新卒では看護師の仕事には就かず、農林大学校へ進学したまめこさんは、コロナ禍に初めて病院で働きはじめ、農林大学校は退学することに。病院勤務は週3日、働き始めて2カ月が経ちました。看護助手業務からスタートして、現在は緊張や不安を感じながらも周囲の温かい声かけにも助けられ、入浴介助や食事介助を担当していましたが、業務内容も徐々に変わりつつあり、褥瘡の処置にもかかわりはじめました。そんなとき突然、所属フロアを異動することに! さらに、病院勤務に慣れるにつれて、あらたな業務も増え、ついに部屋持ちをする準備に入ったところ、突然、右踵に痛みが発生。蜂窩織炎と診断され、切開して処置が終わりました……
情けないような、救いのような時間
歩くたびに猛烈な痛みが走る足。
包帯をとって、薬を塗って、ガーゼを巻いて、その上からまた包帯をしていく。排膿したため熱感は少し和らいだものの、痛みは変わらない。たった2cmほどしか切っていないのに、こんなにもズキズキと痛み、全身がだるくなるのだと驚きました。
ベッドに寝転び、タオルを積んだ上に足を乗せます。
たくさんの褥瘡がある患者さんやデブリをした後の患者さんはこれ以上に体がだるい状態なんだなと思うと、すごいたいへんなことだなと感じました。そんなことを考えていると気づかないうちに眠りについていました。
言葉にすべきこと
週に3回しか勤務していないし、その3日間すべてが部屋持ち業務なわけではなく、たまにフリー業務を担当する日もあり、少しは息抜きをしながらやれているとは思っていました。
でも、やっぱり1人でやっていく「怖さ」は、ふとしたときに顔を出してきます。いままでは先輩といっしょにやってきたからどうにかこの10カ月働いてこられたけど、この先独り立ちしたら自分の「できなさ」が顕在化するんじゃないかと怖くもありました。見放されるんじゃないかなって。
ベースの業務だけでもいっぱいいっぱいなのに、朝からルートが漏れていたり、バルーンが詰まっていたりすると、その一日が何もうまくいかないような気がして、誰に助けを求めればいいのか、助けを求めていいのか、どこまで自分ががんばってやって、どこからは「できない」と言っていいのか、わかりませんでした。
全員20歳以上離れている看護師だったので、気軽に弱音を吐ける相手もいなくて、この不安をどうしていいのかわかりませんでした。
でも多分、看護師としてやっていきたいという気持ちが自分のなかにしっかりあったから、独り立ちするために、先輩の反応見ながら頼れることは頼り、時には「自分でどうにかしなさい〜」と言われ、そのなかで少しずつ自分のできることを増やしてきました。
いま思えば、ベテランしかいない病棟で、新人に部屋持ちを任せるのは、その日勤務している看護師全員が不安に思っていたと思います。だからいつでも何かあればフォローできるようにしてくれていたのだと思うし、抜けていることが減ったり、できることが増えたりすると喜んでくれていたのだなと思います。
各自持つ部屋は割り振られているけど、その日いるメンバーでフロア全体を看ていく感覚があったから、私が休憩にちゃんと入れているか気にしてくれていたし、できるだけ定時に帰れるように「ここやっとくから残ってる仕事やってていいよ」と言ってくれたり、たくさんフォローしてもらいました。
そして、勤続40年の先輩に「困ったときは騒ぐんだよ」と教えてもらいました。完璧主義気味の私にとって、困ってるときに自分が騒ぐだなんて、自分のキャパシティーが狭いことを周りに伝えてしまうことになるし、恥ずかしいことだと思っていました。
でも、実際に大ベテランの先輩がナースステーションで「もう無理!仕事量が多すぎる!何からやったらいいのかわからない!!」と騒いでいるのを見て、その言葉に、ほかの看護師が「大丈夫」と駆け寄って話を聞いたり、「じゃあこれやるよ」って言っている状況見て、無理なときは言葉にするべきなのだと学びました。
仕事は、もっと冷たいものだと思っていたんです。
誰かより能力が劣っていれば馬鹿にされる、みたいな。
でも、大ベテランですら無理だって思うことがあるのであれば、新人の私はすべてが無理であったとしてもおかしくないと思えたのです。
だから、能力が劣っていると思われそうだなんて恥じらいを持たず、人に頼れるようになりました。これは仕事だけでなく、それ以外にもすごく生かせるアイデアをもらいました。
思いもよらなかった言葉
部屋持ち業務が独り立ちになり、入職して半年が経ったころに秋がやって来て、師長さんとの面談がありました。
師長「最近どう?」
私「陽が落ちるのが早くなって、これからの時期はメンタルが悪化しないか不安なんですよね。私の場合、日照時間がメンタルをめちゃくちゃ左右するので、午前中だけ働いて帰っていたときはコンビニでご飯を買って、日光を浴びながら公園で食べてたりしてたんですけど、いまはそれもできないから、これからの季節、大丈夫かなって」
師長「院内にいると日光に当たれないもんね(笑)。じゃあさ、16時あがりとかにする?」
私「16時あがりですか??」
師長「そうそう。効果はあるかはわからないけど、真っ暗になっちゃう17時より陽が出てるしさ」
私は、日照時間がメンタルを左右するとか、それは自分の努力でどうにかしろよ的なことを思われると思っていたので、こんな提案をしてくれることにほんとにびっくりして。
自分の弱さを自分で認識して言葉にするのはすごく勇気のいることだけど、そうすることによって理解してくれたり、理解しようとしてくれたり、私が長く働けるために配慮しようとしてくださるその姿が、私の心では受け止め切れないくらいうれしかったです。
がんばることでしか自分のことを肯定できなかった私にとって、がんばれないことを口にするって、自分にとって屈辱的なことでもありました。
でもその弱さすら、その脆さすら、先を見越して受け止めてくれる師長さんの寛大さに、私の心はものすごく救われていました。