」

「素敵な出会いがあったんだねー!」

自然と自分の心のうちを話してしまっていた。初めて会ったばかりの相手にこんなに正直に話してしまっていいのだろうか、とも思ったが、寺内と向き合っているとなんとなく話したくなるのだった。

「そんな感じで看護師になったんですけど、このままで大丈夫なのかなぁーって」

「そっかー。大変だったよね。それは不安にも思うよ。今までと全然違う流れになっちゃったもん」

「寺内さんも影響ありました?」

「あったあった! 私はちょうどアメリカの大学院に留学してるときだったから、強制帰国するとかしないとか、帰国したら時差があるからリモート授業が真夜中に開始されたり、すごく大変だったよー。あっちでいろいろやりたいことがあったのにさ!」

「留学してたんですか!? すごいですね!」

「めっちゃ頑張ったからね! 自分が学びたいことだったし」

(私は、ディズニーの病院で働いたら一流になれるかもなんて勢いだけでここに来ちゃったのに。この先輩のバディが私でいいのかな)

榛葉は寺内を直視できない眩い存在のように感じた。

「そんなわけで、私もわからないことはあるから何か気づいたらすぐに教えてね」

「い、いえ! こちらこそよろしくお願いします」

改めて挨拶をしていると、後ろから声がかかった。

「寺内さん、バディシステムの説明はできた?」

振り返ると、格闘技でもやっていそうなほどがっしりとした体格の男性が立っていた。

「終わりましたよ!」

「じゃあ、電子カルテの使い方とか物品の場所も共有しといてな!」

「オッケーです!」

寺内は臆することなくハキハキと返答し、男性はそのまま去っていった。

「あの、今の人は……?」

「私の前のバディだった人で、神永さんっていうの。見た目は大きくて少し怖そうだけど、すごく優しいのよ」

榛葉の顔がよほど強張っていたのか、寺内は勇気づけるように笑顔で大丈夫、大丈夫と繰り返して言った。そして、

「この病院も完璧ってわけじゃないから、榛葉さんが気づいたことがあったらどんどん教えてね! じゃあ、ちょっと病棟の中を見てみようか」と歩き出した。

エントランスがそうであったように、病棟もパステルカラーを中心とした優しい色使いで壁面や床が彩られていたものの、そこまでファンタジックな感じではなかった。強いて他の病院と違うところを挙げれば、ゴミがまったく落ちていなくて圧倒的に綺麗なことだった。

「どうかした?」

榛葉があまりにもキョロキョロしているので、寺内が尋ねた。

「あ、いえ……。案外、中が普通だったので」

思わず本音を言ってしまったという顔をした榛葉に、ふふっと寺内が笑いかけた。

「私も最初はそう思ったよ、めっちゃ普通の病院! って。逆にびっくりしちゃうよね」

「もっとディズニーっぽくしなくていいんですか? そのほうが患者さんも喜びそうなのに」

榛葉は、もっともらしく患者の気持ちに寄り添ってみた。

「うーん、そうね。でも、あまりテーマパークっぽくすると非日常感が強くなりすぎて、患者さんが日常生活に戻りにくくなっちゃうからっていうのが、病院としてはあるみたい」

言われてみれば確かにそうだと思った。ただでさえ、入院や手術というイベントは非日常的なのに、そこにさらにテーマパーク感が加わったら完全に日常とかけ離れてしまう。落ち着いた内装は、退院後の患者の生活を考えてのことなのだと榛葉は納得した。

「あとは熱心なディズニーファンの来院を防ぐためもあるかなぁ。前は小児科病棟に白衣を着たミッキーやミニーが来るイベントがあったんだけど、患者さんやご家族以外の来院者がものすごく増えて、病院の運営に支障をきたしちゃったから中止になってるのよ」

「あぁ、あのミッキーとミニー」

榛葉は特別入場チケットのデザインを思い出した。病院でミッキーやミニーに会えるなんてすごくレアな体験だし、特に入院している子どもたちには忘れられない思い出になるだろう。

ただ、パーク内では絶対に見ることができない姿のミッキーたちが病院にいると知ったら、ファンが押し寄せるのも無理はない気がする。

「まぁ、いろいろと事情があるのよ」

意味深な表情で締め括った寺内に、榛葉はもう一つ気になっていることを尋ねた。

「なんだか、院内がすごく綺麗ですよね。スタッフステーションも無駄なものがなくて、整理整頓されてるし」

榛葉にとって病院のスタッフステーションといえば、書類が舞い踊り、ボールペンは散歩に出かけ、探し物はパソコンの裏から出てくるところだった。しかし、ここでは書類は整えられ、処置台の周りに点滴のゴミが散乱しているなんてこともなく、文房具類はきっちりとケースに収まっている。

「あぁ、それがミッションにつながるデューティの一つだからね」

寺内は当たり前のように言った。

ミッションなんてずいぶん大袈裟な表現をするんだなと榛葉は思ったが、デューティというのは聞き覚えのない言葉だった。

「デューティってなんですか?」

「その前に、うちの場合のミッションっていうのは、イマジネーション・ケアを提供するということなのね。で、デューティっていうのはそのミッションを達成するための日々の業務っていったらわかりやすいかな。例えば、机の上に書類は一枚も置きっぱなしにしないとか、ゴミ箱は八割になる赤いラインにきたら取り替えるとか。マニュアルでも決まっててね、一つひとつのデューティの先に、ミッションの達成の糸口があるのよ」

「つまりマニュアルの通りに業務をするってことですか……?」

「それは間違っていないけど、正しくもない、かなぁ。伝え方が難しいんだけど」

寺内の言うことがいまいち飲み込めない。

(とりあえずはマニュアルの通りにやっていればいいということなんだろうか。それなら得意かも)

「まぁ、やっていくうちにわかるよ。私もはじめはマニュアル通りにしかやらないなんて! って思ったし」

またしても自分の考えを寺内に見透かされたようで、榛葉は心の中で小さく(ミッションと、デューティかぁ)と呟いた。

(次回に続く)

////// 書籍案内 //////

イマジネーション・ケア_もしもディズニー記念病院でケアを学んだら
イマジネーション・ケア_もしもディズニー記念病院でケアを学んだら

夢と魔法の病院で行われるケアとは?
「あなたがしているのは看護じゃなくて業務でしょ?」そう言われた榛葉(しんば)が、夢と魔法の国の病院で気づいたこととは……。もしもディズニーに病院があったら、そこではどんなケアが生まれるのか? それは、ディズニーでしかできないケアなのか? 新感覚の看護小説、ここに誕生!

定価:1,980円(税込)
刊行:2022年9月
ISBN:978-4-8404-7891-5

▼詳しくはこちら