新卒では看護師の仕事には就かず、農林大学校へ進学したまめこさんは、コロナ禍に初めて病院で働きはじめ、農林大学校は退学することに。病院勤務は週3日、看護助手業務からスタートして、緊張や不安を感じながらも周囲の温かい声かけにも助けられ、入浴介助や食事介助を担当していましたが、業務内容も徐々に変わりつつあり、褥瘡の処置にもかかわりはじめました。そんなとき突然、所属フロアが変わり、さらに病院勤務に慣れるにつれて、あらたな業務も増え、ついに部屋持ちをすることに! そうして徐々に環境が変化していくなかで成長を続けている連載の中のまめこさんはまだ1年目ですが、実際には連載開始から4年以上の時間が流れていました。さて、現在のまめこさんは何を思っているのでしょうか。今回が最後のお話です…

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看護師として働くことを選び続けている私

働き始めて3年目、新型コロナウイルス感染症の第7波のときに院内でクラスターが起きました。先輩たちが次々に感染していくなかで、罹患せずに残った私は圧倒的に少ない人数でコロナ陽性者や濃厚接触者の看護にあたらなければならず、その業務量の多さとプレッシャー、責任に押し潰されていました。

いままで患者さんに「死にたい」と言われることはあっても、「殺して」と懇願されることはありませんでした。

私はこの期間に、その言葉を聞くことになりました。

力を振り絞って発されたかすれた声とは裏腹に、私の手を掴んだ患者さんの手には、いまにも私の指の骨を粉砕しそうなほどの力強さがありました。

働き始めてからもっとも看護師としての考えや判断と人間としての感覚が乖離した瞬間でした。


いつクラスターが収束するかわからないなか働き続けるのは、先の見えない暗いトンネルを走り続けるようなもので、どこまでがんばれば終わるのかわからないというのは、これほど過酷なことなんだと感じました。

そんな日々から通常業務に戻るなかで、私は自分の心をどう再建していったのか思い出せません。

看護師として働き続けることで、どこかで生死に対して鈍感になってしまうのではないか、倫理感が逸脱するんじゃないかと不安になることもあります。

日常に「死」があるって、気がおかしくなってもまったく不思議ではないと思うのです。頭の中では人の死がどういうものか、身体的な変化はどういうものかどんなに理解していても、体が素直に悲しいと思ってしまう、感じてしまう。それは生物として生きているから、当たり前にあるものだと思います。

そういった感情に揺さぶられながら、それでも看護師として働くことを選び続けている私は、何を思っているでしょうか。自分では、まだよくわかりません。

非常勤の私が、看護研究?

師長「今年の看護研究はまめこさんにやってもらおうと思ってるので、お願いしますね〜」

看護研究を担当してほしいと打診があったわけではなく、申し送りでいきなり発表されたのでびっくりしました。

療養病棟看護師として5年目になったはいいものの、自分が成長している実感はなく、スキル・経験が伴っていないことが気がかりでした。急性期を経験しているわけではないし、夜勤もやっていない、リーダーもやっていない。ただなぜかわからないけど運良く5年目まで看護師を続けられているだけであって、中身がない。

きっと周りからもそう思われているんだろうな。

今後どうしていこうかと考えるなかで、転職サイトにも登録して、看護師以外のいろんな求人を見ていた時期に看護研究を担当することになり、「あと半年は看護師をやっているんだ」と目先の目標ができて少し安心している自分がいました。ただ、私は発達障害を持っているし、うつ病もある。そんな私ができるのだろうかと当初は思っていました。

それから半年間、通常業務と並行して同僚と看護研究をやり遂げることができ、昨年の秋、院長や各フロアの師長さん、主任さんたちの前で院内発表を行いました。質疑応答は想像以上に盛り上がり、私を採用してくれた師長さんや看護部長さん、リハビリスタッフから質問がありました。私はいままで他部署との交流がなかったので良い機会となりました。

看護研究を終えて、これで非常勤看護師としては業務がひと回りしたのではと思っています。自分のなかでがんばったなと、非常勤として働き始めて、ある種のゴールはここだなと思いました。

連載を終えるにあたって

この文章を書いているいまの私は看護師歴4年11カ月目です。新卒では看護師の仕事に就かず、農林大学校へ進学し、看護師として働けるなんて思ってもいませんでしたが、もうすぐ6年目になります。不思議で仕方がありません。

この連載は看護師1年目の冬にスタートさせていただき、これまで4年3カ月も続けてこられたのは読んでくださるみなさんがいたからです。そして、精神的にしんどくて1カ月ほど期間が空いてしまったときもありますが、私の状態を尊重してくれた編集者さんがいるから成り立っていました。

自分の経験を言語化して、編集してくれる方がいて、読んでくれる方がいた私は、本当に恵まれていました。

こんな自分を暖かく見守ってくれる人や、導いてくれる人、サポートしてくれる人がいることにあらためて気づきながら原稿を書いているとき、幾度となく涙がこぼれました。

原稿に登場する当時の自分に、当時の私は何も声をかけてあげられなかったけど、振り返ることでいまの私から優しい声をかけてあげられる、そういう時間でした。

だからといって、私は「つらい過去を乗り越えたから“いま”がある」と解釈するのは嫌で、つらいことなんて何一つなければよかったのにと思っています。でも、そのとき、その場で最善の判断をしながら乗り越えてきたからこそ“いま”の自分がいるのも事実です。

看護師になるまでも、なってからの過程も、ずっと不安定です。でも、どの地点を切り取っても、その1年前と比べれば安定してきている。そんな“いま”の自分が「あのときのつらささがあったから“いま”がある」と思うのは、その当時の自分に対して失礼だなと思うのです。

だって各地点の当時の私は必死だったから。「そのつらさがあるから“いま”の自分がいるんだよ」だなんてある程度は安定した大人になった自分から言われたら、過去の各地点の私は「ふざけんな!」と思うし、実際、当時も「絶対に美化なんてしないから」と思ってたから“いま”があるので。

私が過去を思い出して、その当時の自分に声をかけてあげる、なでてあげる、大丈夫じゃないけど大丈夫だよと言ってあげるとした、それは「あなたがいたこと絶対忘れないからね」という思いなのです。

不登校から看護師を目指したあなたも、
10年、毎日限界を越え続けたあなたも、
看護師になるために捨ててきたあなたも、
全部、忘れない。絶対に忘れないから。

その私の思いを見ていてくれたすべての方に感謝しています。

2週間に1回、こうして文章を書いてきた習慣がなくなるのは寂しくもありますが、すでに次なるステップがあるんだろうなとわくわくしている自分もいます。


人生は、本当にどうなるかわからないですね。

みなさんの人生が豊かに広がっていくことを願っています。私の人生を見ていてくれて、ありがとうございました。ずっと、救われている自分がいました。

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まめこ
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。
経歴も年齢もバラバラな13人のナースが執筆した『めそめそしていた1年目の自分に 今の自分から伝えたい 看護師暮らしのサバイバル術』(2025年2月刊行)でも執筆を担当。




▼まめこさんの書籍(共著)




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布団を出るので精一杯、勉強どころじゃない1年目ナースが息をしやすくなるための回復体位的アドバイス集。経歴も年齢もバラバラな一般ナース13人が、しんどかった当時の自分と「業務&生活を立て直すヒント」を語り合います。『貼りまわれ!こいぬ』うかうかさんのイラスト&シール付き。