前回までのおはなし…
不安と期待を抱きながらの勤務2日目。朝から「あいさつ」のことを意識しながら病院に向かいます。狭い空間、さまざまな音であふれ、苦手なロッカー室を無事にクリアして、いよいよ病棟へ。看護助手さんが集まる部屋に入ってあいさつすると、優しい視線にポジティブな感情を感じてうれしくなったのでした。いよいよ本格的に業務が始まります……
ベテランのすごさを感じる
8時半。始業の時間です。
見学の時と前回の勤務でだいたいの看護助手さんに会っていたので、過度な緊張はありませんでしたが、何を準備してどう業務を行うのかわからない不安感はありました。
業務内容や手順がまだわかっていない私は、その日のリーダーさんに付いて、一緒に業務を行います。そのため、どの方と一緒になるのかは毎回ドキドキです。会った感じでは怖い人はいないけど、「看護師の免許を持っているのに、何もできないじゃん」と呆れられたらどうしようという怖さがありました。
安全目標をみんなで指差し呼称してから、朝のオムツ交換スタートです。
陰部洗浄ボトルとおしぼりを用意して、オムツが入っているカートを持って病室へ向かいます。
寝たきりの患者さんが多いので、膀胱留置カテーテルが入っていたり、マーゲンチューブが入っていたり、酸素がつながっていたりと、チューブ類がたくさんあります。それらが引っ張られたりしないように患者さんの安全面を考え、2人1組でオムツ交換と陰部洗浄をしていきます。全介助の患者さんが主なので、1人で体位変換は厳しいものがあります。
学生時代の病院実習でベーシックなやり方はわかっているとは言え、病棟でのオムツ交換は初めてです。なので、リーダーさんが患者さんの疾患や禁止の体位などを逐一説明してくれました。
「この患者さんは便の量が多いから、平オムツを下に敷いてからオムツ交換する」
「この患者さんは肌が弱いから、他の患者さんよりも優しく洗う」
「この患者さんはおしっこの量が多くて漏れやすいから、尿取りパットを他の人より多く入れる」
リーダーは、患者さんの体格や尿量などに合わせて、入れる尿取りパッドの数が違い、入れ方も違うので、その人に合った工夫をしています。すごいなと思いました。
要介護5の患者さんがほとんどのため、体位変換も100%の力を使わなければならず、続けて行っていると腕や腰や背中が痛くなります。21歳と若手の私ですらバキバキです。
ですが、私以外の助手さんの多くは50代や60代の方がほとんどです。しかも小柄な方もいて、それでもスムーズに体位変換ができるので、体の使い方すごく上手なんだろうなと、いつも度肝を抜かれています。
ベテランって偉大だな、なんて思いながら、初日のオムツ交換と陰部洗浄はリーダーさんの説明を聞きながらほぼ見学していることが多く、体位変換を手伝う程度で終わりました。
発達障害と触覚過敏と看護業務
発達障害で、触覚過敏を持っていると「看護師の仕事って難しくない?」と言われることもあります。
そう思われるのは自然なことだなと思います。看護は「手当て」と言われているように患者さんに触れることも多く、またタッチングはひとつの技術ですから、触れることが大前提の職種です。
でも、触覚過敏ゆえにできない手技はほとんどないのです。
例えば陰部洗浄。手袋をしているとはいえ、手で陰部を洗っていきます。私の場合、手袋をした手で患者さんの陰部を洗うことに抵抗はありますが、不快感はほとんどありません。
私が持つ触覚過敏は、自分が触られることに対してが主です。触れられることへの抵抗や不快感が強いですが、自分から触れることに対しては、いまではあまり不快感はありません。
いまではというのは、看護学生時代は血圧測定のとき、人の上腕動脈や橈骨動脈を触ることに対して不快感が強くて、ゾワゾワが止まらず気持ち悪くなり、自分の心拍数の音が強くなってしまうことがありました。いまでも人の血管を触ることに対して不快感はありますが、学生時代ほどではなくなっています。
不快感というのは言葉にすればシンプルですが、実際は「無理!無理!無理!」と全身の細胞が地団駄を踏むような感じです。キャパを超えると理性でどうにかなるものではなく、涙が溢れてパニックになり、過呼吸が起こり、そんな自分が不甲斐なくて悔しくて、自己嫌悪になります。
五感過敏のなかには、経験や慣れによって軽減・消失するものもありますが、私の場合、いまだに不快感が強いのは、患者さんに触れられたりすることです。「若くて肌がピチピチねー」と腕を触られたり、「がんばってね」と肩を叩かれたりすると、私の身体が強い拒否反応を示します。身体と心が泣き出してしまいます。
相手が私に触れてきた理由がポジティブなものだったとしても、身体は泣いてしまう。だからこそつらいんです。それが不快だって伝えることが申し訳なくて、自分ががまんするしかなくなるんです。
でも、この不快感やこのつらさをため込みすぎると涙が止まらなくなったり、過呼吸になったり、全身の鈍痛として症状が出てきたりします。いきなり泣き出して過呼吸になるから、周りは理解できないと思います。私だってよくわかっていないのだから、周りが理解できないのも無理ありません。
配属された病棟は寝たきりの患者さんがほとんどでした。だから患者さんから触れられることもほとんどなく、それもあっていまも続けられているのかもしれません。いろんな続けられる要因が重なって、いまもこの環境に身を置けています。
そして、勤務が終わる
リーダーさん「おつかれさま〜。もう終わりの時間だよね! 今日もありがとね!!」
主任さん「あ〜お疲れさま! どう少しは慣れた? お腹すいたでしょ! おうち帰ってたくさん食べなね!!」
決められた時間の仕事をして、なんでこんなに「ありがとう」って言ってもらえるのだろうか。私はほぼ見学しかしていないし、愛想がいいわけでもなく、いるだけで周囲を明るくできるわけでもない。感情が顔に出ないし、周囲からしたら扱うのが難しいタイプだと思います。
でも、そんなことを気にしてない。いてくれるだけでいいんだよって言われているような感覚。
「私は存在していていい。」
肯定してもらえている感じがする。
いままで発達障害の特性を理解してもらえないことのほうが多く、そのせいで孤独を感じることもありました。特に学校生活は楽しいものではなかったです。勉強は楽しかったですが。
働き始めてまだ2日目でしたが、孤独を感じる場面はありません。働くことで誰かとつながっていられる、社会に存在できる感覚を得られます。
定型発達の人が思っている以上に、障害を持つ人の就労定着は難しいのです。コミュニケーションの部分でも、能力や心の容量の部分でも。
私ここで働き続けられるのかな。いつか、戦力になれるのかな。
そう思えることすら、嬉しいことです。
いままで、そう自分に期待することすらできなかったのですから。
今日も、温かい気持ちになって、帰れます。
本当に、感謝しかないです。
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。