Aさんの暮らしぶり

Aさんは、80歳代後半の男性です。2型糖尿病(病歴40年)、アルツハイマー型認知症、大動脈弁狭窄症がありました。10年前に妻と別居し、2歳年下の弟さん(独身)との2人暮らしです。Aさんの食事は、弟さんがすべて調理していました。持効型溶解インスリン製剤16単位(昼食前)、経口血糖降下薬、抗認知症薬を使用中でした。

Aさんは9年間インスリン自己注射を行ってきましたが、HbA1c9%台が続いていました。そのため当初から訪問看護をすすめられていましたが、それを拒否し続けて5年が経過していました。しかし、主治医から再度強くすすめられたため、Aさんが気乗りしないまま、週1回の訪問看護(60分未満)が始まりました。

信頼関係が築けない日々

訪問すると、Aさんと弟さんは「何をしに来るのか!」と硬い表情をしていました。訪問日の朝に電話をかけて「看護師が来るまではインスリン注射を待ってほしい」とお願いしていましたが、いざ訪問するとAさんは買いものに出かけてしまっていて、帰りを待つことが日常でした。

弟さんは「昔から兄とは仲がよくない。インスリンを打っているかどうかまったく知らない」「兄の認知症がひどくなって、毎日ブロッコリーを5個買って腐らせている。糖尿病やから、野菜を食べなあかんと思っているようだ」などと話してくれました(図1)。




図1 いつもたくさんのブロッコリーが並ぶAさんの食卓


Aさんのインスリン注射の残量から、毎日自己注射をしていないことは明確でしたが、とくに指導はせず見守っていきました。経口薬は毎日忘れずに飲めていました。Aさんと弟さんには「血糖値がよくなったら、かならず訪問看護を中止する」と約束し、なんとか訪問看護の継続につなげていました。また、訪問看護への拒否的反応は認知症の悪化によるものだと考えられ、薬が一部変更されました。この時期のHbA1cは10.6%で、インスリン注射も17単位に変更されました。

ある日、Aさんは風邪をひき、3日間連続でインスリン注射をしていないことがわかりました。この事態を受けて、ホームヘルパーを導入し、毎日自己注射を見守る体制をつくりました(図2)。Aさんは「毎日家に誰かが来て……もうインスリンはよろしい(いらない)。死なせてほしい。安らかに逝かせてほしい」と毎回話すようになっていきました。




図2 インスリン自己注射の確認カレンダー

自己注射をした日は、かならずカレンダーに〇をつけるようにAさんと弟さんにお願いした。

Aさんがいなくなってしまった

ある訪問日の朝、弟さんから「兄が昨日から帰って来ていない」と電話がありました。急いで訪問すると、インスリン製剤や注入器は置いたままでしたが、経口薬が2日分なくなっていました。「計画的だから、旅行に行ったかもしれない」と弟さんが話してくれました。別居しているAさんの妻とも連絡がとれず、捜索願を出すか悩みましたが、弟さんの希望で翌日まで待つことにしました。

翌朝、Aさんの妻から「夫がね、訪問看護師なんかに連絡せんでもよいというから、そのままにしたの」と連絡がありました。

Aさんの気持ちに気づいた瞬間

看護師としては、ここまで強いAさんの拒否があるなかで「もう先には進めない」という心境になり、全身の力が抜けていきました。その訪問の帰り道、ふと、以前弟さんが話していた「兄は管理されるのを嫌がる」という言葉を思い出しました。

私は「ひょっとすると、Aさんは今まで自己管理で行ってきた自己注射を訪問看護師に奪われ、『これからの自分の人生まで管理される』と思っているのかも!」と気づきました。看護師にとっての「支援」も、本人には「管理」だったのかもしれない。翌週の訪問時に、Aさんにつらい思いをさせてしまったと謝罪しました。

Aさんの人生や生きかたを理解するよう努めた

それからは妻に連絡をとり、Aさんのこれまでの生活などを聞きとっていきました。妻は「散歩や出かけることが好き」「趣味の詩吟を続けている」、そして「昔から温厚な人。あんなにすてきな人はいない」と語ってくれました。看護師全員で、Aさんが病気以外の生活の諸事にも心を向けられるようにかかわっていきました。血糖測定・自己注射を済ませ、Aさんと弟さんと一緒に体操を行い、好きな散歩に出かけ、公園で一緒に詩吟を歌いました。看護師との散歩の帰りには、バスに乗って妻にブロッコリーを届けるようになり、妻はとても喜んでいました。Aさんと弟さんとの関係も良好になり、Aさんのインスリン注射を弟さんが毎日促してくれるようになりました。Aさんは、毎回看護師と一緒に服薬確認をしてくれました。

Aさんは、大動脈弁狭窄症の治療のため妻の自宅に転居することになり、訪問看護は9 か月で急遽終了となりました。HbA1cは7.2%まで改善しました。Aさんは「別れが惜しい。引っ越ししたくない」と話してくれました。妻からは「人見知りの夫や義弟がこんなに変わったのも、看護師さんのおかげ」といわれました。最後の訪問日、Aさんは「訪問看護で嫌だったこと? なかったな」と笑って語ってくれました。

ブロッコリーを見るたびに、大好きなAさんを思い出します。Aさん、元気でいますか?





臼井玲華
京都保健会総合ケアステーション/わかば訪問看護
看護学校卒業後、京都市内の総合病院で10 年間勤務。同法人の診療所へ異動し、看護主任として従事するなかで、糖尿病患者とのかかわりかたのむずかしさを知り、糖尿病を専門的に学ぶため、2009 年に家族を連れて東京へ転居。多摩センタークリニックみらい・クリニックみらい国立で高度な糖尿病医療に携わる。その後京都に戻り、現在に至る。

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