午前勤務の病院での仕事が終わると、帰る途中にコンビニでカップラーメンを買って帰ります。高校時代は「食品添加物」に体が拒否反応を示し、コンビニの弁当や総菜は一切食べられませんでした。それが農林大学校に入ってから看護学校で身につけた自分の感覚が180度変わるような出来事を日々経験するなかで、頭も心も解放され、太陽の光を浴びることで自分なりのリラックス方法に気づきました。いまでも、業務がうまくできないことがあった日は、コンビニでお弁当を温めてもらい、公園に寄って、太陽の温もりを感じています……
一つひとつに不安を感じる
私が勤務する病棟は寝たきりの患者さんが多いので、経管栄養や静脈栄養の患者さんも多いです。ですが、何名かは食事を経口摂取されているので食事介助を行います。
勤務を始めたばかりの私は、むせの少ない比較的食事介助しやすい患者さんを担当していました。でも、むせなくても誤嚥して肺炎になってしまう可能性があるので、食事介助をするのがものすごく怖かったです。
「ベッドアップしてから、食事介助してね」
一般的な看護師であれば、この言葉を聞いただけでいい感じでヘッドアップができるのだと思いますが、私の場合、どれくらい上げればいいのか、具体的に言ってもらえないと不安になります。
教科書的には30〜60°だけど、この患者さんにとって適切な角度がわかりません。勤務を始めたばかりだと、いつも通りがわからないのです。なので、患者さんに合った角度になっているのか、確認してもらうために先輩に毎回、見に来てもらいました。
そのため、先輩方からは「なんでこんなにもいちいち確認するの?」と思われていたかもしれませんが、怖いので何度も確認させてもらっていました。
ASDのコミュニケーション能力
発達障害(ASD:自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)の人はコミニケーションが苦手です。「いい感じに」や「もう少し」「多めに」など、日常でよく使われる抽象的な言葉に戸惑ってしまいます。
私は、小さい頃から人と自分の感覚が違うことに気づいていたので、私が思う「もう少し」や「多め」はたぶん人と違うだろうなという不安があって、それは確認しなければ解消できません。
日常生活であれば、ある程度アバウトだったとしても支障がないこともあります。しかし、病院という環境のなかで看護師として仕事をする場合、ミスがあれば患者さんに影響を及ぼしてしまうため、できるだけ具体的なコミュニケーションを取るようにしています。
先輩方に面倒くさがられても、正しく安全に行えるように、何度でも質問させてもらうようにしています。それもあってか、師長さんにはあるとき「まめこさんはものすごく観察するよね。で、怖かったり、不安があるときは絶対に手を出さないよね」と言われました。
この言葉には、わからないことはよく観察し、自分ができる、大丈夫と思ってから手を出すから、患者さんを危険にさらす可能性が低く安心できるというニュアンスを含まれていました。
私のこのやりかただと、率先して手を出さないためやる気がないと思われてしまうこともあります。ですが、師長さんは私の発達障害の特性や不安障害があることを含めて評価してくださるので、卑屈にならず自分のペースで学べています。
発達障害当事者に向けた発信
発達障害がありながら看護師として働いていることをSNSなどで発信していると、「発達障害者は看護師に向いていない。辞めてほしい」「周りの人の負担も考えろ、邪魔だ」などと言われることもあります。
病院は忙しいですし、医療者がミスをすれば患者さんに影響が及んでしまうことも考えられます。ただでさえ新人教育はたいへんなのに加えて、発達障害の特性を持っているとより周囲の負担が大きくなります。でも、だからといって排除すべきなのでしょうか。
発達障害と聞くと、定型発達の人(健常者)より何かが欠けているイメージを持たれると思いますが、実際は定型発達の人に比べて発達のムラがあり、できることとできないことの差があるという感じです。
新人看護師としてまだまだできる手技は少ないので、師長さんやベテラン看護師さんたちに指導いただきながら業務にあたっています。そのため、できないことや不安がある手技を患者さんに行うことはありません。
私は、発達障害があっても働けることを発達障害当事者に向けて発信していますが、定型発達の方たちとこうしたことについて議論をしたいと思っています。それが、そうした発信やこの連載を続けている理由の一つです。
ノーマライゼーション、インクルージョン、ダイバーシティといった言葉の認知が広がっていますが、多様性を認める・受け入れる社会の実現はまだ難しいことが多いと、働いていて感じます。
苦難の末に編み出したコミュニケーション方法
私は言語性IQ(知識や言葉の理解、耳で聴く情報を理解する能力)が平均より高いため相手の言葉を繊細に捉える一方、自分の言葉を選ぶときも多くの言葉から選ぶため時間がかかります。何を言うべきか考えているうちに、会話は進んでいきますし、答えを求められている質問のときには、なかなか答えられない私にいら立ちを感じる相手もいます。
そのため、最近ではその突破方法を編み出しました。それは明確な言葉を発しないことです。擬音語を使ったコミュニケーションで乗り切ります。エヘヘ、アハ、ウェー、ウィー、ウヘなど、全身で身振り、手振りをして、どうにかその状況乗り切ることでこの1年間を過ごしてきました。
最近、師長さんと先輩看護師に、「今日は仕事が早く終わったね、すごいねー」と声をかけてもらいました。本当は「いや今日は早く終わったけど、もしかしたら何か抜けがあるかもしれないし、スムーズに進むことがすべてではないし、次の勤務も同じようにできるかと言ったらそうではないし、できると思われて仕事量増やされたらパンクするよな、でも今日はいつもよりスムーズに進められたのはとてもうれしい」と頭のなかでは話しているのですが、私から出てきた言葉は「いやいやいやー」だけでした。
すると、いきなり2人が「ええぇーー」と言い出したのでびっくりしていたら、私のモノマネだったようです。あらためて、相手からはこう見えてるんだと思うと、私はずいぶん変な人だなと思いました。
見守られていたらからできた着実な成長
食事介助を担当しはじめたばかりのころは、患者さんがスムーズに食べられているかを前日などと比較した評価ができなかったので、このスピードで合っているのか、口に入れるご飯は適量なのかなど、わからないなかでおそるおそる食事介助をしていました。
食事中のむせがないか、むせがなくても喉がつまって顔が赤くなっていないか、息苦しさはないか、1口の量は適量か、患者さんが望むご飯やおかずの順番になっているかな、考えることがたくさんありました。
ほかの看護師さんや看護助手さんは、1人だけではなくほかの患者さんの食事介助もし、口腔ケアをしたり、入れ歯を洗ったりしていました。いずれはマルチタスクで動かなければならないんだなと思いながら、いまはまだ1人で精一杯だと感じていました。
食事介助を終えると、患者さんのエプロンを外してベッドの角度を少し下げて調整します。食べているときの角度だと体がしんどくなってしまうため、頭側を少し下げます。ですが、下げすぎても食事後の逆流が考えられるため、この「少し下げる」というのも、どれぐらい下げればいいのかがわからず、毎回助手さんに来てもらって「これぐらいで大丈夫ですか?」と聞く日々でした。
私が自分で判断できるまで見守ってくださった先輩方には、とても感謝しています。ゆっくりとした私の成長を忍耐強く見守ってくれる先輩方がいるおかげで、着実に自己効力感や自己肯定感を向上させながらお仕事をできるようになりました。
5年一貫の看護高校卒業後、林業学校に進学。現在は、病院と皮膚科クリニック のダブルワークをしながら、発達障害を持っていても負担なく働ける方法を模索中。ひなたぼっこが大好きで、天気がいい日はベランダでご飯を食べる。ちょっとした自慢はメリル・ストリープと握手したことがあること。最果タヒ著『君の言い訳は、最高の芸術』が好きな人はソウルメイトだと思ってる。ゴッホとモネが好き。夜中に食べる納豆ごはんは最強。