本連載は対人関係に悩みを抱える看護師が現状を見つめなおし、対人関係の課題に取り組むきっかけをつかむことを目的にお送りします。私が現場の看護師から受ける相談をもとに、一緒に考えていきます。今回のテーマは、「看護師をしている意味がわからない」です。

医療現場での勤務は理不尽さや無力感を抱きやすい

「看護師をしている意味がわからない」。仕事を続けていると、だれもが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。私が面談をするなかでも、こう話される方はいます。その思いに押しつぶされ、看護師を辞めた人も知っています。他者に言えない人も、ふとしたときにそう感じて戸惑ったり、あるいはその思いを押し殺したりしておられると想像します。

「看護師をしている意味」は、すぐにお答えできないくらい難解で哲学的なテーマだと感じます。これを考えるうえで、避けては通れないことがあります。私たちが働く現場が「医療」である以上、どんなに努力しても望ましい結果にはならないという事実です。救われるべき人の命が消え、心身の健康が失われ、それを目の当たりにした私たちが心を痛める場面は日常です。こうしてどうしようもなかった状況にもかかわらず、看護師は患者やその家族を含む他者から責められ、同業者から罵倒されることすらあります。

「患者を助けたい」と、自分を犠牲にしながら努力していても何一つ報われない、そのような気持ちになりやすいことは否定できません。まして昨今のCOVID-19パンデミックを経験した看護師は、いっそうその無力感を強くしたはずです。

看護師をしている意味がわからないのではなく、考えることから逃げている

「看護師をしている意味がわからない」という言葉からは、仕事や周囲の人間に絶望した虚無的な人がイメージされるかもしれません。しかし、こう話す人のほとんどは、普段は大変我慢強く仕事に取組み、熱心に患者・家族・多職種にかかわる方です。自己研鑽にも意欲的で、向上心にあふれているように見えます。一方で、悩み事を聞いていると別の側面が見えてきます。アルコール・タバコの量が増えてしまったり、飲み会がやめられなかったりする方もいます。自分へのご褒美という名の浪費に依存する方は少なくありません。さらに、精神的・性的・金銭的な他者依存に陥っている方もいます。

かろうじて仕事ができていても、「このままでは看護師を続けることができない」と思いつめ、それをきっかけに自身の精神的安定・対人関係に向き合い始めた方から後に聞かれるのは、「看護師をしている意味がわからないのではなく、考えることから逃げていた」という言葉です。

医療・看護は人を対象にする仕事である以上、すべての問題を解決することはできません。それを認められない人は、人生を賭けた仕事が無駄に終わるような感覚に陥り、同時に自分の存在意義を疑ってしまうのです。しかし、この矛盾に目を伏せ、心の痛みに向き合うことから逃げればフラストレーションは蓄積されます。そのはけ口を何かに求めるのは自然な成り行きであり、看護師がワーカホリックになったり、プライベートが荒れてしまったりするひとつの要因だと考えます。

オーバーワークなのに仕事を続けるために特別な理由を求めてしまう

さらに気を付けたいのは、医療従事者は仕事依存症になりやすいということです。どんなに大変な仕事でも「患者のために、命のために」といえばだれも反論できず、身近な家族でさえ口出ししにくくなります。さらに、仕事を一生懸命していれば、多くの場合称賛されます。しかし家族・友人・自身を顧みず「仕事=人生」になっているなら、これもひとつの依存症です。

こうして「こんなに頑張っているのに何かむなしい、報われない、働いている意味がわからない」と、課題を解決不可能なものにすれば「私には責任がない」と思えます。それでも看護師という仕事を続けるために、特別で崇高な理由を求めているように見えます。しかし、それは「人生の意味、生きる意味がわからない」と言っているのと同じです。このままでは残念ですが「仕事の喜び=対人関係の喜び」を知らないまま、看護師生活を過ごすことになります。

自分と向き合わず「やるべきこと」に逃げて無力感を募らせる

今、気付いた「看護師をしている意味がわからない」という違和感から目を背けないことが、自分と向き合うチャンスかもしれません。ここまで思いつめなければならないのは、生き方に無理が生じているからです。おそらく、精神的・身体的にかなり疲れているはずです。

このようなとき、多くの人が「やるべきこと」の波に溺れています。そして、それらは際限なく増えていきます。やるべきことをこなすのに精いっぱいだと「できなかった」経験が積み重なり、無力感を覚えます。そこから逃れたくても、また目の前のやるべきことの波に溺れていくのです。それでも、今の生き方を変える人はあまりいません。どんなに辛くても、「〜べき」と自分を言い聞かせていれば、自分と向き合わなくて済むからです。

「できること」に目を向けると「本当に大切にしたいこと」に気付ける

私たちが着目したいのは、やるべきことではなく「できること」です。自分にはどうしようもないことに固執するより、「できること」に目を向けるのです。そうすれば「自分にはできるんだ」と感じることができます。できないことはあきらめ、できることに真摯に取り組むのです。

こうして「できること」に着目すれば、時間的・精神的にゆとりができ「本当に大切にしたいこと」に気付けます。これまで共依存的だった周囲の人との関係もすこしずつ変わり、仲間だと感じられるようになります。

仲間とは自分ができることに取り組み、できないことは依頼できる「健全に助け合える関係」です。もし、次に「看護師をしている意味がわからない」と感じたり、仕事に思い悩んだりしたときにこそ、その仲間と話しましょう。たしかに、医療・看護の結末は望ましいものばかりではないかもしれません。それでも、悲しかったこと、悔しかったこと、悩やんでいることを仲間と話し、事実をありのまま受け入れるのです。そして、限られた時間の中にも必ず存在する、「私たちができたこと」に思いを寄せてください。

看護師の仕事、そして人生に意味を見いだすのは自分自身

だれかにお礼を言われたり、ほめられたりすることはないかもしれません。それでもある一瞬、だれかの喜びや安らぎにつながり、役に立てたのなら、それが私たちの仕事であり「看護師をしている意味」なのだと考えます。私は、この先迷ったときは仲間である看護師と何度でも対話し、「これから何ができるか」を一緒に考え続けていきます。

看護師の仕事、そして人生に意味を見いだすのは自分自身です。あなたの対人関係が良くなることを願っています。

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小林雄一
看護師。1979年 広島県生まれ。脳卒中リハビリテーション看護認定看護師。
認定看護師・看護管理者としての実践・指導・教育と並行して、執筆・講義活動をしている。JA尾道総合病院 科長。現在、脳神経外科病棟科長。日本脳神経看護研究学会 評議員、一般社団法人 広島県リハビリケア協会 理事。
施設内外で看護師の育成に取り組むと同時に、看護師の対人関係能力向上に貢献するため、独自の面談活動・セミナーを行っている。



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看護師失格?

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登場人物は「患者の役に立ちたい、優しくしたい」と思い一生懸命仕事をしている看護師ばかり。けれど、認知機能が低下した患者の問題行動を前にして、叱責し、咎め、罰を与え、時には無視し、患者に抵抗するという「不毛な戦い」をしてしまう……。面談・対話をとおして「患者さんの問題行動」にうまく対応できない看護師と向き合い続けた著者渾身の1冊!
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