前回までのおはなし…
勇気を出して送ったメールに病院から面接の連絡。1週間後の面接に向けて進む時間のスピードに、心の準備が追いつかないまま当日がやって来た。面接では、何を聞かれるのか、自分の話をしてどんな反応をされるのか不安を感じていたものの、「看護師になりたい」という言葉にすべてを受け止めてくれる面接担当の師長。この面接を通して、あらためて自分自身の「看護師として働きたい」という思いに気づいた……
生きている実感もない日々
2020年4月、緊急事態宣言が発令され、家からほとんど出ない日々を送っていました。多くの人が、寂しさや孤独感をテレビ電話などでしのいでいるとテレビが伝えていましたが、私には気軽に電話できる友だちがいません。そもそも、電話は大の苦手。心身ともに疲弊してしまいます。
看護学校に通っていたのだから、そのときの友だちがいるじゃないかと思われるでしょうか。
でも、私には連絡ができないです。
だって、彼女たちは看護師として働いていて、私は働けていないのですから。電話をすれば、その事実に直面させられて、悲しくなるだけなのはわかりきっています。
緊急事態宣言の発令から約3週間。
動画見たり、本を読んだり、時間の使いかたに工夫をして過ごしてきましたが、4月末、いよいよ私のメンタルが不安定になりました。
家にいるだけで何もやる気になれず、まぶたが半分も開けられないようなけだるさ。
母親と話すのも億劫で、布団の中で横になったまま1日が過ぎていきます。食べるご飯においしさも感じません。
心身の状態がまずいなと思いながら、対策のための行動が取れない。目尻から伝う涙。頭がずっとぼーっとしていて、この時期は泣いていることさえ認識できていませんでした。
見かねた母親は、緑の多い大きな公園に誘ってくれました。それでも、着替えるのも、立つのも面倒で、行きたいけれど行けないと伝えました。
でも、この機会逃したらまた正常な状態に戻れなくなってしまう気がします。
「やっぱり行く」
母親にそう言って、用意を始めました。
車に乗って公園に向かうときも、だるくて窓に寄りかかっていました。頭の中に霧が立っていて、せっかく外に出ても周囲からの刺激を正常に感じ取れていません。
これは、生きていると言えるのだろうか。
心拍数は正常だし、呼吸だって当たり前にしてる。でも、私は生きられていない。
モスバーガーでテイクアウトして公園で食べようと母親が提案してくれ、ドライブスルーに向かいました。メニューを見ても、何も食べたいとは思えません。それでも何か食べなければと、オニオンリングを頼みました。
車から見える空はとても明るく、綺麗で、澄んでいました。
私の心とは正反対に。
それでもみんな生きている
着いたのは、遊具もグラウンドも池もある、想像より広い公園でした。
広場にあるベンチに座り、テイクアウトしたオニオンリングを食べ始めます。
幼稚園生ぐらいの子どもが楽しそうな声を出して、鬼ごっこをしています。池のほうに向かってランニングしているおじさんも、夫婦で優雅に犬の散歩をしている人もいます。
(みんな、生きてるんだな。正体のつかめないウイルスの蔓延、不要不急の外出の自粛。前例のない事態のなかでも、みんな生きている)
外に出ていなかったせいで、外の気温がわからず、薄着で来てしまいました。風が冷たい。寒い。風で草木が揺れている。日光の眩しさを久しぶりに感じました。
「ねえ、お母さんが食べてるの何?」
「チリモスだよ。食べる?」
「うん。ちょっとだけ食べたい」
こうして、私はメンタルが安定するまで、公園に行く日々を過ごしました。
突然、知らない人からの電話
病院での面接が終わって5日が過ぎました。
家でYouTubeを見ていたら、私の携帯電話が鳴りました。
知らない番号。
誰だろうと思い、電話が切れるまで待ちます。
私は電話が大の苦手なので、基本電話には出ません。聴覚過敏を持っているので苦痛でしかないのです。電話が鳴り止むのを待っているだけでも心拍数が上がります。
携帯電話の着信がようやく切れると、今度は家の電話が鳴りました。
母親が電話を取り、何か話しています。
「病院から電話よ。携帯電話にかけても出なかったからって」
おそらく合否の電話です。
緊張が走ります。
「もしもし、お電話代わりました。まめこです」
「病院の総務人事課の〇〇です。採用についての連絡のため、電話させていただきました。面接を担当した師長、看護部長、人事で検討し、採用させていただくことに決定しました」
(合否の結果は、メールで来ると思っていた。びっくり。やっと、家にいることで膨らむ不安感と離れられる。よかったー)
「5月中旬くらいから働けると面接で伺っていましたが、ゴールデンウィーク明けすぐからは可能でしょうか?」
(えー、予定より早いけど、もうメンタルが不安定だから早いほうがいい!うれしい!)
「ゴールデンウィーク明けから働けます」
「それでは、ナース服のサイズ合わせにゴールデンウィーク前に来ていただきたいのですが、直近になってしまいますが可能でしょうか?」
(今日は4月28日だから、明日は祝日。え!? 明後日か明々後日しかないじゃん!!)
「4月30日か5月1日ということですよね?」
「そうなってしまいますが、ご都合いかがでしょうか?(汗)」
「では、4月30日でお願いします」
いろいろと急すぎて、飲み込めない。
面接のときに、「髪の毛の色を暗くできる?」って言われたけど、まだ明るいままです。自粛期間中にやることがなくてブリーチした髪は、太陽の日に当たるときんきら金ですし、蛍光灯の下でも隠し用のない明るさです。
ナース服のサイズ合わせにこの髪のまま行ったら、「暗くしてって言ったのに、なんで変えてないの!」って言われるかもしれません。
でも、そんなに急に美容院に行けそうにないし。自分で染めるべき? 自分で染めたら色ムラができて汚くなりそうだし……。どうすればいいんだろうという焦り。
いろいろと考えて、正直に言うことにしました。
こんなにすぐに連絡が来るとは思っていなかったこと。美容院で染めることを考えたけど間に合わなかったこと。間に合わなくて申し訳ないと思っていることを。
“看護師になること”が私を救う
このときは、とにかく人に会いたくて。
だから仕事がしたくて。
この環境から一刻も早く脱出したいと思っていました。
家にいることで膨らむ病的な不安。
それから逃れたいという気持ち。
そして、ほんとにやっていけるのかという不安な気持ち。
それらが押し相撲を繰り返していたはずが、病的な不安がどんどん膨れてきていて、早くなんとかしなきゃと思っていました。
新型コロナウイルスが流行っていなければ、外に出て気分転換をしたり、習い事を始めて人との交流も持つこともできたでしょう。でも、家にいるしか選択肢がなくて、コロナ禍で人と関われる選択肢は、看護師として働くことしかありませんでした。
だから、背中を押されて。
いや、前のめりになって看護師になりたいと思っていました。
こんな運命でなければ、踏み出せなかったはずの看護師の扉。
普段だったら、その扉を見ることすらきつかったはずです。
でも、このときは心から願っていました。
看護師になりたいと。
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つづく
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。