みなさんはじめまして、看護師のまめこです。
私はいま、病院と皮膚科クリニックでダブルワークをしている1年目の看護師です。看護師1年目といえば、大きな病院に入って研修を受けて3~5年で一人前になっていくのが王道のキャリアですよね。しかし、私の場合はその選択肢を選びませんでした。いや、選べなかったと言ったほうが近いかもしれませんね。
看護学校卒業後、森林に囲まれた環境を選んだ
私は看護学校を卒業後、農林大学校に進学し、林業の勉強をしていました。わかりやすい言葉で言えば「木こり」になるための勉強をしていたのです。映画『WOOD JOB!~神去なあなあ日常~』を観たことある方は想像しやすいのではないでしょうか?
山の中にチェーンソーや工具を持って入り、伐木・造材して運ぶスキルや、樹木の病気を学ぶ樹木学、森林管理などを学んでいました。
作業する場所に着くまでには急斜面を登って行かなければならず、作業に入る前から疲れてしまうのは日常茶飯事。基礎的な筋力では男性に劣っていたため、木材を持ち上げるのも困難で、たいへんなことはたくさんありましたが、とても楽しい1年間を過ごしました!
そもそもなぜ農林大学校に進学したのかについては別の回で詳しく書きたいと思いますが、大まかに説明すると、「心身のバランスが崩れ、看護学校卒業後すぐに病院に就職することは得策ではない」と思ったからです。看護学生のときに発達障害と診断を受け、二次障害として不安神経症でもあります。
でも、だからって「なんで林業!?」ですよね(笑)。
それはただ、森林が好きだったからに尽きます。森林の近くで心を癒したかったんですね。なので、農林大学校の先生には「スキルも身につけたいけど、いちばんは心の療養です」と伝えていました。
毎日、限界を越え続けた看護学生時代
看護学生時代の実習には、抗不安薬を服用しながら行っていました。しかし、ストレスにより睡眠中に動悸がして目が覚めたり、電車の中で過呼吸になるなど、「看護師」という言葉を見たり聞いたりするだけでも嗚咽がするときもありました。
正直、自分はもう看護師にはなれないと思っていました。実習でナース服に腕を通すことも、病院に行くことも体が拒否してしまっていたのですから。
それが、いまは病院の療養病棟と皮膚科クリニックで看護師をしています。ナース服を着ているんです。
新型コロナウイルスの拡大がなければ、看護師になっていなかった?
農林大学校は2年制のため、本当であればいまも林業を学んでいる予定でした。しかし、昨年の新型コロナウイルスの感染拡大により、予定していた教育が受けられなくなり、休校が長期間に渡りました。
学校に通えず、自宅で自粛していた期間中、人と会うこともなく家で悶々としている時間が増えると、治まっていた不安がある日突然私に襲いかかってきました。
自分の力ではどうしようもできない不安感。
「どうしよう、また不安の底に落ちそう」
「怖い」
そんなときに見た医療従事者不足のニュース。看護師不足、医療崩壊の危機を伝えていました。
「家にいて、こんなに不安で、どうにかなっちゃいそうなら、病院で働いてみて、できなくてくじけてどうにかなったとしても、そのほうがまだ前に進んでいる。転ぶなら前に転びたい」
そう思って、家からいちばん近い総合病院にメールを送りました。
看護師の免許は持っていても、何のスキルも経験もない私を雇ってくれる可能性は低いと思っていました。今から教育を受けさせてもらうには時間もお金もかかる。人手は足りていないかもしれないけど、スキルのない看護師ならいないほうがマシと思われるかもしれない。
採用される理由より、採用されない理由のほうが多く頭に浮かびました。
「新卒で就職しなかったことは甘えだ」
「心身のコントロールできないなんて看護師として失格」
「採血もできない看護師が採用されると思った?」
病院に行くのも、看護師さんに会うのも怖い。
何言われるかわからない。
それでも面接に行こうと私を奮い立たせたのは、「家にいることで膨らむ不安感」でした。散々悩まされてきた忌々しい不安感ですが、このときはそれが前に進む力となったのです。
そして、メールを送った総合病院から連絡が来たのです。
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つづく
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。