農林大学校に退学届の提出や寮の荷物整理に向かう電車の中でこれまでの学校生活を思い起こしています。友だちからのリクエストで農林大学校内で始めたダンス練習は、参加者との温度差にフラストレーションを感じました。小学生のときから、自分の「当たり前」が定型発達の同級生とは違うことに動揺したり、家でも両親に理解してもらえない感覚があり不安を感じることもありました。そのストレスは、咳が止まらない、難聴などの身体症状として現れ、大学病院の小児科、心療内科に小学3年生のときに通い始めました。これにより悪化を避けられたのですが、それは医師が母に「学校に無理に行かせなくていい」と言ってくれたからでした。それにより自分のなかに学校に行かないという選択肢ができました。その経験から、嫌なことからは逃げてもいいといまでも思っています。そのほうが、自分の人生を、自分で選択したのだから誰にも言い訳ができない、自分で責任を取らなければならないと思えるからです……

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暇だったけど大切だった時間

医師の助言によって、学校を休みたいときに休みやすくなった私は、心療内科にたまに行きながら、行きたくない日は学校を休む生活をしていました。

「行きたくないから行かない」とは言いづらかったため、とりあえず朝は具合が悪いふりはします。そして行きたくないことを母に伝えます。

母が学校に電話しているのを見て、もう少しは具合が悪いふりしておいたほうがいいよなと思いつつ、それほど忍耐力があるわけでない小学4年生だったのでそろりそろりと起き出します。

母は学校に電話した後また寝てしまうので、私はやることがありません。

暇です。

学校に行けば休み時間に誰かと遊べますが、家にいることを選ぶと誰とも遊べません。

テレビのニュースは面白くないので、アニマックスやディズニーチャンネルをつけますが、いつも観ているので、同じ番組ばかりなんですよね。同じ回の『スウィート・ライフ』を何度見たことか(笑)。

テレビを観て時間を潰していると、部屋に入ってくる日差しが強くなってきます。徐々にテレビが観えづらくなってきて、カーテンを少し閉めればいいのですが、動くのが面倒でそのまま観てました。

日差しで温かくなった畳を触りながら、みんなは何の授業をしているのかな〜とぼんやりと考えます。テレビが観づらくて、部屋の温まった空気が膨張してて、ぼわんとした感覚はいまでも覚えています。

とても暇で、ゆっくりと動いていたこの時間は、この後の私の人生にとって大切な時間となりました。学校を休んで家で過ごしていた時間があったからこそ、中学生活をがんばれました。いまでも当時のことが懐かしく、このときに過ごした時間のことを思い出すことがあります。

初めて「行けばよかった」と思った日

それまで、学校に行きたくなくて休んでも、特に何も思いませんでした。給食の献立を見て「食べたかったな〜」とか「次の日は周りに何か言われるんじゃないか」といった思いはありましたが、それ以外の感情は浮かんできませんでした。

泊まりの校外学習を休んだ日も、何も思っていませんでした。

しかし、校外学習を終えて普段の授業が始まり、絵日記を書くことになったとき、私は家の部屋でぼーっとしていたことしか書けませんでした。

それが苦痛で、すごく悲しかったんです。

みんなが思い出を共有してるなか、自分だけがわからないことが悲しくて、はじめての感覚でした。来年も再来年も、みんなは校外学習の思い出話をするだろうけど、私はもう知ることができない。経験できない。

廊下に貼り出された自分の絵日記を見て、なんとなく行くのが嫌でも、これからは行こうと思ったのです。

初めて、自分の決断に対して後から「やっぱり」が浮かんだ瞬間でした。「やっぱり行けばよかったな〜」と。行きたくはなかったけど……。

後悔まではしていないけど、自分の判断に対して感情が揺らぎました。

私の将来はどうなっていく?

小学4年生では「2分の1成人式」をしたり、自分の将来について考える授業が多かった気がします。

私は将来、薬剤師になりたかったんです。小児科でもらった薬をノートに貼り、どんな症状に対してどんな薬が出たのかをメモしていました。薬剤師の仕事に興味があったのか、薬剤に興味があったのか、薬剤と人体の関係に興味があったのかはわかりませんが、薬剤師に惹かれていました。

当時の私は、サラリーマンのほかは、教師、医師、看護師、薬剤師しか職業を知りませんでした。家と学校と病院の行き来しかしない私にとって、接してる世界はとても狭かったのです。

だから自分の将来について考えたとき、この選択肢のなかからしか選べなかったんですよね。とても限定的で、業種も偏っていました。

あとは、たくさんの偉人が載っている伝記を読んでいたので、偉人はいろいろと知っていたのですが、偉大すぎて身近な職業はありませんでした。野口英世やアンリ・デュナン、キュリー夫妻、ヘレン・ケラー、ナイチンゲール、レオナルド・ダヴィンチ、ベルなど覚えている人を羅列すると、やはり医療や科学系が多いことに気づきます。いまでも不思議です。

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プロフィール:まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。