コロナ禍に初めて病院で働きはじめ、それまで通っていた農林大学校を退学することを決意したまめこさん。寮の荷物整理に向かうと、友だちが迎えに来てくれて、食事に行くことになりました。これまで過ごしてきた友だちとの時間、見慣れていた景色を眺めながら寂しさを感じると同時に、農林大学校で過ごした時間がどれだけ自分にとって大切なものだったのかを感じています。
農林大学校にあった“いい暇”
私「あそことあそこのカップルはまだ続いてるの?」
友だち「あそこはまだ付き合ってるけど、あそこは別れたよ」
私「えーー? あそこ別れたん? 意外なんだけど(笑)」
友だち「まあそんなもんじゃん?(笑)」
私「逆にあっちがまだ続いてるのも不思議だわ。みんなはなんかないの?(笑)」
友だち「いや〜ないね(笑)」
いままで誰が付き合ったとか別れたとか、そういう話にいっさい興味がありませんでした。中学のときも高校のときも。それで会話に入れなくてと心細い経験を何度もしてきました。
ですが、農林大学校ではおもしろかったんです。寮生活で一日中いっしょにいるから、同級生のいろんな姿を見ます。恋愛で盛り上がっているときも、落ち込んでいるときも。
田舎で、やることもなかったので、誰かの恋愛話で盛り上がるしかなかったんです(笑)。ある意味、暇だったから楽しめたんですよね。ほんとに“いい暇”でした。
それまでの8年間は効率的に、能率的に生きてきましたし、それがいいことだ、得だと思っていました。でも、こういう時間の楽しみ方が、人生にはあるのだと知りました。
私を、私以上に許容してくれる人たち
店員「お待たせしました〜ハンバーグです〜」
みんな「ありがとうございますー!」
私「思ってたよりも大きいね〜!」
私「おいしいね〜!」
友だち「でしょでしょ〜」
久しぶりにみんなと食べるご飯。
学校にいたときは、授業が終わって、部活したり、洗濯したり、お風呂に入ったり、それぞれマイペースに過ごしてもご飯の時間に食堂に行けば誰かしらそこに居ました。自分がいちばん早く来て1人で食べていると、広い食堂から私を見つけて来てくれました。
看護学生のときは、雑談しながらご飯を食べる精神的な余裕はなくて、家でも自分だけ部屋にご飯を持って入って1人で食べていました。それが嫌だったことも、寂しかったこともありません。生命維持のために食事を摂っていただけでしたから。
ですが1年間、当たり前のように誰かといっしょにご飯を食べていたら、きっとそれが私にとって意味のあることになったのだと思います。農林大学校には、それまでの私の暮らしとはかけ離れた経験がありました。
いまも農林大学校にいるみんなが卒業したら、これまでよりもっと気軽に集まれなくなる、ご飯にいけなくなると思うと寂しさを感じます。でも、私にとっては「帰ってきてもいい場所を作れた」という感覚のほうが大きいような気がしました。
学校は辞めてしまうけど、もし看護師の仕事がうまくいかなくても、ここにくればみんながいる。農林大学校のでの1年間を楽しめたから、楽しかったから、今後もきっといい人生になっていく、そんな気がしました。
私はがんばれる。
なりたかった看護師になるためにがんばる。
看護学校を卒業するときは、看護師になることにポジティブになれるとは思えませんでした。けれど、いまは挑戦してみようと思えています。
それはきっと農林大学校のみんなに出会えたから。
みんなに出会って、私はものすごく柔軟になりました。心も、身体も、頭も。
いままで楽しめなかったことを楽しめるようになり、「楽しいってこういうことなんだ」と気づき、がんじがらめになって固まった心を自分自身でほぐすことができました。それはきっと、何度も心の底から笑うことができたからです。
憧れだった学生生活をちゃんと自分のものにできて、私は本当に運が良かったです。願ったからといって手に入れられるものではないですから。
ぶっ飛んだ私がそこにいることを、私以上に許容してくれる人たちがいるから、私は自分に少しずつ自信が持てるようになったんだと思います。
自信のバケツに、必要なだけ自信がたまったから、また外に飛び出して挑戦しようと思える。言葉にできないたくさんのものをバケツに入れることができた学生生活でした。
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。